因縁の対決
毒は外来性物質で生体に毒性を示すものを言う。医薬品もそういう意味では毒の一種であるともいえる。体を直す成分も量を間違えれば、体を壊す毒になるからだ。毒には生物由来のものから、植物由来のもの。鉱物のような天然物質、バクテリアやカビが作り出すものなど様々な種類がある。それらの毒に精通し、主に薬に転用しているのが薬師の仕事である。
ロンはまだ14歳の少年だが、天才的な頭脳と6歳の頃から薬師である父について学んできたこともあり、既に一人前の薬師としての技量をもっていた。もちろん、この仕事は研究を常にし続け、経験を積まないといけない職なので、まだ若すぎる彼にとっては発展途上であることは自覚していた。
彼は次の戦いで使う毒の調合をしていた。毒には赤血球を溶かす溶血毒、細胞や組織の壊死を引き起こす壊死毒、生物の神経系に作用する神経毒に大別される。1回戦は植物由来のジギトキシンを使って、ゴブリンたちを心臓麻痺で倒し、2回戦は海藻から採れるツボクラリンによって筋肉弛緩を引き起こすことで、デビルオクトパスの足の攻撃を無効化した。
3回戦は飛行型のモンスターである。素早い動きをすることが予想されるので、神経に直接働きかけて筋肉を麻痺させる毒がよいと考えた。
「そう考えると今回はコノトキシンを使おうか」
コノトキシンは南の島に生息するイモガイという貝がもっている毒だ。この貝は鋭い歯舌を銛のように発射して魚を突き刺し、この毒を注入して動きを止めるのだ。筋肉が麻痺させられて生きたまま食べられるという魚にとっては残酷な状況になるのだが、これも自然の摂理、生物の進化のありのままの姿であろう。
コノトキシンを抽出し、それを塗った武器で飛行モンスターを地上へ落として敵の本陣を射抜けば決勝戦である。相手は友達になった右京であるがロンは精一杯戦おうと心に決めていた。
チリンチリン……と鈴が鳴った。ロンが研究室として借りている屋敷には至るところに侵入者を知らせる仕掛けがしてあるが、この鈴は最終防衛線である研究室にあるものだ。つまり、敵は既に近くにいることになる。
「お久しぶりですね。もう義兄さんとは呼べませんが」
「ロン、君は相変わらずだな」
ロンの背後に背の高い男が立っている。眉毛と頭の髪が半分白くなっているのは、父との研究中に飲んだ薬の後遺症の結果だ。彼は研究のために自ら実験体になるくらい献身的に仕えた。その結果、父に信頼を得て姉との結婚も許されたのだ。
だが、それは全て偽りであった。ロンの家に伝わる『ブラッディポイズン』の製法を知るためだったのだ。現在、この製法は彼しか知らない。製法は一子相伝なのだ。父はササユリと結婚するこの男に後を継がせ、弟のロンには薬師として毒には関わらない表街道を歩かせようと考えたのだ。
「僕は父を騙したあなたを許さない。ジェイク・ラーソン」
「おいおい、義兄と慕った俺を呼び捨てかい」
「いや、コードナンバー008、ジェームズ・ボイド」
ジェームズは、本名をロンに言われて目に殺気が宿った。腰には暗殺用の『スティレット』という錐状の短剣を吊り下げていた。突き刺すことに特化した短剣で、剣身を輪切りにすると、その切り口は四角形ないし、三角形になっている。
小さくて携帯に優れており、さらに革鎧程度なら問題なく無効化する攻撃力で暗殺屋がよく使う武器であった。
「その名を知っているとは、坊主、誰に聞いたか知らないが命はないぞ」
「あんたは某国のスパイとして、僕の家へ来た。『ブラッディ・ポイズン』の製法を知るためにね。だが、実際、知ってしまうとその価値の大きさにあなたは気づいた。それを使えば誰でも殺せる最強の暗殺者になれるから。それで某国を裏切って、今はフリーの暗殺者稼業ですか」
「坊主、誰に聞いた?」
ジェームズはロンがそれを知っていることに内心驚いた。薬師ごときが知り得る情報でない。誰かがロンをサポートしているに違いないと思ったが、この状況は自分には圧倒的有利である。それが彼を慢心させた。
「ふん。死ぬ前にお前に聞いておきたいことがある。なぜ、ササユリは生きているのだ。彼女は『ブラッディ・ポイズン』を受けたはず。それが無事ということは、解毒薬があるのだな」
「さあ、それはあの世で父に聞くがいいよ。深々と土下座してね」
