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■■小鳥遊 美晴 ’s View■■


 ちょっとだけごつごつした男の人らしい手。

 引き締まってすっとした身体。

 穏やかな黒い目で優しげな表情を浮かべて。

 一般ウケの悪いぼさぼさとした髪も先輩らしくて。

 どれも思い出すだけで夢見心地にしてくれる。


 私の想いを伝えて1週間。

 あんな命がけの危ないことを経験したというのに。

 お母さんに話したら絶対に止められるようなことなのに。

 私はまた先輩の傍に居たいと思っていた。


 あの日の宣言は私の道標。

 もう響ちゃんに手伝ってもらわなくても大丈夫。

 ひとりで行ける。

 自分の気持ちに押されて私は単身、電車に乗り込んだ。



 ◇



 揺られること30分。

 天神駅に降り立った。

 ホームを出ると11月の秋晴れの青空が高く遠い。

 この道の先に高天原学園がある。

 あそこに先輩がいる。


 ひとりだけだというのにやたら足取りは軽い。

 臆病だったはずの自分がこんなに行動的になるなんて。

 約束も確信もないまま。

 わたしはただ先輩の近くに居たいという気持ちだけでそこに居た。


 学園の生徒がちらほらと見える商店街に先輩の姿を探す。

 約束も伝手もなく見つかるわけがないというのに。

 わかっていても止められなかった。



 ◇



 学園は関係者以外立ち入り禁止。

 自分の無計画に苦笑しながらどうしたものかとうろついた。

 黒髪の学園生徒の誰もが先輩に見えて仕方がない。

 誰か知っている人がいればな、と学園の生徒が通るたび目で追った。


 商店街の奥まで足を運び、路地も見たり。

 知らない街の知らないお店。

 スーパーや美容院、レストランに情報屋。

 どこの街でも見かける光景の先に、ちょっと古ぼけた喫茶店があった。

 レトロだなぁと目が留まったところで私の動きも止まる。



「あ・・・!」



 いた、知っている人。

 学園の生徒会長、アレクサンドラさん。

 あの神々しい雰囲気は間違いない。

 彼女はその古ぼけた喫茶店へ入っていった。



「・・・先輩に取り次いでもらえるかな」



 学園の誰の連絡先も知らない私。

 軽い下心でふらふらと喫茶店の前まで行く。

 『ファンタジー』なんて、小学生がつけるような名前のお店の前に立った。



「あれ?」



 お店の扉には「Closed」の表示。

 え? お店、やっていないのに入って行った?


 扉の前で立ち尽くしてしまう。

 お客さんとして入っていくのは不自然すぎる。

 でも、折角、先輩に会えるチャンスなのに。


 ひとりで葛藤して佇む。

 こうしてうじうじと考えてしまうのはいつもの悪い癖。


 あれ?

 そもそも私、アレクサンドラさんに会って良いのかな?


 女神様みたいに畏れ多いあの人に特攻するには勇気が必要だった。

 学園の生徒でさえ一目を置いていた人だ。

 お話はしたけれども、1対1で話すと思うと脚がすくんだ。

 だから私は自分の背中を押すために先輩のことを考える。


 ・・・うん、会えなかった半年を埋めるには。

 あのクラスメイトの人たちを超えるには。

 私は立ち止まってはいけない。

 よし!


