2 夢を見た
今日も一日、仕事が終わった。鍼灸師として働いてもう十年は経つだろうか。カイロプラクティックなども学び、自分でも随分と腕は上がったと思う。
さて、楽しみにしているアニメの録画を見よう。
『**********』は、この頃楽しみにしている作品だ。でも、今日で最終回か。
ああ、ここで終わらすんだ。無事に王都に戻ってきて婚約して、アレックスとシスティーナの結婚式はテロップで流してお終いか。この形ならば、大団円って感じだものね。
この続き、作られるのかなぁ、どうなんだろう。
これ、ネット小説がアニメ化されたものだけど、気になって先に読んじゃったんだ。同じパーティでアレックスの幼馴染のユーリアはアレックスに失恋して、同じパーティのスコルピオンと自棄になって結婚しちゃうのよね。
でもスコルピオンも本当は聖女様が好きで、さあ。お互いに代替え同士みたいで、ちょっと、ねえ。ユーリアは、負けヒロインとか言われているし。
それにスコルピオンもひどいのよね。弱ったところを利用しておいて。
「お前がかわいそうだから、なぐさめてやったんだ」
結婚した後にヒモ男なのを詰られたからってあの言い方は。自分だって聖女様に振られているくせに、上から目線でサイテーって思った。
自暴自棄に成ってスコルピオンと結婚しちゃったのは失敗だったけど、この後はアレックスと聖女が巻き込まれる新たな陰謀に対して、宮廷魔導士として活躍するのよね。そうした中で、スコルピオンとのすれ違いを解消していく? そんな感じになっているけど。
健気って言えば健気だけど。なんかユーリア可哀想。都合の良いキャラクター、みたいな感じで。
信じられない。なによ、あの浮気男。
お母さんが病気で入院してお金がいるとか、弟が交通事故を起こしたとか、みんな嘘っぱちだったのね。
私のお金で、別の女に貢いでいたなんて、ほんとサイテーよ。
借用書はちゃんと書いてもらっていたけど、何がそんなものは無効だ、よ。絶対一円たりとも取りこぼすものですか。訴えてやる。当たり前でしょう。
仕事の帰り、プラットホームで電車を待つ。電車の灯が近づいてくる。その時、後ろから誰かに押された。えっ……
早朝、まだ日が上がりきらぬうちに目が覚めた。
夢、断片的な記憶が徐々につながっていく。起き上がって、体を確認する。私は生きている。体のどこも痛くはない。何が起きたのだろう。確かに、プラットホームから転がり落ちたはずだ。
恐怖に身がすくむ。私は殺されかけたのか、それとも事故だったのか。
ふと周りの雰囲気が違うことに気が付く。自分の部屋じゃない、いや自分の部屋だ。この記憶の混濁はなんだ。混乱していると、エルザがドアを開ける。
『おはようございます。どうかなさいましたか。まだ朝ごはんの用意ができておりませんので、少々お待ち下さい』
彼女の言葉にぎこちなく答える。
「おはよう、エルザ。支度をしたら下に降りるわ。いつもよりも早いもの。朝ご飯は、いつもと同じ時間でいいわ。ちょっと散歩に行くから」
エルザが出て行って、一つ深呼吸をする。私は、ユーリア・ファガスタ。あの夢は前世の記憶というものなのか。落ち着くと、市原静江としての感情や思いは今の自分の中で独立していない事に気が付く。
かつてこうだった、こういうことがあった。そんな知識が自分の中にあるだけだ。多分。
彼女の記憶の中では、私たちの魔王討伐は物語として知られていること。どういうことだろう。そういえば異世界転生モノというのがあったけれど。
でも、気になるのはその記憶の中にある私へのセリフ。「負けヒロイン」
ふざけているわよね。失恋の一つや二つで、まるで人生の敗残者のような言い方じゃないの。私の人生は私のものであって、失恋一つで終わるわけじゃないわ。
そう思って、思わず苦笑してしまう。でも、そうね、夕べは確かに気分は敗残者だったわね。あのままだったら、確かに「負けヒロイン」ってやつだったと思う。
だけど、夕べあの時に断片とはいえ記憶が戻ってよかった。そうでなければと考えただけで、身震いがする。とにかく、最悪のシチュエーションは免れたと思っていいのかしら。
気分なおしに、エルザにも言ったけれど散歩にでも行こう。
まだ昨日のお祭り騒ぎが残っている気がする。考えをまとめるためにも、そんな風景を眺めながら歩いていく。
「お前、ゆうべ俺に何をした」
こんな朝早くだと言うのに、血相を変えたスコルピオンがやってきた。もしかして、昨夜役立たずだったから早朝から私の家へ乗り込んでくる気だったのかしら。夜に怒鳴り込んでもエルザがいるから、入り込めないものね。
「何をって、何かしたかしら」
小首を傾げて、思いっきりしらばっくれる。
「あの電撃、あれでおれはおかしくなったに違いないんだ」
すっごい剣幕。根拠は何かしらねえ。野生の勘? さすがって褒めて方が良い?
