093
■■小鳥遊 美晴 ’s View■■
ごった返す人、人、人。
学校で避難訓練をするときはもっと整然としていてマシだ。
様々な国の、年配者から幼児まで入り乱れているから。
列もない、仕切りもない、取りまとめる人もいない。
群衆が狂気と化す要素は揃っている気がした。
「みーちゃん、逸れんなよ~」
「響ちゃんも! ほら、手を繋いでおこう!」
「ん~、そだね~」
色々な人が、色々な言葉で呼び合っていた。
どれもこれも、無事に会えてよかった、というような会話だ。
別々の場所で闘神祭を楽しんでいた人たちが、この場で合流を果たしたからだろう。
私たちはあのイベントをやったフィールドまで来ていた。
体育館からの避難先にこの広い場所を指定されたからだ。
ここには闘神祭で集まった学外の人々が集まっていた。
さっき、アレクサンドラさんが簡単に状況を説明をしていた。
曰く「学園の出入り口を魔物に占拠されているため、安全が確保されるまでこの場所で待機する」方針らしい。
無力な一般人である私と響ちゃんもその例に漏れない。
「ね、ここでずっと待ってる?」
「あ~? どっか行くの? 帰れないって言ってたじゃん」
「先輩、きっと闘ってるんだよね・・・」
「ん~、そだね。試合、強かったし」
「・・・大丈夫かな」
そう呟いた私に、響ちゃんは小声で囁いた。
「やっぱ好きなんじゃん」
「え?」
「なんでも無い。あたしは自分に正直にすればいーと思うぜ~」
響ちゃんは何かを誤魔化すように笑っていた。
ここに来る道中、私は響ちゃんに「先輩の活躍する姿を見て満足」と話した。
これで諦められる。
もうこれで終わり。明日からまたいつもの部室でふたりで勉強する。
そうして緑峰高校へ進学するんだ。
そんな話をした。
だから先輩のことは気にしないつもりでいた。
でも・・・この学園にいる間くらい、気にしても良いかな?
体育館じゃ先輩は最後まで闘えなかったし。
魔物との闘いに身を投じる。
それは先輩が危ないことをしていることになる。
いちどそう考えると気になって仕方がなかった。
「ん~? 誰か来るぜ~」
悶々としていると隣の響ちゃんが教えてくれた。
顔を上げると人混みが割れて向こうから誰か歩いて来る。
先頭を歩くその神々しい人はとても見覚えがあった。
「アレクサンドラさん!」
「小鳥遊 美晴と工藤 響。無事で良かった」
「あ~、お陰様で。あんがとさん」
私たちを見て彼女は安堵の表情を浮かべる。
ほかの避難者もたくさんいるのに、どうして私たち?
「唐突で申し訳ないが、君たちにしかできない頼みがある」
「え? その、わ、私たちにできることなら・・・」
学園の生徒でもない私と響ちゃんに、生徒会長様が直々に頼みだなんて。
いったい、どんな難題なの?
「君たちに学園広場まで行ってもらいたい」
学園広場・・・事務棟の前の、屋台のあったあそこだ。
そこへ行くだけで良いの・・・?
「ん~? それ、あたしら危なくね?」
「そのための護衛をつける。故あって君たちに行ってもらいたいのだ」
「え、えっと・・・その、私たちは行って何をすれば良いんでしょう?」
「行けばわかる。向こうで彼女から説明を受けてくれ」
「彼女?」
「昨日ぶりね、美晴さんに響さん」
「「大先輩のお姉さん!」」
白い法衣に身を包んだ、大先輩のお姉さん、飯塚 澪さんだ。
大先輩のお姉さんは無表情のまま、私たちに後をついて来るよう促した。
「飯塚 澪先輩。ふたりを宜しく頼む」
「ええ、任されたわアレクサンドラ。それで、護衛は誰?」
「護衛はアタシとリアムよ」
「ジャンヌさん! リアムさん!」
深紅の波打つ髪に、燃えるような紅い瞳が印象的なジャンヌさん。
栗毛色の髪に穏やかな表情を湛えるリアムさん。
ジャンヌさんは具現化した槍を片手に、いつの間にか私の隣に立っていた。
リアムさんもにこにことしながら銃を肩に担いでその隣にいた。
「あはは、昨日ぶりだね。よろしくね~」
リアムさんが子犬ような笑顔で挨拶をしてくれる。
危ないところへ出るという恐怖心も、その笑顔で吹き飛んでしまうほどに。
「ジャンヌ=ガルニエ、リアム=グリーン。目標地点到着後は、最適と思う行動を取れ」
「はぁ? 最適、ねぇ。あたしはいつも最適な行動をしてるのよ」
「うむ、その最適で良い」
「つまりいつも通りってことね」
ジャンヌさんはやれやれといった雰囲気で肩を竦めた。
その仕草も美人の彼女がすると様になるから不思議だ。
「あたし、生徒会じゃないのに。会長さん、貸しは高いわよ」
「承知している。だが必要なことだ」
「やれやれ、必要なこと、ね。何が待っているのかしら」
ジャンヌさんはわざとらしく空を仰いでから、きっと真剣な表情をした。
「とにかく行くわよ。有事の時間は千金なんだから」
「そうね。行きましょう」
「しゅっぱ~つ!」
リアムさんはまるで遠足に出かけるかのような掛け声。
私と響ちゃんはその空気に引っ張られるかのように歩き始めた。
・・・先輩。
無事でいてくださいね。
◇
■■橘 香 ’s View■■
私の眼前にある光景はなんだ。
未だ事象としての理解はしても事実としての把握ができない。
幻を見ているのではないかと何度も私自身の認知を疑う。
これは夢だ、悪い夢を見ているんだ、と。
「た、けし・・・?」
声が枯れてしまったかのように出てこない。
脚が震えて動悸が速くなる。
悪寒がして嫌な汗が滲んでくる。
それ以上、声を出して確かめることさえできなくて。
「おや、最初に来るのが黄色人種とは。お誂え向きであるな」
西洋人らしいさらりとした金髪が綺麗な彼は、黙っていれば貴公子で通りそうだ。
だが彼はねっとりとした笑みを浮かべている。
否応なく受け渡される嫌悪感がその美しさを台無しにしていた。
「武を返して!」
「安心したまえ、彼はまだ生きているよ。役目を終えるまで死にはしない」
「・・・!!」
つまりは殺すつもりだということ・・・!!
