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一番星 (仮)  作者: 香山
1/1

タイトル未定2025/06/03 01:07

一ノ瀬当麻は、自分のベッドに寝転がり天井をぼんやりと見つめていた。

床には開きっぱなしの教科書とノート。机の上には、半分ほど食べてそのままになったスナック菓子と水のボトル。静かな部屋は、どこか広さが際立っている。

それもそのはず、大学寮の二人部屋 104号室 にいるのは、現在彼一人だけだからだ。

ブブッ とスマホのバイブレーションが鳴る。

「あー、はいはい…」

一ノ瀬はぽつりと呟いてスマホに目をやる。画面にはメッセージアプリの通知が一つ。

『今日たぶん戻んない オレの方の窓閉めといてほしい』

そのメッセージの送り主は、一ノ瀬のルームメイトである星川蓮だった。

一ノ瀬はOKと打って出てきたスタンプを適当に送信して、スマホを軽く脇に投げた。

星川とはこの寮で同室になってからの縁だ。

一ノ瀬の中で星川は「良いやつ」な印象ではあるが、タイプ的に同室じゃなければ関わることは無かっただろう。

お互いにその雰囲気を感じ取っているからか、特別仲が良いわけでも、悪いわけでもない。

知り合って半年くらいのそんな浅い仲だからなんとも言えないが、夏休み明けからなんだか星川の様子がおかしい気がする。厳密には夏休みがもう終わる頃の、たしか友人たちとキャンプだかなんだかに行って帰って来てから。

様子がおかしいというか、とにかく不在がちになった。

星川は目立つタイプの人間だ。明るい金髪にバチバチのピアス、服装もおしゃれで、なにより顔が整っている。同じ学部の女子はもちろん、キャンパスが違う他学部の女子からも注目されているモテ男。

そんな男なのだから、不在がちなのは女の子の家に泊まりにいっているんだと考えるのが自然だ。例えばキャンプに行ったことで彼女ができて、その女の子の家に通ってるとか…。

ただ、星川のSNSのストーリーを見ると、映っている女の子は毎回違う。

お泊りが許される男女は常識的に考えて交際中の男女なはずだ。

つまり星川は____

(節操ねえな)

