悪役令嬢は悪である
春季夜会の会場は、異様な熱気に包まれていた。
貴族たちの視線は一か所へ集中している。
王太子レオンハルト。
その隣には平民出身の少女アリシア。
そして二人の正面には、公爵令嬢セレスティア・フォン・ヴァルモンドが立っていた。
誰もが知る悪女である。
傲慢、冷酷、執念深い。
学院では教師すら彼女を恐れ、貴族たちは表面上こそ敬うが陰では毒婦と呼ぶ。
そんな女が、今まさに断罪されようとしていた。
「セレスティア・フォン・ヴァルモンド!」
レオンハルトの声が響く。
「貴様との婚約を破棄する!」
会場がどよめいた。
だがセレスティアは微動だにしない。
手にしたグラスをゆっくり傾け、赤ワインを一口飲んだだけだった。
「そうですか」
それだけだった。
あまりにも淡泊な反応に、むしろレオンハルトの方が面食らう。
「理由は分かっているな!」
「存じませんわ」
「白々しい!」
レオンハルトはアリシアの肩を抱く。
「貴様はアリシアに対し数々の嫌がらせを行った!」
アリシアが俯く。
その姿は実に痛ましい。
学院では努力家として知られ、多くの生徒から好かれていた。
対するセレスティアは嫌われ者だ。
どちらを信じるかなど最初から決まっていた。
「階段から突き落とした!」
「ええ」
「認めるのか!?」
「事実ですので」
会場がざわつく。
「侍女を買収した!」
「ええ」
「授業中に侮辱した!」
「ええ」
「友人を脅迫した!」
「ええ」
次々と認める。否定しない。言い訳もしない。
むしろ面倒そうですらある。
「なぜそんなことをした!」
セレスティアは少し考えた。
そして本当にどうでもよさそうに答える。
「気に入りませんでしたので」
会場が凍りついた。アリシアですら顔を上げた。
そこに隠された事情も、誤解もない。
ただの悪意。ただの嫌がらせ。
それだけだった。
「聞いたか!」
レオンハルトは勝ち誇った。
「これが本性だ!」
セレスティアは肩を竦める。
「終わりました?」
「何だと?」
「断罪が終わったなら帰りたいのですが」
反省の欠片もない。
周囲の貴族たちは呆れを通り越して恐怖を覚えた。
この女は本当におかしい。
だからこそ嫌われるのだ。
その時だった。
玉座の国王アルベルトが口を開いた。
「婚約破棄を認める」
会場がざわめく。当然だろう。
ここまでやらかして無罪のはずがない。
だが次の言葉で全員が固まった。
「ただしセレスティアへの処罰は行わぬ」
沈黙。
レオンハルトが振り返る。
「父上!?」
「決定だ」
「なぜです!」
「余の決定だ」
それだけだった。説明はない。理由もない。
セレスティアも何も言わない。
ただ静かに一礼すると、そのまま会場を去った。
誰も引き留めなかった。
まるで嵐が通り過ぎたようだった。
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婚約破棄から半年後。
レオンハルトは政務に参加するようになった。
そして初めて知る。
国家運営は思っていたより面倒だということを。
「東部の税収が落ちております」
「補填しろ」
「難しいかと」
「なぜだ」
「担当者が辞職しました」
そんな話ばかりだった。
物流、税制、鉱山、商会。
以前は当たり前のように回っていたものが少しずつ軋み始める。
不思議なことに。
問題の中心には必ず同じ名前があった。
セレスティア。
彼女が関与していた案件ばかりだった。
「偶然だろう」
最初はそう思った。
だが偶然にしては数が多い。
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一年後。
密偵長が報告を持ってきた。
「東部貴族連合に不穏な動きがあります」
「不穏とは」
「隣国との接触が疑われます」
レオンハルトは眉をひそめた。
「証拠は」
「ありません」
「なら問題ない」
密偵長は何か言いたそうだった。
しかし黙って頭を下げた。
その後ろ姿を見ながらレオンハルトは苛立つ。
最近こういう曖昧な報告ばかりだ。
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さらに数か月。
押収された密輸品の中から暗号文が見つかった。
隣国との通信記録、武器の輸送計画、資金の流れ。
国家反逆に等しい内容だった。
そして署名欄には一文字。
「A」
たったそれだけ。
しかし密偵長の顔色は悪かった。
「まさか」
「可能性があります」
「あり得ない」
レオンハルトは即答した。
考えるまでもない。
そんなことはあり得ない。
だが証拠は増え続けた。
