138
■■九条 さくら ’s View■■
きっかけは小さなことでした。
桜坂中学寮の食堂で相席になったことです。
前に座るわたしをじっと見つめる視線が気になり「どうかしましたか」と声をかけました。
この灰色の髪、色白の肌を気味が悪いと思っているのでしょう。
――いやー可愛いなーって・・・ハハハ
・・・この人は何を言っているのでしょう?
わたしは見た目が気持ち悪い嫌われ者です。
小学校では散々に敬遠されたこの身です。
ずっと自分に自信がなくてこれから始まるであろう中学生活も怖いというのに。
初対面のわたしに対するその言葉に耳を疑いました。
――ごめん! つい見惚れちゃった! お先に!!
自身が口走ったその言葉に気付き慌てて席を立った彼。
頭をかきながら苦笑いをする様子がとても印象に残りました。
彼の最後の言葉が聞き間違いでないことを理解して。
だんだんと身体が熱を帯びました。
初対面で容姿を褒める言葉を言われたのは初めてでした。
今思えば、まるで物語の女主人公が男主人公に出会うシーンのように。
わたしだけの物語がそこで始まったのかと期待してしまうくらいに。
鼓動が早くなっていくのを自覚しました。
でもそのときはその気持ちが何なのかよくわかっていませんでした。
◇
次の日。入学式の後に彼とお話をしました。
一夜過ぎて少し冷静さを取り戻していたと思います。
――九条さんみたいな美人だと付き合ってって言われたりとか色々大変そうだしな
彼はそんな歯の浮くような言葉を口にしました。
やはり聞き間違いではありません。
昨日に引き続きこんな言葉をいただけているのです。
もしかしてこれは社交辞令というものなのでしょうか。
彼は誰にでも同じようなことを言っているのかもしれません。
それでも、それはわたしに対しての言葉でした。
あからさまな言葉なのにどぎまぎしてしまいます。
そうしているうちに彼は用事だと立ち去ってしまいました。
その日の夜、夕食の席で改めて彼に尋ねました。
わたしの外見が気持ち悪いと思わないのかと。
その問いに彼はさも当然のように答えてくれました。
――ん? 美人さんじゃん?
こう何度も言われるとやはり社交辞令なのだと思いました。
ただのリップサービスだったのかと少し落ち込んでしまいます。
彼は精神が大人なだけだ。
やはりわたしは気持ち悪いんだ。
また蔑まれるだろう学校生活が怖くなりました。
――中学生なんてお子様集団だ、目線なんて気にすんな
彼はそんなわたしを気遣って元気づけてくれました。
でも当たり障りのない言葉を選んでいるだけなのかなと思ってしまいます。
大人のように悟った言葉で励まされても不安は除けません。
彼とは家柄の差もありますし住む世界が違うのかもしれない。
そう思ってしまったときでした。
――一緒に頑張ろうぜ。今から友達だ
友達。そう、友達。
そうはっきりと彼は言葉にしてくれました。
表面的な言葉を交わすだけで誰とも深い付き合いなんてしたことがなかったわたしに。
その黒い瞳でわたしを覗き込むように見つめながら、優しく微笑んで。
社交辞令などではないのです。
彼の意思がわたしに沁みていきました。
――高天原を目指す同士だ。見た目とかで何か言われたら俺が守ってやんよ
そうしてずっと怖かったわたしの背中を彼が押してくれたのです。
この人ならわたしと一緒に過ごしてくれる。
そう信じられると思いました。
初めての期待に胸が躍りました。
気が付いたらまた身体が熱くなっていました。
鼓動が早くなって、少し煩くて、どこか怖くて。
でもそれがとても心地よくて。
それから彼と一緒にいたいと自然と思うようになりました。
◇
彼と日々を過ごすうちに気付きました。
彼はわたしのことを言葉どおり友達として扱ってくれているのだと。
何気ない日常が、わたしがわたしのままで良いのだと肯定してくれました。
そしてお世辞などではなくわたしを美人と思っていることも。
視線を合わせて微笑むと彼は顔を赤くして視線を外します。
手や肩が触れれば慌てて距離をとり口が早くなります。
わたしを想い人として意識してくれているのだと思うたびに嬉しさが募りました。
弓道部の事件がきっかけで橘先輩と彼を賭けることになりました。
そのときに初めて彼のことを強く意識しました。
そこからはもうわたしの中から溢れる気持ちを止められませんでした。
わたしのアプローチを受け入れてくれないのは照れているからだと。
そう思って頑張ってアピールをたくさんしました。
クリスマスはライバルの橘先輩と彼で騒いで過ごしました。
バレンタインの夜には彼にずっと寄り添いました。
少しずつ彼との距離を縮めたのです。
◇
2年生になったとき彼が無理をしました。
勉強のやり過ぎで調子が悪くなったのです。
傍目に見ても四六時中、机に向かっている姿はとても苦しそうでした。
そして、そんな状況でも歯を食いしばって直向きに頑張る彼を見て心を打たれました。
そこまで自分を追い込んでまで努力をしているのはなぜ?
