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■■ジャンヌ=ガルニエ's View■■
トランクに家財道具をぱんぱんに詰め込んだ自動車。
夜逃げのような車は1台や2台じゃない。
定員オーバーでドアが閉まり切っていない乗り合いバスにさえ人が殺到する。
目の前に魔物がいるわけでもないのにまるでパニック映画の撮影現場かと思うような混乱だった。
「うわぁ、すごい人だね~」
「逸れたら合流できなくなるからしっかりついて来て!」
「うん!」
「ちょっ・・・!」
「これなら大丈夫だね!」
あたしの声に対する返事はぎゅっと握られた左手。
これまでほとんど手を繋いだことがないというのに躊躇なく握られ吃驚してしまう。
にこにこしている彼の笑顔に緊急事態だということを忘れてしまうほどだった。
「そ、そうよ! しっかり掴まってなさい!」
PEで座標を確認しながら駆け出す。
リアムも足並みを揃えてついてくる。
道路は車で埋まり歩道も人で溢れていた。
かきわけるように進んで行くが、思うように進めない。
走ることもできず3ブロック移動するだけで10数分かかってしまった。
その場に留まるといつ魔物が現れるかわからないという、漠然とした恐怖が人々を突き動かしていた。
逃げるにしても陸続きの至る所で魔物が湧き出ているという情報が錯綜する。
車が駄目なら電車で逃げようと駅に人が殺到していたが、乗ったところで途中で止まるのが関の山だ。
「こっちよ!」
「あはは、パニック映画みたい」
「みたい、じゃなくてそのものよ!」
逃げ惑う人々に活路があるとすればふたつ。
ひとつは海上へ逃げること。
地上を徘徊する魔物は海上には来ない。
動物と同じで自身が存在できる環境に限界があると考えられている。
そして海上では魔物の被害は少ない。
これは何故だかわからないが海洋の魔物はほとんど発見されていないからだ。
だから交通手段のひとつとして船が発達していた。
「見て、港が封鎖されてるね」
「当たり前よ、殺到したら海へ押し出されるわ」
問題はここにその船が少ないことだ。
今、目の前のハンブルクの港には大型の艦船が多数、泊まっている。
だけれども乗船を希望する人間の数が多すぎる。
無差別に許可を出そうものなら人が乗り過ぎて転覆するかもしれない。
貴重な艦船を無駄にしないため港を閉鎖した国軍の動きは上出来と言える。
海路だと思いついて港へ押し寄せた人々が岸壁に殺到することがなかったのだから。
「みんな、あっちの方へ向かってるね」
「・・・目指してるのはドーバー海峡よ」
そしてもうひとつの活路は新人類の戦士に守ってもらうこと。
現時点ではそのほうが現実的だった。
世界政府の防衛軍が国境に展開している。
この部隊の近くへ避難すれば、少なくとも為す術もなく魔物に殺されることはない。
庇護を受けたい者たちのもうひとつの希望はキャメロットの存在だ。
新人類の戦士を育成する欧州随一の機関。
欧州中の能力者が集う学校であり、生徒は具現化の訓練を十分に積んでいる。
ここへ通っている者たちに守ってもらえれば防衛軍と同一以上の庇護を受けることができる。
だからキャメロットのあるロンドンは安全だという噂が流れていた。
いや、適度に情報収集をした者ならば自然と至る結論だろう。
「みんな、グレートブリテン島へ向かってるんだね?」
「キャメロットを目指してるのよ」
「そうなんだ。キャメロットなら戦える人がたくさんいるもんね」
「受け入れてもらえるはずもないのに・・・」
「え? どうして?」
「ここだけでもこの数よ? 大ブリテンへ渡れたとしてもロンドン近郊に滞在なんてできないわ」
事実、ユーラシア大陸からグレートブリテン島へと移動する人間の数は億に近かったらしい。
ニュースによればドーバー海峡を潜るトンネルは激しい渋滞に見舞われていた。
低空飛行による空路は衝突事故が多発し封鎖されたという。
鉄道もは大混乱でまともに運行できる状況ではなかった。
そして受け入れる側のロンドン周辺もキャパシティを超えているそうだ。
そんな場所へ行ったところで命を保証してくれる者などいない。
衣食住がパンクして惨めな思いをしてしまうのは想像に難くなかった。
つまるところ、欧州は地獄と化すのが目に見えている状況だ。
「ここ! 着いたわよ!」
「立派なビルだね~」
人の流れに逆らって到達したのは小奇麗な高層ビル。
入口のすぐに地下へと続く階段がありその入口にセキュリティゲートがあった。
迷わず呼び出しボタンを押す。
――ジャンヌ様、お待ちしておりましたわ
姉貴の声がして扉が開いた。
リアムの手を引いてその階段を駆け下りた。
扉が閉まると外の喧騒が嘘のように静かになった。
◇
■■ソフィア=クロフォード's View■■
クロフォード公爵家の拠点はハンブルク内に幾つかある。
そのうちのひとつがこの超高層ビル、タワー・オブ・チーパー・バベルの地下。