 意を決して扉に手を掛ける。

 チリンチリンと涼しげな音色が来店を知らしめる。

 そのまま店の中へ入った。



「・・・閉店の表示があったはずだが」



 カウンターの裏でお湯を沸かして喫茶の準備をしながら。

 開口一番、お呼びでないと言わんばかりの言葉をもらう。

 彼女は凍りつくようなアイスブルーの瞳を向けてきた。

 少なくとも歓迎されている様子には見えない。



「あ、あの! こんにちは! お願いがあって来ました!」


「先日ぶりだな、小鳥遊 美晴」


「は、はい」



 生徒会長を務める彼女は神々しい空気を纏っている。

 わたしからすると文字どおり雲の上の人だ。

 否応でも身体が硬直してしまう。



「君の用件は京極 武についてだろう」


「そ、そうです!」



 帰れ、という言葉が続かなかったことに安堵した。

 それで幾分か緊張が解けた。


 立ち尽くす私の前にアレクサンドラさんが歩み寄る。

 それだけで逃げ出したくなるけど何とか踏み止まった。



「・・・突然ですみません」


「それでお願いとは?」


「えっと、はい! 先輩と連絡を取りたいんです。取り次いでもらえないでしょうか」


「・・・・・・」



 私が言葉を投げかけても彼女は表情ひとつ動かさない。

 不味いことを言ってしまったのだろうか。

 意味が通じたのかと不安になってしまうほどの沈黙だった。



「・・・折角、ここまで足を運んでもらってすまない。今日は彼と話をしてもらうことはできない」


「今日は? なら、後日そういった時間を作ってもらえるんですか?」


「ああ。ただし、ふたつ条件がある」



 長身のアレクサンドラさんは私の正面に来ると私を見下ろした。

 傍から見れば女神様に信託を授かる巫女のような姿なのかもしれない。

 でも私の心境は狼に睨まれる小鹿だった。



「じょ、条件って、なんですか?」



 少しだけ声が震えていた。

 気付けば膝も震えていた。

 それでも視線は逸らさない。

 弱くても怖くても前に進むって決めたから。



「ひとつは君の覚悟だ。君は物語の主役になることができるか?」


「え? 物語?」


「そう。恋愛劇でもSFでもファンタジーの活劇でも良い」


「・・・?」


「すべてを投げ打って目的を達するための覚悟を抱けるのか、ということだ」


「すべてを・・・」


「そう、すべてを、だ。君が平穏無事に今の生活を送りたいのであれば、このまま帰宅することを勧める」



 アレクサンドラさんは表情ひとつ変えずに私の答えを待つ。

 その意味を飲み込むのにしばらくの時間が必要だった。


 すべてを。

 すべて、ということは。

 私の生活も、財産も、命でさえその目的のために捧げられるということかな。

 ・・・・・・。


 ・・・・・・。

 お父さんやお母さんと会えなくなるなんて考えられない。

 友達・・・響ちゃんと一緒にいられないなんて!

 ・・・それと引き換えに先輩と。

 もしかして先輩さえも・・・?