一ノ瀬はそう心の中で呟いてハッとした。星川はただのルームメイトだ。

いくら様子がおかしいからといって、私生活のことをどうのこうの考えるのはなんか良くないことな気がする。しかも憶測の域を出ないことだ。

そもそもキラキラした世界に住んでいる星川は、一般的な常識とはまた違った常識のもとで暮らしているかもしれない。一ノ瀬にはわからない世界だし、わからない感覚だ。

一ノ瀬は人と関わることがあまり得意ではない。コミュ障とかではないと思うが、なんとなく人と深く関わるのが面倒くさいと感じてしまう。

相手が友人でもなんでも、適度に距離を保ちながら過ごすのが楽だった。

だから星川のようなタイプを見て「すごいな」と思うことはあっても、羨ましいとかは全く思わないし、星川の過ごす世界が想像できなかった。

「寝るかー。」

一ノ瀬はあくびをしながらベッドから立ち上がり、星川のベッドの方にある窓を閉めた。

ついでに床に散乱していたテキストなどを拾い上げ、そのまま星川の机に置く。

そのまたついでにスナック菓子のからを捨てるなど軽い掃除をしてから、部屋の電気を消した。

ベッドに入って少しスマホをいじる。

明日は3限からだから昼前に起きられたらいいや、とアラームの設定をせず、スマホの画面を消した。仕切りのカーテンをしめる。

しんとした部屋で、一ノ瀬が眠りについたのはすぐのことだった。

ガチャ ガチャッ___

一ノ瀬は何かの物音で目が覚めた。物音自体は特に大きくないが、一ノ瀬はそういうのにすぐ気づいてしまうタイプである。

部屋の中はまだ暗かった。スマホの画面をつけ、半開きの目で現在時刻を確かめる。

ドアの方からはまだガチャガチャと音が聞こえる。

今は朝方、5時12分らしい。こんな時間に部屋のドアをガチャガチャするやつは一人しかいない。

仕切りのカーテンをあけ、寝る体制のまま視線だけドアの方向に向けていると、カチャッとさっきより軽い音がして部屋のドアが開いた。

「ただいまー…」

控えめな声量とともに男が入ってきた。星川だ。

ドアに近い方の電気をつけ、物音を立てないよう慎重にカバンと上着をハンガーにかけている。

「おっかえりー」

「!?は!?起きてたのかよ!!」

突然の一ノ瀬の声に、星川は肩をビクッっとさせながら反応した。

「お前鍵開けるの下手くそか」

「うるせえ!暗くてよく見えなかったんだよ!てかなんで起きてんだ!」

「起きてたっていうか」

「あ、てかオレが起こしちゃったのか、ごめん」

星川は上着にスプレーをかけながら怒ったり謝ったりしている。忙しいやつである。

「いや、俺がちょっとした音で起きちゃうだけ。別にうるさかったとかではない。」

「そうなん?まあどっちにしろこれから気をつける」

「いや…」

いや、物音ってかこの時間に帰ってくるのやめろよ。と一ノ瀬は言おうとしたがやめた。

人の生活に口出すほうが面倒だという思考に至ったからだ。

「え?今なんて言ったー?」

洗面台の方から星川の声が聞こえる。顔を洗っているようだった。

星川は、テキストを床に散乱させたりお菓子を食べたまま放置したりと一見ガサツな男に見えるが、服や自分の見た目に関することには丁寧な男だ。

星川は化粧水をつけながら話し続ける。

「てか一ノ瀬、オレ明日2限からなんだけどさ。」

「知らんけど」

「今から寝るからさ〜、起きれなかったら起こしていただきたい所存で〜」

「……」

一ノ瀬は寝返りを打ち、聞かなかったフリをすることにした。

しかし星川はそれで諦める男ではない。

「せんせー、一ノ瀬くんが無視しまーす!」

「おい声でかいって!今5時だぞ」

星川は「無視する人が悪いと思いまーす」などと言いながらベッドに入り仕切りのカーテンをしめた。

「…10時。それで起きなかったら知らない。」

「おっ!さすが一ノ瀬くん!持つべきは同室!」

手を叩いてあからさまなよいしょをする星川を無視して、一ノ瀬はスマホを手に取って10時のアラームをセットした。

しばらくして、また部屋はしんと静かになった。

―――翌朝。時刻は10時ちょうど。

一ノ瀬のスマホから爆音のアラームが鳴り響いた。

爆音のせいで、一ノ瀬は最初の音の時点で飛び起きた。少しの音で目が覚める一ノ瀬は控えめな音量でちょうどいいのだが、設定したときに間違えてしまったのだろう。

一ノ瀬はバクバクする心臓を抑えながらベッドから立ち上がり、星川の方の仕切りのカーテンを開けた。

当の星川は、穏やかな寝息をたてて熟睡している。同室のもう一人はあの音で飛び起きたというのに。

「おい。…おい、星川。」

声をかけても返事はない。しかし正直これはいつものことなので、すぐに強硬手段にでる。

一ノ瀬は星川の掛け布団を勢いよく剥いだ。

「…っ!?さむ!!!!」

「おい星川!!2限!!今10時!!」

突然剥かれた星川は、目を開けないまま掛け布団を追いかけて手をわたわたと動かしている。掛け布団の端を掴んだが、一ノ瀬が引っ張り続けるので自然と起き上がる体制になった。

「起き上がれたな。おはよー。」

「………あと5分…」

星川はテンプレみたいなことを言いながら、また横になろうとした。

しかしすかさず一ノ瀬が言った。

「5分寝たいなら寝れば?その頭で学校行けんならね。」

その言葉を聞いて星川はいきなり覚醒した。この頭は流石にまずい。

星川の髪はどういうわけか、寝ると衝撃的なレベルで爆発ヘアになる。

学内でモテモテなビジュ最強男の寝起きだとは到底思えないほどだ。

「なんで毎朝こんな…!寝る前ちゃんとしてんのに!!!」

「まあ、毎朝なんとかなってんだから今日もなんとかなるって。てか2限何受けてんの?」

「え?…えっと…なんか、あれ……なんだっけな、あれなんだよな。」

「へぇ〜大変そう。」

半寝ぼけ半パニック状態の人に質問したのは間違いだった。

一ノ瀬がだらだらスマホを見ている間に、寝起きの星川はどんどんいつものキラキラ星川に変化していった。

「今日なんか暑そうじゃない?ワンチャン半袖?」

「いやー、だとしても10月だぞ。流石に重ねるもの必要じゃね」

「確かに、じゃあ薄いこれ着るか」

星川は喋りながらも素早く準備し続け、余裕で間に合う時間に寮を出た。

部屋に1人になった一ノ瀬は、起こされたり起こしたりがあってか若干ウトウトしかけたので、アラームをかけてまた少し寝ることにした。

ちょうど2限が終わった頃。学食はそこそこの混雑だった。

一ノ瀬は学食の入口付近の廊下でスマホを見ていた。講義は3限からだったが、同じサークルに所属している友人の広田に話したいと学食に誘われたので、この時間に大学にやってきた。

一ノ瀬は天文サークルに所属している。元々中学から天体観測が趣味だったのだが、この大学の天文サークルは設備に力を入れていたり、時期によっては遠征したりする活動的なサークルだったので入会した。

今日は、広田がこの前夏の大三角を綺麗に撮れたらしいので写真を見せてもらう。もうすぐ夏の大三角も見納めなので楽しみだ。

が、その広田から、2限の課題どうのこうので昼一緒にできなくなったとちょうど連絡がきたところだった。

(えー。じゃあ一人なら学食じゃなくてコンビニにするか、並ぶのめんどいし…)

一ノ瀬が少し萎えながら、コンビニの方向に歩きだそうとしたときだった。

「よっ、お前一人?」

声をかけて来たのは星川だった。

「お前飯食う友達もいねーのかよ」

星川はそう言いながら、半笑いで一ノ瀬を見てきた。

「は?お前馬鹿にしてんだろ。たまたま無理になったんだよ」

「ドタキャンってこと〜?それドタキャンじゃな〜い!?」

より一層ニコニコし始めた星川を、一ノ瀬はガン無視した。

「てか星川だって一人じゃん、お前が言うな」

「だってなんか鈴木に連絡つかねーんだよ、どうしたんだろ」

「え?大丈夫なのそれ」

「どうせ寝坊だろー。既読もつかないし通話も出ないしどうなってんだか」

「安否わかんないの普通にやべえな」

二人は話しながら券売機から食券を買う。二人とも今週のおすすめである唐揚げ定食を注文する。

料理を受け取ったあと、二人で空いている席に向かい合って座った。

「唐揚げ定食はまじ安牌すぎる。てか当たり。この値段でこの量でめちゃくちゃ美味い」

「へー、実は初唐揚げ定食なんだよね」

一ノ瀬の発言に、星川が「は!?」と驚いた。その後、「まあ友達いないと学食にも来れないか〜」などと言っていた。星川の中で“一ノ瀬は友達いないヤツ”が流行っているようだが、一ノ瀬はそんな星川を無視して「いただきます」をした。

食べ始めてからは二人の間に特に会話は発生しない。そもそも二人のうち先に話し始めるのは大体星川の方なのだが、その星川がスマホを触りながらご飯を食べているからだ。

一ノ瀬はご飯に集中しろよ、と思ったが、こっちから少し見える画面の感じ、たくさんの人と何個も並立してやり取りをしているみたいだった。

そういうやり取り全般が面倒くさいと思ってしまう一ノ瀬からしたらシンプルに苦行だが、たくさんの人と関わりがありしかもそれが大したことでもない星川からしたら、今この時間に返信やらなにやら消化しないといけないことなのだろう。

しばらく経ってから、星川が口を開いた。

「あ、オレ今日もいないかも。」

「おけー」

いつもの連絡だった。一ノ瀬は味噌汁をすすりながら返事をした。

「そんな。味噌汁をすすりながらなんて雑だわ。同室がいなくて寂しいとかそういう感情はないのかしらん?」

「いやねぇよ普通に。てかなんだその喋り方」

星川の謎口調にツッコミを入れていたときだった。

「あ〜!いたいた星川く〜ん!!」

星川の後ろ側から数人の女の子たちがやってきた。

「あ!ゆめちゃん りなちゃんに かのんちゃん!おつかれ〜どうしたの〜?てかりなちゃんその服前言ってたやつ?めっちゃいいな」

星川は三人の顔をみながら名前を言い、更に話題を一つ付け加えてみせた。

(星川ってなんかの職人?てかこの子たち見かけない顔だし他学部か…?)

