月海亭
麻薬というのはどこの世界にでも存在する。それはうまく使えば、特効薬にもなるが、快楽に使えば身も心もボロボロにする。中毒になり、行き着く先は廃人である。古くはメソポタミア文明を築いたシュメール人が文字に残したアヘン。
元々は鎮痛剤として使われたのだが、時代とともにそれは快楽を求める手段に使われてしまった。世界にはアヘンの他にもコカインやマリファナといった麻薬が出回り、犯罪組織の収入源となってしまっている。
この異世界にもそんな麻薬があった。『ハク』という植物の葉を乾燥させてタバコにしたものである。吸うと痛みが消え、いい気分になる。だが、使いすぎると常習者となり、薬に支配されてしまう。この薬の恐ろしいところは、ある一定期間常習して中毒になると人の命令に簡単に従う奴隷になってしまうのだ。『ハク』は別名「奴隷薬(スレイブメディシン」と呼ばれている。
ハリマを根城にしている犯罪組織『極丸会』は、このハクの製造販売を独占しており、そこからあがる莫大な資金で力を得ていた。敵対組織や当局へは奴隷薬で奴隷状態にした人間を暗殺者に仕立て上げて、特攻隊と称して邪魔な者をどんどん排除していた。何しろ、爆発魔法のアイテムを腹に巻いてターゲットに抱きついて自爆するテロを行うので、人々の恐怖の的になっていた。
そんな治安の悪いハリマの町に右京たちは来ている。町の入口で入念なチェックを受ける。あまり、町に入ってくる人間はいないようで、物資を運ぶ商人か仕事でやむを得ずやって来る人間ぐらいである。なぜ、入念なチェックをするのか右京は不思議であったが、チェックを受けてみるとよくわかった。
「兄ちゃん、これが証明書だ。証明書代は5G。別途、10Gよこしな」
担当の役人が横柄にそう言う。この国で町に入るのにお金はいらない。だが、この町はいるのだ。さらに別途10Gはこの担当者の賄賂らしい。
「ゲロゲロ……腐っているでゲロ」
腹が立った右京は拒否しようと考えたが、シャドウにたしなめられた。拒否すれば入れてもらえないだけだ。下手すると牢にぶち込まれるかもしれない。さらに外部の人間は手続きすれば町へ入れるが、内部の人間はダメらしい。
商売上でどうしても外に出ないといけない人間は人質を町に置いていかないといけないのだ。もし、その人間が逃げたら人質は殺されるという。
「おいおい……まるで北○○だな」
「なんでゲロか?」
「俺の元世界にあった独裁国家だ。国民は自由がない国だ」
門をくぐると今度は赤い星の旗を掲げたタチの悪いチンピラが入場料をよこせと絡んできた。一人100Gというのだ。ありえない金額であるが、町に入ってきた人間は黙って支払う。極丸会に逆らっても仕方がないのだ。
「うわさ以上にひどい町だな」
「ヒドイでゲロ」
中に入ると人々はボロボロの服を着てうつむき加減で歩いている。町中はゴミだらけで不衛生。物乞いする人間もちらほらいる。町全体が貧しい感じだ。だが、中には豪華な家もあり、贅沢な仕様の馬車も走っている。シャドウが言うには極丸会の幹部の家や馬車らしい。
町には治安を守る衛兵の代わりに極丸会のチンピラが我が物顔でのし歩き、やりたい放題やっている。市場では金を払わずに食べ散らかし、若い女性を見つけるとちょっかいをかけ、老人や体の弱い人間は突き飛ばす。
「こんな町でも人間は生きていけるものだ。右京、今晩の宿を探しておけ。夜はもっと治安が悪くなる。身ぐるみ剥がされたくないならな」
そうシャドウは言い残して、裏路地へ足を踏み入れた。この男の威圧感で襲いかかろうした人間はみんな思いとどまる。その方が賢明だろう。右京の場合はついて行くのをやめておくことが正解だ。裏路地へ行けば身ぐるみ剥がされるだろう。それにどう見てもいかがわしい場所へ行きそうだ。
「シャドウさん、例の場所は?」
「明日だ。明日の正午に中央神殿の前に来い」
そう言ってシャドウは姿を消した。彼は情報収集のために必ず、この裏路地を超えたいかがわしい店に立ち寄る。そこで女から情報を得るのだ。
(そういえば、あの伝説のスナイパーも同じことしてたな)
単なる好色というわけでなく、それもプロの仕事も一つなのであろうか。
「主様、とにかく、宿を探すでゲロ」
ゲロ子に言われなくても分かっている。町についたのは夕方近くだ。早く、探さないとヤバイ事になる。宿屋は大抵、町にはいくつもあり、探す手間はいらないはずだが、このハリマの町では一苦労であった。外部から人間があまり来ないので多くは潰れてしまったようだ。僅かな宿屋は少ない外部からの人間で埋まっていた。
「あの、宿をお探しですか」
不意に声をかけられた。この町であまり見かけない若い女性の声だ。見ると頭からすっぽりマントをかぶった人物が発したようだ。
「ああ。今日着いたので事情がわからなくてね」
