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■■玄鉄 結弦’s View■■
深呼吸をすると刺すような初冬の空気が胸を満たす。
静かに佇む巨木の香りに神聖さを感じながら正面に広がる建物を眺めた。
朝霧に浮かぶ黒褐色の檜皮葺屋根。
何艘もの舟が所狭しと並んでいるかのようだ。
幾星霜の信仰を重ねた日本神道の象徴は、未だ時の流れを留めてそこにあった。
「神有月にここへ来るだけでこんなに凛としてる空気になるんだな」
「ええそうね。私も自分が日本人だと改めて感じたわ」
「澪先輩は神道への信仰心もあるんだ?」
「聖堂の信仰は他宗教を否定するものではないからね」
聖堂の白法衣は日本を代表する神社の前では場違いに思える。
でも信仰を服装で判断するというのなら信者は幾らでも増やせてしまうことになる。
こうした指摘を頭に浮かべること自体がナンセンスだと思い直した。
本殿の前で二礼四拍手一礼。
出雲大社の作法を以って、道中の無事、皆の再会を願う。
神頼みのつもりはないけれど祈ることに意義は感じていた。
「さて、大国主大神に挨拶を終えたところで行きましょう。しばらくは大変よ」
「荷物だけでもこれだからな。まったくどこへ山籠もりに行くのやら」
「雇われているのだから文句は言わないでね」
「ハ、ハイ!」
少し毒づくと大きな釘を刺される。
彼女に逆らってはいけない、そう感じた本能が勝手に返事をしていた。
4つ年上の先輩というだけなのに天と地くらいの差を感じる。
闘神祭の事件での冷静さを見ても感心しきりだ。
彼女はいったい、どれほどの修羅場を潜って来たのだろうか。
◇
悪路に対応したトヨ〇製クロカン、LクルーザーZを手配したのは澪先輩。
市街地で食糧や野営道具など必要物資を買い出し1か月は滞在できる準備をする。
道中、まともな補給もできないというので相応の覚悟が必要だった。
出雲の市街地から約1時間。
かなりの山奥までやって来た。
現地は廃村になってから100年以上経っているという。
その目的地へ続くかつての道路は周囲の土砂が崩れ落ち鬱蒼と木々が生えてしまっている。
この先、目的地まで30キロメートルはずっとこんな状況らしい。
その道を踏破して魔力溜まりがあると情報をもたらした人は素直に凄いと思った。
「思ったよりは何とかなりそう。ほら、風魔法の出番よ」
「このためにオレを選んだのか」
「貴方が風魔法が使えなければほかの人も連れて来るつもりだったわ」
「バイト代にこれも込みだと思うことにするよ」
元は道路だった場所だ。
崩れて植物が生い茂ってはいるが、魔法で切り倒せぬほどの大木はない。
ひと呼吸を置いて集中する。
魔力を巡らせ丁寧に詠唱した。
「――刃となりて舞い踊れ! 風刃!」
風の刃を視界を遮っていた植物目掛けて放つ。
背丈を超えるような木々を根本から斬り飛ばす。
根を掘り起こさず車が通れるくらいにするならそう難しくない。
通りやすいよう、伐採した木は道路の外へ倒れるようにした。
障害が無くなったことを確認すると図体の大きい車で進んだ。
澪先輩の運転は想像以上に荒い。
いや、この場合は度胸があるというべきか。
土を被った路面を迷わずがたがたと乗り越えて進む。
このまま車が壊れてしまうんじゃないかと思うような揺ればかり。
そもそも道なのかと思うような個所もたくさんあった。
左右が林で、道路だったであろう薄暗い道。
進路上に生い茂る低草木は、のしのしとLクルーザーZの大きなタイヤで踏み倒す。
廃路のためナビにも映らない。
コンパスと現在地、そして100年前の古い道路地図だけが頼りだ。
川や崖の傍は特に危ない。
たまに草に隠れて崩落した部分が見えないことがあり滑落しそうになる。
そのたびに背筋がぞくりとするが、澪先輩は冷静に切り返している。