 ・・・・・・。



「ご、ごめんなさい・・・すぐに答えられなくて」


「まだ少し時間はある。答えが出るまで待とう」



 アレクサンドラさんは静かに考えるよう促してくれた。

 目を閉じ、両手を胸に当てて緊張を抑え込む。

 深呼吸をひとつして、落ち着いて思考を巡らせていく。

 こぽこぽとケトルでお湯が湧く音だけが響いていた。


 闘神祭で先輩を助けるとき。

 先輩のために無我夢中だった。

 あのとき、まわりに怪我をしている人がたくさんいて。

 命の危険も認識していたけれど、それでも足は動いてくれた。

 そうして掴み取ったから、先輩と踊ったあの夢のような時間が手に入った。


 ・・・そうだ。

 今までの人生、私はいつもうじうじしてて、自分で脇役になっていた。

 でも。

 闘神祭で頑張ったから、勇気を出したから、あの時間が手に入った。

 今までの私じゃ考えられないことだ。


 物語の主役は誰だって一歩を踏み出して、試練を乗り越えて。

 そこで初めて手に入れたいものを手に入れてる。

 最初からぜんぶが手に入っているなら、それは物語じゃない。

 確かな約束など何もない。

 アレクサンドラさんはそういうことを聞いているんだ。


 ・・・・・・。

 お母さんに会えなくなるのは怖い。

 響ちゃんに会えなくなるのはもっと怖い。

 今こうしてアレクサンドラさんと話すのも怖い。


 でも、私はここにいる。

 それは先輩の傍に居たいからだ。


 ・・・・・・。

 先輩の顔を思い浮かべる。

 あの温かい手のひらの感触。

 私が迫ると浮かべるあの困ったような笑顔。


 そのためなら。

 そのためなら、私は迷わず踏み出せる気がした。



「できます・・・先輩のためになら」


「そうか。彼は、京極 武は、君がこれから入り込む物語の中心にいる」


「! はい! それなら、できます!」


「わかった」



 自分でも驚くほどはっきりと言葉が出た。

 どくんどくんと緊張で動機が激しいのに。


 アレクサンドラさんは私の答えにひとつ頷いた。

 神々しいまでの凍り付いた表情はそのままに。



「もうひとつはなんですか?」


「・・・今日、この場でこれから起こることに対し、4日後、11月7日の水曜日まで行動に移してはならないことだ」


「え?」


「水曜日以降は君の思うままに動いてくれてよい」


「水曜日まで何もしない。・・・それだけ、ですか?」


「ああ、条件はこのふたつだ」


「・・・・・・」



 いったい、ここで何があるのだろう。

 アレクサンドラさんの口ぶりから先輩に関わることであるのは間違いない。

 それもきっと、私のような一般人が関わっちゃいけないようなことがあるんだ。


 ・・・・・・・。

 そうだよね。

 物語に出て来るその他大勢の人って、物語の根幹に関わらないんだから。

 もし私が関わるなら主役にならなくちゃいけない。

 きっとそういうことなんだろう。

 ・・・・・・・。


 一般人だと思っていた先輩が一般人じゃないとわかったのは、先輩が南極へ行ってから。

 だって普通の人は南極に休学してまでボランティアに行かない。

 あんな大怪我をしてまで。


 それに先輩が高天原学園でやっていることも一般的じゃない。

 『闘神祭』がどういうお祭りかを知らなかったけれど。

 参加してみて尋常じゃないほどの闘いの舞台を、肌で嫌というほど感じた。

 もう普通の格闘技の興行を見ることができないほどに。


 頭ではわかっていたけれど。

 世界戦線を目指すこの学園はそういう学校だった。

 先輩はそこで、あれだけ(・・・・)の人たちに囲まれているんだ。

 だから『一般人』枠であるはずがない。


 闘神祭の最初、ソフィアさんに覚悟を試されたのはそういうことだ。

 一般人の私が一般人ではなくなる。

 芸能人みたいな有名な人とお付き合いする覚悟と似たようなものかもしれない。


 色々と考え、ようやく腑に落ちて来た。



「アレクサンドラさん。私、約束できます」


「私の条件を受けるということだな」


「はい」



 ずっとアイスブルーの瞳で私を見据えていたアレクサンドラさんに。

 目を逸らすことなく私の意思を伝えた。


――それは本気なのだな


 そんな声が聞こえて来るような気がするほど。

 私の意志をその瞳で捉えていた。


 彼女はしばらく私を見つめると、ふっと目を閉じて口角を上げた。



「よろしい。もう残り時間が少ない、早速、準備をしてもらいたい」


「! は、はい!」



 ◇



 木の箱の匂いと、掃除道具の饐えた臭いと、私自身の呼吸や汗のにおい。

 それらが狭い空間で混じりあって生理的な正常性を失わせていた。


 がちゃり。ぎいぃ。


 数時間ぶりに、古めかしい木製の掃除道具入れの扉が開かれる。

 光とともに新鮮な空気が流れ込んだ。

 私は助けを求めるように、その光の刺す方向へ身体を倒す。


 拷問のような時間がようやく終わったことを告げていた。



「・・・大丈夫か? よく頑張った」


「・・・ううっ・・・!!」



 閉鎖空間から解放され気が緩んだ途端。

 ぐちゃぐちゃになった頭と身体からこみ上げるものが私を襲った。

 思わずカウンター裏のシンクに駆け、顔を突っ込む。

 わけもわからぬまま、煮えたぎった思考と感情を胃の中身とともに吐き出す。


 数分ほど身体を駆け巡る衝動を解放しながら。

