123
――39階
「ぎゃあああぁぁぁ!!」
通路いっぱいに迫る火炎。
全速力で逃げる俺。
赤い巨大トカゲ、サラマンダーのブレスだった。
「あらあらぁ、危ないですよ~」
そんな呑気な言葉を投げかけるデイジーさんの横を通り過ぎる。
つか、そのままだとあんたも燃えるだろ!?
「デイジーさんも危ねえぞ!」
「ワタシは大丈夫です~」
「あ!? 反魔結界!」
涼しい顔で炎の海の中で突っ立っているデイジーさん。
彼女の周りだけ球形に炎が遮られていた。
白の反魔結界は魔力を帯びた攻撃にほぼ無敵だ。
ああもう! そうだよ、俺もそうすりゃ良かったんじゃん!
でもこんなに激しく動き回ってる状況で詠唱なんてできない。
俺はそのまま逃げ回った。
そうして無我夢中で逃げ回るときに警戒なんてするわけない。
俺は通って来た通路にある罠のスイッチを踏んだことに気付いた。
「げっ!?」
廊下の石タイルがごろりと踏み下がる感触。
これ、何の罠だっけ!?
踏んでから発動するまでの1秒に満たないタイムラグで記憶を辿る。
人間、生命の危険があるときは能力が急上昇する。
記憶の古新聞から引っ張り出した記憶の正体は、槍衾!!
「ぎょわおう!?」
全力で床を蹴っ飛ばしブレーキを掛ける。
廊下の両壁から数十本の槍が同時に飛び出した。
金属同士が触れ合うジャキンという音とともに。
「止まれぇ!!」
俺は間一髪で目の前の槍を避けた。
ブレーキが間に合った。
何とか避けられた。
全身の毛穴から汗が吹き出た気がした。
「あ・・・!?」
足を止めて避けるのは良い。
だけれども・・・。
――ゴオオオォォォ!
背後から迫る炎の音。
「あ、これ、まず・・・!!」
デイジーさんがいるから即死をしない限り、何とかなる。
だけどそれは怪我をして良いわけじゃない。
服はぼろぼろになるし皆の体力や魔力を消耗する。
攻撃を食らうことにデメリットしかない。
第一に痛いとか熱いとかに好きで突っ込むアホは居ない。
刹那、俺は覚悟した。
これは焼かれる。
基本、魔物の攻撃はすべて魔力を帯びている。
サラマンダーが吐いた炎は具現化した魔力の塊だ。
普通の炎ならじわじわと火傷する。
相対的に温度が高くても0.1秒は耐えられる。
ガスコンロに指を一瞬突っ込むようなもんだ。
でも魔法で着火すると一気に燃え広がる。
魔力の密度、範囲だけが物を言う。
空気を媒介してエネルギーが伝わらないからだ。
食らってしまうと一瞬で火傷を負ってしまう。
「ぎゃあああ!!!」
ここしばらくは叫んでばっかりだな、と心の何処かで自虐しながら。
反射的に頭を守るように身体を縮こまらせた。
・・・!!
・・・・・・!
・・・・・・・・・?
一向に炎に包まれない。
背後の炎の音が消え、あれ、と思ったところで。
どごん、と鈍い音と振動が響いた。
「うふふ、危ないですよ」
「え!? デイジーさん!?」
俺を追ってデイジーさんの横を通り過ぎたサラマンダー。
サラマンダーは彼女が手を出してこないと思ったらしい。
そこをデイジーさんが後ろから殴ったわけだ。
壁にめり込んだサラマンダーはぴくぴくとした後に四散した。
いや、サラマンダーをやってくれたのは良い。
問題はその方法。
デイジーさんの手にあったのは巨大な金色の十字架だ。
彼女自身が磔になってしまうくらいの大きさの。
「ごめんなさぁい。つい手を出してしまいました」
「は・・・? デイジーさん、それ」
「ああ、いけませんわぁ。殿方を恐怖させてしまいます」
ちょっと困ったような仕草。
十字架はすぐに白い霧となり消えていく。
あ、具現化だったのね。
「デイジーさん、闘えたんだな」
「隠していてすみません。ワタシ、皆様に守って貰えることに歓びを感じておりまして」
「・・・えっと?」
「いけませんわぁ。弱いはずのワタシがこんな野蛮な姿を晒してしまってぇ」
何やらもじもじとしているデイジーさん。
うーん?
