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■■ソフィア=クロフォード's View■■
地位や力のない者たち。
キャメロットや防衛軍の手の届かぬ場所にいる者たち。
彼らはこぞって教団に救いを求めた。
入信した者はその身分に応じて財産を差し出し教団の主催する集会に参加した。
そこで『教義』の薫陶を受け、その教えに従って日々を送るようになる。
そうして各地から『聖地』である黒海周辺の地域へ入信者たちは集結した。
今やそれは一大勢力となり、大国をも凌ぐ勢いで活動を始めている。
――『超人類救済教団』の居場所に魔物が襲来することはない。
そんな噂が流れはじめるとますます民衆は救済を求め教団への入信者は増え続けている。
その胡散臭い言葉はいったいどこまで信用されているのか。
実際に被害が及んでいないのか、それとも偽情報なのかは判別がつかない。
黒海周辺は世界戦線の外側で魔物が支配する領域だからだ。
その一方で世界政府軍の成果は芳しくなかった。
世界戦線は徐々に押し下げられ魔物に占領された領域は破壊されていく。
『世界政府は民衆を見殺しにする』というデタラメさえ生まれてくる始末だった。
◇
――欧州賢人会議
大惨事の後、欧州における世界戦線を支えた者たちにより創立された会議。
軍事、政治、産業、経済、宗教、貴族、市民団体。
欧州における各分野の有力な代表がこの場に集い、ひとつの集合体としての方向性を定める。
かつての欧州連合と比して各方面の実力者で構成されるこの会議は機動力に溢れていた。
だからこそ権威高く、畏敬の念を抱かれる場でもあった。
遺産認定を受けている歴史的建造物、パレ・デ・コングレ・ド・パリの高層部。
欧州賢人会議はそこで開催されていた。
古典的美意識が強調されたその部屋は多くの参加者が喜んだ。
古典様式こそが格式高いと信奉する価値観は未だに蔓延っていたからだ。
出席しているのは当初より席を割り当てられた各分野の代表者。
もっとも、それらは概ね有力貴族により息のかかった者で構成されていた。
その勢力図がそのまま権力の勢力図に置き換えられるように。
「なぜドイツ王国は教団の救済を受けぬのだ。無駄に死者を増やすこともあるまい」
「何度も申し上げているとおり、教団は何の保証もいたしませんでしょう。その空手形に欧州全土が屈すれば次は北米、東アジア。人類の未来はございません」
「救済を受けた国では実質的な被害はないのですよ! 貴殿らの都合で民を危険に晒して良いと思っているのですか!」
その会議の席上で討議が繰り広げられていた。
わたくしはドイツ軍司令部を支えるクロフォード家名代として参加している。
病床に臥せっているドイツ国王の名代であるカール殿下と一緒に。
ふたりで各国からの尋問の矢面に立つ。
そして弁舌の立つわたくしが主に応対を担っていた。
高貴なる守護者たち。
すなわち民を守り国を守る力を持つ者たち。
その立場を保証するのは誰か。
任ずる国王かもしれない。
或いは教皇かもしれない。
だけれども、いちばんの支持者は――。
「その弱者たる民を守るための闘いですわ。ヴィルヘルム・クロフォードより続く持てる者の義務。今更、何を仰りますの?」
「だがドイツ王国が救済を受けぬが故、ブルガリアの国境より貴国を目指して魔物が侵入している!」
「そうだ! 我らギリシアの戦線からも多数の侵入がある!」
「そのとおり! 我らの安全をも脅かしているのだ!」
幾つもの国が同調する。
クロフォードを中心とした欧州貴族連合軍が抗戦をするため、世界戦線を突破した魔物がドイツ王国を目指しているというのだ。
教団へ恭順した国々はその侵攻を免れているとのことだが、攻撃されないにしても魔物が侵入し通過するため、安全と言われていても気が気ではない。
「世界戦線を国土に抱える国には敬意を表します。ですが何故、古くからの同胞でなく教団を信用してしまい戦線を維持してくださらないの?」
「教団に従えば魔物からの被害は免れる。それは実証されている!」
実際に教団の教えとやらに従えば魔物からの被害は格段に減るらしい。
それでも領内に侵入した一部の魔物が暴れて被害が出ることがある。
その被害を防ぐため魔物が行列を作って行進するのを止めさせろという論理。
結局、喉元に当てられた刃は外されないまま「安全」と言われても不安で仕方がない。
