疾風の弓
「お客様、お名前はなんとおっしゃいますか」
右京はそう注文票を書きながら男に名前を尋ねた。男は見た目30後半から40前半といったところか。毎日トレーニングを欠かさないのであろう。体の筋肉が服の上からでも分かる。
男は基本シャツに革ズボンという平凡な姿だが、黒いマントをつけていた。武器らしいものは腰につけた2本のナイフ。かなり年季の入った柄でそれを見ただけでかなりの腕だと想像できた。
「シャドウ」
男はそう短く名前を言った。(シャドウ? 影かよ! デュークじゃなくてよかったw)偽名だろうと右京は直感したが、平静を装ってメモをする。
「シャドウさん。500mの射程距離をもつように改造してくれとのことですが、どういう場所で使うのか教えてくれませんか?」
「教えられない」
短く男は答える。だが、右京は粘る。なぜなら、射程距離は使う状況によって様々な影響を受けるからだ。どこから撃つのか、何を撃つのか、そして何のために撃つのか。それを知らなければ改造のしようがないのだ。それを右京は説明する。
「正直、このクロスボウを改造してもそんな長い距離では使えるようにはできません。いっそ、魔法攻撃に切り替えたらいかがですか? マジックアロー系の攻撃呪文なら、500mの射程距離は問題ないですよ」
「魔法はダメだ。魔法は使えないのだ」
「シャドウさんが使えなくても、魔法の指輪を使うという方法もあります」
「ターゲットは魔法無効化エリアにいる。魔法攻撃は選択肢にない」
(ターゲット……)
右京は嫌な予感がした。頼まれた武器が何かよからぬことに使われると思ったのだ。右京の表情の変化を見て、シャドウはこう言った。
「心配するな。これは人々の平和を守るため。大義のために使う。人を不用意に殺めるためのものではない。私の一存では訳を話せない。これは極秘なのだ。まず、お前が改造し、500mの射程距離が出せそうな見通しがついた時に依頼主の許可を得て話そう。但し、知ったからには守秘義務が生ずる案件だと言っておこう」
「分かりました」
右京はそう答えるしかない。これはかなりの秘密らしい。無論、こういう依頼を受けたことも関係者以外には口止めするように言われた。男はクロスボウを置いていくと姿を消した。1週間後に進捗状況を聞きに来るという。
「なんだか、非常にヤバイ仕事でゲロ」
「平和のためと言っていたけど、本当かな」
「主様。あの御仁の顔を見て平和のためと言われても、信じられないでゲロ」
「まあな」
だが、右京は武器屋である。客の注文に応じて武器を改造するのが商売だ。それに武器ができたら理由を話すという。話を聞いてそれが何か悪事に使われるなら、武器を売ることを拒否してもいい。それは武器屋の矜持の問題だ。
右京はもう一度、シャドウが持ってきたクロスボウを見る。エドが作ったからくり武器である。弦は細い鉄でできており、いわゆるワイヤーである。強度としてはこれ以上に考えようがない。その硬く貼られた弦を機械式の巻上機でグリグリと巻き上げ、矢を発射するのだ。これで通常の射程距離の2倍を稼ぎ出す。
「すばらしい工夫だ。これ以上のものができるだろうか?」
「ううむ……」
カイルも頭を抱える。一応、強力なクロスボウの種類として、『アーバレスト』とか『クレインクイン』とかもあるが、既にこの改造クロスボウはそれらをはるかに凌駕する性能があった。
「いっそのこと巨大にしたらどうでゲロ」
「いわゆるバリスタだがダメだ。大きさもこれ以上は大きくしてはいけないらしい」
「ますます、怪しいでゲロ」
「クロスボウは元々、隠密行動に使われる武器だからな。暗殺者が使うというし……」
(暗殺者……)
シャドウという男。もしかしたら、凄腕の暗殺者なのかもしれない。今度、ゲロ子をシャドウの背後に立たせてみよう。
「弓のことならネイに聞いてみたらよいでゲロ」
ゲロ子の奴、たまにはいいことを言う。ちょうどネイが勉強のために店にやってきたのを見て右京はダメもとで聞いてみることにした。
「弓を遠くに飛ばす方法じゃと?」
「何かないか? エルフ村の秘伝の何か」
「ないのじゃ」
相変わらずの即答である。
「ちゃんと考えろよ」
「うちは考えるのが嫌いじゃ」
全く脳天気な奴は困る。でも、ネイは急に思い出してポンと手を叩いた。
「そういえば、じいじがもっている伝説の弓は遠くへ飛ぶと聞いたことがある」
「どれくらいだ?」
「村にある、湖の対岸まで届くと言われておる」
「その湖はどれくらいなんだ?」
「ちょうど、新しくできるショッピングモールの入口から、噴水を作る予定のあるところぐらいじゃ」
ネイが言うのは今、開発中の伊勢崎ショッピングモールのことである。門からネイの言うポイントまでは300m以上ある。もし、それだけ飛ぶならとんでもない性能の弓ということになる。
「ネイ、お前のじいちゃんに会わせてもらえないか? その弓も見せてもらいたい」
「それは大丈夫じゃが。いつ行くのじゃ」
