セガール侯爵家
「この馬車は一体どこへ行くのですか?」
馬車に半ば強引に押し込められたホーリーはそう尋ねた。自分の両サイドには執事の男。お向かいには秘書官と思われる女性とメイドが座っている。ある人物が自分に会いたいと言って迎えに来たと突然言われ、秘書官の女性に手を掴まれて馬車に押し込められてしまったのだ。
「先程はお嬢様に乱暴なことをして申し訳ありませんでした。私はミッシェルと申します。セガール侯爵家の秘書官をしております。あとは執事のルイ、メイドのハンナです」
執事の男とメイドが会釈をする。執事は30代前半くらい。甘いマスクでこれぞ執事というスマートな大人の雰囲気をもっている男である。メイドのハンナはまだ10代で幼い感じである。ホーリーとミッシェルを交互に見ておどおどしている。
「セガール侯爵……?」
「ホーリーお嬢様。どうやらご存知のようですね。これから行くところは、イナの町。そこの領主であるセガール侯爵家の館です。夕方には到着する予定です」
秘書官と名乗るミッシェルは、そう義務的な口調で話すとそのまま口を閉ざした。誰も何も喋らない。ただ、コトコトと馬車が走る音がリズムよく聞こえるだけである。
セガール侯爵の名前をホーリーは知っている。自分の母親というシンシア・アプリコット伯爵令嬢が嫁いだ家なのである。シンシアは神官のベルダンとの間にホーリーをもうけたが、ベルダンとは死に別れ、侯爵家へ嫁いだと聞いている。
そして自分は孤児として神官ラターシャに預けられて、教会で育ったという過去があったのだ。
(会いたいという人物は、母なのだろうか……?)
ホーリーは以前に右京から自分の出生の秘密を教えられて、まだ、母親が生きていることを知った。セガール侯爵夫人になっている母親を訪ねていくこともできたが、自分から会いに行く勇気がなかった。自分を捨てた母親に会うというのも抵抗があったが、心優しいホーリーは、自分が会いにいくことで母親が困ったことにならないか心配したのだ。それが、向こうの方から自分に会いたいというのだ。
馬車がイナの町に近づくにつれて、ホーリーの胸はドキドキしてきた。会いたい気持ちと会いたくない気持ち。自分の出生の秘密を知りたい気持ちと知りたくない気持ちが交錯する。それに強引に連れてこられたこともあって、教会のことも心配になっていた。子供たちは不安になっていないだろうか。右京も教会のお向かいに店を構えている。きっと、自分のことを心配してくれているに違いない。
馬車は5時間程走り、イナの町に着いた。そこはイヅモの町への玄関口にあたる中規模な町である。アマガハラの都へ向かう街道沿いにあるので、宿場町として栄えているところである。産業としては良質な材木の産地であり、木材で潤っている町でもあるのだ。
そのイナの町の中心にセガール侯爵家の館がある。馬車が門をくぐり、しばらく走って車寄せに止まると執事のルイがドアを開ける。ルイ、ミッシェル、ハンナと降りてホーリーがルイに手を引かれて降りる。大きな館であるが何だか活気がないようにホーリーは感じた。もう夕方を通り越して、夜になっているからそう見えたのかもしれない。
「ホーリーお嬢様。まずはお召し物をお替えになっていただきます。ハンナ、ホーリー様をお部屋に。20分後に広間にお連れしなさい。ルイは奥様にご報告を」
「はっ」
「は、はい」
ホーリーはハンナに案内されて館の中へ足を踏み入れる。
「ハンナさんと言いましたよね。あなたはおいくつですか?」
「じゅ、十四歳です」
「タバサと同じね。ここに勤めてどのくらいになるの?」
「まだ1ヶ月経っていません。この度、ホーリーお嬢様付きのメイドとして雇われたのです」
「わたし付き?」
「は、はい。そう聞いております」
そう言うと案内する部屋にたどり着いた。そこそこ豪華な仕様の部屋で、既にホーリーが着用するように薄い水色のドレスがドレッサーにかけてあった。
「お嬢様、これにお着替えを……」
「え? そんなドレスは着れません。このままで結構です」