闘えるけど隠してたってこと?
身体を捩らせて困った顔をしている。
どうしたものかと思っていたら向こうで闘っていた凛花先輩がやって来た。
「すまない亲爱的武! 1匹、取り逃した!」
「ああ、始末はついたから大丈夫だよ」
「うん? デイジーはどうしたんだ? 怪我でもしたのか?」
「あらあら~困りましたわぁ~」
ずっとくねくねしたままのデイジーさん。
不思議な顔をした凛花先輩に心配されていた。
◇
その日の夜、俺とデイジーさんが見張りをしている時間帯にて。
「『粉砕のヴィーナス』?」
「はい~ワタシとしては不本意な呼ばれ方なのです」
「・・・もしかしてミロのヴィーナスが欠けてるのを揶揄して?」
「はい~、そうなのです」
「それ言い出したの聖女様・・・澪さんだろ?」
「あらぁ、よくご存じで」
凛花先輩が休んでる横でデイジーさんが口にした渾名。
あれだな、俺が『不屈のハーレム王』なんて呼ばれるのと同じか。
・・・って、それも聖女様の命名だろ?
どっちも元凶が聖女様じゃん!!
「うう、折角、武様には嫋やかな女として見ていただいていましたのに」
「ああ、うん、大丈夫。既に見てねぇから」
「ええ!? どうしてぇ~!?」
「・・・・・・」
両腕で自分の身体を抱くようにしてくねくねと身を捩るデイジーさん。
まぁ、ね。初対面のころからアレだったし。
教えてあげたほうがいいの、これ?
「なんかさ、彼女って毒舌気味だから。渾名なんて真に受けなくて良いと思うんだ」
「うう・・・でもぉ、シスター澪には逆らえません」
逆らえないって。
うん、聖女様が怖いってのはなんかわかる。
でもあれって畏怖のせいじゃねぇの?
「デイジーさん、澪さんに弱みでも握られてんの?」
「まさか! シスター澪がそんなことをするわけがありません」
「え?」
俺の中じゃ聖女様は恐怖政治を敷いてるイメージしかねぇんだが。
「澪さんて皆を脅してんじゃねぇの?」
「いいえ~、武様、それはありません。シスター澪ほど『白の女神』の渾名が合う方はいません」
「・・・ちょっと待って?」
いやさ、確かに復活で救ってもらったよ?
白魔法を使えるように鍛えてもらったよ?
でもさ、でもさ。
俺の知らない聖女様伝説はきっと恐怖政治だったと思うんだよ。
そういう想像しかできねぇって。
どうしてそんなに肩を持つの?
「もしかして口にするのも憚られるほど躾けられてる?」
「違いますぅ。武様~、シスター澪への誤解があるようですね」
「うーん、俺の中じゃ畏怖で脅す姿しかねぇんだけど」
「彼女は非力ですから。畏怖が唯一の攻撃手段です」
「まぁ、そうだろうけどさ」
そう、聖女様は固有能力が復活だから攻撃手段がない。
身体能力も妹の先輩と同じく一般人気味だと思うし。
だから非力だというのはわかる。
「でもあの態度・・・強権的なところと、無表情さがなぁ」
「・・・武様~」
「うん?」
否定されても覆らない聖女様のイメージ。
そんな俺をデイジーさんが真面目な顔で覗き込んできた。
「シスター澪からご事情を聞いておられないのですね」
「事情?」
「はい~、彼女の表情が変わらないというご事情です」
「え? あれ、生まれつきじゃねぇの?」
初対面から声色とのギャップが凄かった聖女様。
あれが標準状態だと思ってたけど、そうじゃねぇってこと?