脅迫されているかのように彼が彼自身を追い込みます。
その苦しんでいる姿を見るとわたしの胸がぎゅうと締め付けられました。
あまりに頑張り過ぎてその苦しみから涙してしまった彼。
少しでも癒してあげたくて彼の頭を抱きしめました。
行き場のない彼の苦しみを受け止めたい。
彼が背負ったものを一緒に背負いたい、そう思いました。
◇
彼の様子が落ち着いたころ。
今度は彼が嫌がらせを受けました。
夜に眠れなくなるくらい彼への心配が募りました。
そして犯人に対して我を忘れるほどの激しい怒りを抱いてしまいました。
ふたつの気持ちが膨れ上がります。
自分が抱えるその気持ちの大きさに驚き、かえって冷静になることができました。
彼を守りたい。わたしは守ってもらうばかりじゃない。
そう思って行動した結果、お互いを守ることになっていたことが嬉しかったのです。
無事に事件が解決して諒さん、若菜さんと仲良くなりました。
4人で過ごす学園生活は小学校までとは比べ物にならない、輝いた日々でした。
より騒がしく楽しく過ごすうちに「友達」が温かいものだと知りました。
その年の林間学校やクリスマスも思い出すたびに宝石のような輝きがあります。
その中心にはいつも彼がいました。
彼と出会わなければ得られなかったものでした。
◇
3年生になってから。
この年の前半の彼との記憶は曖昧です。
彼の表情に陰りが見えると思ったときには、彼はわたしから距離を置いていました。
戸惑ってなかなかお話ができないうちに諒さんや若菜さんが絶縁宣言されてしまいます。
やがて彼が南極へ旅立ってしまうと知ったとき。
致死率90パーセントの死の危険に飛び込んでいく姿を知ったとき。
目の前が真っ暗になって動けなくなりました。
頭のてっぺんからつま先まで衝撃が走り、思いどおりに動かなくなりました。
まるでわたしが何か黒いものに乗っ取られてしまったように。
それはわたし自身がこれまでに受けたどんな恐怖よりも苛烈なものでした。
頭が働かなくなったわたしは橘先輩に助けを求めました。
そして彼女の指示に従って失踪した彼を探し出し、出発の直前に何とか話をすることができました。
ですが・・・そのときの彼の拒絶は筆舌に尽くし難いものでした。
失恋。
その短い言葉で言い表してしまうには、あまりに理不尽な出来事。
これまで彼から確かに感じていた好意があったはずなのに。
彼に伝えたい、渡したいと想い募っていた切なさを言葉にして伝えたのに。
それでも彼は、わたしを、絶望の奈落へ突き落したのです。
必要がない、一緒に居たくない、と。
◇
それから灰色の日々がやってきました。
わたしはただ機械的に学校へ通うだけでした。
部活動もただ練習を流すだけになってしまいました。
ご飯を食べても味がしません。
諒さんや若菜さんと話をしても面白くありません。
どうやって笑っていたのかも忘れてしまいました。
輝きを失った世界。
そこには何の面白みも価値もありませんでした。
もう何もなくなってしまった。
このまま消えて無くなりたい。
そうして、だんだんとご飯が喉を通らなくなっていきました。
◇
そんなときです。
夜、無気力に部屋でぼうっとしていたところに橘先輩がやって来ました。
ただ真剣な表情で「ついて来て」と挨拶もなくわたしの手を引いていきます。
わたしはされるがまま彼女の後をついていきました。
すぐに到着したのは彼の部屋。
勝手に入ってはいけないという気持ちと。
あれだけ拒絶されてしまってわたしが近付いても良いのかという恐れと。
無事に帰った彼がわたしに笑いかけてくれるかもしれないという、まだ心のどこかにある期待と。
いろいろなものが綯い交ぜになって身体が硬直してしまいます。
戸惑っていると橘先輩は「これを読んで」とわたしに手渡してきました。
彼が手で書いた1冊のノート。
それは青い表紙にシンプルに白字で「NOTE」と英語アルファベットがデザインされたもの。
テクスタントではなく、態々、紙媒体に手書きしたもの。
鉛筆を擦ったのか少し黒っぽく汚れている、時代遅れのノートでした。
言われるがまま表紙を開いて最初のページに書かれたタイトルに目を疑いました。
「え!?」と思わず驚きの声が出ます。
『九条さくら 攻略ノート』
そのタイトルに驚愕します。
わたしを拒絶したはずの彼のノートに、わたしの名前がある。
それだけでも驚きですが、攻略という言葉です。
『攻略』。たとえば恋愛において相手を落とすための手法。
もしかしてわたしを落とすための方法を彼が意識していた?
