いつかは笑い話に
冒険者組合の施設には酒場が併設されていることが多い。
もちろん例外もあるが、そもそもギルドの職員が滞在するための施設がなく、依頼人が直接書いた依頼書を張るための掲示板だけが村の酒場や宿屋にあるというものだったり。
酒場を切り盛りする人がいなくなってしまったというのが理由で、元々酒場自体はあったというものだ。
そういった理由からか、冒険者たちは冒険者組合のことをギルドと呼ぶのに、ギルドの施設のことは酒場と呼んでいる。
そして今、ロゼと共に初の依頼成功の祝盃をするのに選ばれた酒場も、そんなギルドの施設に併合された酒場だった。
「あの、ホントにいいんですか? 今回のクエストの報酬全部貰っちゃって……」
注文した料理を待っていると、申し訳なさそうにロゼが問いかけた。
基本的にクエストの成功報酬はその時に組んだ仲間と山分けになる。
これは暗黙の了解ではなく、ちゃんとギルドの中で決められた規則だ。
ただし事情によっては、例えば仲間の中の一人が依頼を受けるときにのみ顔を出して、クエスト中は姿も現さないなどの事態が発生した場合、当人の事情抜きにその人物に報酬が分配されないようにしたり。
支払い後の報酬には関与しないという名目で、自身の報酬を他の仲間に分配するなどの融通は聞く。
ただそれでも、今回の依頼で活躍した、しなかったでの報酬トラブルはギルドとしても面倒なので。
いざというときに、これは規則だからと強制的に均等分配できるようするための規則なのだ。
ギルド側には登録された冒険者を永久除名できる権限がある。
不当な除名は刑罰が下るほどのなので簡単にはできないらしいが、それでも除名できる権限自体はあるので、冒険者側もギルドの意見を無下にはできない。
スライムを倒したのは彼女だが、今回の報酬はスライムの肉だけで得たものではなかった。
道中で薬草を幾らか摘んできたので報酬も上乗せされており、全部合わせれば宿代と食費だけなら三日は持つぐらいにはなっている。
何に使えるかはわからないが、ギルドなら買い取ってもらえるものを教えながら摘んできたので、スライム探しに手を貸したことなど含めると、労力的には均等に分配しても文句のない仕事量のはずだ。
それらの報酬をすべて譲渡するということは、今回のクエストに於いて言えば、俺はタダ働きをしたということになる。
ただし、それは『スライムの肉片収集』というクエストだけを見た場合の話。
「問題ないよ。俺はお前の教育ってことで別枠でギルドからちゃんと報酬が出る。
今回の報酬は冒険者になったことに対する祝い金ってことで素直に受け取りなよ」
正確には『ギルドが報酬を払うので、教育のために受けた依頼の報酬は新人に譲渡してほしい(任意)』と、依頼書に書かれていたからなのだが、わざわざそこまで言うつもりはない。
早く料理が来ないかとに続く扉を眺めながら返す俺に、ロゼは少々不満げに口をとがらせる。
「なんかネロさんって、大人っぽいですね」
「ふっ、大人だからな」
「いやいや、同い年じゃないですか」
冗談はよせと言わんばかり笑うロゼに、俺はため息交じりに答える。
「精神的な話さ。大人と子供っていうのは比較して決まるものだよ。
誰かに比べて自分が大人だと思えば自分は大人だし、子供だと思えば子供になる。
今回はお前が俺より子供だから、俺は大人の対応をしてるだけさ」
「腹立たしいぐらい理屈っぽいですね」
自分が子供扱いされたことに一瞬腹をたてたロゼだったが、ふと思い立ったかのように疑問を述べる。
「ん? じゃあ例えば私が大人だったら、ネロさんは子供らしく振舞うんですか?」
そんな疑問をこぼした少女を笑いながら、俺は簡潔答えた。
「まさか、大人になろうとするだけだよ」
それが大人と子供の役割なのだから。
そんな会話をする二人の間に、大きな木製の取っ手付きの容器が勢いよく置かれる。
「悪いけどタルッザが焼けるのにまだかかりそうだから、さきに一杯やっててくれ」
書き入れ時で忙しい中でも笑顔を絶やさない店員に硬貨を投げ渡し、俺は届けられた果汁を湯冷ましで薄めたジュースを飲む。