さすがの一ノ瀬も関心していた。このテクニックというか、もはや自然すぎてテクニックかもわからないものをサラッと出せることに星川がモテる理由があるようだ。

「えっうそ嬉しい!あの話覚えてたの!?」

「なにそれ〜!りなばっかずるい〜!」

「ゆめだって今日前髪の形変えたんだよ〜!?」

「ごめごめ、ゆめちゃんの前髪も気づいてたし、かのんちゃんは前オレが好きって話したピアスつけてんの気づいてたって!」

「え〜!!ほんと〜!?」

女の子たちの黄色い声が響いた。そのせいで一ノ瀬は周りからの視線を感じ取っていた。

(俺関係ねえのに…星川こいつのモテっぷりほんとどうなってんだ?)

「てかどうしたの?今日あの授業ないのになんでこっちのキャンパスにいんの?」

「あっ!そう、あの、この前借りたノート!返そうと思って!ありがとう!」

「え!次の授業のときでいいよって言ったのに!」

「えへへ…授業じゃないけど、星川くんに会いたくなっちゃて…♡」

(ええ…なんなんだ、俺達は一体何をみせられてんだ)

甘ったるい会話にげんなりした一ノ瀬は、思わず死んだ表情のまま女の子たちの方に顔を向けてしまった。すると―――

「ひ、ひゃっ!?ごめ、ごめんなさい!!!星川くんとのご飯じゃましちゃってごめんなさい!!!!」

「やば、こわ…」

「も、もう行こ!ごめん星川くん!私達もういくね!!」

女の子たちはなぜか突然慌て始め、小走りで学食から出て行った。

突然女の子たちがいなくなって唖然としていた星川だったが、一ノ瀬の方に振り返るなり、はぁと大きなため息をついた。

「おい一ノ瀬、お前今自分がどういう表情してるかわかってんのか?」

「は?どうもこうも普通だけど…。」

「は!?それのどこがだよ!!!こえーよ目が!!!」

星川の言い方的にふざけているわけでも、大げさに言っているわけでもなさそうだ。

たしかに、一ノ瀬は生まれつきめちゃくちゃ目つきが悪い。怒っていなくても怒ってる?と聞かれるのはしょっちゅうだし、目つきに加えて180cmの筋肉質と恵まれた体の持ち主でもある。

だからといって、たまたま顔をみただけで勝手にビビられて逃げられるのは普通に失礼じゃないか?

「睨んでねーよ!勝手に怖がってんじゃねえ!」

「もはや才能だよな。オレも人のこと顔だけでビビらせてみてぇよ」

一ノ瀬は言い返す気力もなく、ため息をついてコップの水を飲み干した。

「てか、お前ノートとか貸してんのか。あの子たちは正気か?」

「ふぁあ゙!?」

星川は唐揚げを食べながら、なにか抗議したそうに一ノ瀬を睨んでいる。

「まあどうせ写す目的じゃないからいいか。逆にお前が写させてもらえって」

「おいバカにすんな」

「してないしてない。」

「いやしてんだろ!!」

軽口を叩いているうちにご飯を食べ終わったので、二人は返却口に向かって歩き出した。

「飯食ったら眠くなんのってどうにかなんねぇのかな?」

「星川は飯とか関係なく授業中寝てるだろ」

「おいお前…」

「あ、一ノ瀬!おーい」

星川が一ノ瀬に食って掛かろうとしたときだった。向かいから手を振っている人物がこちらに近づいてきた。広田だった。

「あ、広田。おつかれ。」

「おつかれ、昼はごめんね。二人で昼食べたの?」

「そ、たまたま星川も一緒食うやついなくて」

「そろそろ既読ついたかな」

「まだだったらやばくね?」

星川はズボンの後ろポケットからスマホを取り出して確認した。

「え、てかもう5分前じゃん!オレ3限あっちのホールだからもう行く、おつかれ!ちなみに鈴木はまだ既読ついてない」

「やばすぎ、おつかれ〜」

慌てて小走りで去っていく星川を見送り、二人は3限の教室に向かった。

時は進み、夜。一ノ瀬は暗い住宅街の路地を歩いていた。今日は3,4限で終わりでそのまま寮に帰れる日だったのだがバイト先の居酒屋にヘルプで呼ばれてしまい、それの帰り道だった。

(どうせ暇だったから稼げてラッキーだけど…平日の夜にしては混みすぎだろ)

動きまくってパンパンになった足を引きずって、しばらくダラダラと歩いていると寮に着いた。

バイト帰りほど104号室でよかったと思うことはない。階段を登る必要なく部屋にたどり着く事ができるのは、疲れて眠い体には本当に助かる。

部屋のドアを開けるためバッグから鍵を取り出――そうとしたが、その鍵が見当たらない。

(え?落とした?…いや、もしくは出たとき鍵かけ忘れて部屋の中にあるか?)

色々考えて、とりあえずダメ元で部屋のドアを開けてみることにした。ドアを引くと、ガチャッと普通に開いた。

なんだやっぱ閉め忘れたか。鍵どこに置いたっけ…と考えるより先に、一ノ瀬は自分の視界を疑った。

部屋の電気がついている。

誰もいないのに、そんなことあるか?自分が部屋を出たときは昼だったから、多分電気は元々つけていなかったはず。だから消し忘れの可能性も低い。

部屋の鍵が開いている上に電気がついているなんて、それって空き巣では…?