どこでこんな運転技術を身に着けたのだろう。
少し進んでは草刈り伐採の繰り返し。
徒歩と同じくらいのペースで遅々として進まない。
だけれども1か月の物資を運ぶには車で行くしかない。
ゆっくりなおかげで酔ったりすることがないのが救いか。
こんな調子で夕方を迎える。
目的地まではまだ20キロメートル近い。
今日は昼に廃れた道に入ってから5キロメートル進んだ。
往路は1週間近くかかる予定だ。
先は長い。
◇
道中、澪先輩は必要なこと以外は口にしなかった。
運転に集中しているのか話しかけても返事がないことさえある。
もっとも喋っていると舌を噛んでしまいそうになる揺れだ。
振動音で会話がし辛いこともあり、自然とオレも口数が減った。
夜は危険なので日が暮れたらその場で野宿することになった。
会話も少ないまま簡単な食事を済ませる。
「ふたりで旅なんて駆け落ちとか逃避行みたいだな」
「あら、そういうラブロマンスがお好み?」
「こんな場所じゃそんな空気もないね」
「ふふ、逃げ道がないのは私も貴方も同じ。ここで何があっても誰も助けてくれないわ」
「それ、冗談に聞こえない」
「安心して、今は雇い主と労働者よ。私は手を出したりしないから」
「手を出したりって・・・オレもそんな気はないよ」
「そう、残念」
どうしてこんな話題を振ってしまったのか。
後悔するも彼女の言葉どおり今から取り消しなんてできない。
畏れ多くて手を出すつもりもそんな気分にもならない。
でも彼女から何かされたら逆らえるのだろうか?
まだ相棒と逢瀬する時間が足りないというのに。
・・・。
・・・。
これ以上は考えてはいけない気がした。
あくまでバイト。オレは修行のために来ているんだ。
そう自分に言い聞かせて。
寒い時期なので車中泊でもよいのだけれど少々狭い。
だから俺は外で小さなテントを張って寝袋で寝る。
澪先輩は車の座席に毛布を敷いてそこで寝た。
魔法の使い過ぎで疲れていたのか、寝入りは早かった。
◇
翌日からもっと道が険しくなった。
風刃では倒しきれない巨木も出現した。
魔法を連発してもよいのだけれど、頻度が高いので魔力が尽きる可能性がある。
念のため調達してきたチェーンソーを使うことになった。
林業なんて映像でしか見たことがない。
ヴイーンと甲高い音がする刃。
独特の振動に揺られながら巨木を切り倒す。
素人でも倒すだけなら何とかなるものだが慣れない操作で手が痺れた。
レオンに付き合って筋力トレーニングをしていなかったら難しかったかもしれない。
結局、最初の1本を倒すのに30分近くかかってしまう。
風魔法とチェーンソーを駆使して数キロメートル進んだところで日が暮れる。
もう暮れてしまった、という感覚だった。
「何とかなると思っていたけれど時間がかかるわね」
「進めてはいるんだけどな」
「もっと魔法の威力を上げれば効率が良くなりそう」
「威力を上げるって・・・すぐに魔力が尽きるぞ?」
「私は運転をしているだけだからね。私の魔力を渡せばもう少し効率も上がるでしょう」
「魔力同期か」
「焼け石に水かもしれないけれどね」
◇
翌日。
魔力同期もあって午前中はそれなりに進んだ。
だけれども昼過ぎから冷たい雨が降ってきた。
幸い、大きな障害物は少なかったので多少は無理に乗り越えて進む。
それでも通れない大きな木が立ち塞がった。
雨が強くなっていたが作業しないわけにもいかない。
オレは雨合羽を着て伐採作業に臨んだ。
この時期に雨なんて降らないだろうと高をくくっていたのが裏目に出た。
雨対策なんてたいしてしていない。
濡れたら車の暖房で乾かすしかない。
雨合羽を着て作業しているとはいえずいぶんと身体が冷えた。
何とか切り倒したところで車へ戻る。
「お疲れ様。暖房を強くしてあるから暖まって」
「ありがとう。この雨じゃ危なくて仕方ないな」
