048
6月下旬。梅雨らしく雨が多い日々。
リアルと同じく肌にまとわりつくジメジメ感に襲われる。
「北欧出身にこの暑さは堪える」
「ああ、息苦しいですわ・・・」
「どうして身体に空気がまとわりつくのよ・・・」
「アリゾナより気温が低いのに暑いのなんで〜」
典型的な感想をありがとう、外国人の諸君。
俺とさくらと結弦は梅雨だねぇ、と紫陽花にカタツムリを眺める余裕。
何となく日本人の優越感を味わう日々。
学食ではアイスの消費量が大幅に増えているらしい。
ちなみに学校に空調が入るのは気温が28度を超えてから。
暑いと感じてもなかなかつかない。
将来、世界戦線で辛くならないよう厳しめ、らしい。
ええー、リアルだと職場じゃ25度超えたらつけてたぞ。
戦場を想定してるって・・・ここ、教室だぜ?
せめて除湿してくれよ。
◇
ある土曜日の昼食にて。
土曜日はSS協定全員が集合する日。
午後は銘々、修練組と勉強組にわかれるのが通例だ。
「高天原ってテスト結果が張り出されないから今まで気にしなかったんだけどさ」
俺は皆に切り出した。
「君ら、勉強ってついていけてるの?」
「はい。特に問題なく」
「俺も夜に1時間、取り組む程度だな」
「わたくしもなんとかさくら様と同順位を確保しております」
さくらとレオンが事もなげに言うと、ソフィア嬢も便乗した。
うん、ゲームでも君たちは素行含め常に優秀だったからね。
順位ひと桁なのは知ってる。
学業や実力の意味で心配してないよ、念のための確認。
「あたしは何とかついていけてる」
「オレもクラスが維持できるくらいですね」
対してジャンヌと結弦。
このふたり、一緒に過ごした感じでは先の3人レベルの秀才枠ではない。
でも優等生枠だから普通に勉強すれば何とかなるっぽい。
要はやればできる子だから心配は要らない。
「みんなすごいんだね~」
そして相変わらずKYな雰囲気のリアム君。
ぽわんとした発言に皆が注目すると、あははと笑った。
「だって難しいよ~。数学のテイラー展開とか、科学のラジカル種の有機分子触媒とか、覚えきれないよ~」
「だよな!! とてもよくわかる!!」
思わず同意してリアム君の手を取る俺。
そう、そうなんだよ!
大学教養レベルなんだって!
1時間程度の勉強でついていける範囲じゃねぇって!!
「あはは、武くんもなんだね! やっぱり家族だね!」
「状況が同じ奴がいると安心するぜ・・・」
脱力しながらもリアム君が一般人枠であることにある種の安心感を得る。
そうなんだよ。優秀な連中に囲まれると自分の劣等感が刺激されんだよ。
俺が散々苦労して進む道をほいほい進める君らが羨ましすぎる。
「よし、リアム。今日は俺と一緒に試験範囲を勉強しようぜ!」
「え、ほんと!? うん、一緒にやろう! 僕、誰か教えてくれないかなって思ってたんだ」
リアム君と意気投合する俺。
よし、勉強仲間ゲットだぜ!
「武さん、わたしもご一緒しましょうか?」
「さくらは中学んとき、一緒にやってやることがないって困ってたろ」
「う・・・そうですね」
そんな残念そうな顔をしないで。事実でしょ。
レベルが違いすぎる奴は駄目なんだよ。
教えるにしても理解できない理由が理解できないからな。
「おんなじ理由でレオンとソフィアも駄目な」
「あたしは自分ので手一杯」
「オレも教えられるほどではなくて」
ジャンヌと結弦も辞退、と。
「じゃ、僕と武くんのふたりだね! 行こう、武くん!」
「え? ちょ、ちょっと待て、引っ張んな!? まだ食ってんだろ、おい!?」
俺と勉強できるのがよほど嬉しいのか。
やる気になったリアム君は俺をぐいぐいと引っ張って歩いて行く。
「おいリアム!? 待てって!?」
「武様、頑張ってくださいませ」
引っ張られる俺を見送る面々。
リアム君とふたりきりでも咎めないのは凛花先輩の件があるからだろう。
落第しない程度にやっておけと思っているっぽい。
入試主席の面目はもはや無いな、うん。
鼻歌交じりにずんずんと俺を引っ張るリアム君。
その華奢な身体のどこにこんな力があるんだよ!?
