守銭奴ババア
ドンドンドン……。
突然、激しくドアが叩かれる音がする。ホーリーが慌ててドアを開ける。太った背の低い、顔はいかにも意地悪で狡猾そうな老年の女が立っていた。身なりはホーリーとは対照的に高価な生地の服を着ている。
「誰ゲロか? このばあさん」
「この教会の建物を貸していただいている方です。両隣のお店も経営しています」
ホーリーはゲロ子の問いに元気なく答えた。会いたくない相手であることが右京にも分かった。そのばあさんは、少しだけ右京とゲロ子に視線を向けたが、すぐ本命のホーリーに意地悪い目線を投げかけた。
「ホーリー、いつになったら家賃を払うんだい! あたしゃ、もう待てないよ」
「マイザーさん、もう少し待ってください」
「いや、もう待てない。今日、滞納している800Gを払わないと出てってもらうから」
そう老女が言うと後ろに控えていた男5人がどどっと中に入ってきた。今にも建物の荷物を外に出し、子供たちとホーリーを追い出す構えだ。
「お願いします。どうか今日1日だけでも待ってください」
ホーリーがちらりと右京に目をやったので、マイザーももう一度、右京へ視線を送った。
「おや、よく見たらそこにいるのは武器の買取り屋の青年じゃないか? この間は大儲けしたそうだが、こんな貧乏な教会になんのようだい」
どうやらこの間のWDで右京は有名人になったようだ。このばあさんもあの闘技場のどこかで見ていたのであろう。
「はあ……」
「あんたが呼ばれたということは、そこのボロい武器の査定に来たんだろ。それは高く売れるのかい?」
マイザーと呼ばれる老女はぶっきらぼうに右京に聞く。右京としては事情が少々飲み込めないでいたが、高く買い取れるかと言うと現在のところは金属としての価値しかない。
「銀としての価値で、400ってとこです」
「ふん。やっぱり、思ったとおりだ。ここは出ってもらうよ。それにホーリー。あんたは、借金分を隣の店で働いて返すんだ」
そう言うとマイザーはホーリーの細い腕を掴んだ。
「や、やめてください」
「ふん。男の相手をするには痩せすぎだね。これから1ヶ月食べて太ってから働いてもらうよ」
「やめろ! 姉ちゃんに触るな!」
中学生くらいの男の子が部屋から飛び出して、ホーリーの腕を掴むマイザーの手を振りほどいた。ホーリーがピルトと呼んだ少年だ。坊主頭で目がクリクリしている。貧しいけれど、その目は卑屈さがない。正義感にあふれる少年の目だ。マイザーはそんな少年を汚いものでも見るような目で見て舌を鳴らした。
「ちっ……。ここはガキが出てくる場面じゃないよ。あたしゃ、正式な借金の取立てに来たんだ。なんなら、警備兵を呼んだっていいんだよ。正しいのはワタシさ。なあ、ホーリー、悪い話じゃないさ。こんな貧乏な教会を守ってなんになる。あんたさえ、決心すれば、子供たちには毎日美味しいものが食べられて学校にも行けるさ。あんたは町で人気だからね。うちの店に来れば、客はたんと付くさ。神官見習いの薄幸の美少女って売りだ。男どもが群がるね」
マイザーの顔が醜悪な笑いに満ちている。ピルトは怒りでプルプルと体を震わせている。暴力沙汰を起こすことで、ホーリーの立場が悪くなることを考えての我慢だろう。年齢に似合わず、冷静に自分を抑えている。
それにしてもマイザーのババアの顔はひどい。人間の内面がルックスに影響するというが、まさにその典型だろう。人をだます醜い心が具現化した悪い大人の顔がここに実体化している。マイザーとホーリーのやり取りを聞いていた右京は何だか無性に腹が立ってきた。いくらなんでも、このばばあのやりようはひどい。
「まあ、待ってくださいよ、ババア。じゃなくて、マイザーさんと言いましたっけ?」
「何だよ、買取り屋。まだいたのか?」
マイザーが右京のことは忘れていたといった風に右京とゲロ子に視線を移した。お前らと関わると時間の無駄だと目が言っているが、右京は軽く無視した。
「金属の価値としては400Gですが、武器としての価値を俺は話していませんよ」
右京はそうマイザーに努めて穏やかに話した。こういう悪徳ババアの無茶な要求には熱くならずに対応するのが正解だ。右京が現代日本で買取屋として商売してきた時のノウハウである。そんな右京の適切な態度に、興奮気味の中年女はこの青年が何を言い出すのかと口を閉じた。
「このメイスを俺は買い取るよ。まずは手付金で1200G」
「な、なんだって!」
「マジでゲロか?」
マイザーとゲロ子が同じタイミングで驚きの声を上げた。こうなると相棒のゲロ子も悪役と変わらない。ホーリーはと言うときょとんとしている。
