霧の森_1
冒険者の必須道具の一つに『導き針』というものがある。
薄い円柱の箱の中に針が入った道具だ。
針には指定した物に向かうという性質があり、王都や櫓を登録することで、森に入っても迷わず帰ってこれるというものだ。
ちなみに迷宮内では使えない。
また、応用として討伐など、だいたいこの辺りにいるとわかっている方向へ向かうときなどにも使われる。
王都兵団には各櫓の位置を登録して、それらを結ぶ交点を計算することでより正確な座標を登録できる導き針もあるらしいが、量産が確立されていないらしく、民間に普及されるのは当分先のことらしい。
俺が現在使ってる導き針も、もちろん従来の物だ。
なので、今向かっている詳しい目標の場所はわからない。
すでに移動だけで半日近く経っており、今日は今居る場所で野営するべきか考慮しなければいけない。
そんなころ、木漏れ日のさきに白みがかった靄が見え始める。
「ようやく、着きましたね」
森の中を移動するための騎乗用犬の上で、ロゼが疲労交じりに語った。
騎乗用犬はその名の通り騎乗用に調教された大型犬だ。
足先から背中までの高さだけで俺の背丈を超えており、馬より早く、悪路も難なく走る。
ただし、乗り心地は悪く、荷車を運べるほど力持ちだが、繊細な物を運ぶのには向かない。
ギルドが所有している牧場で貸し出されており、貸し出し期間を超えるか一定時間放置すると勝手に帰るよう調教されている。
冒険者の中には個人で騎乗用犬を飼っており、更には騎乗しながら戦う者もいるとか。
そんな騎乗用犬を、今回は移動用と荷物持ち用に四匹借りてきている。
貸し出しの費用は指名依頼の関係でギルド持ちだが、再起不能な怪我をさせてしまうと弁償しなくてはいけない。
「じゃあまず、休憩ついでに荷物の点検からな」
「はい、了解、しました」
普段元気なロゼも、流石に疲れたらしい。
もしくは乗り始めに、かなりはしゃいでいたのでペース配分を間違えたか。
騎乗用犬に向かって専用の笛を一度短く吹く。
それを聞いて一度だけ吠えると、騎乗用犬達はその場で待機に切り替えた。
見たことはないが、このまま夜まで放置するか、朝日が昇るまで放置するかすると勝手に帰るらしい。
勝手に帰らないようにするためには待機させた場所に時折戻るか、つねに騎乗用犬を連れ歩く必要がある。
迷宮の調査依頼は場所にもよるが、短くて二日、長くて三日掛かる。
主に時間がかかるのは移動だ。
霧が発生しても迷宮とは限らず、迷宮ではないと判れば一晩だけ野営して、次の日の朝に帰還する。
迷宮と判れば、一日を使って霧の外周を移動して規模を確認したり、迷宮に軽く入って魔物の種類を調べたりする。
なので食料も一応四日分用意してはいる。
……してはいるのだが、実のところ普段調査依頼は一人でこなしているので、右も左もわからない新人を連れての泊りがけのクエストは不安だったりする。
一人で受けて失敗したところで自分しか困らないことのなんという気軽さか。
「こっちの荷物は問題なさそうです」
「こっちも外見は問題ないな」
「野営の準備を始めますか?」
「そうだな。
あぁ、いや、念のために少し離れたところに作ろう。あんまり近いと迷宮が成長したときに巻き込まれる可能性があるから」
「わかりました」
「わるいけど、さきに野営の準備を進めててもらっていい? 軽く迷宮の調査するから」
そう言って俺はロゼに騎乗用犬に指示を出すための笛を渡す。
そして近くの木の上に目印の短剣を投げ刺した。
「今のは?」
「目印の短剣。魔力を込めると、ナイフの位置が感覚で判る魔術具。
狩猟対象に逃げられないようにあらかじめ投げて刺したり、今みたいに木とかに刺しといて迷宮に入った後、元の場所に戻れるようにする」
俺は霧の境界を出入りして、目印の短剣が機能しているか、霧が迷宮の霧なのかどうかを確認しながら追加で説明をした。
「迷宮内だとたまに感覚を狂わせる領域が生成されることがあってね。
まっすぐ進んでるつもりなのに、いつの間にか元の場所に戻ってたりする。
