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■■ジャンヌ=ガルニエ's View■■


 薄汚れたフード付きの外套を頭から被る。

 のそのそと歩く大勢の人の合間を不自然にならない速度で縫っていく。

 そうして人の海を抜けた先にに広がった水面が曇天に黒く映った。



「黒海だぁ」


「しっ! 静かに」



 小さく歓声をあげるリアムに釘を刺す。

 目の前に広がった海を見て感動する気持ちはわかる。

 無感動な人々の中で大きな声をあげると目立ってしまう。

 リアムの『正常な』反応はこの場では異分子と映るからだ。


 あたしは人間が抱く感情を切り離して動くことができる。

 それは幼少期から鍛えられた諜報術のおかげだ。

 もっともあたしの固有能力(ネームド・スキル)が育ちとは異なる派手な槍というのは皮肉に思える。

 でもそれが今のアイデンティティを構成するのだから素直に受け入れている。


 あたしとリアムと、高天原の仲間。

 武を始めとしてあの学園で過ごす空気が好きだ。

 その時間を守るために、あたしはあたしに出来ることをやる。

 この怪しげな教団の実像を掴むために。



「・・・ね、リアム。ほら、あそこ。何があるか見える?」


「あれれ、不思議だね? 船が水中に潜ってくよ」



 沿岸の小高い道を歩きながら横目で海のほうを示す。

 彼もちらりと確認して、その光景を追認する。


 あたしの視力は100/40。日本で言えば2.5相当。

 見えるほうだと自負しているがリアムには敵わない。

 彼の視力は220/40。日本式なら5.5。

 明らかな遠視で狙撃のための視力を生まれながらに有していた。

 その器用さと相まって奇跡的な狙撃の腕を実現している。


 そのリアムが黒海のど真ん中で動く何かを観察していた。

 黒海の波打ち際から水平線方向に目測およそ10キロメートルの位置。

 何もないはずのそこに何かがあるということだ。


 黒海沿岸には人が溢れ、難民キャンプのようにあちらこちらにテントや簡易家屋が設置されている。

 教団の中で警備を司る武装した人がちらほらと歩いていた。

 海に入ったり海をじっと観察したりする者を「不敬だ」と排除している様子。

 恐らくは黒海そのものが『聖地』だから無作法を許さないという建前だろう。


 でもその聖地、黒海の中に何かある。

 だから信者の関心が向かないように見張っているのだろう。

 ここから見えるのは黒っぽい海だけだがリアムにかかれば望遠鏡なしに観察することができていた。



「よし、あそこに何かあるのは確定。陸からの入口がどこかにあると思う。探そう」


「う~ん、見える限りは難民キャンプみたいなところばかりだよ」



 この沿岸には救いを求めて集まった民衆が作るバラックが点在している。

 魔物の脅威が無いとはいえ衛生環境も悪く食糧も教団が用意する炊き出しのみ。

 教団への布施から大量に購入しているのだろうけど、炊き出しはいつも野菜入りスープのようだった。



「もう炊き出しをやってるんだね。お昼だ」


「またあの(・・)ニオイがする。あまり吸い込まないようにね」


「うん」



 当然、これだけの移民を支える食糧生産など黒海周辺にはない。

 教団の炊き出しはほかに食糧入手手段のないこの地で人々の生命線であり誰もがそれを口にする。

 一見、親切なそれは様々な毒物訓練を行ったあたしの嗅覚に悪魔の所業と映る。

 あれを継続的に摂取すると依存性が強くなり思考力が奪われる。

 なるほど、この場の人々が無気力な表情をしているわけだ。



「ジャンヌ、あれ」


「なに?」



 何かしらの手掛かりを探していたあたしたちの目の前に人が集まっているところが見えた。

 無気力な顔をした老若男女が数十人。

 彼らは陸から突き出した大きな桟橋を歩き、その先にある舞台のような箇所へ向かっている。

 その後ろに教団の身分が高いと思われる偉そうな法衣を身に纏った輩が声を出していた。

 そいつが指示を出して人々を舞台へ向かわせていた。



「何をするつもりなの?」


「あそこ見て、メガリスが出て来た」


「え?」



 小声で、でも声はあげずに。

 見れば船が消えたと言っていた個所からメガリスらしき翼の生えた竜が出て来ていた。

 これでほぼ確定だ。メガリスを飼っているのは教団だ。

 そして教団の何かがあそこにある。



「御遣様だ」


「ありがたやありがたや」



 周囲の信者たちが跪き祈るような仕草を見せる。

 あたしたちもそれに倣って跪いた。


 あたしはリアムに記録を撮るように促す。

 彼は小型カメラで撮影を始めた。

 これで何が起こっても記録できる。



「敬虔なる諸君、本日も神聖なる浄化により天上へ導かれる者たちが集った」