最悪のパターンを考えながら、一ノ瀬は恐る恐る部屋の中に入っていった。きっと自分が電気も鍵も忘れたんだ。そうに違いない。

物音をたてないよう忍び足でキッチンのある廊下を抜け、ゆっくり寝室の中を見た。

そこには、もっと信じられない光景があった。

「あ、おつかれー」

ベッドでスマホをいじっていた金髪の男が、顔をあげて挨拶してきた。

「あ、あぁ…。」

一ノ瀬からは、漏れ出た声のような、気のない返事が出た。空き巣か?なんて疑っていたので拍子抜けした。部屋にいたのは空き巣でもなんでもなく、ただの星川だった。

「なんでいるんだよお前」

バッグをハンガーにかけたりしながら星川に聞く。

「なんでって、自分の部屋だからだよ」

「は?いや昼、今日もいないって言ってただろ」

「あ、それがですね〜、相手に用事出来たから急遽無しということになりまして〜」

星川は軽く笑いながらベッドでスマホを触っている。

「相手の用事って…彼氏より優先される用事なんてあるのかよ」

「か、彼氏?どういうこと?」

「いや、普通付き合ってる場合…」

一ノ瀬が言いかけると、星川はいやいやと手を振って遮った。

「オレ別にその子と付き合ってるわけじゃねえし。普通にお互い都合良いときの相手みたいな、そういうやつだから」

「あっ、そういう…」

一ノ瀬は昨日一人で考えていたことを思い出した。勝手に考えていたのは失礼ではあったかもしれないが、内容は合っていたようだ。

(やっぱ節操ないってのはそうだったのか)

「おいお前、今オレのこと節操ないやつだと思ってんだろ」

鋭いことを言われてすぐに言い返せなかった。せめて形だけでも否定しろよ、と星川がツッコミをいれる。

一ノ瀬は「ははは」と適当に笑いながら部屋着に着替えようとして、ズボンの腰あたりに違和感があることに気付いた。違和感の正体は部屋の鍵だった。そういえば、バイト先のロッカーで鍵を取り出しやすいように、とバッグからズボンに移動させたのだ。空き巣だなんて一人騒いでいた自分がアホ過ぎて泣けてくる。

「まあでも仕方ないんだよ、じじょーがあるっていうか〜…」

寝返りをしながら、星川が独り言のように喋る。

事情。そうだ、星川は夏休みのあのキャンプ後から突然不在が多くなった。それが事情に関係しているとして…。元々の推理ではそこで出来た彼女の家に足繁く通っているんだと思っていたが、どうやら相手とは付き合っていないらしい。じゃあなんでそんなに頻繁に女の子の家に行くんだ…?

一ノ瀬は考え出してからハッとした。また詮索してしまった。これは一ノ瀬の癖だ。どうもお節介というか、相手のことを考えてしまう癖がある。

考えるのはやめよう、自分に関係のない話だし、そもそも星川がいる世界の事情なんて考えたってわからないのだ。相手になる女の子なんて星の数ほどいるはずだ。

「モテる男だから仕方ないってことか」

「…あー、まあそういうことです。てか今日はたまたまどの子も都合つかないけど、色んな子の相手しなきゃなんだよね!オレみたいなレベルの男になると!」

ふふんと自信満々に言う星川を見て一ノ瀬はげぇ、と顔を歪ませた。

「なんか嫌だな、不健全で」

「おうなんだなんだ〜?妬みですか嫉みですか〜?」

一ノ瀬はニヤニヤしている星川をいつも通り無視して、自分のベッドに倒れ込んだ。まだシャワーとか色々なにもしていないが、疲れてすぐに眠れそうだった。

「今日はバイト?」

「んー」

「おつかれー」

「んー」

しばらくの沈黙。

(あー…静か過ぎて本当に眠れそう、てか今一瞬寝てたか…)

一ノ瀬はぼけーっとしながら、軽く今日の出来事を頭のなかで思い出す作業をしていた。

そして突然、がばっと勢いよく体を起こす。

「なんだよいきなり、こえーな」

星川は怪訝な顔で一ノ瀬を見る。

「日付変わるまでに提出の課題あること思い出した、今寝かけてた」

「気づいてよかったな」

「シャワー使って良い?眠気さましたい」

「どうぞ〜」

「星川は課題ねぇの?」

「あるー。けど週末だしー。余裕って感じー。」

「ギリギリでやってる未来が見えるね」

「は、なわけないね、お前のほうが―――」

反論している星川の声を最後まで聞かずに、一ノ瀬はシャワー室に向かった。

一ノ瀬がシャワーから出てくると、星川の方の仕切りは閉じられていた。もう寝ているようだ。

一ノ瀬は一人で黙々と課題を終わらせ、その日は日付が変わって少ししてから眠りについた。

次の日の夕方。

一ノ瀬は大学から帰ってきて、そのまま寮のベッドでメッセージを打っていた。相手は広田で、今週末に天体観測で遠征に行きたいよね、という話だった。

(牧野 とか 誘いたいよな …っと)

望遠鏡などの荷物も考えて、車移動が無難だろう。一ノ瀬も広田も免許を持っているが、長距離運転をするなら交代できる人数を確保したほうが安全だ。

『牧野行けるって ブループ作った方が話すすむか』

『そうだね』

天気や距離などを含めて目的地を考える。

(秋の天体観測っていいよな〜、空気が澄んでて星が一段と綺麗で)

一ノ瀬が心の中でワクワクしながらメッセージを打っていると、ガチャ、とドアの開く音がした。

「ただいまーっす」

「おかえり」

一ノ瀬は普通に挨拶を返すも、正直びっくりしていた。星川がこの時間に帰って来たのは夏休み明け以降初めてのことだからだ。まあまだ夏休み明けて3週間しか経っていないのだが、3週間ほぼ毎日大学から直行で女の子の家、そして朝帰りが1つのパターンの男が、昨日に引き続き今日も寮にいる。しかも、昨日は一ノ瀬が見ていないからわからないが、今日に関しては大学から直帰している。

