いつもの酒場
フォレストウルフの皮を剥ぎ取り、残った肉塊を集め、焼却剤をかけて火をつける。
燃える炎は青く、焼ける肉は紫色に輝いている。
白く半透明な煙が立ち上り、時折骨が弾ける音が聞こえる。
香りははっきり言って悪臭で、基本この匂いは魔物も嫌うらしく、燃やしてる間は魔物に襲われることはない。
異質な気配を放つ炎は熱を感じず、周囲の落ち葉にすら燃え移らない。
ただそれでも火に触れるとやけどのような水ぶくれができるので、あまり近づかない方が良い。
「……綺麗ですね」
「……そうか?」
二人して布を顔に当てながら火を見つめる。
色だけ見れば綺麗なのだろうか。
悪臭が酷いので、今までそういう視点で見たことはなかった。
ゆらゆらと透き通る火の向こうを見つめていると、頭の片隅で誰かの視線を思い出す。
見下すでもなく、諦めてるでもなく、嫌悪でもなく。
あの視線の意図は、一体何だったのだろうか。
そんな過去を思い出そうとすると、何故かいつも彼女を思い出す。
白銀というには鈍く、だけど美しいと感じてしまう髪色のあの人を。
記憶の誰かと違い、いつも楽しそうに笑っているあの人を。
——そういえば、そろそろ帰ってくる頃ではないだろうか。
街に戻るころには、もうすでに夕飯時だった。
これでも仕事が終わるのはかなり早い方で、上位のクエストであれば移動を含めると一月かけることもある。
ギルドに戻ると、いつもの受付嬢はおらず、すでに酒場で食事を取っていた。
どうやら早上がりしているらしく、そういう時は彼女の妹が帰っている時だ。
先に挨拶をするべきか考えていると、ロゼが俺の袖を軽く引く。
彼女は先に報告を済ませたいらしい。
俺たちは受付で取ってきた素材と、会員手帳という冒険者組合で配布されている手帳を出す。
会員手帳の中にはギルドに預けているということになっている素材や貯金が記載されている。
手帳自体は登録した魔力を持つ本人か、もしくはギルドに置いてある魔術具でしか開くことが出来ないようになっている。
また、一部の店舗ではこれだけ持っていけば貯金から支払えるという便利な道具だ。
今回の報酬は、さすがに全て譲渡とはいかない。
当然俺とロゼに分割された。
――さて、やることやったし、声をかけに行こう。
「あ、ネロ君。あなたに指名依頼が出てるんだけど」
などと考えていたのだが、俺だけそのまま受付嬢に呼び止められる。
嫌な顔は隠さない。
このタイミングの指名依頼は緊急性が高く、明日にでも取り掛からないといけないからだ。
仕方がないので、俺はロゼにさきに酒場に行って席を取っておいてもらうように指示して依頼書を受け取る。
その内容は、ここから第二陣、四柱区域方面の森で霧が発生したので現場の確認をして欲しいというものだった。
「霧か……」
迷宮化現象、というものがある。
土地に寄生する『魔核』と呼ばれる魔物が発生すると起こる現象で、洞窟や森の地形を変異させる厄介なものだ。
本来あった道が歪み、人の入れない密度の場所に空間ができる。
領域内は櫓の魔術が効きづらく、開かれた領域には多くの魔物が住み着くようになる。
さらに魔核がいるかぎり領域が変化を続けるので、事前に作成した地図が意味をなさなくなり、下手に迷い込むと出られなくなることも。
中でも森にできる迷宮化は、街道すら変異させる事例がある。
なので迷宮は見つけ次第、魔核を討伐するのが冒険者の大事な仕事の一つだ。
重要なだけに、報酬も高い。
さて、依頼についてだが、内容としては迷宮があるかどうかの確認が主になる。
森の迷宮化の特徴として、迷宮の領域内はすべて霧に包まれているのだが、この霧が迷宮化現象のせいなのか自然現象のせいなのかが、外から見ただけではわからないのだ。
森の中なので、もちろん魔物や危険な生き物がいる。
ちょっと入っただけでも区別はつかない。
迷宮化したかどうかの調査はしっかりとしないといけない。
重要な仕事なのはわかる。
もちろんわかるのだが、俺でなくてもいいと思うし。
魔核の討伐ほどではないが、報酬も高い。
高いが、今はそれほどお金には困っていない。
明日は休みたかったなぁ。
「一応聞くけど指名元って国から?」
「いえ、支部長からですね……」
ダメだ断れねぇ。
国からの依頼なら体調を理由にできるけど、ギルドの支部長は個人のおおまかな体調を把握できる立場なので理由にはできない。
「それと支部長の言伝なのですが、ロゼさんを連れて行ってほしいのだそうです」
「は? なんで?」
頭の中で明日のスケジュールを簡単に組み立てていると、受付嬢から想定外の注文が入る。