そんなの、許すわけない!
でも、今、あそこまで私が駆けても・・・!!
私は叫びたい、駆け出したい衝動を必死に理性で抑え込んだ。
機を見るの、と自分に言い聞かせて。
「見るが良い、ここから高天原の落日が始まるのだ!」
その場所が劇場の舞台だというように高らかに宣言する彼の声。
ゲルオクと呼ばれる男が掲げるステッキの上から、あの会場のときのように閃光が走った。
【Erdkeil!!】
その声が響き渡ると、学園広場の向こう側にある建物から空に向かって光が走った。
まるでこれから龍が空へ昇っていく道を描いているかのような明るさだった。
「何だ・・・魔力が放出されてる!?」
凛花さんがそれを見て叫ぶ。
武を見てばかりだった視線が光柱へと奪われていた。
魔力? あの光柱は、魔力の塊?
「はっはっは! この地は随分と魔力を蓄えているな!」
「あいつ、龍脈を割りやがったな!?」
「ほう、単なる野蛮人ではなかったか! そのとおり、これは龍脈の放出だよ!」
彼は空を仰ぎ両手を掲げた。
神聖さを破片も感じないそれは、邪悪な儀式で供物を捧げているかのようだった。
「六の使徒はこの脈を喰らい尽くすまで止まらぬのである!」
「!?」
「貴様は使徒を倒したつもりになって戻ったようだが、完全に消滅させぬ限り何度でも蘇る」
「何!?」
凛花さんが来た道を振り返った。
後ろに何が?
つられて私も振り返る。
ここからは最初に行った場所はよく見えない。
見えないけれども・・・そちらのほうで火柱が上っているのが見えた。
・・・闘っている?
蝮の女は息絶えていなかった・・・!?
「くそっ! あいつらがまずい!」
「ど、どうするの!?」
「勿論、こいつらを止めれば全部が終わる!」
どん、と地面を蹴る音。
ばきりとタイルが割れる。
彼女は一直線にゲルオクに向かって跳んだ。
私がやりたい、やらなきゃいけないことを代わりにやってくれていた!
だけれども。
ばちいいぃぃん!
「あぢ!?」
電気がショートするような音――大会で見た魔力同士の衝突が起きていた。
凛花さんはゲルオクにたどり着く前に弾き返されて尻もちをついていた。
「なんだぁ・・・?」
「きゃはは、地面がお似合いね~! この下郎も役に立つわ!」
「ぐぅぅぅ!!」
凛花さんが弾き飛ばされると同時に、武が苦しそうな声をあげていた。
「武!?」
「武に何をした!?」
「あら、今、身を以て体験したでしょ? この反魔結界の贄になってもらってるの」
「!?」
あの赤髪の女は何と言った?
武のことを・・・贄と言った?
武に突き刺さっているあの短剣が、その印!?
「香、あの短剣が魔力を弾く結界を作ってやがる! くそ、武の魔力で・・・!」
「え!?」
「あの結界に触れるたび、武の魔力が使われるんだ!」
「そうそう、ご名答~! 結界に触れれば貴女の大切な彼が苦しんじゃうわよぉ?」
「・・・!!!」
立ち上がった凛花さんが悔しそうに唇を噛んでいる。
つまり・・・彼らに近付くとあの結界に阻まれる。
結界の力は武から取るから、結界に弾かれるたび、武から力が奪われる!
「ね、凛花さん・・・魔力が無くなっちゃうと、どうなるの?」
「あらあら、そんなの決まってるじゃない。もちろん死んじゃうわ~」
「なんてこと!! ・・・あなたたち、人としての良心はないの!?」
「良心? はっはっは! これが吾輩の良心なのだよ! 白色人種のためのな!」
ゲルオクはまた高らかに声をあげた。
そんな古代の人種差別、欧州にはまだ健在だったの!?
動くに動けない凛花さん。
遠くに聞こえる、魔物と闘っている轟音。
手詰まりのまま、互いに睨み合って時間だけが過ぎていく。
「ほらほら、良いの~? お友達が使徒に殺されちゃうわよ?」
横目で見れば、彼女はふぅふぅと息を荒くして拳を握りしめていた。
女の煽る言葉が凛花さんに焦りを抱かせていた。
・・・無力すぎる!
こんなの、私はどうすればいいの・・・!!
「そこの平民、貴様は証人だ。なに、安心しろ。お前たちは直ぐには殺さん。高天原が滅ぶのをその場で見ておれ!」
ちょっと走れば飛び込んでいけるような位置にいる、苦しそうな彼。
私と彼の距離は、まるでその間に太平洋の海原があるかのようだった。




