クローズ・カヴァー
<1>
「結局、この付箋の意味はなんだったのかな」
鈴原はぶらぶらと一冊の本を弄んでいる。
『怪事件懐古録』と銘打たれた薄手の本は、我々『実ミステリ研究会』の創始者が自費出版したとされる同人誌である。
著者は何を考えていたのか、もはや情報も揃わないような古い事件を蒐集した。
取り扱われている事件は、どれも執筆当時ですら遠い彼方にあり、記述の曖昧さたるや推理の前提さえも満たしようがない。
この夏、僕と鈴原はその怪書の――いくつか差し込まれた付箋の事件を追っていた。
やや黒ずんで、年代を感じさせる付箋は、誰が付けたものかも定かではない。
「私はさ、この付箋を付けた主は事件の真相……とは言わないまでも、何かの推理なりを得て印をつけたと思ってたんだけど」
もしも付箋がそのような意味なら、自分でも何か発見できるものがあるかもしれない。
探偵たる彼女は、そう言ってこの旅を企画したのだ。
「どうしようもない事件ってところは……共通点だろうか」
「それは、たぶんこの本の事件ぜんぶそうじゃない?」
そのとおりだろう。
この本のすごいところは、事件現場から第一発見者、凶器など様々な事件要素を表にまとめながら、その大半に『不明』と書いてのけたところだ。
語句解析したら、最頻出文字は『不明』だろう。
「どの事件も、現場に行ってみたところで、この本の情報以上の何もないように思えたな」
「現場があるだけマシって印象だったよ。
……実際、現場がなくなってるのもあったし」
鈴原は嘆息して、続ける。
「この本の扱う事件のなかで、これらの事件だけが特別であること……。
そんなの、あるのかな」
『事件』たちに思いを馳せる。
「――どれも、それぞれの在り方で終わっていた気がする」
僕の思いつくままの言葉に、鈴原は眉を顰める。
「どういう意味?」
「なんというか、事件は解決してないけど終わりがある、というか。
終わっていることがわかる?」
「……よくわからない」
自分でも話をしていて、よくわからない。
「たとえば、殺人事件があって……犯人が逮捕されても、きっと事件って『終わり』じゃあない。
遺族もいるかもしれないし、事件に関わる人たち、社会。
いろいろなものが、事件を終わらせないだろう」
「事件が忘れられないといけない、ってこと?」
「いや、それも違う気がするんだ。
事件が忘却されたなら、それはもう消えてしまった事件で。
事件自体がなかったことになってしまう」
話ながら、少しずつ、考えをまとめていく。
「事件は忘れられず、しかし事件としての体裁はなくて――午後のお茶の時間に話せるような」
僕たちは、実際にそうしたのだ。
「終わった事件……」
あるいは『終わる』事件なのかもしれない。
古い事件が、落日を迎えるように。
鈴原のつぶやきが、サークル棟の日常的な喧騒に消されていく。
遠く、笑い声が。
遠く、怒鳴り声が。
遠く、ドアを閉める音が。
鈴原の落とした視線の先には、付箋の差し込まれた本がある。
本の端から飛び出して付箋が――
「あ」
そして、僕は一つの事実に気が付いた。
いや、『気が付いてしまった』というべきかもしれない。
「どうしたの?」
鈴原がまっすぐとこちらを見る。
「もう一つ、もっと重大な共通点がある」
この事実は鈴原を落胆させるだけだろう。
それでも、思い至ってしまったソレをもう飲み込むことはできなかった。
吐き出すように、その単語を放つ。
「案内人」
鈴原は一瞬だけわずかに眉根を寄せて、ゆっくりとまぶたを閉じた。
彼女も、その事実に到達したのだろう。
「案内人」
絞り出すような、彼女のつぶやき。
僕たちは気が付くべきだったのだ。
これらの事件で、かくも都合よく案内人が見つかった事実に。
あれだけ古い事件にあって、子孫や土地所有者らの協力を得て事件現場を見れるものが、一体どれだけあるだろうか?
この付箋は、さしずめ――
「旅行ガイドブックの、観光予定の付箋」