「何かしようとしたのは、あなたでしょう。昨日のカクテル、あれ、鑑定したのよ」
ふんと鼻で笑って言ってやる。だが、スコルピオンの勢いは変わらない。
「昨日のカクテルが、どうしたって。落ち込んでいるお前を慰めてやろうとおもっただけだろう。あれは、気が落ち着くからって、聖女様から頂いた薬が入っていただけだ」
その一言で、すとんと納得するものがある。静江の知っている小説もアニメにも聖女様は清廉潔白だ。すっごくお優しく気高い美少女なのよね。でも、私は知っている。あの女の本質を。
「へえ、システィーナ様が、ねえ」
私の冷たい声に少し頭が覚めたのか、スコルピオンが言いよどむ。
「俺は、その、」
「あれ、媚薬だったんだけど」
悪い笑みを浮かべて教えてあげる。この男、察しが悪いわけではない。だから、薬のこともわかっていたかもしれない。それでも、聖女様には逆らえなかったのは、惚れた弱みよね。昨日の私は知らなかった。でも、今の私は知っているのよ。あなたが本当は聖女様に一途だっていうことを。だから、他の女で自分の気持ちを誤魔化していたってことを。
彼女は、自分たちだけが幸せになることを憂いて、私とスコルピオンにもおすそ分けするつもりだったのかしら、ねえ。余計なお世話っていうのよ、そういうのは。
この先、私がアレックスを諦めきれずにいて、彼にまとわりつかれるのが嫌だったのかしら。アレックスは私を女とは見ていないけれど、幼馴染には違いないのだから。
だから、適当な男とくっつけてしまいたかったということよね、これは。それでこの男を選択するあたり、悪意しか感じないけど。
スコルピオンは私の顔を見て、なんでそんなにおびえるのかしら。私の顔は笑っていると思うのだけれども。
「俺は、その」
あれだけの勢いはどこにいったのだろう。スコルピオンが少し後ずさっているわね。失礼な奴だわ、本当に。
「いや、俺のことよりも、お前が俺に何をしたのかを聞きに来たんだ」
まあ、持ち直した、というよりも居直ったのかしらね。女好きのこいつには、一大事ですもの。
「自分のことを棚に上げて、人のことをとやかく言うなんて。でも、心優しい私は教えてあげましょう。別に何もしてないわ。極々弱めの電撃を発しただけよ。どこも黒焦げにはなっていないでしょう。
何があったのかは知らないけれど、体調がおかしいのならば、聖女様のところへ行くべきだと思うの」
おすまし顔でそう言ってのける。だって、こいつが何を言おうと根拠なんてないもの。軽い電撃を自衛のためにかけただけ。そんなこと、今までだってあったじゃない。その時には、なんともなかったでしょう。
他にかけられた人だってなんともなかったはずよ、今までは。あなたの言うことに、なんの根拠もないのよと説明をしてあげる。
ぐっと詰まってそれ以上は何も言えなくなるスコルピオン。結局、私に文句を言うのを諦めたのか、去っていった。まあ、半年、一年ぐらい女断ちをしたって問題ないでしょう。