関係者が秘密の会合を行うときに利用する部屋があった。
先刻、極圏高速鉄道で到着したわたくし。
混乱で身動きが取れなくなる前にさくら様とここに駆け込んだ。
ジャンヌ様とリアム様も合流し、ようやくひと息をついたところだった――が。
「どうして、どうして駄目なのですか!!」
「ぐぇ、ご、ご、ご説明を差し上げ、ますわ」
確かにわたくしは唆されて手配をした。
その時点ではわたくしの一存でそれが許容される状況だった。
決して彼女に絆されたわけではない。
だからこそ、ここまで一緒に来たわけで。
「お願いです! わたしだけでも行かせてください!!」
「ででで、ですから・・・」
肩を掴まれてがくがくと前後に揺さぶられ続けるわたくし。
彼女の射貫くような銀の双眸に捕まったままだ。
いや、冷静ではないのはわたくしも同じ。
このままでは意識が飛んでしまう。
「ちょっと、さくら! 落ち着きなさい」
「ソフィアが落ちちゃうよ~」
ジャンヌ様とリアム様がどうにかしてさくら様をわたくしから引き剥がしてくださる。
危なかった・・・今のさくら様は危険だわ。
ふうふうと息を弾ませてわたくしを睨んでいるさくら様。
「ソフィアさん!!」
「さ、さくら様。ま、先ずはお話を聞いてくださいまし」
ひときわ大きな声でわたくしに翻意を促す彼女。
ようやく解放されたけれどその射貫くような視線からは解放されない。
返答如何では行動でお示しになるという意思がひしひしと伝わってくる。
ああ・・・またわからせられるわけには・・・。
しかし、しかしだ。
この情勢下でおいそれと許可はできない。
許可してしまえばクロフォードと同盟諸侯の信に軋轢を生じさせることとなってしまう。
「わ、わたくしとて彼の安否は優先事項であることには変わりありませんわ」
努めて冷静に、ゆっくり話しかける。
さくら様は聡いお方。
彼を主題にすればお話は聞いて下さる。
案の定、この言葉に頷いて飛びかからんとする姿勢は解いてくれた。
・・・その先の結論はともかく、今は情勢を説明するしかない。
「んん、御承知のとおり・・・今、欧州をはじめ世界は未曽有の危機にありますわ」
「世界戦線が脅かされ各地で魔物が出現しているのですよね。武さんのところも、アトランティス大陸もきっと大変です! 救援が必要です!」
「そのとおり、わたくしもそう考えますわ。ですが今は欧州の防衛で手一杯ですの」
「港の船は遊んでいるではないですか!」
「さくら様、先にご理解ください。欧州の防衛は一枚岩ではございませんの」
「世界戦線ですよ? 人類が共同で対抗しているのですよね? 対立などあるのですか?」
「ええ、表向きは、ですわ」
ようやく会話が成り立つ。
頭が働いてさくら様の雰囲気が緩む。
よし、このまま説得するのよ。
わたくしは続けた。
「欧州は世界政府樹立前より独力で防衛を担う組織がございます」
「え? 世界政府軍だけではないのですか?」
「欧州貴族連合――有力貴族による私兵集団ですわ。そしてその筆頭がクロフォード家ですの」
アジア地域の世界戦線は世界政府軍が防衛の主体となっている。
敵の本拠地であるムー大陸を眼前にした日本や北アメリカの西海岸などは特に手厚く部隊が配置されていた。
だからアジア出身の方が欧州の防衛体制を勘違いするのも無理はない。
「わたくしのお爺様以来、クロフォード家が欧州の安全を引き受けております」
「ソフィアさんのお爺様・・・『救世の英雄』ヴィルヘルム=クロフォード」
「ええ、その人ですの」
ヴィルヘルムお爺様。
アフリカ大陸と欧州にかかる世界戦線を支えた英雄。
そのお力は一国の軍隊にも比すると言われたほど。
数多の新人類を引き連れて世界戦線を構築したその功績は計り知れない。
お爺様がいなければ欧州の人類は絶滅していたと言われている。
「お爺様が御旗となり具現化に長じた貴族が世界戦線を共に支える同志として集ったのですわ」
「それが欧州貴族連合ですか」
「はい。そのため欧州の世界戦線は世界政府の直轄軍よりも貴族連合が主体となっていますの」
ここまでご理解いただけたようで3人とも頷いている。
この状況をわたくしもどうにか打開したいのよ。
「ですがこの情勢。より一致団結せねばならぬ状況下で、御旗を掲げるクロフォードが統率を乱す動きはできぬのです」
「船を動かすことも?」
「ええ。特に海路は最後の手段と見做されております故、私的に艦船を動かすことは傍目に敵前逃亡、或いは私的逃避のためと映るのですわ」
「海が退路だから、というわけね」
ジャンヌ様の言葉に首肯する。
そう、軍事上の作戦なしに船を動かすことはできない。
それこそ敵を攻撃するなどの積極的な理由がなければ。
この説明でさくら様は目に見えて表情を暗くした。
しゅんと落ち込まれていく姿がわたくしの罪悪感を刺激する。
それでもこれは人類のためご理解いただかなければならない。
「ねぇ、それなら動く理由があれば良いんだよね~?」
