日常と始まり
第一陣、三柱区域のとある村。
頭を掻きながらいつもの道を歩く。
昔は恐怖でしかなかった人通りも、今では色褪せた街並みだ。
それでも。
日照りが鬱陶しいと思いながら。
今日という日を疎ましいと思うのは。
これから面倒な仕事があるからだ。
「あっ、お待ちしておりましたよネロさん!!」
見慣れたギルドの扉をくぐると、いつもの受付嬢が声をかけてくる。
その近くには、なんとも初々しい十歳ほどの少女が立っていた。
その仕事を受けることになったのは前日だった。
依頼名は『新人の教育』
冒険者は基本的に自由業だ。
秘境を探索し、財宝を求める探索者。
そんな夢を見てこの職を選ぶ人もいるが、生活するのには、やはりお金がいる。
なので旅の道中に、住民から仕事を受け、クエストをこなし、報酬を得る。
そうやって生計を立てながら、また次の旅を始める。
ただそれだけのことのように思えるが、実はそれほど簡単な話ではない。
立ち寄る村に仕事があるとは限らないし。
外から来る人に頼みごとをするほど、警戒心のない住人もそうはいない。
いざクエストを受けてみれば、実は依頼人が複数の人間に仕事を頼んでいて。
結果、冒険者同士で仕事を競合するなんてこともあったらしい。
そういったトラブルを避けるために王国が設備したのが、冒険者組合だ。
依頼主は国から保証されてるギルドに依頼を託し、冒険者はギルドで依頼を受け日銭を稼ぐ。
これによって住民と冒険者のトラブルは格段に減った。
ただ、それでもトラブルが全くなくなったわけではない。
今回の依頼である『新人の教育』は、それを少しでも回避するために行われる。
依頼をどのように探せばいいのか、受けるときはどうすればいいのか、報告はどうするのか。
そんな一通りの流れを、冒険者として登録されたばかりの新人に教える。
仕事の内容としてはそんなものだ。
これの何が面倒かと言えば、まずギルドからの依頼は、原則として断ってはいけないことだ。
形式上、新人の教育はギルドから冒険者に依頼されるものなので、当然この依頼も断れない。
普段は小さなクエストをこなし、一人で細々と生きているので、誰かと組むことはない。
酒場で顔なじみと世間話をすることはあっても、一緒に仕事をしたことがない。
そもそも誰かと仕事をすると、その分だけ報酬が分割されるので、一人の方が都合がいいのだ。
とりあえず、まぁそんな訳で。
誰かに物を教えられるような質でもないし。
そのあたりのことについても、ギルド側は承知だったはずだ。
現に今まで何人もこのギルドで冒険者を始める人々を見てきたが、この手の依頼が来たことは一度もなかった。
それが今になって何故と思っていたのだが、少女を見て、ただ面倒ごとを押し付けるのにちょうど良さそうなのが俺だったということが理解できた。
髪や肌が綺麗汚いだとか、ヨレヨレの小汚い服やサイズの合った服を着ているだとか。
そういう容姿からでもわかる情報というのは、馬鹿にはできない。
例えば今、目の前にいる少女。
杖のように抱いている魔法銃は少々古そうだが、それ以外の装備は真新しく、それを着て今まで旅をしたことがないことが分かるし。
誰かが使ってたであろう安い中古の装備でないから、それらを急遽そろえるだけの資金があることが分かる。
艶のある髪は、それを手入れする余裕があるか、幼いころから誰かに整えてもらえているのが想像できたし。
頬肉の付き方やシミのない綺麗な肌からは、良いものを食べて育ってきたのだと理解できる。
ただ立っているその姿勢だけでも、胸の張り方や足の置き方からして、それなりに教育に厳しい家庭で育ったのだとわかる。
つまり、今目の前にいる少女はそれなりに裕福な家のお嬢様だ。
実際のところ、実家が貴族だったり豪商だったりという話はそれほど珍しくもない。
ただ詳細として、冒険者になるような裕福層の事情は、教育の方針としてとか、名前だけ冒険者組合に登録するためか、家業を継げないので職として選ぶか。
そして身分を隠して冒険者になる奴はだいたい家出である。
ストレスで頭を抱えたが、それでも仕事として受けた以上、これでもプロだ。
大人としての対応を見せるため、とりあえず目の前の少女に自己紹介をすることにした。
「初めまして、ネロ・シ・クローネです。
今回、貴女の教育担当を受け持つことになりました。
短い間ですがどうぞよろしくお願いいたします」
下げていた頭を上げると、目の前の少女は唖然としていた。
しかし、すぐに気を持ち直した少女は、少々焦りながらも頭を下げる。
「あ、初めまして、ローゼリ、んん。
ロゼ・シ・ウォンデです。
よろしくお願いします!!」
そう名乗った少女の名前を聞いて、俺はまた頭を抱えそうになった。
名前の付け方には規則がある。
最初の名前はその人物の固有の名前。
そしてその後に続く文字は、最後の名前との関係性だ。
つまり名前を聞けば大体の身分が分かる。
それは領主や領主の伴侶、国王ですら、その名前を聞けば身分が推測できるということだ。
では、今回の場合。
少女の名前は『ロゼ』。
最後の『ウォンデ』はこの村の名前。
そして間にある『シ』は具体的な出自は不明という意味。
冒険者の中には、いや、冒険者でなくても過去を隠す者は多い。
それでもある程度の身分が必要なので、そういった人物には何かしらの形で最初に名前が登録されたとき、登録したときにいた場所の名前と、『シ』という文字が名前に含まれるのだ。
冒険者は過去を問わない。
一人の人物が複数の名前を登録できないようにはなっているらしいが、登録するときは偽名にもできる。
まぁ、要を言えば目の前の少女は十中八九家出だということだ。
「ええっと……、とりあえずクエストの受注から始めようか」
軽い溜息を吐きながら、俺はギルドに設置された依頼書が何枚も貼られた掲示板を指さす。
「そこの掲示板の右下にギルドが常時出してる依頼書が固まってる。
その中に『スライムの肉片収集』ってクエストがあるはずだから、それを一枚持ってきて。
……あ、字は読める?」
大丈夫です、わかりましたと返事をした少女は小走りで掲示板に向かい、依頼書の内容を見ながら指定されたものを探す。
その間に俺は、近くでまだ俺たちを見守っていた受付嬢に問いかけた。
「で、詳細は?」
「それがどうもこの街に該当者はいないようで……」
なるほど、新人は別の町から来たようだ。
それ以上の質問はとくにはない。
なので未だに四苦八苦しているロゼに歩みよろうとしたとき、音が聞こえそうなほど勢いよく少女は振り返る。
「すいません! これどうやって取ればいいですか!?」
「引っ張って取っていいぞ。多少破けてても問題ない。
あぁ、何枚も重なってると思うけど一枚でいいからな」
「了解です!」
そうして小走りで帰ってきた少女は、二枚取れちゃったんですけどどうしましょうと問いかけた。