077
10月の最初の日曜日、7日。
闘神祭まであと半月。
俺は2週に1度の逢瀬のために香の家へ来ていた。
「ね、私の世界語、うまくなったよね?」
「うん、不自然さはなくなってきた」
「やった! PEで夜な夜な頑張るようにしてよかった!」
「どうせ母国語によって方言みたいな訛が出るから、今くらいで会話は十分にできんだろ」
「おおー! 武に合格もらえた! これで外国人との会話も大丈夫、やったね!」
両手を合わせて嬉しそうにする香。
あれから2日に1度の夜の雑談は世界語でやっている。
俺が中学の頃、飯塚先輩と世界語をやりまくった方式を真似ているわけだ。
もともと座学での知識が相応にあった香は瞬く間に上達していた。
「ほら」
俺に期待の眼差しで両手を差し出している香。
そんな、くりっとした目で訴えられても。
・・・ご褒美って?
「甘いものなんて持ってないぞ?」
「違うよ! 約束したじゃない、高天原学園の学園祭へ行くって!」
「あ、闘神祭のチケット? すっかり忘れてた」
「もう! 高天原学園へ行くために頑張ったのもあるんだからね!」
そういえば世界語学習を始めたすぐに香に頼まれていた。
日常会話の合格ラインに達したら学園祭へ招待してくれ、と。
時期的にぎりぎりだから頑張る、というのが彼女の目標だったわけだ。
「ごめんごめん。ええと、チケットチケット・・・」
高天原学園は原則、関係者以外の立ち入りが禁止されている。
これは具現化などの個人情報漏洩対策も兼ねているからだ。
だから家族であっても緊急時以外の入場が規制される。
その高天原学園の学園祭である闘神祭は部外者が入ることができる数少ない機会だ。
チケットが生徒に配布され、生徒から招待された者が入場できる。
家族や友達を呼び学園の学習成果を披露する場でもある。
「・・・あった。えっと、これを香に配布、でいいのかな」
高天原学園はPEの携帯を禁止されていないので希望者はチケットをデータで配布される。
紙媒体もあるけれど、事前に登録申請の必要があり手間がかかるからほとんどの人がデータ配布を選ぶ。
「うん、来た来た。へー、こんなアイコンなんだ!」
「高天原らしいよね」
チケットはアイコン化して表示されている。
山から覗く旭日、手前に原。そして榊。
これを校章化して二つの山の間からの旭日が覗き、その手前の原に榊が生える。
日本人が見れば高天原を連想する神道の要素が詰め込まれている絵だ。
変に神様とか生き物を取り入れていないところが好感を持てる。
「ね、ほかに招待した人はいるの?」
「ひとり10人まで呼べるんだけど・・・香だけだよ」
「え?」
もちろん全部を配る必要はない。
招待せずひとりで過ごすやつもいるわけで。
ちなみにチケットには偽造不可の加工がされている。
さらに招待する人のIDsを登録するので誰が誰を招待したかすぐにわかるようになっていた。
このへんのデータ技術もすごいと思った。
「そんな、寂しいじゃん! もっと呼ぼうよ!」
「う~ん。俺、交友範囲が狭いからなぁ。香以外に桜坂の関係で会ってるのってさくらだけだし」
言ってから思った。
俺、ほんとに知り合い少ねぇな。
生き延びるためとはいえ、この世界で長いんだしもう少し遊んでも良いんじゃないかと思う。
・・・その遊び要素がこうやって香といるだけで十分だと思ってるせいだな。
「さくらはさくらで親とか友達呼ぶでしょ!」
「まぁそうだろな」
「もう! 貴方はそんな寂しい人じゃない! 私が連れてくるよ! ほら、チケットもっと寄こして!」
「ええ?」
そう言って香は強引に残りのチケットデータを自分のPEへ転送した。
彼女が配るらしい・・・誰に?
