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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

悪役令嬢は悪である

作者: yako
掲載日:2026/06/24

春季夜会の会場は、異様な熱気に包まれていた。

貴族たちの視線は一か所へ集中している。


王太子レオンハルト。

その隣には平民出身の少女アリシア。


そして二人の正面には、公爵令嬢セレスティア・フォン・ヴァルモンドが立っていた。

誰もが知る悪女である。


傲慢、冷酷、執念深い。


学院では教師すら彼女を恐れ、貴族たちは表面上こそ敬うが陰では毒婦と呼ぶ。

そんな女が、今まさに断罪されようとしていた。


「セレスティア・フォン・ヴァルモンド!」


レオンハルトの声が響く。


「貴様との婚約を破棄する!」


会場がどよめいた。

だがセレスティアは微動だにしない。

手にしたグラスをゆっくり傾け、赤ワインを一口飲んだだけだった。


「そうですか」


それだけだった。

あまりにも淡泊な反応に、むしろレオンハルトの方が面食らう。


「理由は分かっているな!」


「存じませんわ」


「白々しい!」


レオンハルトはアリシアの肩を抱く。


「貴様はアリシアに対し数々の嫌がらせを行った!」


アリシアが俯く。

その姿は実に痛ましい。

学院では努力家として知られ、多くの生徒から好かれていた。

対するセレスティアは嫌われ者だ。

どちらを信じるかなど最初から決まっていた。


「階段から突き落とした!」


「ええ」


「認めるのか!?」


「事実ですので」


会場がざわつく。


「侍女を買収した!」


「ええ」


「授業中に侮辱した!」


「ええ」


「友人を脅迫した!」


「ええ」


次々と認める。否定しない。言い訳もしない。

むしろ面倒そうですらある。


「なぜそんなことをした!」


セレスティアは少し考えた。

そして本当にどうでもよさそうに答える。


「気に入りませんでしたので」


会場が凍りついた。アリシアですら顔を上げた。

そこに隠された事情も、誤解もない。

ただの悪意。ただの嫌がらせ。

それだけだった。


「聞いたか!」


レオンハルトは勝ち誇った。


「これが本性だ!」


セレスティアは肩を竦める。


「終わりました?」


「何だと?」


「断罪が終わったなら帰りたいのですが」


反省の欠片もない。

周囲の貴族たちは呆れを通り越して恐怖を覚えた。

この女は本当におかしい。

だからこそ嫌われるのだ。


その時だった。

玉座の国王アルベルトが口を開いた。


「婚約破棄を認める」


会場がざわめく。当然だろう。

ここまでやらかして無罪のはずがない。

だが次の言葉で全員が固まった。


「ただしセレスティアへの処罰は行わぬ」


沈黙。

レオンハルトが振り返る。


「父上!?」


「決定だ」


「なぜです!」


「余の決定だ」


それだけだった。説明はない。理由もない。

セレスティアも何も言わない。

ただ静かに一礼すると、そのまま会場を去った。


誰も引き留めなかった。

まるで嵐が通り過ぎたようだった。


------------------


婚約破棄から半年後。

レオンハルトは政務に参加するようになった。

そして初めて知る。

国家運営は思っていたより面倒だということを。


「東部の税収が落ちております」


「補填しろ」


「難しいかと」


「なぜだ」


「担当者が辞職しました」


そんな話ばかりだった。

物流、税制、鉱山、商会。

以前は当たり前のように回っていたものが少しずつ軋み始める。


不思議なことに。

問題の中心には必ず同じ名前があった。


セレスティア。


彼女が関与していた案件ばかりだった。


「偶然だろう」


最初はそう思った。


だが偶然にしては数が多い。


------------------


一年後。


密偵長が報告を持ってきた。


「東部貴族連合に不穏な動きがあります」


「不穏とは」


「隣国との接触が疑われます」


レオンハルトは眉をひそめた。


「証拠は」


「ありません」


「なら問題ない」


密偵長は何か言いたそうだった。

しかし黙って頭を下げた。

その後ろ姿を見ながらレオンハルトは苛立つ。

最近こういう曖昧な報告ばかりだ。


------------------


さらに数か月。


押収された密輸品の中から暗号文が見つかった。

隣国との通信記録、武器の輸送計画、資金の流れ。

国家反逆に等しい内容だった。

そして署名欄には一文字。


「A」


たったそれだけ。

しかし密偵長の顔色は悪かった。


「まさか」


「可能性があります」


「あり得ない」


レオンハルトは即答した。

考えるまでもない。