「はい~。ワタシも関わってることです。誤解も解きたいので少しお話させてください」
「ああ、うん。そんな事情があるんだったら知っときたい。お願いします」
そうしてデイジーさんは語りだした。
アトランティスの石廊は今夜も静かだった。
◇
・・・
・・・・・・
聖女様とデイジーさんの出会いは4年前。
場所はイタリアはフィレンツェにある中央聖堂、聖堂の中核組織の場所だ。
白属性の人が司祭、シスターになるために受ける修道士の業で一緒になった。
「初めてお会いしたときの可愛らしい素敵な笑顔が印象的でした」
そのとき修道士の業を受けた人は聖女様とデイジーさんのふたり。
聖女様は東亜の高天原学園、デイジーさんは北米のトゥラン1年。
それぞれの学校で白属性として爪弾きにされていた。
なにせ高天原もトゥランも学校で白属性の具現化訓練ができない。
入学早々に難題にぶち当たり落ちこぼれていたからだ。
そんな背景もあり、同い年だったふたりはすぐに打ち解けたそうだ。
聖堂の修行は厳しい。
滝行に始まりレゾナンストレーナーでの魔力循環訓練。
そして畏怖に晒されての祝福。
できるまで反復していく。
語られた内容は俺がやった修行と同じだった。
聖女様もデイジーさんも祝福ができるようになるまで1か月。
そこから身体再生や畏怖の初級魔法を使いこなせるようになるまで半年近くかかったそうだ。
それでも、異例と言われるくらいに早かったそうだ。
「ワタシもシスター澪も、スクールでの遅れを取り戻すよう頑張りました」
修道士の業は、ほかに聖典を学び、聖句を諳んじ、白の信仰を深める。
そして白の魔法を用いて人々を苦難から救うことを叩き込まれる。
司祭としての心構えと、それを体現するための具現化を学ぶのだ。
・・・おう、まさしくRPGの白魔導士とか僧侶とか聖女とかじゃん。
修道士の業は必要な能力を身につけ、修了の業、いわゆる試験に合格すると修了する。
一般的には2年間をかけて終えるような修行。
修了試験はいつでも受けられるので、とにかく早く終えられるよう頑張ったそうだ。
「シスター澪は1日も早くコウガ様のもとに戻ると息巻いておりました」
「コウガ様?」
「高天原学園で、落ちこぼれていた彼女に寄り添った方です」
「ええと、落ちこぼれた澪さんを助けた、と」
「はい~。ヤツシロ コウガ様です。日本人同士、気が合ったからと聞いています」
・・・そういえば結弦も俺と出会ったときに言ってたな。
国際学校すぎて日本人の割合が少ねぇから仲良くしたいって。
それにしても聖女様って3次元の想い人がいたのか。
いつもひとりだし、浮いた話は2次元くらいしか知らねぇからな。
「修道士の業って、俺みたいに近場でどうにかならなかったの?」
「日本のあの聖堂で修業が受けられることが特別なのです。中央聖堂以外で修道士の業が受けられる場所なんてありませんから」
「え? そうなの?」
寄り添ってもらったとしても彼女は学校で勉強ができなかった。
白属性のためのカリキュラムが存在しなかったからだ。
そうして俺と同じように特別授業という扱いで外へ出ることが決定。
中央聖堂の修道士の業を留学扱いで受けることになった。
それが唯一、この世界で白属性の者が具現化を身に着けられる環境だったからだ。
「俺は運が良かったってことか」
「はい~。シスター澪は常々、ご自身が舐めた苦汁を後輩に経験させたくないと言っていましたぁ」
「それで俺を受け入れてくれたのか・・・」
あの人は・・・。
その助けがなけりゃ、俺は主人公たちと一緒に居られなかったわけで。
またまた感謝しかねぇよ、ほんと。
「彼女はとても一途でした。いつもワタシはコウガ様との惚気話を聞かされていました」