そしてロゼは、温められた果実酒に息を吹きかけながら冷ましていた。
タルッザというのは、この国の伝統料理。
生地の上に好みの具材を乗せて生地が固くなるまで焼くか、さきに固くなるまで焼いた生地の上に具材を乗せて小分けにして食べるというものだ。
この料理のいいところは肉から果物まで好きなものを乗せてアレンジできることと、手で持って食べられることだ。
その手軽さから、他の料理が無いのではないかというぐらい酒場では全員タルッザを頼む。
もっとも、乗せる具材は人それぞれだったり地域によって出せる食材が違うので、内容まで見ると全員違うものを注文しているのだが。
そして今現在、俺とロゼの前にはタルッザが置かれていたが、例にもれず、それぞれに別々の具材が乗っている。
俺の方は細かく切られた肉と葉野菜が乗った味が濃い目のもので、ロゼの方は果物が大量に使われた甘い料理になっていた。
「……」
「どうかしたの?」
「いや、お前の夕食はそれでいいのかと思って」
そんな話をしている最中、ふと、俺は酒場の入り口に視線を移す。
たった今、入ってきた人物に嫌な気配を感じたからだ。
「ん~? おっ、ネロじゃねえか。
珍しいな金欠か?」
そう言って俺たちの使っている机を二回ノックしたのはガルドという顔見知りの冒険者だった。
筋力を上げる魔法のせいで筋肉が鍛えらづらいらしく、その影響からか細身の冒険者が多い中で、ガルドは筋骨隆々の大男だ。
大斧を担いでそうな見た目だが魔法銃の使い手で、また自身で設計や改造ができるぐらいに魔法銃に詳しく、俺の魔法銃の知識の大本はだいたい彼が原因。
原因なんて言葉を使うと悪いイメージを持たれてしまうかもしれないが間違ってはいない。
酔った勢いで勝手に自慢話ついでに、学んできた知識をひけらかすような男だからだ。
どうせ勝手に座るだろうと、俺は机を一回ノックしながら口を開く。
「まさか、お前じゃないんだから」
ガルドはこの町の冒険者の中でも上位に立つ腕の冒険者だ。
稼ぎもそれ相応のはずなのだが、魔法銃にロマンを求めているとかで金遣いがかなり粗い。
毎日のように金欠で、彼に貸した飯代が返ってきたことは一度もなかった。
「見ねぇ顔だな、新人か?」
店員にとりあえず酒だけ頼んだガルドは、相席しているロゼに語りかける。
それ自体に深い意味はなく、とりあえず初対面だから挨拶をしようとしただけだ。
しかし、なんでもなく話しかける彼の視線は厳つく、また低い声はまるで脅しをかけるような態度に見えてしまう。
実際のところただの愉快なおっさんなのだが、初対面の人間にはまずそれはわからないだろう。
慌てて椅子から立ち上がったロゼは、机にぶつけるのではないかという勢いで頭を下げた。
「初めまして、今日から冒険者になりました、ローゼ・シ・ウォンデです!
違う! ロゼです! ロゼ・シ・ウォンデです!」
そんなロゼの態度が余程面白かったのか、声を上げてガルドは愉快そうに笑う。
そして少しロゼを観察したガルドは、ニヤリと口角を上げる。
「ほーん、なるほど。
お前さんの仕込みかい?」
「誤解も甚だしいよ。何の意味があるんだ」
そりゃそうだと、ガルドは歓迎するように握手を求める。
「ガルドだ。よろしく嬢ちゃん」
そうしてロゼとガルドの二人は握手を交わす。
ただ実際のところ、その握手には別の意味が含まれていた。
「二つ忠告だ。まず名前を名乗るときは全部を名乗るもんじゃない。
普通は自分の名前だけだ」
「えっ? いやでも……」
ロゼは自分が今まで学んだことと違うことを言われたためか、それを否定しようと言葉を選ぶ。
「貴族や金持ちなら、あるいは目上の奴にするなら間違いじゃないが、一般庶民の間じゃまず全部名乗ることはねぇ。
それから握手の癖も直した方が良い、出自がわかるぞ」
続けざまの衝撃で、ロゼは握手をした自分の手を見つめて固まる。
ちなみに握手に出自ごとに癖があるなんてことは俺も初めて知った。
ただ相手の手を握る動作に、何か作法のような決まりごとがあるのだろうか?