「これは任意なので依頼書に記入できなかったらしいのだけど、支部長曰く現在調査依頼を任せられる人が少ないから、今後の為にも協力してほしいそうです」
俺はゆっくりと振り返り、酒場を眺めた。
席を取っといてもらうよう言っておいたロゼは、受付嬢たちと相席をしている。
朝見た冒険者はほとんどおらず、入れ替わりで帰ってきた冒険者たちが酒盛りをしている。
酒場の店員たちはいつも通り慌ただしく注文を受け取り、料理を運んでる。
見飽きるほどの、いつもの光景だ。
「……人手不足?」
「まぁ、学院を出てる人でも基本的に受ける依頼は討伐か素材採取なので」
そう受付嬢は苦笑いして答えた。
さきに店員に料理を注文して、ロゼたちの使っている机をノックする。
返事をしたのはロゼだった。
「おかえりなさい。どんな要件だったんですか?」
「あとで話すよ」
それだけ答えて、俺は相席している受付嬢の妹に顔を向ける。
白く長い髪の隙間から、眠そうな瞳で少女は俺を見つめた。
少女といったが、彼女はたしか今年で十七才だったはずなので、とうに成人(十六才以上)を超えている。
しかしその顔立ちは幼く、お酒のせいで赤く染まった頬のせいか何処か妖艶だった。
「お久しぶりです。レティーナさん」
「うん、久しぶりだね、ネロ。
元気にしてた?」
気怠さを感じる少年にも似た声で、白髪の少女『レティーナ』はそう答えた。
「はい、おかげさまで」
「そう、それはよかった」
俺は過去、約一年間ほど森で彷徨い、死にかけて倒れていたところを彼女に拾われた。
それ以外にも、レティーナは俺の新人の教育のときに担当していた教員だった。
そんな関係のせいか、彼女は俺を弟のように扱ってくる。
「新人教育をしたらしいね、ロゼちゃんから聞いたよ」
そう言って俺の頭を弾むように軽くなでる。
普段から子供扱いされるが、ここまではいつもはしないので。
「結構飲んでますね」
「姉さんが仕事終える前から飲んでるからね」
そういいながら机に寄り掛かる彼女は、今にも眠ってしまいそうな表情で微笑んだ。
いや、微笑んだというと、少し違うかもしれない。
何故なら、俺は彼女が笑ってる顔しか見たことがない。
過去何度も死にかけたけど、その度に頭を撫でて頑張ったと言ってもらった記憶しかない。
レティーナに対する印象はそういうものだった。
「おう、レティーナ。帰ってたのか」
「やぁガルド、久しぶりだね。
今は女子会中だから、たかりなら他をあたりな」
「「「女子、会?」」」
姉妹以外が当然の疑問を口にした。
「おや、ガルド君は私たち姉妹が女子という年齢じゃないと言いたいのかな?」
「いや、幼心の尊厳破壊じゃねぇかな」
そう言ってガルドは笑いながら立ち去った。
「一応お聞きしますけど、俺のことなんだと思ってます?」
「ん? う~ん……弟、かな?」
よかった、一応男性と認識されていたようだ。
届いた料理を齧りながら一息つくと、酒を飲みながら笑いあっている姉妹が目に入る。
もしかしたら、俺はからかわれていたのだろうか?
「あぁ、そうだ。指名依頼が来てて明日調査に出るんだけど、一緒に来る?」
話題転換のため、俺はロゼに問いかける。
何となく、女子会の話は広げない方が良い気がしたのだ。
「……え? 私ですか?」
「あ、もしかして二の四方面の件ですか?」
ロゼと受付嬢の同時の質問に、俺は肯定した。
「なんというか、誘ってもらえて嬉しいです」
そう言って微笑むロゼに俺は首を傾げた。
朝見たとき誘われていたところを見るに引く手数多だろう。
「ちゃんとエスコートしなよ」
「教養がないですね、ご教授させていただいても?」
「悪いね、明日は休みにするつもりなんだ。
それともうちょっと乙女心も学んだ方が良い。
じゃないと、モテモテなのに奥手なもんだから婚期をあきらめ気味な支部長みたいになるよ」
「怒られますよ」
記憶の中で、強面な支部長の顔を思い浮かべる。
顔見知りの受付嬢曰く、同い年らしいので二十歳かちょっと上のはずだ。
まだ男性の結婚適齢期の範疇なので、諦めるのはまだ早いだろうに。
「それでどうする? 今日は働いたから、明日は休む?」
「いえ、行きます。折角ですからね。
それに全然疲れてませんからね!」
「了解、じゃあ明日ギルド集合で」
「若いっていいねぇ」
「あら、嫌味?
と、そういうことなら明日さきに受領書作っておきますね」
カラカラ笑いあいながら、食事会は進む。
それは決して女子会なんて緩やかなものではなく。
レティーナの受けた仕事の話や。
受付嬢の主に支部長の愚痴。
ロゼの質問を時折交え。
完全に日の落ちた頃の酒場の一角は、どこにでもある冒険者の夜を過ごしていた。