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■■ソフィア=クロフォード's View■■
純白に紅の襷をあつらえた全長300メートルを超える巨躯。
見る者を圧倒する堂々たる威容。
お父様がわたくしのためにデザインしてくださったお爺様の名を戴いた船。
42センチメートルの主砲を始めとした対魔物戦線に特化した装備はこれが戦艦であると知らしめる。
アーティファクトを利用した魔力レーダー等、最新鋭の機器。
潤沢なペイロードは揚陸部隊さえも搭載できる。
要塞とも呼べる海の城がここにあった。
「お嬢様、本艦は間もなくイベリア半島北西50キロメートルを通過いたします」
「ええ、ありがとう」
この華美な戦艦から見える景色は曇天ばかり。
艦橋から見る肉眼での景色も、カメラからの映像も、荒れた灰色を映し出していた。
唯一、電子レーダーのマップのみが遥か遠方の陸地の形を示している。
航海図に相対させた現在地と遠方の地形が描画されていた。
「進路180度ヨーソロ」
「ヨーソロ180度」
艦長の指示に操舵士が復唱する。
目的地は黒海。
ハンブルクを発したこの船はイベリア半島を回り地中海を目指す。
そのまま横切りアドリア海を抜け、イスタンブールを経由して黒海へ抜ける経路だ。
現在地からおよそ1日で目標地点に到着する予定となっている。
何の抵抗もなく順調にいけば、だが。
「最初の関門はジブラルタル海峡ね。アフリカ側で待ち伏せされてなきゃ良いけど」
「秘密裏に動いておりますわ。情報操作もしておりますので裏はかかれぬかと」
「・・・『大いなる意思』に先読みされてないことを祈るしかない、か」
「あはは、きっと大丈夫だよ。・・・ふぁ、僕、ちょっと疲れたな~」
リアム様の楽観的希望とその気の抜ける欠伸に皆の表情が緩む。
同時に彼の言うとおり疲労が溜まっていることに気付いた。
皆これほどの長期間、緊張に晒された経験はない。
よく見ればさくら様もジャンヌ様も疲労の影が見て取れた。
「ずっと働き詰めでしたもの。皆様、数刻ほどお休みいたしましょう」
来たる強襲作戦に向け、わたくしは皆に声をかけた。
――――はずだったわ。
「艦長、進路270度へ変更を」
「はっ? お嬢様、それでは大西洋に突き進みますが・・・」
「聞こえませんの? 進路、復唱!」
「は、は! 270度ヨーソロ!」
「ヨーソロ270度」
わたくしは真西に進路を取るよう指示を出していた。
――はい?
思わず出そうになった声を押し殺す。
な、何が起こりましたの!?
白昼夢ですの!?
このまま黒海にあるという教団の基地へ攻め上がる予定が・・・!!
確かにさくら様には作戦終了後のアトランティス行きをお約束をしたわ。
けれどもそれは今ではないはずなのに!
わたくし自身の行動に動揺する。
それを表情に出さぬよう努めて平静を装った。
「ああ、ソフィアさん!! ありがとうございます! ありがとうございます!!」
「ぐ、ぐぇ!? さささ、さくら様、お、お待ちになって・・・」
そんなわたくしの努力も空しく、さくら様がわたくしに飛びついて来る。
歓喜のあまり首に腕を回して全力で抱擁してくるさくら様。
その華奢な身体からは想像もできぬくらいの力でわたくしを締め上げる。
こ、呼吸が止まりますわ!?
ご遠慮なさって・・・!!