そんなことはあり得ない。


だが証拠は増え続けた。


連絡役、隠し口座、資金提供者。

調べれば調べるほど、一人の人物へ辿り着く。


アリシア。


王太子の恋人。婚約者候補。

そして、レオンハルトが心から信頼していた少女。


「捏造だ」


彼は何度も言った。


「偽造だ」


何度も否定した。だが密偵たちは黙って資料を積み上げる。

やがて。

言い逃れできない量になった。


------------------


地下牢。


薄暗い石造りの部屋。

鉄格子の向こうでアリシアは静かに座っていた。

レオンハルトは震える声で尋ねる。


「違うと言ってくれ」


長い沈黙。

アリシアは目を閉じる。

そして、


「最初から任務でした」


静かな声だった。


だがその一言で十分だった。

世界が崩れる音がした。


「嘘だ」


「本当です」


「私を利用していたのか」


「はい」


迷いのない返答だった。


「なぜ」


「王家に近付くためです」


「全部演技だったのか」


アリシアは少しだけ笑った。


「全部ではありません」


その言葉が余計に残酷だった。

レオンハルトは何も言えなくなる。

愛した女は敵だった。

信じた相手は最初から自分を騙していた。


牢を出た後。

彼は真っ直ぐ国王の執務室へ向かった。

机の上には大量の書類が積まれている。

国王はその一つを放った。


「読め」


そこには過去十年間の極秘記録が記されていた。


売国貴族、密輸組織、反乱分子。


そして失脚した者たちの名前。

レオンハルトは息を呑む。

見覚えがあった。その多くが、かつてセレスティアと敵対していた者たちだった。

レオンハルトは書類をめくる手を止めた。


一枚,また一枚。


そこに並ぶ名前は見覚えのあるものばかりだった。

失脚した伯爵。没落した侯爵。取り潰された商会。

王都を騒がせた不正事件の当事者たち。

そして共通していることがあった。

全員がセレスティアと対立していた。


「……これは何です」


国王アルベルトは椅子にもたれた。


「見た通りだ」


「偶然ではありませんね」


「余もそう思う」


レオンハルトは顔を上げた。


「知っていたのですか」


「ある程度は」


「なぜ教えなかった!」


思わず声が荒くなる。だが国王は動じない。


「お前は聞かなかった」


静かな言葉だった。


「アリシアのことも?」


「怪しいとは思っていた」


「なら!」


「証拠がなかった」


レオンハルトは反論できなかった。

国家は疑いだけで人を裁けない。それは当然だ。

だが。


「セレスティアは知っていた」


国王はそう言った。


「おそらくな」


「なぜ分かるのです」


「結果を見れば分かる」


国王は机を指で叩いた。


「売国奴がいた」


一度。


「反乱分子がいた」


二度。


「密輸組織がいた」


三度。


「そして、気付けば全員消えていた」


レオンハルトは黙り込む。

確かにそうだった。


失脚、事故、破産、逮捕。


理由は様々だったが、なぜか問題のある者たちは消えていった。

あまりにも自然に、誰も疑問を抱かないほど自然に。


「証拠はない」


国王は言う。


「だが余は愚かではない」


その言葉には重みがあった。

王は知っていたのだ。確信までは持てなくとも。

少なくとも何かを察していた。


------------------


数日後。


レオンハルトはヴァルモンド公爵領へ向かった。

広大な敷地、整備された街道、活気ある市場。

王都より豊かなのではないかと思えるほどだった。


そして中央の屋敷。

テラスでは一人の女が紅茶を飲んでいる。


セレスティア。


婚約破棄の日と変わらない。

いや……。むしろ機嫌が良さそうですらあった。


「久しぶりですわね、殿下」


「……ああ」


「アリシア様はいかがでした?」


レオンハルトの顔が強張る。

それを見てセレスティアは小さく笑った。


「なるほど」


「知っていたのか」


「何をです?」


「アリシアだ!」


セレスティアは考える素振りを見せる。

そして。


「ああ」


とだけ言った。


「知っていたのか!」


「ええ」


あまりにもあっさりしていた。


「なぜ言わなかった!」


「言いましたわ」


「いつだ!」


「目障りだと」


レオンハルトは言葉を失う。

確かに言っていた…。何度も。

だがそれは嫌がらせの理由だと思っていた。


「そんな話ではない!」


「私には同じですわ」


セレスティアは紅茶を置いた。


「敵でしょう?」


「敵国の工作員だ!」


「だから?」


「だからだと!?」


セレスティアは不思議そうだった。

本気で理解できないという顔をしている。


「排除する理由として十分ではありませんか」


「それを最初に言え!」


「証拠がありませんでしたもの」