「では、ミーアのところへ来ませんか」
そうマントの女は言った。まだ少女といった感じである。
「ゲロゲロ……。こういう場合、鼻の下を伸ばして付いていくと間違いなく、身ぐるみ剥がされるでゲロ」
ゲロ子がそう言ったが、その言葉を少女が打ち消した。
「そんなんじゃないです。ミーアの家は宿なんだもん。お客さんを探していただけだもん」
興奮して喋ったので頭にかぶったフードが取れた。青髪のショートカットの活発そうな女の子だ。年は15、6歳ってところだろう。
「お嬢さん、ミーアって言うんだ」
「そうだよ。うちは月海亭という宿屋なんです。泊まるところがないなら、うちに泊まって行ってよ。安くしておくから」
「いくら?」
「一泊、10Gだよ。そのカエルさんは半分でいいよ」
「ゲロ子は通常の10分の1の大きさでゲロ。1Gでゲロ」
「まあ、いいじゃないか。日も暮れそうだし、ミーアちゃんは怪しい感じでもないし」
右京はミーアと名乗る女の子のいる宿屋へ行くことにした。この時間では選択の余地がない。
月海亭という宿屋は、危なくない裏路地にあった。小さな宿である。間口は一部屋程度で奥に多少のスペースがあるが、3階建ての建物に全部で7部屋しかない。右京は一番広い部屋を頼んだが、それでも6畳程度しかないのだ。あとの部屋はどれだけ狭いのだ。
建物は古くてボロボロであるが、中はよく清掃されていた。これは思ったよりも快適かもしれない。ミーアはこの宿を8歳離れた兄と経営していたのだ。
「ようこそ、月海亭へ。お疲れでしょう。どうぞ、お入りください」
ミーアの兄であるロディがそう右京を出迎えてくれた。まずは靴を脱いでくれという。右京が脱ぐと靴下をミーアが脱がせてくれて、持ってきた桶に足を漬ける。桶には程よい温度のお湯が入っている。
「うおーっ……。気持ちいい」
右京は純日本人だ。やっぱり、室内では靴を脱ぐとくつろげる。この世界は西洋風の風習なので室内で靴を脱ぐ習慣がないのだ。熱いお湯だけでなく、柑橘系の心地のよい香りもする。よく見るとオレンジが浮かんでいる。
「このオレンジのエキスは疲れを取るんです。さらに香りは体をリラックスさせてくれます」
そうミーアは言いながらタオルを広げて右京の足を拭いてくれる。ついでに足のつぼマッサージも行う。オレンジは市場で売れ残った不良品をもらってくるのだそうだ。捨てるものの再利用ということで、これもよく考えられた工夫である。
「夕食は7時からです。それまでお部屋でおくつろぎください。シャワー室は2階にあります。共同ですが今日は右京様だけなので、自由にお使いいただけます」
そうロディが説明してくれた。右京に部屋は3階である。立て付けが悪くギーギーと音はするが、それでも手入れの行き届いた階段を上がり、部屋へ入る。部屋には一輪の花が飾られて、ベッドにはメッセージカードが置いてある。
「狭くてボロでゲロが、快適でゲロ」
「ああ。おもてなしというのは設備だけじゃない。そこで働く人間の心遣いだと思い知らされるよ」
案内してきたミーアは、大きなカップにお湯をトポトポと入れて、ゲロ子用のお風呂まで作ってくれた。これではいつも辛口のゲロ子も文句を言えなくなる。さらに夕食はロディが作ったもの。材料は決して高価なものは使われていない。
だが、素材の仕込みを丁寧に行い、手抜きしていない料理であることはすぐにわかった。
スープは野菜の甘味を十分に生かし、キャベツと肉を交互に挟んだ蒸し料理は、肉が少なくてもボリュームがありゲロ子も満足。パンは焼きたてのフカフカであった。
「あまり材料にはお金をかけられないもので、お恥ずかしいのですが。その分、手間と工夫で美味しくなるように努力しています。お口に合いますでしょうか」
「合うどころか、こんな美味しい夕食がついて5Gじゃ安すぎるよ。イヅモの町のホテルじゃ、この3倍出してもこんなサービスは受けられないよ」
「そうでゲロ」
ゲロ子も大好きなソーセージの丸焼きにかぶりついて大満足である。食後はシャワーを浴びて布団に潜り込む。シャワーは驚いたことに適度な温度に温められており、これも快適であった。普通の宿屋はよくて水のシャワー。冒険者が泊まるような安宿は、たらいに水が汲んであってそこで行水というのが定番だ。一流ホテルじゃないと熱いお湯のシャワーを浴びることはできない。さらにベッドのシーツは清潔であり、布団は日に干されてこれまたフカフカであった。
「町は最悪だが、この宿は最高だな。明日もここに泊まろう」
「それがいいでゲロ。明日はシャドウのおっさんと作戦現場の見聞でゲロ。そのあと、町の偵察をしてこの宿でくつろぐでゲロ」
右京もゲロ子もリラックスして眠りに落ちた。最悪の町の一時の幸せである。だが、ここは悪が支配する町。そんな幸福は根こそぎ奪われるのだ。