俺は食べかけのお昼を残したまま食堂を後に引きずられていった。
◇
俺はこれまで努力で成績をカバーしてきた。
わかるまで量をこなす。それだけが凡人の突破口だからだ。
今勉強している範囲の半分は過去にリアルでやったことがあるところ。
思い出すだけの簡単なお仕事のはずなのだが・・・。
「ねぇ武君、どうしてこの式になるの?」
「どれだ? えーと、これを展開して・・・あれ? こっちかな。・・・うん、違う。ごめんちょっと待って」
俺は簡単に思い出せなかった。
というか当時も苦労した範囲で、何とか誤魔化して単位を取ったのだ。
やり直したところで理解が進むわけもない。
「この宇宙線のエネルギー計算もわからないよ~。オゾンの生成量ってどうやって求めるの?」
「えっと・・・これ、太陽光のスペクトルを分解して計算するやつだろ。あれ、どれを変数にすんだ?」
そして大学でやっていない範囲は当然にわからない。
ふたりであーでもない、こーでもない、と悩みながら無駄に時間を費やしていく。
しまった、何でも辞書のさくらにお願いしときゃよかった。模範解答だけでもあると違うのに。
「う~ん・・・きゅう・・・」
「おいリアム? しっかりしろ!?」
そうして効果音を呟きながらオーバーヒートを起こすリアム君。
気付けば3時間近くぶっ通しでやっていた。
わからないなりに相当に頑張ったはずだ。あまり進んでないけど。
「ほら、休憩すんぞ。そっちで横になっとけ」
【I can't stand any more・・・】
「おい。・・・仕方ねぇな」
ばたんと机に倒れこんだリアム君。
そのままにしておいても良いんだけども、机で寝ると首とか痛くなるよね。
俺はリアム君の椅子をひいてお姫様抱っこで持ち上げた。
思ったよりも軽い。こいつ華奢だからな。
なんかいい匂いがするのは気にしない気にしない・・・。
行先は2歩うしろ。彼のベッド。
そう、図書館や自習室ではなく、なぜか彼の部屋で勉強することになった。
・・・というか俺が連れ込まれたという。
逆らうこともできずそのまま彼の机に椅子を並べて所狭しと勉強していたのだ。
「よっと」
リアム君をベッドに寝かす。
知恵熱的なやつで目を回しただけだろう。
寒いこともないからこのままでいいか。
すうすうと小刻みに寝息を立てている姿は小動物のようだ。
ストレートの栗毛ヘアがちらちらと動いていて触りたくなってしまう。
こいつ、可愛い属性はぜんぶ持ってるんじゃねぇか?
って、俺が惹かれちゃ世話ねぇな。
目に毒・・・にならないうちに見るのはやめよう。
頭は使ったけれど、ずっと嬉しそうだったのは例の家族宣言のせいかな。
前にも増してボディタッチとかするようになったからきっと俺を慕ってくれてるのだろう。
悪い気がしない・・・というか嬉しいんだけども、やっぱ気を寄せるとまずい。
この調子だといつか共鳴してしまいそうで怖い。
俺は気分転換に窓辺に立った。
窓を開けていれば暑すぎることもない。
初夏の香りが漂ってきてリフレッシュできる。
あ~、2か月前ののんびりした時間が恋しい。
元の世界に戻るって考えるとやっぱり落ち着かないんだよな。
無駄な時間を使って詰むなら頑張るしかないわけだし。
ここぞという場面で後悔だけはしたくねぇ。
窓から臨む青々とした丘陵を眺めて気分を切り替える。
そうしてから部屋の中に目を戻した。
皆、同じ寮の同じデザインの部屋。
だから壁も机も殺風景・・・ではない。
リアム君によっていくつか大きな写真が飾られていたからだ。
赤茶の砂漠のような広い土地に点在するサボテン。
西部劇に出てくるような左右に腕を上げたようなサボテンだ。
縞模様の地層が曲面状の茶色い崖となり、上から差し込む光が美しい洞窟。
そしてグランドキャニオン国立公園の雄大な峡谷風景。
彼の故郷、アリゾナ州の写真だ。
・・・眺めていると胸が締め付けられる。
これだけ故郷の写真を貼っているリアム君。
普段から郷愁に駆られたりしているのかもしれん。
明るく振る舞ってるのもそれを隠すためなのかな。
俺は戻りたくても戻れない。恋しいどころの話じゃねぇ。
もう3年以上だよ。
写真もなしだ。
リアルに戻れるってんならすぐにでも戻してもらいたい。
俺をこの世界へ拉致したあの声、いちどぶん殴ってやらねぇと気が済まねぇ。
ところでリアム君とは同い年のはずなんだけど、やはり精神的に幼い気がする。
どうしてかラリクエよりも思考も行動も子供っぽい。なんでだろ。
いくつかの自然の写真に囲まれて1枚だけ小さく切り抜かれた写真が貼られている。
近づいてみるとそれは家の前で撮られた写真だった。
写っているのはリアム君と並び穏やかな笑みを浮かべる女性・・・彼の姉だ。
白い肌に彼と同じ栗毛のロングヘア。優しそうなアメリカ人の女性だ。
お姉さんの腕に抱き着いたリアム君が浮かべている満面の笑み。
これ、俺たちといるときに見せたことがない表情だな。
本当にお姉さんが好きなんだということがわかる。