止めるよう背中をぱんぱんとタップするけれど、興奮した彼女は気付かない。
「さくら、さくら! ソフィアが落ちるから!」
「ほらほら、落ち着いて~」
「~~~~~っ!・・・」
・・・ああ、さくら様の呼吸が止まるほどの熱い抱擁・・・。
・・・とても嬉しいのですけれども・・・。
・・・ベッドの上だけにしてくださらないかしら・・・。
「・・・あぁ!? ご、ごめんなさい! ソフィアさん!?」
「・・・・・・きゅう・・・・・・」
疲労が重なっていたわたくしはここでいちど意識を手放すことになった。
◇
結局、進路転換をして半日は何もない時間が続いた。
強制的に休息を取らされたわたくしのほか、皆さまも適宜お休みなられた様子。
そうしてコンディションを整えた後、改めてブリーフィングルームに集まった。
「第一目標はアトランティス大陸南岸の港、クリティアスですわ」
「お嬢様、大陸は没したとの情報がございますが・・・」
「艦長。貴方はその目でそれを確認されましたの?」
「い、いえ・・・。ですが電磁波によるもの、陸地よりの超望遠光学機器によるもの、海底観測器など、すべてが現地を海面であると観測しております故」
「現段階で誰もかの大陸の現状を目視しておりませんでしょう。わたくしはこの目で現場を確認するまで大陸沈没などという眉唾な情報を鵜呑みにしておりませんわ」
「はっ、出過ぎた真似をお許しください。では目標地点は大陸で唯一の埠頭が設けられている港ですな」
「ええ。戦艦えちごの最終交信座標を目指します」
この教団強襲作戦の総指揮は世界政府軍欧州司令部特務大佐の肩書をもつわたくし。
艦長は下士官となるためわたくしの命令は絶対となる。
わたくしは皆に作戦の概要を説明した。
表向きに公表された作戦はこうだ。
恭順派となった国々から逃れた人々がバルト海沿岸に集結しているという情報があった。
彼らは魔物に追われ抗戦派のいる地域を目指そうと海岸まで逃げて来たようだった。
そこで戦艦アドミラル=クロフォード率いる大西洋第一艦隊が救助に向かう。
輸送艦を引き連れバルト海を経由し、サンクトペテルブルク付近で人々を搭乗させるのだ。
抗戦派は抵抗する人々を見捨てない姿勢を示す、というのが表向きの作戦だ。
これを偽装艦隊とし秘密裏に戦艦アドミラル=クロフォード単艦で黒海を目指すのが本旨。
そしてこの作戦の帰路でアトランティス大陸を経由し現地を確認する予定としていた。
教団を強襲して壊滅させる、あるいは弱体化させることが第一目的。
消滅して何もないと考えられているアトランティスの跡地は戦略的価値は無しと判断された。
このため現地確認の優先度は高くなかった。
だけれどもわたくしはアトランティスを先に目標地点とした。
自分でも理由はわからないけれどそうしなければならないと思ったからだ。
これにより黒海へ向かう時間が最低でも2日は遅くなる見込みとなった。
「姉貴。アトランティスを優先する理由はあるの?」
「仮に現地にいる皆様の戦力が生かせるとすれば一軍に匹敵いたしますわ。この作戦に組み入れられると考えれば捨て置かぬ理由には十分でしょう」
「なるほど。でも行って帰るなら迅速にしないと・・・」
浮かぬ顔をするジャンヌ様。
アトランティスの消滅は彼女も半信半疑。
彼女はそれよりも第一目的の教団にまた先を読まれることを心配している。
この隠密行動も読まれてしまえば呆気なく作戦は瓦解し、こちらが危険に晒される可能性さえある。
だからこそ気付かれぬうちに遂行したいと考えている様子だった。
この戦艦アドミラル=クロフォードの公表されている船速は35ノット。
これは現在の一般的な大型戦艦の出力だ。
だが非公開のブーストエンジンを使えば速力は50ノットまで上がる。
この速度で舵を切ると転覆するので直進のみとなるが、船舶の常識を覆す速度で航行できる。
見えぬ位置で加速すれば相手の裏をかける。
強襲作戦の鍵はそのスピードに依存している面もあった。
「作戦は全行程で最大1か月。寄り道の猶予もあるはずですわ。それまで無事に世界戦線が持ち堪えてくれることを祈りましょう」
陸地の世界戦線は中将たるお父様が指揮を執っている。
戦線が後退して小さくなったが恭順派になってしまった国、その出身者も多かった。