「なに?髪型でもおかしい?」

一ノ瀬が驚きのあまりずっと見ていたせいで、星川に言われてしまった。

「なんかこの時間に星川を見るって、すごい違和感があって」

「どういうことだよ」

この日、星川が週末のレポート課題に手をつけ始めた。

めんどいだのうだうだ言っているが、一ノ瀬は天体観測遠征についての計画立てやり取りに夢中になっていたため半分反応半分無視で対応した。

その次の日。夜。

この日一ノ瀬はサークルがあった。終わった後に広田、牧野とファミレスに寄り、ご飯を食べながら遠征についての話をして解散した。

歩きながらスマホでメッセージアプリを開く。星川からはなにも連絡が来ていない。つまり今日も星川は部屋にいるようだ。

(別に部屋にいてもなんも困るとかはないけど、突然いるようになったからなんかびっくりするんだよな)

寮に着き、部屋のドアを開ける。案の定星川はいた。

その星川は、机の上にPCやらレジュメやらを散らかしまくって、椅子にもたれ掛かり放心していた。

「大丈夫か?慣れないことしてしんどい?」

「……あぃ」

「壊れてんなぁ」

星川のレジュメを覗き込むと、それは一ノ瀬も受けている必修科目のレジュメだった。

「週末の課題ってこれかよ。これ初回に掲示だから3週間くらい経つぞ、全く手つかずのやつっているんだな…。」

でもこの3週間くらいほぼ毎日部屋にいなかったのだ、手つかずなのが当たり前なのかもしれない。他の課題もどうなっているのやら。

「てかこの課題、そんなに困ることか?文字数自体は確かに多いけど…」

「……こ…ぃ…」

「え?」

星川が掠れた声でなにか言っている。一ノ瀬が聞き返すと、星川は突然椅子の上で大きな声を出してジタバタと暴れ出した。

「女の子が!!!!!たりない!!!!!!!」

一ノ瀬は唖然とした。

星川は課題がわからなくて放心していたわけではなかったのだ。いや、それも一つの原因なのかもしれないが、9割は違った。ここ数日女の子の家に行っていないことによる、深刻な女の子不足だったのだ。

「しょうもないことで突然大きい声を出すな!!」

「だってぇ〜だってぇぇぇ!!!!」

星川はわんわん喚いている。

一ノ瀬はこのとき、星川を軽く軽蔑した。モテるのも女の子が好きなのもよくわかるが、だからといってこんな精神状態になるなんて異常としかいいようがない。

もうダメだ、こいつは思いっきり脳みそがち◯こに支配されている。

「てかそれなら女の子の元にいけよ!俺こんなのがいる部屋で過ごしたくねえよ!!」

一ノ瀬がそう言った途端、めちゃくちゃに暴れていた星川がスンと静かになった。

「ど、どうしたんだよ」

「一ノ瀬、オレだって課題をやらなきゃいけないんだ。」

星川がさっきまでとは違う、冷静な口調で淡々と話し始めた。言っている内容は至って当たり前のことだが。

「そりゃそうだけど…」

「もう後がないんだ。」

「後?」

「オレは、この3週間の間で出た必修科目の課題を何一つ提出していないんだ。あとお泊りして遅刻したり欠席したりした。」

「おい…」

「そしたら、この前の授業の後に教授に引き止められて、『このレポート課題さえ出してくれたら、この3週間のこと見逃すよ』って言われたんだ。」

「つまりそれって…」

「そう、この課題を落としたら、オレは必修を落とすことになるんだ!そして晴れて留年確定!!」

星川は死んだ表情で、天に向かってガッツポーズをしている。

そしてしばらくすると、「ううう」という泣き声とともに椅子の上で縮こまってしまった。

(こいつ大丈夫なのか?この時点で半分留年確定って)

さすがの星川でも留年は避けたいらしい。どうしてもこの課題を落とすわけにはいかないから、精神崩壊するほど大好きな女の子を我慢しているということみたいだ。

「…じゃあ早く課題終わらせて女の子のとこ行けば良いじゃねぇか」

「それが出来たらそうしてるよ」

星川は力の抜けた声で返答した。

「それができたら、て。お前は女の子不足だと力がでないのか?」

「んーまあ……そうかも、そういうことになるかも……。」

一ノ瀬が冗談めかして言ったことに、星川がやけに真面目に返してきた。

「いやさすがに大げさすぎるだろ、そんなん言ってないで早くやれよ。」

「うー…あうあうあうー」

星川が課題をやり始める気配は一切ない。一ノ瀬はかまってられないと言わんばかりに適当にあしらって、自分のベッドに寝転がった。

スマホを見ると広田からメッセージとリンクが送られて来ていた。

『このA山自然公園とかどう?近くに天体に関する資料館もあって、地元で有名なスポットみたいだよ』

(N県か。距離も遠すぎないし標高が高いから綺麗だろうし、いいな。)

一ノ瀬はリンク先のホームページを読み、より一層遠征が楽しみになった。

その日は、向かいの机でぐでんとしている星川を放置して、メッセージで細かく計画を立て、遅くなりすぎないうちに寝た。

そのまた次の日。その日も星川はいた。

星川は机に向かってはいるものの机に突っ伏しており、あまり課題が進んでいる気配はなかった。

まあ昨日のあの感じじゃ課題は終わらなかっただろうし今日もいるか。というかこいつはサークルもバイトもなにもしてないのか?女の子以外の用事はないのか?