そんな期待がちくりと胸を刺しました。
橘先輩の顔を見ても読みなさいとただ目で促してくるだけです。
わたしは素直にノートへ目を落としページを捲りました。
そこにはびっしりと色々なことが書かれていました。
――背景
日本人、関東州出身、父親は日本人の和武道道場主、母親は米国人。
アルビノのため色素薄弱。毎日薬を服用。
九条家は皇族に列する家系で高貴な家柄――
調べればわかることではありますが、九条家の話を彼にしたことはありません。
それに母が米国人であるということも話したことはありません。
どうして彼が知っているのでしょうか。
――性格
清楚で真面目。
大和撫子で物腰が柔らかい。
当初はオドオドしていて弱気。
アルビノの外見による偏見でレッテルを張られることを怖がって消極的。
まずは対人の恐怖心を取り除くこと。
↓ 解消後
慈悲深く相手に寄り添って癒してくれる。 ←マジ天使!!
頑固で一途、思い込んだら一直線。
その一途さで逆境でも諦めない強さが素敵――
ここまで読んで手が震えました。
呼吸が難しくなりそうだったので意識して深く息を吸って吐きました。
『九条さくら』の性格。
そこにはわたしさえ知らないわたしの一面が書かれていました。
肯定的な部分はまるで彼が褒めてくれているかのように、その声が聞こえてきます。
「さくらのことが正確に書かれてる」と横から覗き込んでいた橘先輩が茶化しました。
顔が赤くなった気がしますが、誤魔化しもできず続きを読み進めます。
――具現化能力 属性:水
固有能力『白魔弓』(ザンゲツ)
威力:B、射程:A、速度:A、命中:S
射出後の軌道は補整なしで物理弓と同様の放物線。
使用するスキルで軌道を変えられ、障害物の向こう側も誘導することで狙うことができる。
到達点に魔力量に応じた威力を伝え、魔力量で押し負けなければ必ずダメージを与えられる。
対象へ命中させることに関しての信頼性はもっとも高い――
まるでロールプレイングゲームの情報です。
わたしも知らない『九条さくら』。
闘いなんてしたことのないわたしの能力。
もしかして同姓同名の誰かのことなのでしょうか。
知らないゲームが存在して、偶々、名前が一致しているだけでしょうか。
もし、ほんとうに、これがわたし自身のことだとしたら・・・。
なぜどうしてという疑問ばかり頭の中でぐるぐると回っていました。
次のページからはフローチャートが書かれていました。
高天原学園入学式 → 教室での自己紹介 → 昼休みに挨拶をする・・・
そのときにどういった話題を選択したほうが良いのか。
その結果『九条さくら』の好感度がどうなるか、と。
「レオン」や「ソフィア」といった知らない人の名前ごとにあれこれと書かれていました。
その中には彼の名前はありませんでした。
現実離れしたそのノートに愕然とします。
いったい彼は何を知っていて何をしようとしているのか。
得体のしれない怖さが昂ってきました。
中学で2年と半年。ずっと一緒に過ごしていて何も知らなかったのです。
ただ彼が高天原学園を目指して頑張っているということだけしか。
わたしはこれまで彼の何を見ていたのか。何を知っていたのか。
それが今回の彼の拒絶を招いたのではないかと思いました。
わたしはそれ以上読み進められず震えていました。
すると橘先輩は「残念ながら私のノートはないの」と言いました。
顔を上げて彼女の顔を見ると、まるで能面のように表情がありませんでした。
そんな彼女にわたしは言うべき言葉が見つけられませんでした。
しばらくの沈黙の後、彼女はノートの最後のページを見るよう促してきました。
見ると『Written at Aug.2207』と書かれていました。
難しい英語の読み。
詳しくはありませんがこれが2207年8月に書かれたという意味でした。
このノートは2年前の夏に書かれていた!
