イヅモの新任執政官
シャドウがクロスボウにセットした矢を放つ。ドラゴンのひげで張り替えたクロスボウは、エドが改造した機構を使って容易に引き絞られ、すさまじいスピードで矢を放ったのだ。矢はほぼ水平に飛んで目標に刺さった。
「すげ!」
矢は400m先の的の中心を射抜いた。400mも射程距離があることも驚異であるが、それを使って真ん中を射抜くシャドウの腕前も驚きだ。
「うむ。よくできている」
シャドウはそう表情を変えないで褒めた。こういう男に褒められると何だか嬉しくなる。プロ中のプロに褒められた気になるからだ。
「ここまで飛ばすのに苦労したのですよ。エドが工夫した機構に加えて素材を変えてみました。弦には幻のドラゴンのひげが使ってあります」
「ドラゴンのひげだと? よく手に入れたな」
シャドウが信じられないという顔で右京たちを見る。ゲロ子が調子に乗った。
「ゲロ子がブラックドラゴンをやっつけて、ひげをちょん切ったでゲロ」
「嘘言うなよ!」
釘を刺しておかないとゲロ子のファンタジー話が延々と続く。実際はブラックドラゴン、ケイオスブレイカーの浮気現場を妻に通報し、激怒した妻がひげを切ったという夫婦喧嘩の末の報酬である。まあ、これは哀れなというか、自業自得であるが、同じ男として公開することだけは勘弁してやろう。
「確かにこのクロスボウは素晴らしい。だが、要求した性能にはまだ至っていない」
そうシャドウは言った。シャドウの要求は500mの射程距離である。しかも、水平に発射して500m先のターゲットを射抜くというものだ。今のクロスボウでは500mはいかない。矢は途中で落下してしまうのだ。
「ですが、この1次関門は突破ですよね。ここから性能を上げるには俺も知らなきゃいけないことがあります」
右京はそうきっぱりと言った。右京は中古武器の買取りをして販売する武器ディーラーだが、死の商人になるつもりはないのだ。正義がない戦いには武器は供給しない。儲かればいいというものではないのだ。
これは武器屋の矜持といった部類のものである。ゲロ子の(儲かればいいでゲロ)という考えとは正反対である。
「この武器を何に使うか知りたいということか」
「はい。そして実際に使う場所を教えてください。そうでないとあと100mもの射程距離は延ばすアイデアは出ませんよ」
「……いいだろう。お前も武器屋のプロ。その気持ちを理解する。では、ちょっと会ってもらいたい人物がいる」
「会ってもらいたい?」
シャドウは黙って店を出て、馬車を呼んだ。最初から右京がそう言うと思って準備をしていたのだろう。手際がいい。右京とゲロ子は馬車に乗り込む。一体どこへ行くのかドキドキしたが、行き先は意外と地味であった。馬車はイヅモの町の中心。政治を行っている執政官がいる政庁へと向かったからだ。
シャドウのような裏の道っぽいところを歩いている人物には、政庁は最も近づきたくない場所であろう。彼は裏通りの曰くありげな酒場とか、個人の私邸で仕事の話をしていそうな雰囲気だからだ。
政庁へたどり着くと、7階にある執政官の部屋に行く。階段で7階まで上がるのはかなりきつい。今度、自分が整備する伊勢崎ショッピングモールはせいぜい3階ぐらいにしておかないと厳しいなと右京は思った。
コンコン……部屋のドアを叩くと中から女性の声がする。どこかで聞いたことがある声だ。分厚い樫の木で作られた扉を開く。中には何故か、仮面を目元につけた女性がいた。高貴なドレスを身につけた貴婦人である。目が仮面で隠れているので全く顔は想像できないが、間違いなく美人であろう。
「右京、久しぶり」
やっぱり、どこかで聞いたことのある声である。
「も、もしかして? ティファ?」
「あたり~」
「あの無能の天然王女様でゲロ」
「無、無能ですって!」
ティファとは、王都でデュエリスト・エクスカリバー杯の主催者代表を務めていたこの国の王女、ステファニーである。
「おい、ゲロ子。失礼なこと言うなよ」
「ゲロゲロ……」
「本当に礼儀知らずですわ。カエルだから仕方ないですけど」
そう言ってステファニー王女は顔につけた仮面を外した。仮面を付けていたのは、お付の役人に下々の者に容易にご尊顔を見せてはなりませぬと釘を刺されたからだが、右京のことは知り合いだから隠しても意味がない。
「で、ティファはなんでこんな役所にいるのだ?」
一国の王女を愛称で呼ぶ右京。これはステファニーから許可を得ているから、不敬罪にはならない。自然に口調も同等になる。
「わたくし、政治の勉強をするためにこの町の執政官をすることになったのです」
ステファニーはこの国の王位継承権3位である。現国王の祖父が病気で伏せており、皇太子の父は病気がち。第2位の兄は冒険に出たまま行方不明なのでステファニーが大本命なのだ。これは女王になるための修行なのである。とはいっても、執政官は名前だけでほとんどお付の家来がやるから、ステファニーはいつものお嬢様生活を続けている。
「本当はどの町の執政官でも良かったのだけど、この町は右京がいるし、クローディアもいるから飽きないと思って……」
どうせそんなことだろうと右京もゲロ子思った。それにしてもシャドウがどうして、ステファニー王女のところへ自分を連れてきたのだろう。
「そろそろ、俺を雇った理由を話してくれないか」
右京とステファニーの会話を黙って聞いていたシャドウはそうステファニーに促した。どうやら、シャドウの雇い主はステファニーのようだ。