一ノ瀬は机で課題をしながら考えていた。こんなことを考えてしまうなんて、どうやら自分も課題に集中出来ていないみたいだ。気分転換にコーヒーでもいれよう。

「星川、コーヒー飲む?今ならついでにいれるよ」

「…んー、ほしいです」

「おけー」

星川は突っ伏してはいるものの、とりあえずこちらの声は聞こえているようだ。

コーヒーをいれるといってもただのインスタントコーヒーなので、コップに粉末を入れお湯を注げば完成である。

「はいどうぞ。お前のコップ見当たらなかったからグラスだから。やけどするなよ」

星川の机にグラスを置く。星川のコップが無いとおもえば、机の上に麦茶が7割ほど入っているコップがあった。

「お前麦茶とコーヒー並行して飲むのか?」

一ノ瀬は半笑いで言う。だが星川からの返事はない。いつも通り適当にスルーしてるだけかもしれないが、もしかしたらとても課題に集中しているのかもしれない。だとしたら少し悪いことをしたか…そう一ノ瀬が思いながら星川の机から離れようとしたときだった。

星川が、突っ伏した体勢のままバンッと顔の脇に両手を勢いよく置いた。さらにその手を伸ばして机の上を全て振り払うような動きを見せた。

(!?こいつなにしてんだ!?たった今机の上にグラスあるって言っただろ!?)

一ノ瀬は星川の両腕を掴もうとした。しかし心無しか異様に力が強く、掴むのに手間取ってしまった。

「ちょっ、星川!!」

一ノ瀬が大きな声で名前を呼んだ。一瞬腕の動きが鈍りその隙を突いて腕を掴むことに成功した、と同時に一ノ瀬は少しの違和感を覚えた。でもそんなことよりまず星川を止めるのが先だ。もう一度名前を呼ぶと、ようやく星川の動きが止まり、一ノ瀬の方に顔を向けた。

「…っえ?な、なに、一ノ瀬」

「え、え?なにってお前、こっちのセリフなんだけど…。いきなり暴れ出すな」

一ノ瀬は少し動揺してしまった。なぜなら、星川が非常に狼狽えた様子に見えたからだ。自分から暴れておいて一体どういうことだ。

「…コーヒーここに置いたって言ったじゃん、お前の腕にぶつかって大惨事になるところだったけど」

「え、コーヒー?いれてくれたってこと…?」

「は?お前飲むって言ってたから」

「…?オレそんなこと言ってた?」

「はぁ???」

意味がわからない。星川は寝ぼけているのだろうか。しかし正直なところ、星川の狼狽えっぷりからして嘘をついているようにも見えなかった。

「あと、大変申し上げにくいんですけど…」

星川が気まずそうに話し出す。

「オレ、コーヒー苦手で、あんま飲めなくて…」

一ノ瀬にはもう何から何まで全て理解出来なかった。星川は一体どうしてしまったんだ?課題がわからな過ぎてパニックにでもなっているのだろうか。

全て意味がわからなかったので、とりあえず目の前の問題から処理することにした。

「…じゃあ、コーヒー牛乳にしたら飲めんの?」

「飲める!」

一旦これでコーヒーが無駄になることはなくなった。

一ノ瀬は星川のテーブルからコーヒーの入ったグラスを取って冷蔵庫に向かった。

グラスに氷と牛乳を入れながら星川に話しかける。

「てか星川、お前体調悪いとか?ではない?」

「え、別に…普通だけど」

一ノ瀬的には体調が悪くて暴れ出した方がまだ理解できたが、別にそういうわけでは無かったようだ。なんとなく返答の歯切れが悪い気もするが。

「じゃあなんで暴れたりなんか」

「いや、暴れたってか、なんていうか、寝ぼけてたっていうか」

「じゃあコーヒーも寝言だったかもってことか」

「あ、そうかもな!全然記憶ねえもん」

そうかもなって…と半ば呆れながら、一ノ瀬は星川の腕を掴んだときのことを思い返した。そして一つ気になっていたことを思い出した。

「そういや、さっきお前の腕なんか妙に熱かったぞ。熱がこもってるみたいな」

「え、え?そうか?」

そう言われた星川は、少し落ち着かない様子で自分の腕を撫で始めた。

「熱ある?やっぱ体調が悪いんじゃねえの?」

「いや、そんなはずは」

そう言う星川の顔は、どこかほんのりと赤い。というか、よくよくみたら少し汗もかいている。

「ちょっと、一瞬失礼」

一ノ瀬はそう言って、熱を測るために星川のうなじに手のひらをあてた。

「ひぁっ」

高い、まるで女の声のようなものが部屋に響いた。

なんだ?今の声は。今のは誰の声?この部屋にいるのは二人だからどちらかの声でしかないはず…?

一ノ瀬ははっとして、星川の首からすぐに手を離し星川の方を見た。

星川はうつむいている。また、後ろに立っている一ノ瀬からもよくわかるくらい顔と首が真っ赤になっていた。

「え、お前だいじょ」

「こ、お……さ…」

星川が一ノ瀬を遮るようにしてうつむきながらボソボソと喋り始めた。

「な、ごめん、なんて?」

「だ、だから、おま、お前、さっきまで氷とか、触ってたから」

「あ、あぁ…」

「その、冷たい手で、さ、触られて、…突然で、びっくりしたっていうか…」

星川の声が震えている。声というか体が全体的に震えているようだ。

「いや、そっか、確かに、ちょっと手濡れてたし。驚かせたな。ごめん」

「別に。……いや、オレもごめん。あ、なんか、オレやっぱ体調悪いんかも。」

「多分そうだろ、熱っぽいし、顔赤いし。あと寒気か?」

「そ、そうかも。そんな感じ。」

星川はたどたどしくもへらっと笑う。

「まあ季節の変わり目でもあるしな。この時期体調崩しやすい。」

「…あと、課題やってるせいで知恵熱かもしれねえ」

「それも言えてるな」

一ノ瀬は鼻で笑いながら星川の机に視線を移す。PCの隣には相変わらずレジュメが散乱している。

「は?」

一ノ瀬は目を疑った。このレジュメ、よく見たら空欄だらけだ。課題であるレポートを完成させるにはこの空欄部分の言葉が必要だ。というかなんならこのレジュメ自体が提出物にもなっている。

(そうだ、こいつ全然出席してないからそういうこと全然知らねえんだ…)