「あれ、でも確かネロさん……?」
何か思い当たることがあるのか、ロゼが俺の顔を見つめて何かを考え始める。
俺とロゼの間で握手を交わしたことはない。
しかし、お互いに名乗ったことはある。
ロゼは自己紹介の時、俺が名前を全て語ったときのことを思い返していたのだ。
「ん? 目上の人間には全部名乗るもんだぞ」
この野郎、知ってやがったな!
そんな声が聞こえそうなほどの勢いで、ロゼは机に突っ伏す。
そして顔色を悪くしながら、恐る恐る顔を上げた。
「もしかして、ギルドもご存じで?」
「何て言ってギルドに登録したかは知らないけど、お前が町の外から家出してきたぐらいならギルドも把握してるよ」
その言葉を聞いたロゼは、泣きそうな顔で小さく唸る。
余程実家に戻るのが怖いのだろうか?
「まぁ、そこまで気にするほどじゃないよ。
貴族の子が家出して冒険者なんてそこまで珍しい話でもないし、たぶんお前の具体的な出自なんて誰も興味ないんじゃないか?」
「そりゃそうだ」
俺のタルッザをさりげなく取ろうとするガルドの手を拳で机に叩きつけ、ジュースを一口飲む。
その間もうなだれる少女を見つめ、俺は溜息をもらした。
――ガルドも余計なことをしてくれたものだ。
せっかくの祝盃なのだから、楽しく終わりでいいじゃないか。
正直、俺に生まれた場所なんてあるのだろうかというほど、実家というものについて何も知らない。
彼女の生まれ育った実家というものがどれほど厳しいかなんて想像もできない。
無いものに共感なんてできない。
それでも。
飯はうまい方が良い。
「冒険者になるものに過去を問わない。
今じゃ変えられてしまったギルドの規則だけど、便宜上変わっただけで本質は今も変わってないんだ。
俺の後ろを見てみろよ、制服から着替えて酒飲んで顔を真っ赤にしてるやつがお前のこと気にしてるように見えるか?」
ロゼは体を傾けて俺の後ろで聞き耳を立てていた顔見知りの受付嬢と目を合わせる。
料理が運ばれてくるときに彼女は席に着いたのだが、どうやらギルドの制服を着ていなかったので気づいてなかったらしい。
酔って顔を赤くした受付嬢は、ロゼのことを他言しない、興味はないよと知らせるように軽く手を振った。
「彼女が気にしてるのは婚期ぐらいなもんさ」
言い終わるや否や、後ろに座っていた受付嬢は空になった木製容器で俺の頭を殴りつける。
「今のはお前が悪い」
呆れるガルドの言い分はド正論だ。
お詫びに受付嬢の会計を受け持つと店員にサインを送ってから、俺はロゼに語り掛けた。
「それでも不安なら飲んで食べて忘れなよ。
冒険者なんて、明日も知れない生き方だ。
刹那の時を楽しめないなんて、もったいないじゃないか」
賑やかな酒場の中で、しばし、無言の時が流れる。
彼女の悩みの種を知らないし、知りたいとも思えない。
それでも一歩進むため、意を決して冷めかけた果実酒をあおる少女を羨ましく思う。
俺は酒が飲めないのだ。
「ネロさんって、ちょっとカッコイイですね」
「カッコつけてるからな」
後で聞いた話、温めた果実酒というのは酒のように酔ったりしないそうだ。