「大丈夫、知らない人は連れてこないから!」
「う、うん」
なんかいつもの振り回されている感。
これが心地良いなんて思っちゃうあたり惚れてるんだよなぁ。
「あ、ところでさ」
「うん?」
「実はね、インターン先が決まったんだ」
「おお、決まったんだ!? この時期からでも行けんだ?」
「うん。冬休みに受け入れってところもあるから」
俺はもう間に合わないと心配してたから良かった。
間に合わせたことに得意げな顔をしている香。
よしよしと撫でてやると嬉しそうに目を細めていた。
この世界、インターンした先で就職することが多い。
なにせ大惨事のせいで世界的に慢性的な人手不足だ。
囲い込みの歓待されてそのままその会社にって流れになる。
だからインターンをする=就職活動となるわけだ。
「ずっと探してたもんな。それでどこに行くことになったの?」
茶請けのクッキーを食べて紅茶を含む。
うん、香の用意する茶葉はいつも美味い。
学園のそれよりも良いものを拘って集めてるように思う。
高校に入ってから進路を悩んでいた香。
弓道の達人だけど、それで食べていくつもりはないらしい。
だからほかに自分のできることを探していたはず。
「ん? 世界政府」
「んぐ!? ほ、ほんとに!?」
飲んでいた紅茶を吹き出しそうになる。
えええ、よりによって世界政府!?
ちらっとそれっぽいことを言ってた気がするけどさ。
俺の近くで働きたいって、社交辞令だと思ってたよ!
「ふふ、ほんとだよ。言ったじゃん、世界政府にしようかなって」
「世界戦線に関する仕事だけじゃねぇだろよ。支部とか部門がいっぱいあるじゃん」
「ん~? 同じ組織なら部門が違っても何かと交流あるだろうし」
「ええ、そうかな?」
「細かいことは良いの! 別にそれだけが理由じゃないんだし!」
うんうんとひとり頷きながら主張する香は、なんだか嬉しそうだった。
就活の目処が立って俺のとこへ遊びに来る算段ができたからかな?
しばらくご機嫌な彼女と雑談を続けた。
◇
俺と香の逢瀬は香の家ですることが多い。
外出するお金や時間がないというわけでなく単純に都合が良いからだ。
そこそこのお嬢様の香にとって、外食ははずれを引くことが多い。
子供のころから上質なものに触れて育まれた、優れた味覚や嗅覚を満足させるのは難しいからだ。
それに彼女自身もそれなりの料理の腕前があるわけで。
加えて普段は学校の友達と寄り道をしているそうだ。
喫茶店なり映画なり、学生らしいエンターテイメントにも満足している。
だから俺との時間をゆっくり楽しむためにも自宅でというのが彼女の希望だ。
そうして用意される昼食は高天原の食堂と比べても上質なものが出てくる。
香曰く「成金の親は贅沢に憧れてるせいでモノに拘る」そうで。
毎度その味に舌鼓を打つことになる。
一庶民の俺がVIP待遇を味わえる、なんとも贅沢な場でもあった。
食後はいつもソファーに並んで座って、紅茶を飲みながら一服する。
食べたらお茶という俺の習慣に合わせてくれるなんて。
それを考えるだけで、さらにぐっと彼女に惹かれてしまう自分がいた。
「そうだ、前に具現化を見せてくれるって言ったじゃない?」
「ああ、うん。約束してたね。やってみる?」
「うん! 貴方がどんな魔法を使うのか見てみたい!」
ぐっと身を乗り出して興味津々といった態度。
そうか、一般人から見れば具現化って見る機会って少ないから期待してるんだな。
全員が生活魔法を使える異世界とは違うんだから。
「えっと・・・それじゃ安全な祝福から」
「ブレス?」
「うん。精神高揚の効果で、恐怖感がなくなったりやる気になったりするんだ」
「へぇ! それさ、弓の試合のときに使えると便利そう!」
「そうだね、緊張感とかなくなるかも」
そう言って俺は錬気を始める。
見たいって言うくらいだから目に見えるほうが良いよな。
ええと・・・オーラが見えるくらい?
お腹に集まった熱を腕へ流していく。
緊張感が皆無なので集中も早く、すぐに魔力が集まった。
俺の目には右腕から白いオーラが腕から立ち上ってるのが見えている。
「・・・ほら、今、右腕に魔力を集めてる。見える?」
「右腕? う~ん、集中してるのはわかるけど何も見えないよ」
「え?」
ああ、そうか。AR値が高くねぇと見えねぇんだっけ。
高天原の連中はみんなAR値が高いから、こんくらいで見えると思ってた。
俺も自分の魔力って相当に集めないと見えないし。
何か見えない理由があんだろな。
仕方ない、もう少し集めるか。
「ちょっと待ってて。もう少し集めてみる」
「うん!」
きらきらと目を輝かせて俺を見つめる香。
・・・ここまで期待されちゃ、オーラが見えるようにしてやるぜ!