じゃあこの数日の星川は一体何に奮闘していたのだろうか。いや、机に向かっている時間が長いだけで何もしていなかったのだろうが…。

一ノ瀬はとりあえずそれらのことを星川に説明した。星川は相槌を打って聞いていたが、9割うわの空な様子だった。

(今のこいつに丁寧に説明したところで無駄か。)

星川への説明はひとまず切り上げて、この課題を終わらせる方法を考えることにした。

一ノ瀬にとっては他人事なのでそんなことをしてやる必要は無いのだが、体調が悪くなるほどテンパっているルームメイトを放っておくことは流石にできない。

「でも俺、もうこのレジュメ提出しちゃったんだよな。だからすぐに写させてやれねーんだよな」

「え、お前もう課題終わってたの」

「誰かと違って真面目にやってっからな。てかお前がヤバすぎるだけだから」

そんな軽口を叩きながらも、一ノ瀬は解決方法を考える。

「まあ、解決の“方法”だけなら既に明確なんだよな」

「誰かに写させてもらうしかねーよなあ」

「そう。でもその誰かが思い当たらねえんだよ。真面目な広田なんかとっくの昔に提出してるだろうし。」

二人(主に一ノ瀬)は再び考え始める。星川の友人…鈴木あたりならもしかしてまだ提出してないか?でも正直そいつらも空欄埋めてるかが怪しい。やっぱダメ元で広田に聞いてみるか。真面目なあいつのことなら答えを何かにまとめてるかもしれない。

と、少し考えてから重要なことを思い出した。そういえば星川は体調が悪いのだ。

「お前、今日はもう寝ろよ。明日も講義あるだろ。」

「ある〜」

星川はぐでんとしながら答える。やはり頬が赤いし、こんなにぐだっとしているのだから早く寝た方が良い。寝不足では治るものも治らない。

「レジュメのことは広田に聞いてみる。ワンチャンどうにかなるかも」

「え、まじー!?神すぎ」

広田にメッセージを打つ一ノ瀬の脇で、星川が子供のように手を叩いて喜んでいる。本当になんなんだ今日の星川は。

「だから、薬あんなら飲んで、もう歯磨いてとっとと寝ろよ」

「はーい、おかあさーん」

星川は聞いたことのないような甘えたような声を出す。なんだこれ。一ノ瀬は思わず顔をしかめた。普段なら誰がお母さんだ、くらいの反応をしていたかもしれないが、一ノ瀬にはもうそのような元気は無かった。

「広田にはメッセージ送ったけど、あいつは規則正しいやつだから、多分朝にならないと返信は来ない。朝お前と話すタイミングあったら教えるわ」

「あざっすーー」

「じゃ、おやすみ」

「ふぁー」

一ノ瀬は仕切りのカーテンを閉めて、すぐに目を閉じた。別に今日は疲れる日ではなかったのだが、帰宅してから先程までの色々で物凄く疲れた。体力というより気力を消耗した気がする。

頭の中で、天体観測遠征について考えることにした。早いことに、明日の夕方に出発である。楽しみなことを考えて、楽しい気分で眠りにつこう。

秋の山の澄んだ空で見る星は綺麗だ。もうわかる。今の時期なら金星がめっちゃ綺麗に見えるかもな。サークルの高性能な望遠鏡借りれたのでかい。

星が楽しみなのはもちろん、車で移動するのもドライブとして楽しめるし、どっかで美味いもん食えるかもしれない。そういうのもひっくるめて全部楽しみだ…。

一ノ瀬はいい感じに楽しい気分でうとうとし始めた。やがてそのまま眠りについた。

数時間後、あんな目に遭うことを知らずに。



それは、空が淡く白み始めたときの出来事だった。

一ノ瀬は、一人白くて柔らかい光に包まれた空間にいた。

姿勢としては立っているが、足元の方に感覚がなくて、どちらかと言うと浮かんでいる感覚に近い。

(なんかわかんないけどめっちゃ落ち着く)

その空間はなんだかとても暖かくて、ふわふわしていて、居心地がいい。

ずっと、ここにいたいな____

そう思っていたら、なんだか周りがみるみるうちに暗く、熱くなってきた。

でも、灼熱とかではない。空気がこもっている感じの熱さ。

なんだろう。なんかわからないけどこの熱さ、この雰囲気、覚えがある…

(あ、えっちしてる時の雰囲気だ。)

自分で思って自分でびっくりした。いや、突然なに考えてんだ俺。

…でも、この雰囲気に近いものと言ったら真面目にそれしか思い浮かばない。

本当になんなんだこれ。

そんなことを考えていたら、突然体が重くなった。

さっきまで浮かんでいた気がしたけど、どうやら地面に仰向けで寝ているようだ。

しかも、ただ寝ているだけではない。

誰かわからないけど、綺麗な人が自分の上に乗っている。

その人についての説明があまりにも抽象的なのは、そうとしか言い表せないから。

その人は淡い光に包まれていて、正直顔もはっきり見えない。でも直感的に、この人は美人な人、綺麗な人だとわかる。

そんな人が、自分の上にいて優しく抱きしめてくれる。

光に包まれているなんて、星みたいで綺麗じゃん。めっちゃ俺好み。

あれ、もしかして俺って、タイプの人間は星ってことか?

まあ確かに、綺麗な星と付き合ってみたいとは思う。

(いや、え?さっきから俺何言ってんだ?寝言みたいなこと言い続けて…)