結局、苦しい状況は変わらない。
それに加えて国境へ迫った恭順派の軍勢もある。
一触即発の状況に後がない。
「みんな、アトランティスで元気にしてると良いね」
「アレクサンドラ様がおめおめと玉砕を選ぶなど考えられませんもの」
「武さんだっていますから!」
「武は波乱万丈だからね、きっとアトランティスでも楽しんでるわ」
わたくしとさくら様の、いえ、皆の希望。
ただの願望かもしれないけれど。
さくら様に後押しされたわたくしも今は信じていた。
彼らは、武様は必ず生きているのだと。
死の運命に抗い続けていた武様。
これまでだって様々な事件を潜り抜けていらした。
それに彼のお傍に優れた方たちがいる。
未来視を使えるアレクサンドラ様。
学園最強の格闘家、楊 凛花様。
それに・・・断片的な情報とわたくしの予測ではレオン様も現地へ行かれたはず。
彼ら彼女らが、ただ没する運命を許容するなど信じられることではない。
それに高天原の遠征部隊、3年生たちがいる。
戦力だけ見れば魔物の大群が押し寄せたとしても当面は防御できるはず。
遠征用の兵站も準備されているのだから大陸が残っていれば生き延びている可能性が高い。
ええ、改めて考えてみても行く価値はある。
レーダーや観測システムなどが魔力の奇跡を完全に捉えることなどできないのだから。
「武くん、きっと『ふざけんじゃねぇ!』って叫びながら頑張ってるよ」
リアム様のおっとりした物真似口調で武様のことを思い浮かべる。
半年ばかりの騒々しい日々が昨日のように思い出された。
自然とわたくしやさくら様の口角が上がった。
そんな和やかな雰囲気を壊すように、ピーピーという音が刺し込まれた。
部屋にある端末が鳴り響く音だった。
ジャンヌ様が端末を操作して応答する。
「姉貴、艦橋からの連絡よ。出る?」
「ええ、繋いでいただけるかしら」
端末を受け取り、全員が共有できるようスピーカーモードにする。
モニターに映し出された副艦長が慌てた様子で挨拶もなく話し始めた。
「お嬢様、穴です! 魔力レーダーで穴が観測されました!」
「穴? 穴とは何ですの?」
「魔力が存在しない個所です! 直接、ご覧になっていただいたほうがよろしいかと」
「・・・わかりましたわ、すぐに向かいます」
「艦橋でお待ちしております!」
◇
魔力による感知には白魔法の探索を使う。
探索は当然に白属性の者しか使えない。
日本では澪様や武様のほか、指で数える程度の人間しか使うことができない。
つまり相当に珍しい魔法だといえる。
ところがその常識を覆すアーティファクトがある。
『鷹の瞳』と呼ばれるそれは、羅針盤のような見た目をしている。
そして起動すると周囲の魔力濃度を映し出してくれるものだ。
『鷹の瞳』は周囲100メートル程度を探索できる。
比較的よく見つかる代物で研究材料にもなっていた。
これを複数用意して組み合わせ出力調整した装置がこの船に搭載される『魔力レーダー』だ。
至近から数十キロメートルまでの範囲の魔力濃度を拡大縮小して表示することができる。
最新の試作品で魔物への早期警戒ができるとして期待されていた。
「これが『穴』ですって?」
艦長は到着したわたくしたちに魔力レーダーの見方を説明した。
確かに画面を見ればぽっかりと口を開けたような黒い領域がある。
航海図と組み合わせるとそこはアトランティス大陸のあるはずの場所になる。
「ねぇ、このレーダーってどう見るの?」
「赤が魔力濃度の濃い場所、青くなるほど薄い場所、ですわ」
「ええと、ではこの黒い領域は・・・」
「魔力が無い場所、ですわね。レーダーの凡例からすれば」
「魔力の無い場所・・・」
アトランティス大陸があったであろう部分にのみ魔力がない。
この魔力レーダーの解析結果だけを見ればそうなっている。
その結果にわたくしたちは怪訝な表情を浮かべた。
「魔力が存在しない場所、なんて考えられないわ」
「そのとおり、理論上あり得ない事象ですわ」
「大気中に真空領域が存在しないのと同じよう、濃淡はあるけど魔力はどこにでもあるんだよね?」
「はい、わたしもそう習いました。ですがこれは・・・」
魔力が存在しない領域。
ほんとうにそんなものが実在するのだろうか。
大気中の魔力は濃淡の差こそあれ、基本的に濃い方から薄い方へ移動し混ざり合う。