 幹部の言葉に周囲が祈る様な仕草をする。

 舞台上に進んだ人々の前にメガリスが降り立った。

 その巨体にも、ばさばさと降り立つ風圧にも、舞台上の人々は無関心だ。

 彼らは恐怖することもなく、ただ茫然とその前に立ち尽くしたままだった。



「御遣様、敬虔なる者たちを天上へとお導きくだされ!」



 その言葉を合図にメガリスから黒い何かが溢れ出る。

 どろどろとしたそれはあたり一帯を毒ガスのように包み込む。

 メガリスも舞台上の人々もその黒い影に覆い尽くされた。


 やがてそれは静かに色味を帯びてゆき、赤、青、緑、茶の混じり合った不思議な輝きを放つ。

 その虹色の靄は風にかき消されるように音もなく四散していった。



「うそ・・・!」



 思わず声が漏れてしまう。

 慌てて口を閉じ、周囲に悟られていないことを確認した。


 舞台上には何も残っていない。

 メガリスも、人々も、何もなかった。

 ただ桟橋の舞台がそこにあるだけだった。



「あれは魔力の四散だよね。具現化崩壊(リアライズ・ディケイ)みたい」


「・・・・・・」



 リアムの言うとおり、あの魔力の四散具合は具現化崩壊(リアライズ・ディケイ)と同じ。

 つまり、魔力を帯びた形あるものが具現化するための力を失って四散していく姿。

 でも人間が、生きているモノが崩壊(ディケイ)するなんて聞いたことが無い。



「おおお、御遣様が天上へお導きになった」


「なんと羨ましい」



 周囲から漏れ聞こえるその信心にぞくりとする。

 あれだけの人が一瞬で居なくなった。

 死んだかどうかはわからないけれど消えてしまった。

 それが「羨ましい」儀式であると人々が認識している。

 これが『浄化』――!!


 目の前で凄惨な殺人が行われれば教団を詐欺と罵ってぶち壊すこともできる。

 でも今、目の前で行われたことは違う。

 虹色の輝きが神聖なものであると誤認させている。

 あれで苦しみもなく来世へ行けると言われてしまえば信じてしまうかもしれない。


 いったいあれは何が起こったの?

 メガリスが食べたというのならメガリスはどこへ行ったの?

 どうしてぜんぶが消えてしまうの?

 あたしには理解が追いつかなかった。



「ジャンヌ。あの偉い人がどこかへ行くよ」


「! 追うのよ」



 あたしたちは慌ててそいつを見失わないよう動き出した。



 ◇



 悠々と歩く偉そうな輩。

 自然と左右に分かれる人垣。

 その信徒の動きでそいつが教団の偉い奴だという証拠になる。

 こいつを追っていけば何かわかるはず。


 小一時間ほど追うとバラックやテントが疎らになり人が少なくなっていく。

 どうやら黒海の西側が過密なだけで東に進むにつれて人口密度は下がるようだ。

 東欧の世界戦線近傍から逃れた人々が到着する場所だからだろう。


 さらに進んで行くと海岸線と垂直方向に木柵が張られていた。

 高さ2メートルくらいの木柵は明らかに一般の信者を拒絶している。

 幹部らしき輩は扉になっているところから中へと進んで行く。



「・・・あたしだけで行く。何かあったら援護して」


「うん。気を付けてね」



 あたしは柵に沿って内陸側へ駆け出す。

 ずっと森が続いており柵の前は開けている。

 向こう側には見張りがちらほらと歩いていた。

 見つかれば面倒になる。

 どうにかして侵入できる場所を探すしかない。


 数百メートル走ったところで枝の張り出した大木があった。

 それに音もなくよじ登り枝先まで進む。

 ここからならば柵の内側までジャンプで侵入できる。


 あたしは予め途中で拾っていた瓶を勢いをつけて柵の奥へ放り投げた。

 ばりんという大きな音に見張りをしていた人たちがそちらに気を取られる。

 その隙に枝から場内へ進入し、物陰に隠れながら沿岸へと走った。


 見つからないよう最速で建物やモノの影を走る。

 やがて海辺が見えてくるが何もない。

 木柵からもっと奥へ行ったところになにかあるはずだ。

 あいつを追ってさらに奥へと進んだ。


 しばらく走ると桟橋があった。

 そしてあいつがそこから何かへ乗り込もうとしていた。



「・・・潜水艦?」



 形状からして水面から浮き出ている円筒形のものは潜水艦だろう。

 乗り込んだそれは静かに水に沈んでいく。

 波を立てずにちゃぷん、と姿を消した。


 黒海の沖にある何か。

 海岸から乗り込む潜水艦。

 もう答えは出たようなものだった。


 目途は立ったと引き返すことにした。

 戻ろうと振り返ったとき、視界の端に違和感があった。

 はっと振り返ると沈んだはずの潜水艦の突起部が水面から顔を出している。

 それを認識した瞬間、あたしは直感的にその場を飛び退いた。


 ――気付かれた!!


