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三話

 霧がかった川を舟に揺られ続けて、ようやく櫂を漕ぐヘルメスの手が止まった。

「さ、俺の案内は此処までだ。この先の門を開けば冥府がある」

 言われて梓が仰ぎ見れば、そこにはあまりにも巨大な門が立ちはだかっている。

 ごくりと息を呑んだ。

 ――これが、冥府へと続く境界。

 舟から降りて地を踏むと、久しく立っていなかったせいか足がよろめいた。

 足元の砂利を蹴飛ばしながら、どうにか前へと進む。

 梓はしばらく逡巡して、それから恐る恐るその門に手をついた。

 見るからに重そうな門だったが、梓が少し手を触れただけでそれは易々と開いた。この門は恐らく、外側から開けるのは容易く、内側から開けるのは困難な門なのだろう。

 振り返れば、ヘルメスが舟の上から笑顔でひらひらと梓に手を振っている。

 複雑な心境になりながらも、梓は彼に手を振り返してから先へと歩を進めた。


 薄暗い冥府をそろそろと歩いていくと、しばらく進んだところに建物が見えた。

 乳白色の石柱から成る神殿。この中だろうか。 おっかなびっくり、しかし何かに誘われるかのように歩いていく。うんざりするような長い長い廊下を進むと、その先でやっと大きく開けた空間に出た。そこは、謁見の間のようであった。

 中央に階段があり、色の違う石床がレッドカーペットのように玉座まで続いている。そして、その玉座には尊大に座る何者かのシルエットがあった。

「やっと来たな。死霊の小娘」

 朗々とした声が響き渡る。確かめずとも、玉座に座った何者かが発した声と分かった。

「遠路遥々、実にご苦労。顔を見てやろう。近う寄れ」

 労っているのか何なのか分からない言葉を掛けられ、梓はどう自分の中で捉えたものか迷ったが、とりあえず言われるまま近寄ることにする。

 遠目からではよく分からなかったが、距離を詰めることでようやく玉座の主の顔が判別できた。

 腰を越える艶のない闇色の髪に、足の先まで覆うかと思われるほどある同じく闇色の外套。

 前髪は顔の左半分を覆い隠し、その左側頭部には山羊の角のようなものが生えていた。

 こちらから見えている右目は鋭い切れ長で、瞳は光の入る余地のないかのような夜色。

 まるで思考の読めない双眸だ。

「あなたが……冥王ハーデスね」

「如何にも」

 高々と足を組み、ハーデスは嗤う。

「然し構える必要は無い。斯様な所に座しては居るが、我は大仰なことは好まぬ。存分に貴様の罪状を我へ晒すが良い」

 頭上に左手を翳され、梓は思わず身を縮めた。

 五本指に備わった鋭い爪と、全体を覆う長く黒い毛。それはまさしく異形の手である。

「成程相分かった。貴様に処罰を下そうぞ」

 ハーデスは勿体つけるような笑みを浮かべると、ゆっくりと口を開いてみせたのだった。


***


「――で、何やってんだよおまえ」

 死霊を案内してきた帰りらしいヘルメスにそう言われ、梓は唇をへの字に曲げた。

「研修中」

「何の?」

「アトロポス」

 ハーデスの審判によって判決は下された。

『喜べ、貴様の役割はアトロポスだ』

 これである。まったくもって意味が分からない。

「ねえ、あんたは知ってるの? 私全然分からない。役割って何」

「ハーデスから聞いてねえのか」

「なんっにも聞いてない。教えてくれないんだもの」

 梓は唇を尖らせてそう言う。


 ハーデスは梓に役割を告げると、精々励むが良いとだけ言った。

 どういうことなの、と追い縋る梓を置いて空間が歪み、捩れて巻き取るように玉座へ収束していき――――

 次の瞬間、ハーデスは神殿ごと姿を消していたのだった。

 放り出された梓はしばらく呆然と突っ立っていた。だだっ広い冥府の中を一人ぼんやり立ち尽くして、立ち尽くして立ち尽くして、ふと気がつくとその手の中には糸の束と鋏が握られていた。

 先ずは研修だ、と何処からか声が降る。

 主は恐らくハーデスだろう。

『簡単な仕事だ。糸の赤い部分より先を切り離すのみ。ノルマを淡々と(こな)すが良かろう』

 満足な説明も何もなく、声は聞こえなくなる。

 ……それで、梓は言われるままチマチマと作業を行っていたところだった。

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