その刃を引っ込めさせるためには皆で恭順するしかないという話だ。
「聞けばクロフォード公爵が率いる欧州貴族連合軍の遊撃隊が行く先で魔物が逃げ出しているというじゃないか。自らは犠牲を出さぬよう魔物と通じているのではないか?」
「確かにこれまでの魔物の動きとは一線を画すると報告されておりますわ。ですがその事象ひとつを以って判断するにはあまりに稚拙ではありませんか?」
「魔物に知性がないことはこれまでで実証済みだ! 猛進してくる魔物と対峙してクロフォード公爵は被害を出していない! 魔物と何らかの関りがあるのだろう!」
「そうして都合よく関われる手法があればこちらが教えていただきたいものですわね」
「誤魔化すな! クロフォード公爵が魔物と通じていると考えても不自然ではない!」
事前に入手した情報どおり。
クロフォードを悪として相対的な地位を確保しようとする動きだった。
「やはりアンハルト王朝も独裁だな、このように怪しいクロフォードを重用しているとは。ドイツ国民も教団への帰属を欲しているというだろうに」
「かつてのナチス同様、民衆の扇動が長けていると見える」
「異議を申し立てる! 貴君らは我が国の侮辱を以ってその立場を擁護するだけに見える」
「我らは清廉潔白であるぞ! 人類救済を騙り偽りに塗れているのは貴殿らではないか!」
ああ言えばこう言う。
カール殿下が暴言に反論した。
もはや議論とは呼べぬ感情論で物事が判断されていると思えるほどだった。
「皆様も紳士であればお静かにお願いしますわ。ではわたくしからお尋ねしましょう。先日、各国首都をメガリスなる魔物が急襲いたしました。かの魔物は知性ある意思を放つことが観測されておりますわ。皆様はメガリスに武力を以って脅され、命惜しさにこのたびの協定を結んだのではございませんか?」
メガリスは教団による脅しだった――
わたくしはメガリスに屈した国がその破壊から免れていたとの情報を得ていた。
「な、ど、どこにそんな証拠がある! 我らは教団の教義に賛同して条約を結んだのだ!」
「魔物が言葉を喋るなど記録にも残っていない! 貴殿の妄想ではないのか!」
「妄想、そう、妄想と仰いますか。わたくしはハンブルクに現れたかの魔物と対峙し撃退しましたわ。かの怪物は相当な強さでございました。教団と条約を締結している皆様の武力では、とてもあの怪物を撃退できるとは思えません」
実際にメガリスを撃退できた現場では相当な被害が発生していた。
このパリでも多数の建物が破壊され、まるで戦争でもあったかのような光景が市街地に生まれていた。
その戦闘の激しさはこの会議場を訪れる前に嫌でも目に入る。
それがメガリスの強さを示す何よりの証拠だった。
「武力での撃退ができぬメガリスはどうして立ち去ったのでしょう? 是非、説明してくださらないかしら?」
「そ、それは・・・その化け物が突然、立ち去ったからだ・・・」
「なるほど、知性ある魔物であればそういう行動も取りましょう。であれば、欧州貴族連合軍と対峙する魔物がこれまでと異なる行動を取ったとしても不思議ではございませんわね」
「ぐっ・・・!」
大した証拠がないというのはお互い様だ。
ならば状況証拠が示せされれば黙るしかない。
このパリを会場に選んだ理由はここにあった。
「事実無根を唱えるお時間で防衛計画を立ててくださらない? このパリの惨事を繰り返さぬためにも」
「なっ・・・!」
ドイツへの侮辱にはわたくしも怒りの表情を隠せていない。
こうして保身に聡いところが貴族の唾棄すべき習性だわ。
「教団に恭順することで自国の被害を免れる。それは各国の判断といたしましょう。ですが抵抗を続ける者を貶める行為は看過いたしかねますわ」
「我らは抵抗をするよりも教団に従うほうが安全だと進言しているのだ!」
「無駄な犠牲を払わなくて良いのだからな」
「――無駄な犠牲、ですって?」
前線で闘う者達は世界人類を守護することを信じてその尊い命を捧げている。
そこには自身の家族だけでなく自国の民、それこそ見知らぬ国や人さえも含まれる。
その高潔な尊い精神を、無駄、とは。
「尊い新人類の戦士たちの献身を、その高慢な立場で貶めることが貴方がたのありようですの?」
「ドイツ王国はその尊い者たちを使い捨てにしておるというのだ」
「使い捨て。何とも人権を顧みぬ浅ましい言葉ですわね。では問いましょう! 教団の救済を受ける代償はどういったものがございますか!」