あ、そうか、これは夢だ。夢だと考えたら説明がつく。

そしてこの状況から察するに、多分エロい夢だ。

この雰囲気からして絶対そう。俺は多分今からこの綺麗な人とえっちなことをする流れになる。夢の中だからいいよな、なんでも。あー、こんな夢見るの高校のとき以来だ。

その綺麗な人は、俺の腹の上あたりに乗っていたのを、徐々に体勢を崩して俺の体に密着してきた。

その人の腕が俺の首に回される。

首のあたりで温もりを感じる。あ、温かくて気持ちいい。

と思ったら、くすぐったいような感覚がはしる。首筋にキスされたような。

そんな感覚がしばらく続く。

あまりにもリアルでびっくりしたと同時に自分が少し情けなくなった。

俺こんなに溜まってんだな。まあ大学入ってから彼女いないしそうもなるか。

ところで、ずっとこの仰向けの体勢も苦しい。この人の重みみたいなのもリアルだ。

現実の俺が目覚めないレベルで、少し体を動かしたい。

そう思って少し体を動かそうとして―――全く動けない。

この綺麗な人、めちゃくちゃしっかり俺を抱きしめている。

ぴったりくっついた肌と肌の間に生まれる熱が、妙にしっとりとしている。

綺麗な人、想像以上に情熱的な人みたいだ。

動くことを諦めてからしばらく経った。

その間も、その人は俺の体にすり寄ったり、首元にキスしたりしていた。

この感覚、気持ちいいに間違いはないけれど、生殺し状態が続き過ぎて正直キツくなってきた。

いや、夢の中で生殺しってのも変な話だけれども。

そう思っていたら、綺麗な人は首元から離れて、俺の胸あたりでなにかもぞもぞし始めた。

なにをしているのだろう。その人の淡い光で、自分の胸から下があまりよく見えない。

ただ、抱きしめられている状態にも代わりはない。なんだ?

甘い吐息混じりの小さな声も聞こえ始めた。

物凄く煽情的だ。しかもやたらクリアに聞こえる。

その時だった。

なにか、自分の下腹部あたりに妙な感覚があった。

柔らかいような硬いような、なんとも言えない感覚。

いや、俺はこの感覚もよく知っている。

(っ…やばい…)

綺麗な人にゆるく刺激されている。

ゆるいとはいっても、この夢の世界特有の変な感覚のせい結構やばい。

しかもなんかよくわからないけどめっちゃ的確、その上体は動かせない。

(…ん?)

俺はとある違和感に気付いた。

一体何に刺激されているんだ?

手、は、俺の首元にあるし、足も違う、よな

…………え?

俺は目の前の、今にも蕩けそうな、綺麗な人を見た。

まってくれ。俺の目の前にいる人って、性別はどっちになるんだ?

というか、いや、俺はそもそもこの人を綺麗な人としか認識出来ていないんだ。

なんかわからないけど、俺は勝手に女の人だと思ってた。でもそんなのはわからない。

だからこの綺麗な人に、その、ある可能性は―――

考えていたら、突然刺激がはしった。

(やばい、そんなこと考えてる暇はない)

この夢から覚めないと。

名残惜しいが、流石にこんな失敗をするわけにはいかない。

本当に本当に、それだけは阻止しなければ。

俺は、自分のことを抱きしめている綺麗な人の肩を両手でつかんだ。

手荒にして申し訳無い気持ちがありつつも、自分の尊厳のために、勢いよく自分の体から引き離した。

夢の中だからか、全然力が入らない。こんな妙にリアルな部分いらねえよ。

俺は起き上がる様にして、ようやく綺麗な人を離すことに成功した。

そして俺は、目を覚ました。

目を覚ました一ノ瀬のからだは、汗でじっとりとしていた。まるで、本当に誰かに密着されていたみたいに。

一ノ瀬は荒い呼吸を整えようとしたが、全く上手くいかなかった。

頭の中でなにも処理が出来ない。

目の前の事がなにもわからない。

暗がりの中、一ノ瀬の目の前―――腹の上に、跨るようにして座るよく見た顔がいた。

しかし、一ノ瀬の記憶の中のとはあまりにも違う。

今にも大粒の雫が溢れ落ちてきそうな瞳。

とろんとして、潤んでいて、いつもの強気な雰囲気を全く感じさせない。

呼吸が上手くできないようで、口と肩で浅く息を吐いている。

さらさらの金髪は、荒い呼吸とともに小刻みに揺れている。

肌はじっとりと汗ばみ、薄いピンクに染まって、熱を持っていいる。

また、暗がりであるというのに、なぜかはっきりと見える。

「……っ」

一ノ瀬から、声にならない声が漏れた。

星川がいた。目の前に。

意味がわからない。なぜ?星川は何をしている?

こもった空気と熱で頭がクラっとした。

肌に、星川の肌から伝って汗の雫が落ちる。

その感覚で、一ノ瀬は意識を現実に戻す。

何もわからないが、わかることはある。

一ノ瀬の夢は、夢ではなかった。最初から最後まで、夢じゃない。

一人の人間によって引き起こされた出来事。

温もり、吐息、肌の感触___全て、星川のものである。

「は…」

何度も言うが、意味がわからない。自分はルームメイトに寝込みを襲われたということか?

正気か?なんならこれもまだ夢じゃないのか?

一ノ瀬は思わず星川の肩を力強く揺さぶった。

なんで何も喋らないんだ?もしや寝ぼけているのか?この状況で?

大きな声を出したいところだが、動揺のせいか上手く声が出ない。

少しして、一ノ瀬はやっと声が出るようになった。

「ほ、っ……星川!!!」

その声で、星川の瞳がようやく少し動いた。

「おま、お前、正気かよ!!」

星川の瞳の焦点があうのに数秒かかった。

それと同時に、なぜかあたりも暗くなっていく。

一ノ瀬は今起きている出来事の一切が理解できなかった。

しかしそれらに長く気を向けられる状態ではなかった。

「ぃ……い、いち……ごめ…なさ…」

星川がやっと喋りだしたと思えば、みるみるうちに苦しそうな表情に変わっていく。

謝っているのだろうが、今にも消え入りそうな声でよく聞こえない。

一ノ瀬は、そんな見たこともないルームメイトの姿に動揺を隠せなかった。

この苦しそうな表情はどういう意味があるのか?

そもそもキャパオーバー状態で、情報が上手く入ってこない。

「お前が、なんで俺のところにいたのか、聞きたいんだけど」

頭をフル稼働させ、やっとの思いで言葉を紡ぐ。

しばらくの沈黙があった。

「オレがいうこと…信じらんねぇと思うけど……真面目に、聞いてほしい…」

星川が覚悟を決めたように話始める。

「……なんかわかんないけど、取り憑かれてるみたいなんだ」




____いや、は?

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