「分かりました。ええっと……つまりですね……」
「大丈夫でゲロか? 実は知らなかったりしてでゲロ」
「失礼な。ちゃんと知っています。ハリマの町にいる悪い人をやっつけてという任務です」
やれやれと言った表情のシャドウ。やっぱり、ステファニー王女。いろんな意味でお飾りだ。
「なんだでゲロ。その田畑を荒らす猪を退治して程度の理由はでゲロ」
「ええっと……。秘書官がくれたメモメモ……あったわ」
ステファニー王女は補佐官が用意したメモを読み上げる。それも棒読み。でも、補佐官が優秀だったおかげで内容はよくわかった。このイヅモから東へ馬車で三日ほど離れたところにハリマという町がある。その町で中央政府の命令を聞かない悪の組織がある。極丸会という組織で相当な力があり、今は町を力で支配しているそうだ。当然、治安は最悪で町の人々はとても困っているという。
「そんなの都から軍隊でも治安部隊でも送り込んで鎮圧すればいいじゃないか」
右京が至極当然なことを言う。無法組織には法の力で押さえ込むというのが常識である。そっちの方が手っ取り早いはずだ。
「そ、それはそうなんですけど……」
ステファニー。さすがお飾り執政官。右京の質問に答えられない。しょうがないので机にあったベルをチリンチリンと鳴らす。すぐさま、有能な補佐官が入室してくる。長身の男である。30歳ほどであろうか。いかにも頭が切れるといった感じの雰囲気である。都の中央政府の役人で、ステファニー付きの補佐官に任命された男だ。優秀に決まっている。
「現在、王都はクーデター騒ぎで軍が動かせないということもありますが、この件については、極秘で処理を行うことになっております。極丸会の長であるサンジェストの力は強大ですが、逆に組織は彼中心で動いています。彼を取り除けば極丸会は内部崩壊をするでしょう」
そう補佐官は詳しく説明した。極丸会は麻薬で稼いだ莫大な富で、王国内部に協力者を得ており、これまで何度か討伐隊を送ったがいずれも事前に情報が漏れて失敗。代わりに指揮官や町の執政官が殺されるなどの報復を招いたのだ。暗殺部隊も何度か送ったがいずれも失敗したという。
「この男だ。こいつを殺せば極丸会は崩壊する」
そうシャドウは極丸会を率いるリーダー。サンジェストという男の写真を見せた。60過ぎの老人であるが、いわゆる親分という雰囲気での男である。
「この男を殺せば町は平和を取り戻せるというわけだ。街に住む3万人もの人間がそう思う極悪人だ。まあ、平和など俺には関係ない話だが、依頼があったからには全力を尽くす」
「なるほどね」
どれだけの悪人か、まだ右京にはピンと来ななかったが、国家が死刑判決を下したということだ。それで極丸会のボスのサンジェストは、暗殺を恐れて厳重な警戒態勢をとり、滅多に屋敷の外に出ないというのだ。それでも1週間に1度、配下の1千人の部下どもに直接命令を下す日があって、その時だけ姿を現すというのだ。
「その時しかチャンスはないというわけか」
「主様。この仕事は重大でゲロ」
「おお、ゲロ子も仕事のやりがいを感じるようになったか」
「馬鹿言うなでゲロ。政府の仕事なら報酬も莫大でゲロ。シャドウのおっさん、成功報酬はいくらもらうでゲロ?」
「40万Gだ。見事に成功すればだな」
「よ、よんじゅうまん……」
日本円にして2億円である。一人殺して2億円とはますます伝説の暗殺者だ。
「当然、武器を作ったゲロ子たちに半分くれるでゲロな」
ピクリとシャドウのこめかみが動いた。ゲロ子の奴、怖くないのか?
「500mの射程距離がある武器じゃないと殺せないでゲロ。だったら、報酬は半分でゲロ。それくらいの価値があるでゲロ」
「いいだろう。だが、本当に作れるのだろうな」
「任せるでゲロ」
「おいおい、ゲロ子、安請け合いするなよ!」
ゲロ子の奴、うまいこと言って20万Gの報酬を約束してしまった。成功したら、ショッピングモール構想がさらに発展する。ビックビジネスである。
「それでは右京、この仕事が終わったら、この町を案内しなさいね。これはこの町の執政官としての命令よ」
執政官の命令というより、単に右京とデートがしたいだけのステファニー。またまた、めんどくさいことになるが、右京としては自分が作るショッピングモールにプラスになるように考える。
「了解。もうすぐ俺のショッピングモールができるから、招待するよ。執政官が来てくれれば話題になるしね」
後はあと100mも射程距離をどう延ばすかである。そのためにも、実際の現場をみておく必要がある。その悪の組織に支配されたハリマの町というところへ潜入しようと考えたのだ。
店に戻るとキル子がボーっとして椅子に座っている。右京のことを待っていたみたいだ。
「キル子、どうした。久しぶりだな」
あのオーガ事件から姿を見せていなかった。ちょっとケガをしたので宿で養生していたこともあったのだが。
「あ、ああ……。あのな……。右京……。ちょっと、相談したいことが……」
「おい、ゲロ子。明日、ハリマへ出発するぞ。準備しておけよ」
「アイアイサーでゲロ」
「ん? 何か言ったかキル子?」
右京はキル子が言ったことを聞き逃したので、もう一回聞いてみた。しかし、キル子は下を向いて力なく答えた。
「……いや、いい。また今度にするよ」
「そうか……」
キーっとドアを開けて出て行くキル子。何だか、悩んでいる気配だったが、右京としては仕事の方が優先であった。明日、シャドウと共に悪の巣窟、ハリマの町へ潜入するのだ。