澪先輩がタオルと温かいお茶を用意してくれていた。
携帯湯沸かし器がこういうときに役に立つ。
1つ購入しておいて良かった。
悪路が濡れてしまうと横滑りもする。
下手に脱輪なんてしたら脱出できなくなる。
暗くなってきたこともあり、今日はここでそのまま泊まることにした。
「どう、暖まった?」
「うん、もう少し暖まれば平気かな」
「人を温めるなら人肌が効率が良いんだよね」
「ごほっ!? な、何を言いだしてるんだ」
思わずお茶で咽せてしまった。
この人はたまに無表情でネタを突っ込んでくる。
心構えもできないので反応も大きくなってしまった。
「あら、ずいぶんと純情なのね」
「し、仕方ないだろ! まだ彼女とそこまでいってないんだから!」
「揶揄ってごめんなさい。良い男だから1番くらい作っていると思っていたわ」
「わざとだよね、それ」
「いいえ? 武さんを中心にあれだけ睦まじくしていたじゃない。関係もとうに進んでいると思ったのよ」
「・・・武は皆に距離を置いてるからね。相棒とはもう少しだと思う」
「そう、良い時期ね。陶酔するような期待に翻弄される甘い日々」
「オレをいじっても何もないぞ?」
「良いじゃない、想像するのが愉しいものだから。貴方も愉しみなさい」
相変わらずの無表情なのに、じつに愉しそうな声色の澪先輩。
年齢差以上に子供と大人という格の違いを感じる。
経験の有無もあって勝てる気がしない。
いじられっぱなしも恥ずかしいので話を振り返してみる。
「澪先輩はどうなんだ? 1番とはどうしてるの?」
「ああ、私の1番はもういない」
「え?」
「死んだわ。私のすべてを持って行ったくせに」
「え・・・あ・・・ごめん」
「気に病む必要はない。昔のことだし事実は事実だからね」
「・・・・・・」
オレはその言葉にただ頷くことしかできなかった。
無表情でお茶を啜る澪先輩。
車の屋根を叩く雨音が沈黙を優しくしてくれていた。
それきり気まずくなってオレは会話を続けられなかった。
欠伸が出たふりをして眠さをアピールし、就寝しようという空気を作った。
雨だから外で寝るわけにもいかず。
狭い助手席を倒して寝袋に潜り込んだ。
オレたちは澪先輩のことを恐怖政治を敷いている癖のある先輩だと思っていた。
でも、どういう経緯であの聖堂に納まったのかを仲間内の誰も知らないわけで。
『白の女神』なんて言われいたくらいだから相当な実績もあったんだろう。
彼女のことは表面的なところしか知らない、ということだけはわかった。
この日以降、この話題に触れることはなかった。
◇
■■小鳥遊 美晴’s View■■
緑色の石廊が奥まで続いている。
ここまではちらほらと学園のパーティーを見かけていた。
でも10階を過ぎると静かなもので自分たちの足音しかしない。
「美晴、まだ大丈夫か?」
「はい、大丈夫、です。あと、15分、くらいは、行けます」
「よし、ではこのペースで行くぞ」
走って息が切れながらも何とか会話ができる。
登山ザックのような荷物を背負っているのでそんなに速度は出せない。
ジョグくらいの速度で走り続ける。
もちろんマラソン選手じゃないから限界がある。
でも可能な限り駆け足で進んでいた。
レオンさんによれば地図に記載されているより罠も敵も少ないらしい。
魔物はレオンさんが一刀両断にしてくれる。
罠も「そこにある」と都度教えてくれるので踏んだりすることはない。
おかげでほとんど止まらずに走っていた。
闘神祭の七試練『チャレンジ アトランティス』のほうが難しいくらいだ。
「はっ、はっ・・・レオン、さん、はっ・・・そろそろ、限界、です」
「む、あれから30分も走ったか。徒歩に切り替えよう」
ジョグ、歩く、ジョグ、歩く。
おおよそ30分から45分くらいのペースで交互に切り替えて進んでいた。
体力のない私が疲れて動けなくなる程度を見極めた処置だ。