ホーリーの格好は愛の女神イルラーシャ神を祀る神官の格好だ。これでも充分にフォーマルな席に出られるはずだ。そんなドレスを着る理由もない。ホーリーは会いたいと言われて強引に連れてこられたのだ。
「これを着てもらわないと私が怒られます。お願いですから着てくださいまし……」
そうおどおどした年少のメイドに言われるとホーリーも着るしか選択肢がなくなる。渋々、神官の服を脱いだ。まずはコルセットを付ける。これは腰を締め付けて美しいラインを形成するもので、紐でかなりギュウギュウと締め付けるのだ。
ホーリーは最初から痩せているので、これはそんなに苦しくはなかった。その後、ドレスに袖を通す。ハンナはそれを手伝い、用意された靴を履かせる。髪の毛を整えて髪留めでアップにし、化粧気のないホーリーに薄くメイクをする。この間15分である。
(少しお待ちを……)と言ってハンナが退出した。ホーリーは椅子に腰を下ろしている。着なれないものを着ているので窮屈である。
「ホーリーさん……」
どこかで聞きなれた声がする。
「ホーリーさん、ここですよ」
「ヒルダさん」
ヒルダがそっと窓から顔を出した。ホーリー付きの使い魔であるヒルダは主人であるホーリーのところへ瞬間移動できるのだ。
「ここはどこですか?」
そうヒルダが尋ねた。右京に言われてホーリーの元へ来てみたが、相手が人さらいでホーリーの身に危険があれば、この優秀な魔法使いでもある使い魔は魔法攻撃でホーリーを救い出すことは可能であった。だが、観察するとそういう雰囲気でもない。
「ここはセガール侯爵のお館です」
「セガール侯爵ですか。この町の領主ですね。都から派遣された役人でなく、この町の名士ですね」
ヒルダの知識は3万冊からなる図書の検索機能から引き出される。有名な貴族の情報は、大抵わかる。
「セガール侯爵夫人はわたしのお母さんらしいのです」
「そうなんですか? わたくしは初耳です。ホーリーさんは貴族の姫君だったんですね」
「いえ。それには色々な事情が……あ、迎えが来ました。ヒルダさん、隠れてください」
「では、隠れさせていただきます」
そう言うとヒルダはパタパタと飛んでホーリーの胸元に滑り込んだ。ホーリーの慎ましい2つの膨らみの間に体を忍ばせたのだ。
「ちょ、ちょっと……ヒルダさん、そこは……」
「いいじゃありませんか、女同士ですから。あらあ、ホーリーさんの可愛い」
ヒルダ、ホーリーの胸のピンクの突起物に興奮する。これはまた変な方向に目覚めないか心配な状況だが、ここはホーリー。恥ずかしさに耐える。
ホーリーは胸にヒルダを挟んで違和感ありありだったが、それを表情に出さずに入ってきたハンナと執事のルイに作り笑いをした。ちょっと怪訝な顔をしたルイであったが、ミッシェルに命じられたのは20分後。あと2分である。急ぎ、目の前の令嬢を館の広間に連れて行かないといけない。
「ホーリーお嬢様、ご案内します」
そうルイはホーリーの手を取った。
「奥様、お館様。ホーリーお嬢様をお連れしました」
ドアが開くとそこには2人の大人と3人の子供がいた。子供はホーリーぐらいの少女が1名。その2、3歳したと思われる男の子が1名。まだ5、6歳と思われる男の子である。
「ホーリー、あなたがホーリーなの?」
「お、お母さん?」
上品な貴婦人がそう言いながらホーリーを抱きしめた。ホーリーには、その抱きしめる手は小刻みに震えているのを感じた。それはホーリーには何故か(嬉しさ)ではなく、(悲しさ)のせいだと思ってしまった。それは血を分けた母と子だけが知り得る感覚でもあった。
(ホーリー来てはダメ……。逃げて……)
そう母が告げていると感じた。それが何なのか、ホーリーには分からない。
「君がホーリーだね。私はセバスチャン・セガール。君の義理の父になる」
そう恰幅の良い紳士が自己紹介する。母親と名乗る貴婦人が体を離した。驚いて声も出ないホーリーの顔をじっと見る。年は30半ば。容色は衰えていない美しい夫人だ。ホーリーと同じ金髪で顔も目元の下がったのんびりした印象のところに面影があったが、ホーリーはどちらかというと父親似であると思った。