 顔も涙でめちゃくちゃになったままで。

 最初に覚悟を問われた意味を理解しつつあった。


 シンクに流れる水道の水音でどうにか正気を保つ。

 アレクサンドラさんはずっと私の背をさすってくれていた。



「小鳥遊 美晴。そのまま聞いてくれ。聞いていたとおり私は明後日より総指揮のため学園を離れる」


「・・・」


「君の知己で頼れるのは飯塚 澪先輩だけになるだろう」


「・・・」


「もう遅い時間だ。落ち着いたら今日はこのまま帰ると良い。この店の鍵は自動で閉まる」


「・・・」


「私が君にしてやれることはここまでだ。・・・同じステージに立つ者同士、頼りにしている」



 時折、生理的反応でびくりと跳ねていた身体が徐々に落ち着いてくる。

 私の返事を待って横に立っているままのアレクサンドラさん。

 待たせてしまっている申し訳なさと、急ごうと思っても落ち着かない身体の機嫌で板挟み。


 同じステージ。

 私が一般人を捨て、彼女と同じ場所に立ったということ。

 私の覚悟を聞きアレクサンドラさんがそこへ引っ張り上げてくれた。

 そのギャップに酔ってしまった自分がいる。


 冷たい水で顔を洗い、うがいをして。

 ハンカチで雫を拭き。

 何とか落ち着いたところで私は彼女と向き合った。



「・・・ごめんなさい。あの・・・」



 彼女は静かに私の言葉を待っている。

 急かすわけでもなく、かといって無関心な風でもなく。

 私は膝に手をついて頭を下げた。



「・・・あ、ありがとう、ございました。今は、ぐちゃぐちゃですけど・・・」



 あんな話を聞いた後で。

 いったい何を言えば良いのか。

 言葉にならない想いを絞り出していた。



「礼を言われる筋合いもない。話を聞いてわかっただろう、私は君を、皆を利用するつもりだ」


「・・・・・・」



 アレクサンドラさんは何もない天井を見上げながらそう言った。

 それは半ば自嘲するかのような口ぶりだった。

 私がこうして彼女の描いたレールに乗ったことを、彼女はそう表現している。

 未来を見ているが故の言葉なのだろう。


 ・・・『利用する』。

 利用されるにしても未来に責任を持つなんて本来は自分自身だけができること。

 ここに、この場にある物語が世界規模と大きすぎるだけで。

 やっぱり個人個人の問題のはずだ。


 その未来を、自分だけでなく皆のぶんまで良くしようとして。

 そのための行為を「利用する」なんて。

 人の未来に手をつけることを烏滸がましいと自戒しているだけなのに。

 彼女自身を貶めるのは何か違う。


 上がったステージで演じる私の役は、彼女の、皆のお助け役のはずだ。

 互いに、対等に支え合いながら物語を紡いでいく役割。

 利用されているつもりはこれっぽちもなかった。


 彼女が未来をキャンパスへ描くとき。

 誰からも寄り添われることがない。

 私はそこにアレクサンドラさんの孤独を見た。

 すると猛然と湧き上がるものがあった。



「・・・あの!」


「どうした?」


「アレクサンドラさん! 私はまだステージに上がったばかりで何も知りません!」



 突然何を言い出すのかと。

 急に口調の強くなった私を、彼女は驚いたように見ていた。

 何を口走っているのかと自分でも思ったが止まらなかった。



「でも! 貴女がずっとひとりで闘っていたことはわかります!」


「・・・」


「ですから、私にも手伝わせてください! もう貴女はひとりじゃありません!」


「だが私は・・・」


「違います! 私は利用されてなんかいません! 自分の意志でここにいます!」



 アレクサンドラさんの言葉を遮る。

 きっとまた自身を貶めるような言葉を口にすると思ったから。

 どうしてか胸の内がざわざわと熱かった。

 こんな激情に突き動かされるなんて初めてだった。



「知ってますか!? こういうときにどう言うか!」


「?」


「『助けてほしい』って言うんです! 同じ立場なら、友達なら、当たり前です!」


「友達・・・」


「命懸けの、本気の、同じステージなんですよね!? なら、私たちは同じ方向を向いた同志です、仲間です! 友達です!」



 なぜか私の頬が濡れていた。

 どうしてこの言葉を、これまで彼女に誰も言ってこなかったのか。

 どうしてこんな優しい人が孤高になってしまっているのか。

 色々なことが許せなくなっていた。



「『利用する』だなんて! そんな辛そうな言い方をしないでください!」


「!?」



 私はアレクサンドラさんに詰め寄った。

 彼女はほっそりとしたアイスブルーの瞳を大きくして、私を見つめていた。



「対等だから友達なんです! 助け合うから友達なんです! ほら、一緒です!」



 そうして私が差し出した手。

 彼女は戸惑うように見つめた後、おずおずと私の手を握った。



「・・・小鳥遊 美晴」


「はい!」



 握られた手に力を入れて。

 私の意思を彼女に伝える。



「どうか、私を助けてほしい」


「もちろんです!」



 握られた手に私の手を重ねる。

 そこから感じる温もりくらいの温度で。

 ギリシャの女神様は、初めて見る柔らかい笑みを浮かべていた。

 その瞳から一筋の雫を落として。












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