・・・。
・・・!
「ん、これで見える? かなり集めたんだけど」
「う~ん? なんか、ゼリーみたいにぷるぷる震えてるように見える」
おい、ぷるぷるってなんだよ!
あれか、白オーラで蜃気楼みたいに霞んでるのか!?
こうなりゃ意地だ! しっかり見えるまでやってやる!
呼吸を整える。
軽い瞑想状態を経て魔力の流れを掴む。
その波を精神の波と合わせ、増幅をかける。
・・・よし。
限界突破に近いくらい集めてやったぞ。
ばちんと魔力の弾ける音がする。
右腕を見れば炎のように白い魔力が溢れ出ていた。
「・・・どう?」
「あ、すっごーい! 蒸気みたいに何か出てる!」
「うん、これが魔力」
・・・俺のテンションが上がっている。
よく考えたらこれ、発散しないと危ないやつじゃねえの?
うん、集めすぎだな。凛花先輩とやったときから反省してねぇ。
「ねね、これで魔法が使えるんだよね!? やってみせてよ!」
「・・・うん」
そう、使わなきゃダメ。
まだ安定してるうちに。
何に使うんだよ・・・って祝福だった。
基本、精神強化だし出力を抑えれば害もないだろ。
「じゃ、いくよ」
「いいよー」
わくわくとした様子で俺を見守る香。
手をかざして香に向けて魔力をかたち作る。
――何も怖くない! 一緒にいれば力が湧く! 勇気が溢れてくる!
「祝福!」
「きゃっ!?」
やべっ!? 強すぎた!?
魔力を制御したけど元から消費量の少ない祝福には多すぎた。
ぱあああ、と周囲が白く眩い光に包まれる。
それは香の身体を覆い、そのまま吸収されるように消えていった。
「ご、ごめん! 香、大丈夫!?」
「・・・」
香が呆然としている。
しまった! やっぱ強すぎた!
慌てて彼女の両肩を揺すって様子を確認する。
「香!」
「あ・・・武?」
「香! わかるか、俺だ!」
「うん、わかるよ」
「大丈夫か!? 何か変なところはない!?」
良かった! 応答があったよ!
こんなんで精神に異常をきたしたなんてシャレにならん!
「ふふ、ふふふふふ・・・」
「!?」
安堵したところで香が唐突に笑い出した。
思い出し笑いのようにこみ上げてくる何かを我慢しているかのようだ。
「か、香?」
「んふふふふふ! た~け~し~!」
「うわ!?」
いきなり抱きついて来る香。
その勢いでソファーに押し倒される。
気付けば彼女が馬乗りになっていた。
「ん~~!」
「んむ~!?」
そして貪るような口づけ。
どうなっちゃったのよ!? と混乱していた俺はどうして良いのかわからず好きにさせてしまった。
ん、ん、ん、と荒い息遣いとともに好き放題に蹂躙されていく。
そこまでされると気分じゃなくても感じないわけがなく、自然と共鳴が始まった。
すると溜まっていた魔力のせいか、激しいレゾナンス効果に見舞われる。
「~~~~~~!?!?」
いつもレゾナンス効果が始まると、正座で痺れたときのように全身がいうことをきかなくなる。
でも今回はそれどころじゃなかった。
強い電流が流れているように勝手にびくびくと体全体が跳ねる。
「うぁ! やぁ!? うぁ!?」
「んふぅ・・・」
なんだか艶のある声が聞こえると思ったら自分の声だった。
気付けば上半身の服を脱がされて愛撫されている。
香が触れるたびにスタンガンを突きつけられたかのように身体が跳ねた。
やばいやばいやばい!!
こんなん意識飛ぶ!!
らめぇぇぇぇぇ!!
「ほらぁ、しよぉ! いっぱいしたいのぉ!」
とろんとした目つきで俺に覆いかぶさっている彼女。
彼女もいつの間にか下着姿となっていて止められる状況じゃない。
・・・なんだか酔っ払いのような雰囲気の香。
あれだ、甘酒を飲んだ時のような。
祝福ってかけすぎると酔っ払うの!?
「なぁに難しいこと考えてるのぉ? 逃さないよぉ~」
香は、にまぁと破顔して俺の首に手を回してきた。
完全に出来上がってんじゃん!!