 ドドドドドドド!!


 その突起は煙を巻き散らしながらあたしを目標に銃撃した。

 弾幕に触れないよう周囲の障害物を縫って駆ける。

 反省会をする間もなくその銃撃音に周囲の見張り達が駆けつけて来た。


 100メートル以上は離れていたのに気付かれるとはなんて間抜け。

 平穏な日々(ぬるま湯)に浸っていたせいで気配の消し方が鈍ったのかもしれない。

 銃撃を避け、見張りを撒いて走り回るうちに潜水艦は姿を消していた。


 とにかく今は逃げるだけ。

 見張りの数は多いけれどあたしを捕まえられるようなデキる奴はいない。

 どいつもが素人丸出しで銃剣を装備しているだけ。

 あたしが走り回るものだから互いに銃口を向けて撃てずに右往左往してる。

 彼らを翻弄するように駆け、そいつらをごぼう抜きにしてリアムのいるところまで戻った。



「ジャンヌ、開けておいたよ!」


C’est bien(良くやったわ)!」



 門まで行くと目の前から見張りがいなくなったリアムが扉を開けてくれていた。

 追っ手は見えるが遅い。足の速さも完全に素人集団だ。

 回り込んで捕えに来るほどの融通も連携も利かなそうだ。


 あたしたちはそのまま信者がバラックを広げている雑多な個所まで駆け抜ける。

 この中に紛れてしまえば奴らに見つからない。

 ある程度進んだところで、他の信者のようにのそのそ動きに戻し、ゆっくりと進んだ。

 隙を見てフードを裏返し色を変える。

 これであいつらには見つけられないはず。



 ◇



 黒海沿岸を抜けて西に数キロの位置。

 信者のキャンプもすっかり無くなり砂状の道があるだけ。

 ここまで来ればもう追手も来ないだろう。


 小高い場所から後ろを振り返る。

 眼下の沿岸一帯に広がる難民キャンプのような光景が教団の勢力を思わせる。

 彼らはああして『浄化』を待っているのだろうか。

 それが来世へ繋がる儀式だと信じているのだろうか。

 どうにかしてあれを止めなければ。



「浄化っていったい何なの・・・」



 口を吐いて出る疑問。

 あれが単純な虐殺だとは思えない。

 あたしの知っている知識にはない事象だ。


 知らないことを考えてもわからない。

 考えるのは姉貴の領分。早く帰って報告しよう。

 そうしてリアムを促して藪に隠した二輪車、Bパンサー2210に乗ろうとしたときだった。



「おや、せっかちだね。折角遊びに来たのだから楽しんで行けば良いのに」



 背後から聞こえた聞き覚えのある声にぞくりとした。

 あたしの動きを読んでいる、その飄々とした語り口。

 通信越しではなく、ごく間近にいるその存在に本能的な恐怖を感じる。



「ええ・・・ちょうど遊び足りないと思っていたところだわ!」



 振り返るとにまりと口を歪めたあの教祖の顔が目に飛び込んできた。

 あたしは紅魔槍(フィン・マクール)を呼び出すと振り向いた勢いでそいつに突き立てた。

 よし! これは殺った――!!



 ――はずなのに。



 あたしはその語り掛けを無視してBパンサー2210に飛び乗った。

 スロットル全開でドリフトさせてそいつに砂煙をかけて逃走路へ車体を向ける。



「リアム! 撃って!!」


「うん!」



 ウィリー寸前の足踏みに彼が飛び乗ったところで一気にその場を離れた。



「――え?」



 あたしは確かにあいつに槍を突き立てたはずなのに。

 気付けばこうして全力で逃走している。

 おかしい、何が起こったの!?


 混乱しながらも加速を続ける単車を操作する。

 リアムは奴に向かって神穂の稲妻(ブリューナク)を乱射していた。

 だけれどもバックミラーに写った奴には全く影響がないようだった。



「うわ、黒い結界だ! 防がれちゃった」


「ははは、迷わず逃走とは良い勘をしている! 次は大いなる歓待を約束しよう!」



 エンジンの爆音がその声をかき消したはずなのに。

 しばらくの間、あたしの耳にはその言葉がこびりついたように残った。

 振り落とされまいと腰にしがみつく彼の感触に脱出できたという安堵を感じながら。








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