その場合だと目印の短剣も方向が判りづらくなるんだ」
「感覚が狂う場合の迷宮内の探索は?」
「目印の短剣を複数使う。
迷宮の内で感覚が狂てても目印の短剣から大きく距離を取らなければある程度方向はわかる。
だから判らなくない程度の距離を歩いたら、その都度その場所にナイフを設置していく。
普通の迷宮に比べて調べられる範囲は狭くなるけど、迷宮内の生物を調査するだけならそれでも十分だ」
そう言って俺は腰辺りに付けている五本の目印の短剣を見せる。
ちなみに普通の迷宮でも霧の中は遠くの目印の短剣が判りずらくなるので、やはり目印にその都度設置する必要がある。
「まぁ今回はそういう迷宮じゃなさそうだからそこまでする必要はなさそうだけどね」
「え、どうして判るの?」
「さっき軽く霧に入ったろ? あの時点で目印の短剣との間の感覚に異常がなかったからたぶん今回の霧はそういうのじゃないと思う」
「……もしかしてこれって普通の霧だったりします?」
「いや、迷宮の霧だな。霧の境界で目印の短剣との間に阻害されてる感覚があったから」
そんな迷宮の解説交じりに、俺も野営の準備を始める。
合成樹脂、と言っただろうか。
錬金術の進歩によって作られた、軽く割れないガラスのような容器の蓋を開ける。
中に入っているのは、何日か前に作った保存食だ。
合成樹脂の容器は、俺が冒険者になった頃には既にあったが、開発されたのは数年前の話らしい。
入れる物によっては容器が溶けてしまうらしいので、荷物の確認で外部に破損が見当たらなくても中身は確認する必要がある。
普段は陶器に保存食を入れているが、騎乗用犬で運ぶに当たって入れ替えてきたのだ。
「屋根ってこんな感じで大丈夫ですか?」
「ん? ……あぁ、この結び方だと後々外す時ときとか面倒だからこうした方が良い」
大人数で野営するときは天幕を張るのだが、少人数で野営するときは、死角や奇襲からの逃走などを踏まえて、布と棒で屋根だけを作る。
最悪、屋根もなくていいのだが、急な雨が降ってきたりなどすると面倒なのだ。
「よし、じゃあ薪を拾ってきますね!」
「魔術具のランタン持ってきてるから大丈夫」
そう言って、俺は取り出したランタンに燃料を入れて火をつける。
魔力と可燃性の燃料の二つを使うことで、一度の補充で夜通し火をつけてられる魔術具だ。
火力を上げれば、鍋を置いてお湯を沸かすこともできる。
ただし、使い過ぎるとランタン自身の熱で壊れてしまうことがあり、今のランタンは一度修理を終えた二台目だったりする。
「……ネロさんって色々持ってるんですね」
「便利な物ならあっても損はないからな、お金をかける価値がある」
「ちなみにこのランタンって幾らぐらいですか?」
「さて、買ったときはこの前買った魔術弾四個買えるぐらいだったけど、今同じの買うならもうちょっと安いかもな」
「ふぇぇ」
なにその声。
それにしても、段取りが少々悪い気がする。
事前に調査依頼のやり方などは伝えたが、説明不足だった感じがする。
持ち物の共有だってそうだ。
互いに何を持ってきたかを把握していないので無駄なことが多い気がする。
普段一人なのだからしょうがない部分は確かにある。
だがそれを踏まえても、先人としてできたことがもっとあるのではないだろうか。
考えたくないが、明日が不安になる。
調査は情報を持って帰ることが一番重要な仕事だ。
一見何の成果が無くても、それ自体が情報になる。
些細なことであっても、それが依頼の解決に導く手掛かりになる。
逆に言えば、調査時に於いて言えば、情報はほとんどない。
なので下手な油断は、それが生死を分かつ要因になる。
きっと、俺は期待されてる。
ロゼを連れて、教育しながら、依頼をこなせることを。
俺は応えられるだろうか。
できれば応えたい。
支部長にも、レティーナにも、ガルドにも。
今生きているのは、俺一人の力じゃない。
何度も死にかけて、結局今生きられてるのは誰かのおかげだった。
俺はそうなれるだろうか。