聖女様がコウガさんを語る姿はとても輝いて見えたそうだ。
デイジーさんも想い人を作りたいと思うくらいに。
その後、ふたりは僅か1年で修道士の業を終えた。
短期間で終えられたのは聖女様の情熱によるところが大きかったという。
「お陰様でワタシも短期間で仮合格を取ることができ、無事にトゥランへ戻りました」
「すげぇな。ふたりとも優秀だったんだ」
「あらぁ。武様がそれを仰いますか?」
「あん?」
「聖典の勉強など3か月で終わります。大半は具現化の修業なのですよ」
「それをあんたらは1年で終わらせたんだろ?」
「貴方様は半年でこなしたと聞き及んでおります。さすがは『不屈のハーレム王』です」
「・・・聖女様、澪さんのスパルタ具合が良かったんだよ、うん」
内容はともかく結果だけ言えば、俺の習得は相当に早かったってことか。
聖女様、ちんちくりんなのに教えかたも凄かったんだな。
「ところで、前に言ってた澪さんへの『中央聖堂での借り』って、その修行こと?」
「いいえ~。それはこの後のお話です。仮合格ですから課題はまだ残っていました」
仮合格とは、実地での実績が不足していることが理由だそう。
ふたりは学校へ戻り、そこで実地の実績を積んで合格認定を受けることになった。
聖堂で課された実地訓練とは、実際に傷ついたり恐怖にさらされたりする者を補佐をすること。
つまり闘いに参加し成果を示せ、ということだった。
ところで高天原学園、キャメロット、トゥランともに共通しているカリキュラムがある。
それはここ、アトランティスの迷宮への遠征による実地訓練だ。
通常は3年次に参加するこの訓練、例外的にサポーターを連れて行くことができる。
サポーターは下級生であったり部外者であったりと、誰でも良い。
ただし『闘える者』であり、自己責任で同行できる者に限る、という制約がある。
そんなAR値の高いやつなんて、必然的に学園の関係者になるわけだ。
2年前、聖女様が凛花先輩を連れて行ったように。
そして今回、凛花先輩が俺を連れているように。
「彼女と約束していました、2年次の夏の遠征で一緒に修了の業をやろうと」
各学校からの遠征は年に2回。
人数を絞るため前半と後半に分けて行われるのが通例だ。
毎年、高天原学園とトゥランは夏の遠征の時期が被る。
ふたりはそこで再開しようと約束をしていた。
果たして、聖女様とデイジーさんはアトランティスで再会した。
お互いにサポーターとして、先輩の従者としての参加で。
仮合格をしてから3か月後のことだった。
そして迷宮へ潜るために4人でパーティーを組んだ。
高天原学園3年、火属性の槍使いコウガさん。
同じく2年生の聖女様。
トゥラン3年、土属性の女剣士パウラさん。
同じく2年生のデイジーさん。
その4人はほかのパーティーよりも3日遅く迷宮に入った。
司令部から「怪我人を救護することも訓練のうちである」と指示されていたためだ。
道中、戦闘で負傷した人たちを助けながら進んでいった。
入るのが遅かったこともあり、奥へ進むのは楽だった。
先行者が魔物を倒して罠を解除していたからだ。
それにコウガさんと聖女様の共鳴も強かった。
向かうところ敵なしという雰囲気だったという。
そうして怪我人を治療しながら、地下20階へ到達しようというころだった。
「アトランティスには転移の罠があります」
「ああ、知ってる。知らないとこへ飛ばされるやつだろ?」
「もう1種類あるのです。別の場所から魔物を呼び寄せる転移の罠が」
「・・・召喚罠か」
ラリクエでもあった。
発動すると強い敵が現れる罠。
滅多にないけど踏むと大惨事。
大抵は階下の魔物が出る。何が出るかはわからない。