その事実にさらに吃驚します。
1年生の8月は夏休み。わたしはずっと弓道部で練習していました。
わたしと彼が出会ってから僅か4か月です。
そんな短い期間でわたしのことを詳しく知るのは不可能です。
やはり彼は最初から知っているとしか思えませんでした。
頭が混乱しているところで橘先輩はまた別のノートを私に差し出しました。
『虹色ルシファークエスト 攻略ノート』
今度はほぼゲームのタイトルのような見出しです。
ページを捲り最初に現れた文字。
――目的:魔王を倒して世界を滅亡から救うこと――
魔王を倒す?
世界を滅亡から救う?
いったい何の話でしょう。
魔物との戦いが大惨事から50年間も続いていることは知っています。
でも魔王という存在など聞いたことがありません。
妄想していると考えたほうが自然なくらいです。
相変わらず内容が頭に入って来ません。
ただその中で書かれている情報が断片的に目に飛び込んできます。
――高天原学園に入学して主人公のフォローをする――
――主人公についていくため、可能な限り能力向上を目指す――
――主人公同士がくっついて『キズナ・システム』の恩恵を受けられるよう立ち回る――
高天原学園への入学。
それは彼が目標として掲げていたことです。
そして今、南極へ向かった理由もそれです。
バラバラだった断片が少しだけ繋がりました。
――現状分析・修正が必要なこと――
ぱらぱらと読み進めるとそんな項目が出てきました。
そしてノートの最後。
おそらく、最新の記載部分。
殴り書きのように乱れた文字でそれは書かれていました。
――さくらと関係を持ち過ぎている。このままでは入学後のさくらと主人公の関係に影響が出る――
――これ以上関係を持たないようにさくらとは距離を置く!――
「っっ!! う・・・うっぁぁぁぁあああああああ!!!」
ノートが手を離れ床に落ちました。
ああ、ああ・・・!
彼は、彼は・・・!
わたしのことを嫌ってはいなかった・・・!
むしろ、わたしのことを好いていてくれた!!
あの言葉は偽りだった!
だから彼は心の内とまったく逆の言葉を紡いだのです!
まるで人質を取られて脅迫でもされてしまっているかのように。
わたしが彼に惹かれ過ぎないよう!
彼がわたしに惹かれ過ぎないよう!
その事実を知ったとき世界に色が戻ったのでした。
◇
真っ暗な部屋。
色が戻ったはずの世界は真っ暗でした。
いえ、わたしの目は開いています。
今が夜で、部屋の電気がついていないからです。
どうやらわたしはベッドに寝かされていました。
ああ、そうです。
アトランティスの話を聞いて・・・。
いけない。
またやってしまいました。
どうしてわたしの心はこんなにも弱いのでしょう。
無意識のうちに彼と出会った頃からの記憶を辿っていました。
目頭が熱くなっていました。
薄っすらと涙が滲んでいます。
夢見心地の中、絶望に希望を見出した余韻が残っていました。
そう。
あの南極のとき、彼に拒絶されたのは彼なりに理由がありました。
そうです。
彼がアトランティスへ出立する前の拒絶も同じ理由でしょう。
だからやはり彼はわたしのことを嫌っていない。好いているはず。
だって彼と確かにレゾナンスをしたのだから!
アトランティスが消滅した。
ソフィアさんはそう仰いました。
でもわたしは彼が生きていると思っています。
南極のときだって彼は生きて帰って来ました。
わたしはこれ以上、絶望に振り回されたくない。
あのときみたいに彼の隣にいられる機会を失いたくない。
それなら。
今、わたしにできることは――――