当然、寮生活で会えてないわけだ。
夏休みの帰省を心待ちにしているのかも。
机の上へ視線を移すと積み上げられた国際郵便が目に入った。
赤、青、白のデザインはこの時代でも変わっていないようだ。
この時代に国際郵便の封筒? 俺の紙ノートどころの話じゃない時代錯誤だ。
この世界には3D郵便というサービスがある。
例えば送りたい手紙とか小物を用意する。
それをポストのように街中にある3D郵便箱に入れ、自販機のように料金精算をする。
すると中身の形状や材質がスキャンされる。
住所を入力すると相手の住む最寄りの郵便局内にある3Dプリンタ的なもので、3D郵便箱に入れたモノが複製で再現される。
汚れやシワなどもそのままなので、材質が一致すればほぼ現物。
それを届けてくれるというサービスだ。簡易ワープみたいなもんだな。
普段使うプラスチック代わりの謎材質のものや、金属、繊維であれば再現される。
依頼して数時間でそれっぽいものが届くのでよく利用されているわけだ。
孫が描いたへたくそな絵でも材質そのままで再現されるので遠方のじじばばが大喜び! ってCMも見た。
それがわざわざ、現物を運ぶ国際郵便なのだ。
高速鉄道で運ぶとはいえ時間がかかる。
興味本位で封筒をちらっと見た。
封筒の宛先はこの寮。もちろんリアム=グリーン宛。
裏返して差出人を見る。合衆国アリゾナ州、英語でSadie。
サディ。そう、リアム君の姉の名前だ。
封筒の消印を見ていく。1週間おきにやり取りされているようだった。
・・・自分のことばかり追われていたけれど。
そうだよな、主人公たちも抱えているものがあるんだ。
イベントの物語だけじゃない。
リアム君は姉が大好きで恋しいんだ。
この「相手が触って書いた」現物である手紙がすべてを物語っている。
「ん・・・」
リアム君が眠たげな声を出す。
いけないことをしている気分になった俺は慌ててベッドの彼を確認した。
単に寝返りを打っただけ。
でも咎められた気分になってしまったので、これ以上、彼のプライベートを覗く気にはなれず。
手紙をそっと戻す。
彼の無邪気な寝顔をもういちど見る。
俺の娘、楓くらいの年代なんだよな。
小さくても頑張っている。
応援したくなるのは人の親としての感情だったのか。
ふわふわの髪を優しく撫でてやる。
【一緒に頑張ろうぜ】と小声で応援する。
にへら、と幸せそうに破顔するリアム君。
きっと心に届いたのだろう。
さっきまで座っていた椅子に腰かけた。
机の上のテクスタントで表示した教科書とノートに目を落とす。
先は長い。少しは教えられるように頑張ろう。
◇
その日の夜。
俺はラリクエ攻略ノートを広げていた。
見返す項目はリアム君の攻略内容。
勉強に追われて忘れていたけれど、1年生の夏休みに彼の里帰りイベントがある。
それを確認するためだ。
リアム=グリーン。
アメリカ合衆国アリゾナ州出身。4つ離れた姉がいる。
彼の姉は奇病に侵されており、その余命は数年と言われている。
徐々に衰弱していく膠原病の一種。
風邪症状に苛まれ続けるという、真綿で首をしめるような病。
もちろん原因不明の病で通常の医療では治療できないものだ。
リアム君を攻略するにはこのお姉さんを治すために動く必要がある。
レオン、ソフィア嬢は例により実家の力で手配をして治療方法を見つけ出す。
さくら、結弦、ジャンヌは現地に行って治療法を探し出すクエストになる。
ちなみに治療物質の入手自体は単純で、イエローストーンにある魔力溜まりに出没する魔物を倒すというもの。
その魔物の身体の一部が治療に必要だという、RPGでよく見るようなお話。
魔物は倒すと消えるので冷凍する装置を持って行くという細かい準備も必要だ。
すでに具現化を発現しているので魔物単体を倒すことは苦ではない。
問題はその魔物が治療薬になりそうだという情報を得る方法だ。
例えば俺がいきなり現地に行って魔物倒し、身体を採取して「これで治る!」と持って行ったところで相手にされない。
医療チームを納得させるだけの裏付けが必要なのだ。
主人公たちはこの医療データを解析したり、文献を探し出したり、お姉さんの状態から原因を特定したりといったアプローチでそこへ結びつける。
よく転生の物語で不治の病の治療薬を作り出して村人に与えて感謝させるといった、過程をジャンプするアプローチが通用しないわけだ。
そしてその裏付けが主人公ごとに異なる。
さくらは医療データの解析で。
結弦は文献から。
ジャンヌはお姉さんの病状を観て。
どのアプローチにしてもそれなりの信憑性を伴うようにしないとお話にならない。
同じイベントに対して一筋縄ではいかないのがラリクエの深いところ。
で、これを誰に攻略してもらうか。
俺が攻略しちゃいかんわけだから・・・。
最終パーティー予定のジャンヌが第一候補だ。
彼女を連れてアメリカ旅行か。
イベントの序列がおかしいこの世界。
そんなうまく話をまとめられるか不安だよ・・・。