ロンがダガーを投げる。かなりの至近距離だ。通常なら避けられないがジェームズは鍛えられたスパイであり、暗殺者であった。それを余裕でかわす。すぐさま、背後からササユリが襲いかかる。短剣で刺そうとするがそれを避けると、腕を掴んで投げ飛ばす。
投げられたササユリは、床に激突寸前に体をひねって着地すると第2の攻撃をかける。強烈なパンチとキックの連続攻撃だ。だが、それを難なく両腕で弾くように受け流すジェームズ。格闘技術も超一流であった。
「おや、少し見ない間にとんでもない格闘技術を身に付けたようだな。1年前までは家庭的なただのお嬢さんだったのだが」
さらに攻撃を続けるササユリ。だが、そのすさまじい攻撃は一発もジェームズを捉えることはできない。ササユリはWDでの活躍が物語るように、プロのデモンストレーターと遜色ない戦闘技術をもっている。その彼女が子供のように遊ばれているのだ。
「そろそろ、遊びは終わりにするか」
そう言うとジェームズはスティレットを素早く抜いて、ササユリの腕をちょっとだけかすらせた。それだけでササユリは倒れる。筋肉が硬直して足がもつれたのだ。
「ね、姉さん!」
ロンが叫ぶがその瞬間にロンにもスティレットがちょんと刺さる。グッっと筋肉が盛り上がり、硬直してロンもその場に倒れた。
「心配なく。ブラッディ・ポイズンじゃないさ。これは俺が独自に調合した筋肉硬直を引き起こす毒さ。手足が麻痺して立てなくなるが意識はそのままだ。まるで、君が今作っている『コノトキシン』と同じ効果さ。イモガイはこれで小魚を麻痺させて食うというが」
ジェームズは倒れているササユリに近づく。そして忍者スタイルの衣装をじっくりと眺め、そしてそのスラッとした足を撫で回す。
「薬で強化したようだな。以前にはなかった筋肉が付いている。まあ、俺は前の方がよかったが」
そう言うとササユリの上の服をスティレットを使ってビリビリと破り始めた。露になるササユリの上半身。
「やめろ、姉さんに手を出すな」
「では、ロン。君に聞こうじゃないか。解毒薬の秘密は誰が知っている」
「……」
「言わないと、姉さんは恥ずかしい目にあうぞ」
「僕だけだよ。僕しか知らない」
「嘘じゃないだろうな。知っている人間はみんな殺さなければならない」
「嘘じゃない」
ジェームズは薄笑いを浮かべた。もはや、自分が完全な勝利者として疑いないと言った目だ。その目で体が麻痺して動けないササユリを見る。倒れて動けない子羊を見る狼の目だ。舌なめずりをしてササユリにのしかかる。抵抗しようと体を左右に振るが、手足が麻痺してどうにもならない。
「おやおや、しばらく会わないうちに抵抗するようになるとは。1年前はあれほど俺を激しく求めて来たというのに。しばらくぶりに味あわせてやるよ」
「やめろ、姉さんに触れるな!」
「うるさい、ガキ。お前はそこで見ていろよ。その後、解毒薬の秘密とともに殺してやるからな。心配するな。俺が充分に楽しんだ後には姉さんも送ってやるよ。ハハハッ……」
ガチャガチャとズボンを降ろすジェームズ。
「そろそろいいかな、ロン。そうしないとコイツの汚いモノを見ることになっちゃうから」
部屋の窓ごしに座っている女の子が一人。月明かりに照らされている。夜だというのに日傘を差して、さらに黒うさぎの帽子をかぶっている漆黒の長い髪をもっている。幻想的な光景だが何だかぞくぞくと背中に冷たいものが走る。
「お、お前は……。そんな、確かに殺したはず。心臓を一突き、しかもブラッディ・ポイズンを叩き込んだはず」
「教会で棺桶に入ったクロアの死体も確認してたよね。死体役も楽じゃなかったよ。おかげで次のターゲットの前に現れたわけだけど。これで終わりよ、このゲス野郎」
「くそっ!」
ジェームズは窓枠に座るクロアにスティレットを突き立てた。それは一流の暗殺者としての最高の動きであった。通常なら避けられないはずだ。だが、決めたはずのポーズの背後にクロアが立っている。超高速の動き。改めてバンパイアの恐ろしさを知るジェームズ。
だが、ここで攻撃を止めたら殺される恐怖が彼を支配した。振り返ってダガーを左右3本ずつ投げつけた。それをゆらり、ゆらりと動いてかわすクロア。そこへスティレットを構えて突進する。クロアは日傘を広げてそれを受け止める。日傘がグシャッと潰れる。
「あ~あ。この日傘お気に入りだったのに……」