「その罠を踏んだのは別のパーティーでした。巻き込まれたいくつものパーティーがワタシたちのところへ逃げて来ました。あまりの惨状にシスター澪もワタシも、次から次へと訪れる重症者を必死に身体再生しました」
皆、逃げろと叫びながら通過していく。
中には脚を失い肩を借りて逃げる者もいた。
デイジーさんたちが身体再生できると知るとそこで回復を請われる。
四肢や目を失うほどの重症は魔力傷薬では回復できない。
身体再生で回復するには時間が経ち過ぎてはいけない。
だからその場で治療する必要があった。
ほんとうは彼女ら4人も逃げるべきだった。
でも請われて見捨てられるわけもない。
聖堂の聖職者たる使命でもあったからだ。
デイジーさんと聖女様は危険を顧みずその場で何人もに身体再生をかけ続けた。
このときの聖女様の働きは凄まじかった。
デイジーさんの倍の速さで幾人もを救った。
彼女の渾名はこのときの活躍から、らしい。
「・・・思えばあのとき、重症者を見捨てるなり、背負って逃げるなりすれば良かったのです。しかしワタシがそう言ってもシスター澪は聞き入れませんでした」
そしてとうとう、彼らを追って来た魔物が姿を現した。
高さは4メートル。
3つの狼の頭をもたげ、6本の脚は鋭い爪が光る。
それは地獄の番犬と呼ばれるケルベロスだった。
「運が悪かったのです。ケルベロスは40階近くでの遭遇記録がある魔物でした」
「20階のパーティーレベルじゃ太刀打ちできるわけもねぇよな・・・」
のっそりと現れたその巨体からデイジーさんは目が離せなかった。
頭のひとつが、人間ひとりを咥えていたからだ。
その人は呻き声をあげた。まだ存命だったのだ。
それを聞いたコウガさんとパウラさんは飛び出した。
ふたりを守るため。
咥えられた人を助けるために。
「あれはきっと人間を誘き寄せるためだったのでしょう。ですがケルベロスとワタシたちではレベルが違いすぎました。あれだけ強かったコウガ様もパウラ様も、すぐに動けないほどの傷を負いました」
ふたりは善戦するが敢えなく戦闘不能になってしまう。
そしてケルベロスは目の前で最初の犠牲者を・・・。
悲鳴が上がった。
その場の誰もが本能的に逃げ出した。
コウガさんもパウラさんも、救出は諦めて脱出をしようとした。
けれども・・・。
「ワタシの祝福の効果が切れていました。身体再生に力を使い過ぎていて・・・」
デイジーさんは恐怖のあまり腰を抜かしていた。
ひとり動けない彼女。
犠牲者を腹に収めたケルベロスは動けずに残っていたデイジーさんを狙った。
振り上げられる大きな脚。
鋭い爪が彼女に迫った。
「そのときです。シスター澪がワタシの前に飛び出しました」
そのころはまだ練習中だった反魔結界。
聖女様は必死にデイジーさんを守るように結界を張った。
「まだ未熟だったのです。結界は破られ、ワタシも彼女も吹き飛ばされました。でもその結界のおかげで即死は免れました」
だがその一撃でデイジーさんは気を失ってしまう。
次にデイジーさんが気付いたときは19階の補給基地だった。
幾つものパーティーがそこで休んでいた。
目覚めたデイジーさんをパウラさんが抱きしめて涙を流していた。
すぐ隣で気を失っていたのは聖女様。
白い法衣が真っ赤に染まっていたのが鮮明に記憶に残っていた。
パウラさんに教えられ、彼女のおかげで一命を取り留めたことを知った。
そして・・・そこにコウガさんの姿はなかった。
「パウラが先頭を、コウガ様が殿を引き受けたと聞きました。シスター澪は・・・ここへワタシを担ぎ込み、ワタシの傷を癒やしたそうです」
瀕死だったデイジーさんを、運び込んだ聖女様が治療した。
だけれどもその時間はあまりに酷だったという。