徒歩による休憩を挟むことで、ほぼ8時間、同じペースを継続できるからだ。
平然としているレオンさんがほんとうに逞しいと思う。
これで4日目。
もうすぐ20階近い。
先輩からおよそ5日の遅れ。
でも倍以上の速度で追いかけているはずだ。
このペースで進めるならきっと追いつける。
そう信じて私もレオンさんも駆けていた。
「美晴。お前は武のところで何をするつもりだ」
その日の夜。
補給基地で休むもうと床に寝袋を敷いたところでレオンさんが聞いてきた。
「えっと・・・怒らないでくださいね? 実は何も考えていません」
「何も?」
「はい、私は先輩のために自分が何かできるとは思っていません。あらゆる面で皆さんより非力ですから」
「ふむ」
「正直、魔王と戦うだなんて夢物語です。今でも魔王の存在さえ信じきれていません。それに私は闘う力なんてこれっぽちもありませんから」
「そうだろうな」
「ですが、何もできないのと何もしないのは違います。非力だからと待っていても何も生まれません」
これは私の決意だ。
すべてを手放し掴みに行く。
そう決めたのだから。
「だから私は先輩の傍へ行きます。闘いは手伝えないかもしれませんが、ご飯を用意したり、声をかけたり、何かできることがあるはずですから」
「なるほど、素晴らしいな。まるで中学の頃の武を見ているようだ」
「中学の頃の?」
レオンさんは何度か頷き笑みを浮かべた。
そして今度は地面を見つめて続けた。
「ヤツと俺は南極観測船で出会ったんだ」
「! 先輩と一緒だったんですか!」
「そうだ。当初、武は魔力を持たない一般人だった。美晴からヤツが過去から来たという話を聞いてようやく理解できた」
「一般人」
「だが南極で魔王の霧を見つけた武は迷わずそれを浴びた。俺の目の前でな」
「・・・!!」
「ヤツは死ぬ覚悟をしていた。俺はそれを止められなかった。結果的にヤツが生きているから良かったものの、大惨事症候群で助かるなど稀なことだからな」
「大惨事症候群!?」
大惨事症候群。
澪さんから聞いた話で出てきたそれは、放射線による急性症状よりも酷いという。
あまりに凄惨だと映像などを見ることはなかったけれど・・・。
私は南極から帰ってきた先輩のAR値が変わっていた理由をようやく理解した。
そして先輩がそのころから命を賭けていたことも。
「笑ってくれ。あのとき、友が死地へ赴く覚悟を前に俺は動けなかった。旧人類の一般人を、新人類の俺が止められなかったのだ」
自虐的な言い回し。
それほどにレオンさんは後悔しているのだろうか。
「美晴、お前も当時の武と同じ一般人だ。だがこうして俺とここにいる。闘う力がないと言ったが、あのときの武と同じくらいの覚悟ができていると思っている」
「いえ、私は・・・」
「謙遜するな、それほどの覚悟があれば死地へ踏み出せる。だからこそ、美晴、俺からの頼みだ」
レオンさんが頭を下げてきた。
私はびっくりして固まってしまう。
「俺にお前を守らせてくれ。命の危険があるときは俺が矢面に立つ。だからその身を差し出すことのないようにしてくれ」
「えっと・・・」
「俺はこれ以上、目の前で友が死んでいく姿を見るのに耐えられない。だからこれは俺からの頼みだ」
護衛をお願いしているのはこちらだというのに。
でもレオンさんの真剣な態度に、理解に努めた。
『これ以上』という言葉。
きっとレオンさんは過去にそういうことがあった。
もしかしたら、それが彼の闘う理由なのかもしれない。
「レオンさん、こちらこそお願いします。私は非力です、どうしても貴方を頼らなくてはなりません。どうか先輩のところまで守ってください」
「ありがとう、改めて承る。この俺の力は力なき者の刃だ、存分に使ってくれ」
そうして私はレオンさんと固い握手をした。
その大きな手のひらは私に温かな安心感を与えてくれた。