連絡役、隠し口座、資金提供者。
調べれば調べるほど、一人の人物へ辿り着く。
アリシア。
王太子の恋人。婚約者候補。
そして、レオンハルトが心から信頼していた少女。
「捏造だ」
彼は何度も言った。
「偽造だ」
何度も否定した。だが密偵たちは黙って資料を積み上げる。
やがて。
言い逃れできない量になった。
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地下牢。
薄暗い石造りの部屋。
鉄格子の向こうでアリシアは静かに座っていた。
レオンハルトは震える声で尋ねる。
「違うと言ってくれ」
長い沈黙。
アリシアは目を閉じる。
そして、
「最初から任務でした」
静かな声だった。
だがその一言で十分だった。
世界が崩れる音がした。
「嘘だ」
「本当です」
「私を利用していたのか」
「はい」
迷いのない返答だった。
「なぜ」
「王家に近付くためです」
「全部演技だったのか」
アリシアは少しだけ笑った。
「全部ではありません」
その言葉が余計に残酷だった。
レオンハルトは何も言えなくなる。
愛した女は敵だった。
信じた相手は最初から自分を騙していた。
牢を出た後。
彼は真っ直ぐ国王の執務室へ向かった。
机の上には大量の書類が積まれている。
国王はその一つを放った。
「読め」
そこには過去十年間の極秘記録が記されていた。
売国貴族、密輸組織、反乱分子。
そして失脚した者たちの名前。
レオンハルトは息を呑む。
見覚えがあった。その多くが、かつてセレスティアと敵対していた者たちだった。
レオンハルトは書類をめくる手を止めた。
一枚,また一枚。
そこに並ぶ名前は見覚えのあるものばかりだった。
失脚した伯爵。没落した侯爵。取り潰された商会。
王都を騒がせた不正事件の当事者たち。
そして共通していることがあった。
全員がセレスティアと対立していた。
「……これは何です」
国王アルベルトは椅子にもたれた。
「見た通りだ」
「偶然ではありませんね」
「余もそう思う」
レオンハルトは顔を上げた。
「知っていたのですか」
「ある程度は」
「なぜ教えなかった!」
思わず声が荒くなる。だが国王は動じない。
「お前は聞かなかった」
静かな言葉だった。
「アリシアのことも?」
「怪しいとは思っていた」
「なら!」
「証拠がなかった」
レオンハルトは反論できなかった。
国家は疑いだけで人を裁けない。それは当然だ。
だが。
「セレスティアは知っていた」
国王はそう言った。
「おそらくな」
「なぜ分かるのです」
「結果を見れば分かる」
国王は机を指で叩いた。
「売国奴がいた」
一度。
「反乱分子がいた」
二度。
「密輸組織がいた」
三度。
「そして、気付けば全員消えていた」
レオンハルトは黙り込む。
確かにそうだった。
失脚、事故、破産、逮捕。
理由は様々だったが、なぜか問題のある者たちは消えていった。
あまりにも自然に、誰も疑問を抱かないほど自然に。
「証拠はない」
国王は言う。
「だが余は愚かではない」
その言葉には重みがあった。
王は知っていたのだ。確信までは持てなくとも。
少なくとも何かを察していた。
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数日後。
レオンハルトはヴァルモンド公爵領へ向かった。
広大な敷地、整備された街道、活気ある市場。
王都より豊かなのではないかと思えるほどだった。
そして中央の屋敷。
テラスでは一人の女が紅茶を飲んでいる。
セレスティア。
婚約破棄の日と変わらない。
いや……。むしろ機嫌が良さそうですらあった。
「久しぶりですわね、殿下」
「……ああ」
「アリシア様はいかがでした?」
レオンハルトの顔が強張る。
それを見てセレスティアは小さく笑った。
「なるほど」
「知っていたのか」
「何をです?」
「アリシアだ!」
セレスティアは考える素振りを見せる。
そして。
「ああ」
とだけ言った。
「知っていたのか!」
「ええ」
あまりにもあっさりしていた。
「なぜ言わなかった!」
「言いましたわ」
「いつだ!」
「目障りだと」
レオンハルトは言葉を失う。
確かに言っていた…。何度も。
だがそれは嫌がらせの理由だと思っていた。
「そんな話ではない!」
「私には同じですわ」
セレスティアは紅茶を置いた。
「敵でしょう?」
「敵国の工作員だ!」
「だから?」
「だからだと!?」
セレスティアは不思議そうだった。
本気で理解できないという顔をしている。
「排除する理由として十分ではありませんか」
「それを最初に言え!」