このまましちゃったら絶対に意識飛んじまう!
つーか刺激が強すぎて俺がどうにかなっちまう!!
でも止める方法が思いつかん!
ソフィアに迫られたときもだけど、女の子は押し退けられねぇんだよ!
どうすりゃ・・・そうだ!
どうせ酔っ払ってんだ、これしかねえ!
「探究者!」
ぱきん。セピア色の世界が広がる。
どうせ身体は動かせねぇ。
視界に慣れるとドット絵のデフォルメエルフ、ディアナが出現した。
そして目の前の香の前に半透明の青いウィンドウが表示される。
そこに書かれているのは・・・。
――んふふ~、好き好き好き! 可愛い可愛い可愛い! いっぱいくっついて今日こそエクシズムするの~!!
――ああ、気持ちいい! 武も気持ちいいよね! もっと身体くっつけて! 脚を絡ませて! ふふ、これならエクシズムできるかも!
おい!!
ほぼ同じ内容だろ、これ!!
せめて「もう少し落ち着いてからしよう」って変えられねぇの!?
そう訴えてみるがディアナが首をふった。
・・・あの~?
この固有能力、意思を曲げられるんじゃ?
え? 駄目?
相手の? 魔力が? 強すぎるって?
は?
ああ、俺の魔力が共鳴で循環してるせいだな。
・・・。
ぎゃああぁぁぁ!!
これじゃ回避不能だってばよ!?
ディアナに助けてくれと訴えてみるが、彼女はにこやかに手を振って消えていく。
おい!! お楽しみください、じゃねぇ!!
ああああ、終わる、終わっちまう!!
時間切れえええぇぇぇ!!
こうして世界に色が戻ったところで俺の記憶は飛んでいた。
◇
致したときにレゾナンスしていると実際に数倍の刺激がある。
正直、中毒症状になってしまうくらいの感じ。
最初はこれがエクシズムなのかと思っていた。
でもそれは俺と香の魔力量では序の口だった。
今回、過剰に溢れた魔力にまみれながら致した。
その結果・・・気付けば終わっていた。
いや、ほんとなんだよ!
今は満足げな香が、俺に身体を預けてすぅすぅと寝息を立てている。
・・・これじゃどうせ動けないし。
手持ち無沙汰な俺は何が起こったのか思い返してみた。
キスの後、彼女の全身愛撫で意識が飛んで。
それでも香が止まらずに、意識が呼び戻され、飛んで、と何度も・・・。
そうして思考できなくなり頭の中が真っ白になったと思ったら――。
そうだよ、身体が無くなったような感覚!
なんか幽体離脱みたいに白い世界へ飛び出して。
同じように飛び出してた香と混じり合ったんだ!
あれは不思議な感じだった。
香の感じることが全部わかったし。
心が満たされるって感覚がとてもよく体感できた。
喜びも愛おしさも。
普段は直ぐに逢えないことへの悲しさも。
ちょっと前に感じていたインターンが決まった嬉しささえも。
何もかもが感覚でわかった。
これは1度でも体験すると忘れられない。
そりゃここまでたどり着けば離婚もしなくなるよなぁ。
「んん・・・」
香が少し声を出した。
ふと窓が目に入った。・・・暗い?
え? 何時だよ?
時間を見る・・・げっ!
ぎりぎり!? つか、何時間、寝てたんだよ!?
「香、香!!」
「ん~、えへへ、たけしぃ~」
完全に寝言状態。
そんな力尽きるほど頑張らなくても。
「ごめん、時間がねぇ! 起きてくれ!」
「んえ?」
「帰らねえと!」
「え!?」
大慌てで着替えてふたりで駅まで駆けた。
なんだかこの間も同じようなことをしてしまったような。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・ごめん、急がせちゃって」
「はぁ、はぁ・・・ううん、私こそ寝過ごしちゃった」
何とか時間に間に合った俺たちは、僅かな時間で別れを名残惜しむ。
さっきまで深く繋がっていたのだけれど、儀式のように強く抱き合う。
唇を交わし、笑みを交わし。
額をこつんと合わせて、瞳を合わせて。
そうして俺はホームへ駆けた。
どんなかたちであれ、今の俺にとって彼女との時間は何よりの癒やしだった。