「コウガ様が一緒について来ていなかったのです。それでも満身創痍のシスター澪は涙を流しながらワタシを治療しました。頭から腕から血を流し、止め処なく涙を流し、必死にコウガ様の名前を呼び続けながら、ワタシに身体再生をかけていたと・・・」
パウラさんはその叫びが耳にこびりついて離れなくなったそうだ。
「そして治療を終えてコウガ様のところへ戻ろうとしたシスター澪を、パウラが止めたのです」
パウラさんは取り乱す聖女様を押し留めた。
泣き叫びながら一心不乱に想い人のところへ行こうとする聖女様。
死地に飛び込もうとする彼女を行かせるわけにはいかない。
やむなくパウラさんは聖女様に一撃を加え気絶させた。
それから3人はそこでまる1日、待機したそうだ。
だけれども、コウガさんが戻って来ることはなかった――。
・・・・・・
・・・
◇
言葉が出なかった。
人の生き死にを語るには、俺の人生が、俺のいた世界が平穏すぎたからだ。
「それからシスター澪は、表情を失ってしまったのです」
「・・・壮絶すぎる。それが『借り』なのか」
「はい〜。シスター澪がワタシを、ワタシを守らなければ・・・きっときっと、コウガ様は無事だったのです。彼女の、想い人を・・・ワタシが・・・奪ってしまったのです」
その事件後、無事に地上へ帰還してから。
デイジーさんは真っ先に聖女様のところへ行った。
彼女に平伏し、泣いて謝ったそうだ。
自分の力不足が招いた結果だと、それでコウガさんの命を奪ってしまったと。
聖女様が望むなら何でもする、気が済むならばこの命を捧げてもよいと。
「ですがシスター澪はワタシの頬を叩きました。そして涙を流しながら『なら貴女の命を貰う。命令よ、デイジー。生きなさい。コウガが命を賭して救った貴女の命がそんなに軽いわけがない』と・・・」
「・・・・・・」
「うっ・・・彼女は・・・誰に喚き散らすこともなく・・・その身に悲しみを・・・ああ・・・」
そこまで話すとデイジーさんは言葉を失い静かに涙を零した。
掛ける言葉も見つからない俺は、ただ彼女が落ち着くのを待った。
◇
「彼女は、シスター澪は決して無愛想などではありません。誤解なさらないでくださいね」
目を赤く腫らしたデイジーさんは静かに口にした。
辛いのか恥ずかしいのか、囁くような、それでいてはっきりとした口調で。
「・・・うん、わかったよ。デイジーさんも辛い話をありがとな」
「いいえ〜。もう遅い時間です。さぁお休みになってください」
「ああ、うん。おやすみ」
いい時間だったので俺はすぐに横になった。
会話を続けられる空気でもなかったので有り難かった。
声には出さなかったけれど、強い情動を感じていたせいで寝付きが悪い。
目頭が熱かった。
徒然と考えてしまう。
俺はこの先、同じようなことを体験してしまうのだろうか。
誰かの生命を捧げて前に進むなんて。
こうして闘いに身を投じるという意義を改めて問う。
これまでは闘っていると言っても命を賭けてるシーンは多くなかった。
安全だと自分で思っているときだけ暴れている。
俺の感覚はまだ2030年の一般的な日本人だった。
軽薄に見えていたデイジーさんでさえ重い覚悟を背負っている。
彼ら彼女らと肩を並べることに烏滸がましく感じる。
こんな危険な場所で、先輩たちに守られながら、世界の命運を背負っていると期待されて。
目的が達成できるかもわからない状況で・・・。
いっそ、役立たずと罵られて見下され、放置されたほうが気楽だよ。
そんな選択肢を選ぶ余地もないことを自覚して。
こんなんで雪子のところへ帰れるのか?
自分に発破をかけるために何度も鞭を振るう。
俺自身、確信のない行動に不安しかないのだから。
そうしてあれこれと自問しているうちに、やがて俺は深い眠りへと落ちていった。




