聖女 システィーナ
聖女とは、この世界では別の世界からの医療に携わった経験を持つ転生者である。彼女達が持つ医学知識によって、それぞれの治癒魔法は特別な物となっているのだ。要するに医学知識を持った転生者が治癒能力を持っている場合に、聖女と崇められるのだ。
例えば、ウイルスや細菌といったものによる病気は、それらを意識して排除することで病気の治癒に結びつく。損傷した器官は、DNAへの干渉、細胞分裂の促進や細胞の活性への働きかけなどで治癒させているのだ。個人の所有する知識の違いが能力の発露の違いに結びついていた。
ただ、聖女にとってはその感覚は当たり前すぎて、他の治癒師達が何故出来ないのかが理解できない。なぜならばこの世界でもそれなりに医学が発展しており、治癒師達もそれを基にして治癒を行っていると考えられるからだ。
だから、知識の伝達という発想もないままであった。自分たちの与えられた治癒魔法が特別だと言われるため、そういうものなのかと思うだけだった。前世の経験が今世の感覚的なものと結びついているということもあるかもしれない。理路整然と説明できる形で治癒できているのとは少し異なり、前世の経験や知識が感覚的なものとして熟せてしまうためである。
聖女が複数人存在し、お互いが自分の能力について話をし、能力を検討するという機会があればそういう発想に至った者がいたかもしれない。だが、聖女は滅多に現れるものでもなく、己以外の聖女に会う機会など稀である。神聖視されてしまうため、そういうものなのだと本人も周囲も認識してしまうことによって、聖女の力の本質的な部分について議論されることは無かった。
(おかしい。なぜアレックスは勇者ではないのでしょう)
システィーナは眉をひそめる。自分が知っている物語では、魔王討伐は勇者が成し得るものだった。英雄と称えられた男は、神託により勇者となるはずだ。
ところが、いつまでたっても神託はおりない。何かピースが足りないのだろうか。
ユーリアに逃げられたのも地味に痛い。スコルピオンに媚薬まで渡したのに、まんまと逃げられるとは。
因みにそのせいで彼がどういう状況に追い込まれているかについて、彼女は知らない。何故ならスコルピオンが話さなかったからだ。話せば、展開は少しは違っていたかもしれない。
「彼女は有能な駒であったのに」
本来、ユーリアにはスコルピオンの妻となってもらい、宮廷魔導師として有意義に働いてもらうはずだったのに、あてが外れた。あの火力は捨てがたいものであったのに。
聖女もこの先の展開を知っている。邪神の復活とその討伐をなしえなければならない事を。だからこそ、アレックスには勇者になってもらわねばならない。
アレックスが勇者になっていないだけでなく、ユーリアが不在なままで邪神の討伐に向かうのは、あまりにも心許ない。だから、次の手を打ちあぐねている。
この国の優位性をより強く示すためにも、自分達を中心として邪神討伐も成し遂げておきたいのだ。
この物語のヒロインは自分のハズである。その能力を鑑みて選んだペアがアレックスとユーリアであったのだが、人選を間違えたのだろうか。だが、選ばれた人達の中には、あれ以上の能力を持つペアはいなかった。
聖女システィーナ。彼女は転生者であるといっても、医学に関する記憶以外に関しては不完全だった。彼女の存在意義からすれば、それでも十分なのである。
自分が何者なのか、それからこの先に起こり得る展開をぼんやりと覚えている程度だ。だから、それに対して対処すべきなのだ。
ここに至るまでそうやって先を読み手を打ってきた。この世界によく似た物語の記憶を踏まえて、様々な行動を起こし、策を練り、それが成功して業績を積み重ねている。だからこそ、こうして自分は女王としてこの国のトップになった。
自分のしている事は、間違ってはいないはずだと考えていたのに、ここに来て色々と歯車が狂ってきている気がしている。歯車が狂ってきたのは、ユーリアが逃げたからだろうか。それならば、彼女を捕まえなくてはならない。この世界の安寧と、自分自身のために。