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シャドウ・ハンター 闇の狩人  作者: HK15
第1章:消えた男
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1-1

 今日も目覚めは最悪だった。

 激しい頭痛/吐き気/口の渇き――あからさまに昨夜の深酒(オーヴァドーズ)の結果。抑えようもなく情けない呻き声が洩れる。脳味噌の代りにアルコール漬けのクソ(スカム)が頭の鉢の中に詰め込まれている気分だ。

 ふらつく頭を振って因業な眠気をできる限り追い払ってから、俺はよろよろと身体を起こした。身体中がギシギシと不気味に軋む。寝台(ベッド)代わりの安物のソファ――スプリングもクッションもへたれていて、快適な寝心地には程遠い。昨夜眠る前にかぶったはずの毛布は身体から滑り落ちて、床の上でとぐろを巻いていた。俺は舌打ちし、陰気なOD(オリーブドラブ)に染められたその古びた軍放出品(サープラス)の毛布を取り上げ、乱暴に丸めてソファの上に放り出した。

 口の中いっぱいに苦酸っぱいような不愉快な味が充満していた。胸がむかむかしてしょうがない。脈打つような苦痛を送り出し続ける頭を押さえて、ふらふらと洗面台に向かう。照明をつけ、白い流し台に手をつくと、グーッと喉から異様な音が洩れた。酸い黄水がこみあげてくる。たまらず吐いた。タールのような反吐が真っ白な模造陶器にぶちまけられ、ポロックめいた抽象的な模様を描く。とはいえ、芸術的価値はゼロだ。ただでさえ最悪の気分がますますささくれだってくる。3秒と直視に耐える光景ではなかったので、俺は蛇口のノブを目一杯にひねって悪夢のようなしろものを下水道に葬り去った。

 気を取り直して、プラスチックのカップに水を半分がた注いで口をすすぐ。それを計3回。次に使い古しの歯ブラシを取り出し、歯磨き粉のチューブから画期的にサイケデリックな色合いのペーストを絞り出してブラシにつける。口の中に突っ込んで乱暴に歯をこする。舌が痛いほどのメンソール風味――ほとんど拷問に近い。再び口をすすいでから、今度はシェービングクリームを顎と口の周りになすって、安全カミソリを使って無精ヒゲを残らず剃り落とす。最後に顔を洗い、タオルで水気を拭うと、いくらかは人間らしい気分になった。頭痛も少しはおさまったようで、鏡を覗き込む余裕もできた。

 いつも起き抜けはひどい顔をしているが、今日は一段と悲惨だった。顔色は土気色より若干マシという程度で、落ち窪んだ眼窩の底で死んだ魚みたいに生気のない瞳が虚ろな視線を返して寄越す。まるで活死人(ゾンビ)だ。こんな面をさらして往来を歩いた日には、石を投げつけられたって文句は言えない。

 溜め息をついて、先ほどよりはいくらかしっかりした足取りで居室に戻る。しつこく頭の芯にからみつく粘着質の頭痛を完全に駆除せねばならない。居室の隅にしつらえられた簡易キッチンに向かう。備え付けの冷蔵庫(フリッジ)を開けて、包装の色合いも鮮やかなオレンジジュースのカートンを取り出す。シンクの傍らに伏せられたコップを取り上げて、よく冷えたオレンジ色の液体をツーフィンガーぶんだけ注いでからソファに戻った。目前のテーブルの上に放り出された頭痛薬(アスピリン)の小瓶を手にとって、ねじ蓋を開けてちっぽけな錠剤を二粒つまみ出す。それをオレンジジュースで一気に腹の底に流し込んだ。心地よい甘酸っぱさがいくらかささくれた気分をなだめてくれる。

 薬が効いてくるまで、経験から判断するにだいたい20分ほどかかる。それまではできることは何もない。じっとしているだけだ。先ほど丸めて放置した毛布を取り上げ、ミノムシのように包まってからソファの上で横になった。今ごろになって、しみるような冷気に足先がすっかりこわばってしまっていることに気づいた。暖房(ヒーター)のスイッチをつけようかとも思ったけれど、どうにも面倒くさい。それどころか、部屋の照明をつけるだけの気力すら湧いてこないのだった。

 ふと窓に目をやると、ブラインドの隙間から黄金色の陽射しがわずかに部屋の中に射し込んでくるのが見えた。今は何時だろうか。9時をいくらも過ぎたというところか。真っ当な世間様の基準からいわせれば、まさしく冒涜的とすらいえる遅い目覚め。まあ、陽の当たる表街道に背を向けて何年にもなるし、今さら嘆いても仕方ないが。

 どうしようもなく気分がふさいでいた。痛飲した翌日はいつもこうなる。そうなると分かっていても、安い火酒(ウォトカ)のボトルと下手くそなタンゴを踊りたくなるときはある。人間なんて、所詮そういうものではないか。くそ、朝っぱらから哲学めいた戯言とは、まったくもって情けない。

 そのとき、不意に――気の抜けた電子音が、淀んだ部屋の空気を揺らした。

 テーブルの上に放り出された旧式の携帯端末(ケータイ)を取り上げる。赤いLEDランプをせわしなく明滅させ、かまびすしく騒ぎ立てる中国製(メイドインチャイナ)の因業な電子機器の表示画面(ディスプレイ)をのぞきこみ、表示された【通話(コール)】アイコンをタップする。耳に押し当てると、なじみ深い声が聞こえてきた。

 「よう、色男(ナイスガイ)。お目覚めかね……」

 軽薄な口調は、聞き違えようもなくリック・ユーンのものだった。我がビジネスパートナーにして疫病神(ジンクス)。やつからの連絡はいつだって唐突だ。俺は若干の苛立ちを込めて答える。

 「ああ。ところでいったい何の用だ。まさか下らない世間話でもしたくなった、てわけでもないんだろ……」

 「ははは、まあな。お前さんと駄弁るためにクソ高い電話料金を払ってるわけじゃねえ――」リックはそこで一旦言葉を区切り、「飛び入りの仕事ビズが入ったんだよ、パートナー。とっととその薄汚ぇケツをこっちに運んでこい、てことさ」

 そこでようやく、意識がしゃんとした。仕事(ビズ)が回ってきたということは、懐に(クレッド)が入ってくるということだ。俺は半ば反射的に返答した。

 「了解(コピー)――落ち合う場所は」

 「いつもの店に来てくれ。詳しい話はそこでするとしようや――」そこで通話はぶつんと切れた。いつものように。

 俺は端末(ケータイ)をテーブルの上に置いて、溜め息をひとつついた。どうやら今日は悪くない日になりそうだ。

 いつのまにか、頭痛はどこかに消え去っていた。

連載2回目です。いよいよ主人公が登場しましたが……何やらダメ男オーラが。まあ、今後ちょっとずつかっこいいところを見せていく予定ですからごあんしんください(何)

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