リアム様の言葉どおり真空領域、つまり魔力が無い領域など存在するはずがない。
まだ光学装置で観測できるほどアトランティスに近付いていなかった。
この観測装置以上の内容は推測でしかわかっていない。
現に「魔力が無い」という事象は、今初めて観測したわけだから。
既に物理的な観測で海抜や潮流などを考慮すると現地が海だと判断されている。
そこに魔力の穴があるなど誰が想像するのか。
皆が疑問を浮かべていた。
さくら様もジャンヌ様もその理由を考えていらしている。
そして、ふとわたくしは閃いた。
「そうよ、これは観測結果なの。ならば別の答えもあり得るわ」
「別の結果とは、どういうことでしょう?」
「皆様、これは逆の意味とも考えられますわ」
「え? 逆って?」
「そもそも魔力レーダーの原理は探索の魔法ですの。探索は魔力の反射を元にしております」
「・・・つまりこの領域からは観測用の魔力反射がされてこないってこと?」
「ええ。近代で活用された電磁波レーダーに対するステルス素材の原理と同じでしょう」
第三次世界大戦前までは電磁波によるレーダーが盛んに使われていた。
これらのレーダーは物体へ電磁波を照射し反射してきた波を感知する。
つまり電磁波を吸収するステルス素体を用いれば探知されないという欠点があった。
現代ではその吸収をカバーできる技術が開発され、かつてのステルス素材は見向きもされなくなっていた。
でも魔力による探索は発展途上。
電磁波レーダーと同じく反射される魔力を探知する。
旧来のレーダーと同じ原理を用いるのであればステルス化する条件も同じはずだ。
「観測不能領域、ブラックホールってわけね。ここに魔力を吸収する何かがある」
「やはりアトランティス大陸はあるということですね!?」
さくら様が喜色の声をあげた。
消滅したと思われていた大陸の跡地。
そこに何かがあるというのだ、希望を抱かずにはいられない。
船は徐々にアトランティス大陸のあった領域に近付いていく。
魔力レーダーに映される黒い領域にこの船を示す点が吸い寄せられていく。
それだけ見ると宇宙船が無謀にもブラックホールに向かっているかのようだった。
「やはり。大陸海岸線を包括する、ほぼ円形の領域ですわね」
「電磁波レーダーでは何も捕えられません!」
「光学カメラ映像、間もなく映ります!」
光学カメラの直線観測可能距離20キロ。
皆が注視する中、ホログラムスクリーンに映された映像は水平線だけだった。
どこを見てもただの海でしかない。
「何も映っていないね~」
リアム様の素直な感想に希望が早とちりだったのではないかという挫折感が顔を覗かせる。
それが背筋をひやりとさせたところでジャンヌ様が叫んだ。
「! 当たり前よ! 具現化されてない魔力を光学機器で視認できないわ!」
「そうですわ。艦長、直接、上から覗ける場所は?」
「そこの梯子から行けます」
艦長が指し示すところに梯子があり、高い天井にあるハッチに繋がっていた。
「リアム、お願い!」
「うん!」
小柄なリアム様が走って梯子に飛びついた。
そのままするすると登り艦橋の天井にあるハッチを開けた。
気圧差でばしゅう、という音が鳴り響く。
ごうごうという音に逆らって彼は洋上へ顔を出した。
「あ! 見えるよ~! あれはすごいね、真っ黒だよ~!」
「真っ黒? リアム、真っ黒って?」
「ドーム状の魔力の塊! あのおじさんの結界みたい!」
緊張が走る。
海だけしかないと思われたそこに何かがあるというのだ。
信じれない気持ちと期待がせめぎ合う。
「そこに何かがある、アトランティスがその結界の中にあるってことね?」
「ああ! アトランティスがそこに存在していましたのね!」
「やはり!! ソフィアさん! まだ、まだ、武さんは生きています!!」
どよどよと艦橋に動揺が走った。
AR値の低い者には視認できないほどの強力な結界。
なにせ探索の魔力さえも吸収するのだ。
並大抵の者には存在自体を認知することができないことになる。
「艦長! 予定どおりのポイントへ! 結界に触れぬよう注意して!」
「アイ・サー! 240度ヨーソロ!」
「ヨーソロ240度!」
俄かに期待に熱気を帯びた艦橋。
それは絶望に満ちた航路を明るく照らす希望の峰を通過したからだった。