ジェームズはその言葉を背後で聞いた。クロアが右手で自分の首を掴んでいる。バタバタと足を動かすが怪力で首根っこを抑えられて身動きができない。
「クロアさん、僕が敵を取ります。解毒薬を……」
「ロン、あなたが手を汚す必要はないよ。さて、ジェームズ・ボイド。何だか、ふざけた名前で腹が立つよ。あなたに聞きたいのだけど」
「ククク……プロの殺し屋に聞くことがあるのか?」
「クロアの暗殺を頼んだのは誰?」
「さあね」
「予想通りの回答だけど、クロアは知ってるのよね。ゲロ子、ちょっと出てきて話して」
「カエル使いが荒いでゲロ……」
ゲロ子がのそのそと出てきた。右京に命じられてクロアに協力させられていたのだ。
「このおっさん、定期的に連絡を取っていたでゲロ。一見、町の行商人の格好をしたおっさんと1日3回。そしてそのおっさんはある貴族の屋敷に行ったでゲロ」
「その貴族とは……誰、言いなさいよ」
「そ、そこまで知っていて……俺に聞くのか?」
「そうよ。こういうのは直接聞くのがいいんじゃない。それにあなたは雇われ暗殺者。この状況でその貴族に義理立てする必要はないんじゃない。言えば、命だけは助けてあげる」
「……」
「そ、そんな。クロアさん、その男を逃がすのですか?」
ロンが悲痛な声を上げる。父の敵で姉さんを裏切って傷つけた男だ。ブラッディ・ポイズンを使ってこれまで多くの人を殺めてきた犯罪者だ。ここで逃がすなんて考えられない。
「わ、わかった。言うよ。所詮は金で雇われた身。命は金では買えない」
「早く言いなさい」
「言うでゲロ」
「オースティン公爵さ。直接は会っていないが間違いない」
オースティン公爵は王国内でも黒幕と噂される人物だ。政界に役職をもってはいないし、王位継承権には関わっていない。だが、国内の犯罪組織とつながりがあるとか、外国との要人とのパイプがあるとか噂をされる男だ。
70歳を超える老人であるが、今も健在と言われる。彼が密かに支持するのが王位継承権第6位のモンデール伯爵ということは掴んでいた。有能な5位のクローディアが目障りなのであろう。
「よく言えました。命は助けましょう」
クロアは手を離した。ドサッっと地面に落ちるジェームズ。だが、すぐさま、背中に隠し持っていた短剣をクロアに突き立てた。血がどっと吹き出す。
「お嬢ちゃんは甘い」
ジェームズはほくそ笑んだが、血を吹き出しながらクロアは微笑んだ。信じられない光景だ。
「本当にあなたはゲスね」
その言葉でジェームズは血を吹き出しているのが、連絡役の行商人の男であることを知った。いつの間にか入れ替わっている。クロアの指にはドッペルゲンガーの指輪が光っている。
「命は助けるけど、記憶は殺しますね。マインド・クラッシュ!」
クロアが魔法を唱えるとジェームズは放心状態になった。フラフラと部屋を出て行く。暗殺者としての記憶を全て吹き飛ばしたのだ。戦闘力も失い、ただの一般人としての能力しかない。
「クロアさん、助けていただいてありがとうございます。でも、どうしてアイツを逃がすのですか。あいつを殺すことが僕たち姉弟の目的だったのに」
クロアに解毒剤を射ってもらって復活したロンがヨロヨロと立ち上がった。まだフラフラする。ササユリも解毒薬で回復して今はソファーで体を休めている。
「あなたの手を汚す必要はないわ。あいつには天罰が下るわよ。その命をもってね。それにあなたのお姉さん、毒の影響で声と表情を失ったということだけど、治す方法に心当たりがあるよ」
「そ、それは本当ですか?」
「ええ。たぶん、大丈夫よ。時間はかかるけれど治るはず。これからはお姉さんと新しい人生を始めたらと思うのだけど」
ロンは寝ている姉を見た。復讐を終えた後のことは考えてもみなかった。クロアに言われて薬師として新しい生活をするのも悪くはない。
「分かりました。3回戦。右京さんと戦ってこれまでの人生を吹っ切ります。今の僕の実力を見極める意味で重要な戦いです」
「そうね。それはとても楽しみだよ」
クロアはそう言って笑った。
「はあ~でゲロ。これでは主様に強いライバルを提供しただけでゲロ」
「ゲロ子、あなたは賞金のことしか考えてないでしょ」
「そうでゲロ」
「あなたらしいわ……」
次の朝、都を流れる川に男の死体が浮いていた。男は身元不明で腰に暗殺者がよく持つ短剣を付けていたという。おそらく、仲間同士の抗争で殺されたのであろうと処理されたのであった。