「ホーリー。このメイス。使えるように修理したら、とてつもなく高い値段で売れそうだ。俺に預けてくれないか? 修理をして売った利益を折半するという取引では?」
これはかなり思い切った申し出である。既に手付金は提示しているし、修理費用も右京がこれから支払わなくてはいけない。かなりのリスクを右京が負うことになる。もし、売れなかったら大損である。
でも、右京はこのリスクを負うだけの価値がこのメイスにあると確信していた。右京はホーリーに向かって右手を差し出した。ホーリーとしては有難い申し出である。とりあえず、1200Gもらえるし、それで借金も返済できる。今月の食費も出るだろう。右京が神様のように見えた。その神様の手を恐る恐る握るホーリー。
「は、はい。よろしくお願いします」
「よし、商談成立」
右京の商売はニコニコ現金払いだ。手付金を現金で払う。ポケットから100G札の束を出すとぴらぴらと数えて12枚を取り出し、そのうち8枚をマイザーに支払う。もちろん、領収書も要求する。1ヶ月の家賃代100Gの8か月分をこれで支払った。残りの400Gをホーリーに渡す。
マイザーは悪態をつきながら渋々と男たちと共に去ったが、まだ諦めてはいなかった。どうせ、収入はこの先ないことだし、また意図的に滞納させて借金の形にホーリーを手に入れることは難しいことではない。
来月は神官の任用試験を受けるそうだが、3等神官になる試験でも、ちゃんとした神官学校で長年学んでも合格するのは100人に2、3人という難関なのである。独学で受かるものではない。
(それに……。ククク……。無知は身を滅ぼす)
マイザーは心の中で意地の悪い笑みを浮かべた。
「あ、あの……。良かったのですか?」
業突張りのババアが去ってから、ホーリーが心配そうに右京に尋ねる。右京はもう一度、メイスをじっくりと査定している。手に取ったり、ひっくり返したりして時折、うんうんと頷く。
「あ~あ。主様も甘いでゲロな。女に同情して甘い査定すると商売で失敗するでゲロ。手付金に1200G。売れた金額の儲け分を折半なんて大甘でゲロ」
「そんなんじゃないさ」
「じゃあ、あのクソバアアへの当てつけでゲロか? そりゃ、あの場面で男なら、札束をあのクソババアの顔に叩きつけたくなるのはわかるでゲロ。でも、それじゃ、商売人は失格でゲロ。女に同情して目が曇ったでゲロ」
相棒のゲロ子の指摘は間違ってはいない。商売に同情は禁物だ。右京は現代の日本で、友人に同情して連帯保証人になり、自分の商売まで破滅した例をいくつも見聞きしていた。
商売はシビアなのだ。儲ける時にはとことん儲け、損する時は最小限で抑えるのが商売人のコツである。だが、それ以上に右京は顧客の信頼を大切にすることと、リスクはあっても大儲けできる自分の嗅覚を信じていた。
「ふん。ゲロ子。俺はちゃんと商売しているぜ。これは1200G以上の価値が出せる素材だよ。今のままじゃ、武器としての価値は0だけど」
右京の自信満々の言葉にゲロ子は何かあると察した。このカエル娘は儲け話を嗅ぎ分ける嗅覚は右京以上なのだ。
「そんなことを言うとは、主様、何か見つけたでゲロか?」
「ああ……。ゲロ子、これを見てくれ」
メイスの柄に何やら刻まれている。ゲロ子はそれに目を近づけて読んだ。この場合の目は被り物のカエルの目ではなくて、人間の顔の目の方である。大きな瞳に刻まれた文字を映し出す。
「パトリオール・マニシッサ 701でゲロ……ゲロゲロ?」
「俺でもちょっとは知ってるぞ。教会によく肖像画がある人物だよな。伝説の大神官だったよな、このおっさんは確か」
「ゲロゲロ……。そうでゲロ。100年前に活躍した勇者一行を助けた伝説の大神官の名前でゲロ」
「その伝説の神官が使っていた超ビンテージものの可能性がある。となると、美術品としての価値も出てくる」
「それならそれで、ゲロ子は主様の頭の中がますます理解できないでゲロ。大体、何でそんな契約にするでゲロか? 貧乏娘は何も知らないでゲロ。だまして安く買い叩けば大儲けできたでゲロ。それに売れた金額の半額ってこちらのリスクが多いでゲロ。売れなかったら手付金も修理費用もこっちがかぶるでゲロ。大損間違いなしでゲロ」
右京は両腕を組むと背筋を伸ばしてゲロ子に言い放った。
「買取屋のモットー、伊勢崎ウェポン・ディーラーズの社訓を言ってみろ」
ゲロ子は反射的に直立不動して敬礼をする。伊勢崎ウェポンディーラーズの社訓を言う時はこういう姿勢で高らかに行うのだ。
「アイアイサーでゲロ。(売る客、買う客、みんな満足、得をする。冒険者の強い味方。伊勢崎ウェポンディーラーズ)でゲロ。」
「よろしい」