「ホーリー、守ってあげられなくてごめんなさい……」
そう聞き取れない声で夫人は涙を流してつぶやいたのをホーリーは聞いた。セガール侯爵が一瞬、ものすごい形相で母をにらんだように見えた。だが、直ぐに優しい表情で妻に寄り添う夫のセガール侯爵。
「私も妻から君のことを聞いたときに、驚いてね。直ぐに会いなさいと命じてここに来てもらったんだよ」
そうセガール侯爵がホーリーに言い、立ち話はなんだからとソファに座るよう勧める。そして自分の子供たちを紹介する。
「こちらが次女のセリナ。16歳で君より1つ下。この子が長男のジュラール14歳。次男のクリスは7歳だ。ほら、みんなホーリーお姉さんに挨拶しなさい」
セガール侯爵に促されて、3人の子供がホーリーに挨拶をする。
「……初めましてお姉さま」
「ジュラールです。お姉さま」
「お姉ちゃん」
「は、はい……」
ひとりひとり、成り行きで握手するホーリー。妹だというセリナは目を合わそうとしない。ちょっとふてくされた感じである。ジュラールは屈託のない笑顔を浮かべて、小さなクリスは何も分かっていないようだ。
「あの……突然でわたしは戸惑っています。わたしのお母さんがセガール侯爵夫人である可能性があることをわたしは知っていました。でも、確証もなかったのでこれまで調べようともしませんでした。わたしが本当にお母さんの娘なのでしょうか?」
セガール侯爵が目配せすると、執事のルイが子供たちを別室に連れ出す。そして、代わりに秘書官のミッシェルが書類をもって現れた。神殿が登録する出生証明書である。この国の住人は、生まれると必ずどこかの神殿で洗礼を受けて出生証明を受けるのが普通なのだ。
「17年前にイルラーシャ神殿において、父、ベルダン・マニシッサ、母、シンシア・アプリコットという記録があります。ホーリー様はその後、イルラーシャ神殿の神官ラターシャに引き取られてご成長されました」
ホーリーの心に何か引っかかる違和感みたいなものが生まれた。簡単に報告するが自分が過ごした幼少期、そしてラターシャが亡くなって苦労したことなどそこには何も記されていないのだ。
「結婚する前の妻に子供がいたなんて知らなかったが、シンシアとはいわば政略結婚。私としても妻の過去にとやかく言える人間じゃない。もっと早く打ち明けてくれれば、君を早く引き取ってやれたのだが」
「……うっ…うううう……」
母親のシンシアは泣くばかりである。それはホーリーを育てられなかった贖罪の気持ちからであろうか。涙の意味がホーリーには釈然としないのだ。
「お母様……泣かないでください。わたしは神官として今は独り立ちしています。ラターシャ司祭をはじめ、多くの人に支えられて今は元気に生きています。だから、泣かないでください」
「ホーリーさん。改めて言おう。我がセガール家の長女として君を迎え入れたい」
そうセガール侯爵がホーリーに申し出た。既にミッシェルが公文書を作成していたようでそれをテーブルに広げる。そこにサインするようにホーリーに促した。だが、ホーリーはペンを取ることはしない。
「セガール侯爵様、そしてお母様……。わたしは今、自分の道を歩いています。侯爵家の令嬢なんてわたしにはふさわしくありません。今日こうして生みの親である侯爵夫人にお会い出来て嬉しかったです。わたしはサインはしません。わたしはイルラーシャ神殿の神官ホーリー・イルラーシャとして生きていきますから」
少し侯爵の表情が曇ったように見えたが、すぐに笑みを浮かべた。
「まあ、急にこんな大事なことを決めるのは無理な話だ。疲れたでしょう。今日のところは部屋に下がって休みなさい。ハンナ、ホーリーさんを部屋へ」
相変わらず、母親のシンシアは泣くばかりだ。ホーリーはハンナに案内されて自分の部屋へと戻った。なんだか、心にモヤモヤするものが生まれる。