「急で申し訳ないが、明日にでも行きたい」
「うむ。分かったのじゃ」
ネイが暇な奴で助かった。今は冒険者稼業を休業して、ブラブラしているフリーター状態なのだ。そのネイが言うには村の宝である『疾風の弓』という名の弓。何やら、張ってある弦の材質が違うということらしい。
通常、弓の弦は通常、麻や苧などの植物から作られたものを用いる。現代ではケプラーやアラミド、ザイロン、テクノーラといった化学繊維が使われている。ちなみに最近、右京が見つけたモイラ草から採れるモイラ糸を弓に転用したが全くダメであった。
ネイの村はイヅモの町から1日馬車で行った場所にある。森深くにあるエルフが暮らす村だ。エルフ族は国から自治権を認められており、森に不用意に入ることは禁止されている。誰か村の者と一緒に行くか、許可証を手に入れるか、森で警備中のエルフと交渉して認められるかである。
今回の場合、族長の孫娘であるネイと一緒に行けば、その問題はクリアになる。右京はゲロ子に命じてすぐさま、旅の支度をする。
馬車は特別にチャーターした。この世界では移動手段は徒歩か馬か馬車である。馬に乗るというのは技術がいるために、軍人や貴族、一部の冒険者と言った連中しか乗らない。一般人は馬車なのだ。
ちなみに右京は馬車の発着所をショッピングモールに作ろうと思っている。町の中心部と伊勢崎ショッピングモールの間を無料シャトル便で往復させたいと考えている。そのための馬車のデザインや経費の算段をヤンにさせている。
馬車を1日チャーターすると馬車のグレードにもよるが、大体、1日につき100Gというところだ。これは馬車を操る御者の食事代や宿泊代、馬の餌代も含む。馬車はエルフの村に続く森の近くまで行って、そこで待機してもらい、翌々日に右京たちを乗せて帰るとすると3日かかる。合計300Gかかるが安い方であろう。
「ゲロゲロ。早く、専用の馬車を買いたいでゲロ」
ゲロ子が夢みたいなことを言うが、馬車は高い。馬も2頭以上は買わないといけないし、その維持費や御者を雇うとなると年間ベースでとんでもないお金がかかる。これは大金持ちの持ち物なのだ。
庶民としては結局、一回一回チャーターした方が安いが、これは車と一緒。いつかは右京だって所有したいものだ。まあ、ショッピングモールが完成して、お金がザックザク入ってくれば是非買いたいものである。
エルフ村までの道のりは治安がよいこともあって、特に護衛の冒険者を雇う必要もない。エルフ村の森もエルフの警備兵がいるから、モンスターに出くわすこともない。右京とゲロ子、ネイはなんの問題もなく村へたどり着くことができた。
「ネ、ネイ~っ」
「じいじ~っ」
ネイが村に近づくとネイのじいさんが外で待っていた。村の警備兵がすぐ知らせたのであろう。孫を抱きしめる族長。よほど孫が好きなのであろう。この族長はネイの弓の師匠でもあるのだ。白いヒゲと長い髪に覆われた小さなおじいさんという風体である。
「よく帰った」
「じいじも元気だったかや」
「ネイの顔を見れば元気になるのじゃ」
「それはよかったのじゃ」
会話を聞くだけでは、年寄り同士の話みたいだが、れっきとした15歳美少女ハーフエルフとエルフのじいさんの会話である。
「それで、ネイの後ろにいる男、まさかネイの……婿じゃあるまいな」
ガクッと右京の気が抜ける。ネイはまだ15歳だ。結婚なんて気が早すぎるだろう。だが、じいさんは完全に誤解している。
「右京さんは武器の買取りをしている人じゃ。うちも今度、その店に雇ってもらうことにしたのじゃ」
「そうですよ。婿じゃないです」
「なんじゃと~。それはネイと結婚したくはないということか。こんな可愛い孫娘と結婚したくないじゃと~」
エルフのじいさん、急にキレて持っていた杖で右京をバンバンと叩く。力がないからそんなに痛くはないが、困ったものだ。
「いえいえ、ネイさんは美人です、美少女ですよ。誰が何といっても……。ご老人の自慢の孫娘です」
ネイは普通に見れば超可愛い部類に入る。それは間違いない。端正な顔立ち。色白の肌。まつげが長く、トパーズのような黄色い目に流れるような銀髪のショートカット。こいつが手癖が悪くて、せこくて、弓を取らせたら天下無双じゃなかったらヒロインになれる素質は十分である。
「ということは、貴様はネイのことを……まさか、雇ってやるから言うことを聞けとかいって、ネイを、ネイを……手込めにしたのか~っ」
またしても杖でガンガンと右京を叩く。全く、話が通じていないじいさんである。
「ネイのじいさん、ボケているでゲロ」
「うちもそう思うのじゃ」
ここは話を変えないと進んでいかないであろう。ネイはじいじに真面目な顔をして尋ねた。
「じいじ、『疾風の弓』のことを教えてくれなのじゃ」
ネイがそう言うとじいさんは右京を殴るのを止めた。ネイの方を見た顔、今までとはうって変わり、厳しい表情だ。
「なんじゃと……。『疾風の弓』じゃと?」