あまりに続く教団の肯定、すなわち自身の保身に耐え兼ね、わたくしは切り込む。
欧州各国の権力の中枢たるこの面子。
大多数が教団に従っているという情報は既に得ている。
そしてその代償に何を奉じているのかも。
「我が国のGDPの1%だ」
「たったそれだけで魔物の被害が抑えられるのだ。そうすれば戦線を維持する理由もない!」
「『たったそれだけ』? それは真実ですの?」
「他に何があるというのだね! 見ろ、公式の調印文書もそうなっているだろう!」
世界戦線を抱える東欧の国々、軍事力の弱小な国々はこぞってその妥当性を主張した。
ほんとうにその金だけで魔物が約束を守ってくれているならそれでよい。
それが真実ならば、だ。
「なるほど確かに教団との協定はその負担で為されたのでしょう」
「我が国もこれだけで教団は我らを魔物の侵攻から免れるよう教示をしてもらっている!」
「ですが教義上の儀式として日常的に布施などを要求されているのではありませんか?」
「宗教に儀式はつきものだろう。経や題目を唱えることで罰せられるものではない」
「それでは貴方がたはその儀式の――『生贄』をどうやって選んでおりますの?」
「生贄!? そのような野蛮で外聞の悪い言いは不遜だ!」
「そうだ、『浄化』による神聖なる救済なのだぞ!」
「その物言い! 尊い行為を貶めているのは貴様らのほうだ!!」
わたくしの発言に対してあちらこちらから苛立った声が立つ。
自らの行為を表現を変えて正当化するもの。
わたくしを貶めることであちらが正しいと形作るもの。
どれも聞くに堪えない。
結局のところ、後ろめたさや罪悪の意識がそうさせていると喧伝しているだけだわ。
「お黙りなさい!!」
ばん、と両手で机を殴打した。
響き渡る音が議場を占拠する。
上品なわたくしの予想外の行動に誰もが黙った。
討議している相手を睨みつけると喚いていた者たちが顔を青くした。
「毎日、AR値を合計100相当――これは皆様がご存知の数値ですわね」
「・・・・・・」
「そう、貴方がたが仰る『浄化』で要求されるAR値ですわ」
「『浄化』を受ければ来世が保証される! 尊い儀式だ!」
「本気でそう仰るのであれば、どうぞご自身で明日の『浄化』をお受けください。教団は身分に関係なく平等を謳っておりますでしょう?」
「うっ・・・わ、私は国を導く立場にある! 直ぐには受けられん!」
わたくしの言葉に、結局は彼らは口を噤んだ。
そう、教団への資金提供は教団との契約を成すため。
日々、実質的に求められている負担は『浄化』と称するこの生贄だ。
毎日、魔物へと捧げられる魂。
彼らの犠牲をもって、魔物はその国へ侵攻しなくなっている。
「山奥に巣食う悪しき竜。麓の村へ降り立ち人を喰らう――」
「・・・・・・?」
「人々は荒ぶる竜を鎮めるために捧げた。ひとりの巫女を生贄として――」
「・・・・・・」
「巫女は村を憂い志願した心優しき女だった――」
わたくしの謡うような語りに場の人々はぽかんとした。
突拍子もない物語に毒気を抜かれたかのようだ。
「永い時を経て竜はふたたび人を喰らった。人々はまたひとりの巫女を生贄として捧げる――」
「・・・・・・」
「だが村は竜に食い殺され滅んだ。村人に生贄として強要された巫女は逃げ出したからだ――」
「・・・それが我らの辿る道だと言うのかね?」
「あら失礼、子供にもわかりやすい御伽噺を。つい口を吐いてしまいましたわ」
ざわり、と大多数がいきりたつ。
この場で方向性の一致などできようもない。
保身に走った彼らを翻意するには彼らの安全を保障するしかないからだ。
今のところ彼ら自身や身内に犠牲はない。
詰まるところ、彼らに痛みはない。
痛むのは税を納める民であり、生贄を捧げる民であるだけ。
多くの敵意ある視線を受け、わたくしはカール殿下に目配せする。
殿下は深く頷き、凛とした表情で颯爽と立ち上がった。
「結論を申し上げる! 我がドイツを始めとする貴族連合軍はこれまでどおり徹底抗戦を続ける!」
「それは教団と未来を模索する我らとの関係を、連合の歴史を終わらせるということか!」
「それが民の犠牲のうえに成り立つものであるなら、我々に連合など要らぬ!」
カール殿下は堂々と、よく通る声で宣言した。
イギリスのアインホルン家など、ドイツ王国へ追従する各国の貴族もそれに倣い起立した。
だがその数は全体の十分の一にも満たなかった。
「やはりアンハルト王朝は独裁だ!」
「教団の教えに逆らう愚か者たちめ!」