即答だった。レオンハルトは黙る。

それも事実だった。

証拠がない以上、ただの言い掛かりになる。


「だから嫌がらせをしたのか」


「ええ」


「追い詰めるために」


「違いますわ」


セレスティアは笑った。


「気に入らなかったからです」


その笑みに本音が混じっているのか。

それとも誤魔化しているのか。

レオンハルトには分からなかった。


------------------


その日の夕方。


国王も公爵領へ到着した。

応接室には三人だけ。静かな空気が流れる。


「戻れ」


国王は単刀直入に言った。


「嫌ですわ」


セレスティアも即答した。


「王都は面倒です」


「報酬を出す」


「足りております」


「爵位を上げる」


「興味ありません」


「予算権限を与える」


「少し興味があります」


「ほう」


国王が笑う。

セレスティアも少し笑った。

理解しているもの達のやり取り。

信用はしていない。だが互いの能力は認めている。

そんな関係だった。


「しかし戻りませんわ」


「なぜだ」


「今が快適ですもの」


それも本音だろう。公爵領は豊かだ。

わざわざ王都で政治闘争をする必要などない。


そこで国王は一枚の書類を取り出した。

机の上へ置く。

セレスティアが目を細めた。


「これは」


「婚約契約書だ」


沈黙。

レオンハルトが固まる。

セレスティアも珍しく無言になった。


数秒後。


「冗談でしょう?」


と聞いた。


「本気だ」


国王は即答した。


「殿下も嫌でしょう」


「当然だ」


レオンハルトも即答する。


「私も嫌ですわ」


「知っている」


国王は満足そうに頷いた。


「なら問題ない」


「大問題です!」


珍しく二人の声が揃った。


国王は咳払いした。


「お前達は互いに嫌っている」


「ええ」


「そうだな」


「結構」


国王は続ける。


「だからこそ都合がいい」


二人とも嫌な予感しかしなかった。


「好き合っている者は判断を誤る」


レオンハルトは何も言えない。

アリシアの件がある。否定できなかった。


「だがお前達は違う」


国王はセレスティアを見る。


「信用していない」


「ええ」


「好いてもいない」


「ええ」


「だが能力は認めている」


セレスティアは沈黙した。


それが答えだった。


国王は最後の切り札を出す。

新しい契約書。

そこには王妃の権限など書かれていなかった。


財政監査権、物流統括権、密偵網へのアクセス、国家予算への発言権。


異常だった。

これは王妃ではない。これでは王と変わらない。


「ずいぶん高いですわね」


セレスティアが呟く。


「買い叩くつもりはない」


国王は答えた。


「余は有能な人間を国外へ逃がさぬ」


その言葉に嘘はなかった。


長い沈黙が続いた。

やがてセレスティアは契約書を読み終える。

そして。


「一つ質問があります」


「何だ」


「アリシア様は」


国王は目を閉じた。


「処刑だ」


短い返答だった。

レオンハルトの表情が曇る。だが誰も反論しない。


国家反逆、工作活動、王家への浸透。


見逃せる罪ではなかった。


「そうですか」


セレスティアはそれ以上何も言わなかった。


しばらくして。彼女は羽ペンを手に取った。

契約書へ署名する。レオンハルトは頭を抱えた。


「本気か」


「条件が良すぎますもの」


「お前は」


「殿下も署名してくださいな」


諦めたようにレオンハルトも署名する。


これで婚約は再締結された。

愛情など一切ない、祝福もない、拍手もない。

あるのは国家運営上の合理性だけだった。


------------------


数年後。


レオンハルトは王位を継いだ。

即位式の日、窓から王都を見下ろす。


平和だった。豊かだった。


そしてその平和を支えている女は。

隣の執務室で官僚を泣かせていた。


「予算が甘いですわね」


「し、しかし」


「やり直し」


悲鳴が聞こえる。

レオンハルトは頭を押さえた。


「本当に最悪だな」


「存じております」


いつの間にか本人がいた。


「否定しないのか」


「事実ですので」


婚約破棄の日と同じ返答だった。

レオンハルトは苦笑する。

あの日、自分は間違っていなかった。

セレスティアは悪人だ。

今も変わらない。これからも変わらない。

だが、一つだけ間違っていた。


悪人であることと、不要であることは、同じではなかった。


窓の外では王都の灯が輝いている。

その景色を見ながら。

王国最大の功労者であり、王国最悪の悪女でもある女は、満足そうに微笑んだ。


その笑みは英雄のものではない。

勝者の笑みだった。


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