リアム様が思いついたように口にすると、さくら様がはっとした。
「そうです! 例えば彼らを、新人類の戦士たちを救援に向かうなどは駄目なのですか!」
「ええ。軍事上の必要十分な理由があれば」
「なら、アトランティスへの救援は・・・」
「現地には大西洋第一艦隊の戦艦えちごがおります。既に戦力はあるのです。この港の艦隊は欧州の防衛が優先されますわ」
わたくしの言葉に押し黙るおふたり。
兵站や偵察に輸送、どれも戦闘に欠かせないもの。
だけれども地上の魔物には地上の軍隊が主力。
艦船は補助。海上輸送路の確保が第一となる。
ただでさえ人員不足。
理由の弱い作戦へのリソースは割けない状況だ。
そもそもわたくしの権限で動かせる部分は限られている。
お父様に無茶を言って第三艦隊を寄港させたのだけでも結構な越権行為だったのだから。
こうした状況で手詰まりとなってしまったことは完全にわたくしの誤算。
結果として武様の元へ参じるというさくら様の目的を阻害してしまっていた。
ああ、ほんとうにさくら様には申し訳が立たない・・・。
「さくら様。無駄足を踏ませてしまいましたうえに、足止めをさせてしまいました。申し開きもございません」
「ソフィアさん・・・」
わたくしは頭を下げた。
さくら様がどれほど彼を慕っているかは誰よりもよく理解している。
わたくしだって行けるのならば彼の元へ行きたい。
だからこそ、胸を引き裂かれるような状況を作ってしまったわたくしが許せなかった。
さくら様がわたくしへ歩み寄る。
罵倒されるだろうか、殴打されるだろうか。
どちらでもいい。それで今は納得していただけるのであれば。
「ソフィアさん・・・駄目です。公爵家の方が簡単に頭を下げてはなりません」
「ですが・・・わたくしの誠意はこうとしかお示しできません」
「いけません! 頭を上げてください」
彼女はそっとわたくしに寄り添い、その手でわたくしの姿勢を正した。
その声が震えていることに息を飲んだ。
「ごめんなさい。ここまでわたしの我儘にお付き合いいただいたのです。わたしが謝りこそすれ、貴女を責めることはありません」
「・・・さくら様・・・」
見ればさくら様の瞳が潤んでいた。
きっとこの如何ともしがたい事実を受け止めてくれたのだわ。
そう、彼のことで我を忘れなければさくら様は淑女。
こうしてわかってくださる。
互いに抱擁を交わして気持ちはひとつであることを共有する。
さくら様、わたくしは彼の元へ馳せるための努力は惜しみませんことよ。
「でもさ姉貴。ほんとうにどうするの? 引くも進むもできないじゃない?」
「戦うにしてもジリ貧になっちゃいそうだよね」
「それを打開するためにも、動くしかございませんわ」
わたくしは皆様に目を配る。
皆ですべきことを共有するために。
「取り急ぎわたくしたちだけではなく、世界戦線を含めた戦略を押さえる必要がございますわ」
「とすると姉貴はいちど実家に?」
「ええ。お父様に具申してクロフォードを動かします。戦略的視点が今は必要ですの」
「わかった、あたしたちは情報屋を当たって・・・」
「ねぇねぇ! ジャンヌ~! 見て、このおじさん」
「こら、今はニュースなんて見てるときじゃないでしょ」
「だってほら、あのとき無線で話したおじさんだよ?」
「え? 誰って?」
「ほら、あの最後の基地で話した綺麗好きのおじさんの声」
「ちょ、ちょっと! 見せなさい!!」
リアム様の癒されるようなふわふわとした声。
怒気も抜けるはずのそれは、今だけはジャンヌ様を駆り立てた。
そのニュースに映る胡散臭い笑みを浮かべた壮年の男が、彼女の視線を釘付けにしていた。
――現人類の繁栄の時代は終焉した。このまま滅び浄化されることが運命である
――滅びの後、人類を超える存在、超人類がこの世界を支配するであろう
――超人類による救済を求める者たちはその導きに従うべきである
――天上の導きに従う者は新時代まで生き長らえ魔に囚われることはない
「なによ、これ・・・!」
ジャンヌ様の震える声。
その男の不気味さはこの場の誰もが感じていた。
「いったい、この人は・・・?」
「あいつよ、間違いない!」
「あいつ?」
「レポートで書いた最後の基地で無線で応答した相手よ! 身を喰らう蛇の幹部!」
「なんですって!?」
『超人類救済教団』なんて馬鹿げた名称の宗教団体とテロップが示していた。
そんな胡散臭い男の声明は、今、この世界の民衆が求める救済そのものだった。
「最終戦争だっていうの、これが・・・!」
「この魔物の侵攻が最終戦争なのですか!?」
「この男、教祖が基地を破壊したときに言ってたのよ! もう始まってるって!」
「すると魔物を動かしているのはこの教団ということですの?」
「その証拠はないの。ないけれど・・・この男が何かしら糸を引いてるのは間違いない!」
画面の中で人類に呼びかけるその男の声。
それはまるで破滅を呼び起こす呪術のように響いていた。