「悪しき独裁者よ、出ていけ!」
別れの文句は耳を塞ぎたくなる雑言。
自らを擁護するためこちらを貶める声ばかりが響いた。
彼らはどれほど罪の意識に苛まれているのか。
その哀れな叫びはわたくしの耳には届かなかった。
彼らとは完全に袂を分かつことになったのだから。
どちらかが滅びの道を歩み始めたことは違いない。
◇
人間の愚かしさは古今東西に通じている。
古代中国の属国である朝鮮が日本との緩衝地帯となったように。
古代ソヴィエトの衛星国が東西冷戦の矢面に立たされたように。
常に強者は弱者へ強いるのだ。
それが尊い犠牲だと、名誉ある死だと、美辞麗句を並べ正当化して。
歴史上の回顧がまさしく目の前で起こっている現実にわたくしは無力さを感じた。
教団を是として各国は弱き者たちを差し出した。
その人たちが黒海を目指して難民化している。
欧州が割れてしまった今、すべての人を救うことはできない。
まるでノアの箱舟だわ。
選ばれた者だけが救われる。
だけれどもこの箱舟の安全保障は神でさえしてくれるものか。
わたくしは改めて、クロフォードの矜持を貫く決心を固めた。
会場の外でカール殿下はドイツに賛同する方々との決起を新たにした。
それを見届けてたうえで殿下に進言する。
「殿下、武官たるクロフォード、これより国の防備を固めて参ります」
「ソフィ、待ってくれ。いくらなんでもこんな時に人類で戦争など・・・」
「教団はそれを求めているのですわ。地上から人類を消し去るために」
「なんと・・・!」
「わたくしの信頼できる友人が持ち帰ったお話ですの。教団の目的は人類の掃討ですわ」
カール殿下は驚愕している。
当たり前だ、まさか人類共通の敵からの防衛手段を話し合った結果、互いに殺し合うことになるなど想像もつかない。
だけれどもそれが現実となりつつある。
「ああ、我々は愚かにも共通の敵を抱えながら同胞に手を掛けるというのか!」
「殿下。人同士の争いが起きる前に教団を叩けば事は収まりましょう」
「同志ともそのような話が出た。可能であればそうしたい。だが教団がどこを拠点として活動をしているのかはわからぬのだ」
「今その情報を集めておりますわ。有力な情報が入り次第、教団を対象として行動を開始いたします。よろしいでしょうか」
「許可する。そうできるならば願ってもないことだ」
「教団へ恭順した方々は・・・生への執着は目を曇らせますがゆえ。我々が人の誇りを示しましょう」
「そうだな、ソフィ。卿の言うとおりだ」
カール殿下とリムジンまで歩き、乗車するところで。
周囲のSP達が声もあげぬままばたばたと倒れた。
「! 風圧壁!!」
わたくしは反射的に飛んで来た何かを弾いた。
巻き起こった風がばちんと拒絶したのは小さな矢だった。
「殿下! お早くご乗車ください!」
カール殿下を防弾対ショック装備のリムジンに押し込め、わたくしは周囲を見渡した。
会議場の屋外は森に囲まれ隠れる場所は多数ある。
暗殺に持って来いの立地だった。
まさか教団に属さぬ国の首長を一斉に除くつもりか。
わたくしは車を叩いて殿下を先に避難させた。
先頭であったドイツに続き、他国の要人が乗る車も一斉に走り去った。
良かった、彼らが御無事であれば国体は保たれる。
わたくしひとりであれば生き残れる自信はあった。
見張られている気配があった。
場所がわからない。
こういうときジャンヌ様が居られると助かるのだけれど。
ふたたび何かが飛んで来た。
展開してあった壁を強くしてそれを弾く。
からんと落ちたものを見れば、青い残滓となって消えゆくところだった。
「具現化を使う暗殺者。ディスティニーランドを思い出しますわ」
臆病なわたくしを武様に助けていただいた想い出。
あの事件のおかげでわたくしは怯えを抑え込めるようになった。
ああ、武様には感謝してもしきれない。
――ソフィア=クロフォードは闘いに臆病である
そうした情報を改めて流布した成果がこうして実を結んだというのは何とも皮肉に感じた。
「――竜角剣」
わたくしが具現化すると、周囲に身を隠していた者たちが姿を現した。
飛び道具では倒せないと悟った様子。
5人いれば臆病なわたくしひとり、簡単に殺められるとお考えのようだわ。
「わたくしが身を喰らう蛇如きに膝を屈すると思っていただいては心外ですの」
風を足に纏いわたくしは舞った。
クロフォードが為すべきことの第一歩だと自分に言い聞かせながら。