「証拠がありませんでしたもの」
即答だった。レオンハルトは黙る。
それも事実だった。
証拠がない以上、ただの言い掛かりになる。
「だから嫌がらせをしたのか」
「ええ」
「追い詰めるために」
「違いますわ」
セレスティアは笑った。
「気に入らなかったからです」
その笑みに本音が混じっているのか。
それとも誤魔化しているのか。
レオンハルトには分からなかった。
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その日の夕方。
国王も公爵領へ到着した。
応接室には三人だけ。静かな空気が流れる。
「戻れ」
国王は単刀直入に言った。
「嫌ですわ」
セレスティアも即答した。
「王都は面倒です」
「報酬を出す」
「足りております」
「爵位を上げる」
「興味ありません」
「予算権限を与える」
「少し興味があります」
「ほう」
国王が笑う。
セレスティアも少し笑った。
理解しているもの達のやり取り。
信用はしていない。だが互いの能力は認めている。
そんな関係だった。
「しかし戻りませんわ」
「なぜだ」
「今が快適ですもの」
それも本音だろう。公爵領は豊かだ。
わざわざ王都で政治闘争をする必要などない。
そこで国王は一枚の書類を取り出した。
机の上へ置く。
セレスティアが目を細めた。
「これは」
「婚約契約書だ」
沈黙。
レオンハルトが固まる。
セレスティアも珍しく無言になった。
数秒後。
「冗談でしょう?」
と聞いた。
「本気だ」
国王は即答した。
「殿下も嫌でしょう」
「当然だ」
レオンハルトも即答する。
「私も嫌ですわ」
「知っている」
国王は満足そうに頷いた。
「なら問題ない」
「大問題です!」
珍しく二人の声が揃った。
国王は咳払いした。
「お前達は互いに嫌っている」
「ええ」
「そうだな」
「結構」
国王は続ける。
「だからこそ都合がいい」
二人とも嫌な予感しかしなかった。
「好き合っている者は判断を誤る」
レオンハルトは何も言えない。
アリシアの件がある。否定できなかった。
「だがお前達は違う」
国王はセレスティアを見る。
「信用していない」
「ええ」
「好いてもいない」
「ええ」
「だが能力は認めている」
セレスティアは沈黙した。
それが答えだった。
国王は最後の切り札を出す。
新しい契約書。
そこには王妃の権限など書かれていなかった。
財政監査権、物流統括権、密偵網へのアクセス、国家予算への発言権。
異常だった。
これは王妃ではない。これでは王と変わらない。
「ずいぶん高いですわね」
セレスティアが呟く。
「買い叩くつもりはない」
国王は答えた。
「余は有能な人間を国外へ逃がさぬ」
その言葉に嘘はなかった。
長い沈黙が続いた。
やがてセレスティアは契約書を読み終える。
そして。
「一つ質問があります」
「何だ」
「アリシア様は」
国王は目を閉じた。
「処刑だ」
短い返答だった。
レオンハルトの表情が曇る。だが誰も反論しない。
国家反逆、工作活動、王家への浸透。
見逃せる罪ではなかった。
「そうですか」
セレスティアはそれ以上何も言わなかった。
しばらくして。彼女は羽ペンを手に取った。
契約書へ署名する。レオンハルトは頭を抱えた。
「本気か」
「条件が良すぎますもの」
「お前は」
「殿下も署名してくださいな」
諦めたようにレオンハルトも署名する。
これで婚約は再締結された。
愛情など一切ない、祝福もない、拍手もない。
あるのは国家運営上の合理性だけだった。
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数年後。
レオンハルトは王位を継いだ。
即位式の日、窓から王都を見下ろす。
平和だった。豊かだった。
そしてその平和を支えている女は。
隣の執務室で官僚を泣かせていた。
「予算が甘いですわね」
「し、しかし」
「やり直し」
悲鳴が聞こえる。
レオンハルトは頭を押さえた。
「本当に最悪だな」
「存じております」
いつの間にか本人がいた。
「否定しないのか」
「事実ですので」
婚約破棄の日と同じ返答だった。
レオンハルトは苦笑する。
あの日、自分は間違っていなかった。
セレスティアは悪人だ。
今も変わらない。これからも変わらない。
だが、一つだけ間違っていた。
悪人であることと、不要であることは、同じではなかった。
窓の外では王都の灯が輝いている。
その景色を見ながら。
王国最大の功労者であり、王国最悪の悪女でもある女は、満足そうに微笑んだ。
その笑みは英雄のものではない。
勝者の笑みだった。




