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『予定行程より20パーセント程度の遅れだな』
『すまねぇ。水に落ちて濡れたから乾かしてたんだよ』
『水? おい、もしかして楊 凛花が水に落ちたのか!? 溺れなかったか!? 無事なのか!?』
『急に大声出すなよ、耳痛ぇ』
『あ、ああ、すまない』
『無事だからこその定時連絡だよ。溺れたけど助けたぜ。凛花先輩、泳げねぇんだな』
『ああ、山育ちで泳げる環境がなかったそうだ。そうか、無事で良かった』
『んだな。戻ったら泳ぎを教えてやってくれよ』
『ふ、私も泳げない。彼女とお揃いなのだ』
『自慢げに言う話かよ』
『ならば最終目標を達成した暁にふたりで教えを乞うとしよう』
『機会があったらな。そっちは変わりないか』
『今のところ、な。そろそろ動きがあるかもしれない』
『わかった。できるだけ急ぐよ』
『京極 武。今日のようなトラブルはつきものだ。焦らず慎重に行け』
『・・・了解』
『こちらも何か動きがあったら連絡する』
『ああ、頼むよ。また朝、連絡する。通信終了』
アトランティスの迷宮に潜って3日目。
俺たちは、地下4階と5階の中間地点に居た。
まだまだ探索難度の易い場所だ。
パーティーは俺、凛花先輩、デイジーさんの3人。
アレクサンドラ会長は全体の総指揮のため入り口にある地上基地にて待機している。
この探索の目的は2つ。
ひとつは「キズナ・システム」の探索。
ふたつめは主人公たちとの接触を遮断すること。
あの喫茶店で決定した作戦を決行しているのだ。
俺はもう授業を真面目に受けるつもりはなかった。
ちなみに一般の3年生は魔物との戦闘訓練が中心。
アーティファクトが拾えたらラッキーくらい。
だからすぐ引き返せる10階層くらいまでの範囲に散らばっている。
それより深く潜るやつは戦闘狂という扱いらしい。
「さて、今日はこの辺でキャンプだ」
「なんだ、もう、か? まだ進めるぞ」
「いいや止めよう。体力を温存しながら行かねぇと。先が長ぇんだから」
「了解です~。では反魔結界を張りますね」
幾度目になるか。
デイジーさんの反魔結界が張られる。
この結界が維持されている限り、俺たちは魔物に襲われる心配もない。
俺たちの進むペースは格段に速い。
通常はどんなに急いでも1フロアに1日を費やすくらいかかる。
慣れていなければ4~5日かかるのが一般的だ。
だから実質2か月間ある探索期間も、遅いペースなら10階に届く前に時間切れとなる。
探索経験者で、戦闘力がアホみたいに高い凛花先輩。
魔物との戦闘はほぼ彼女にお任せでいける。
どこでもビバークできる反魔結界を使えるデイジーさん。
各フロアの階段近くにある補給基地で泊まらなくて済む。
このふたりを連れているおかげで探索は爆速で進んでいた。
ラリクエでもこんなに素早い攻略は無理だった。
ゲームでの俺の最速記録で20階25日。
30階を超えると敵が強すぎて数日かかるものだ。
「今日の夕飯はなんだ?」
「ワカメスープとカレー味ですよ~」
「お、カレーか、良いね」
食事は基本、スープと固形のブロック食、カロリー○イト的なやつ。
持ち運び効率を重視して配布されるものだからだ。
幸い、味のバリエーションは豊富。
未来技術で香りも味もばっちり別の何かにすることができるのだ。
だからリアルの軍用食糧と比べて食べ飽きるということはない。
まぁ食感は飽きるけど。
魔境の中、これで生きながらえると思えば我慢もできるというものだ。
ファンタジーの冒険者ってこんな感じなんだろな。
そんな食事なので10分もかからず食べ終わる。
時間が短いというのも生き残るためには必要な要素。
こんなのでも腹が膨れるから助かる。
「俺は記録つけて荷物整理して寝るから凛花先輩は先に寝てくれよ」
「お、そうかい。お言葉に甘えて休ませてもらうよ」
「うふふ、ワタシはいつもどおり後半ですね~」
反魔結界はデイジーさんが寝るときには解かれる。
当たり前だ、術者が寝るのだから。
だから彼女が寝るタイミングで俺か凛花先輩が起きて警戒することになる。
3人でうまく睡眠時間を確保するために12時間は待機しなければならない。
警戒は早番がデイジーさん、遅番が凛花先輩、前後の合間に俺という分担にしていた。
しばらくして凛花先輩の寝息が聞こえてくる。
俺は今日集めた食糧の片付けと今日拾ったアイテムの整理を始めた。
「・・・順調だな。魔力傷薬がこんだけ拾えてるのは助かる」
「あらぁ、ワタシや武様が身体再生を使えますのに」
「体力も使うし時間かかるだろ。自分には使えねぇしさ。それに戦闘中の回復はこっちのが良い」
「なるほどですね~。確かに先に進むと使う機会もありそうです」
今日で魔力傷薬を3つ拾った。累計10個。
そのほか、めぼしいものは筋力アップの指輪がひとつに魔力を弾く脛当てひと組。
どちらも近接戦用なので凛花先輩に譲った。
俺の記憶にあるアーティファクトばかりなのでその場で効果がわかるのが良い。
やり込んだ知識が大いに役立っている。
ラリクエは回復が厳しいゲームだ。
回復方法がアイテムしかない。
その魔力傷薬も拠点と補給基地でしか補充できない。
あとはアーティファクト同様にたまに落ちていることを祈るのみ。
そのほかはレアアーティファクト『生命の指輪』を拾うしかない。
ゲームと異なるこの世界は身体再生という、俺にとってはチートがある。
加えて魔力傷薬のお守りまであるのだ。
だからこれだけ常識外れな行軍もそんなに心配していない。
もっとも、俺の知識の範囲で罠や魔物が出てくるなら、という前提だが。
ひととおり整理が終わり、記録的な日記をつけたところで寝る準備をする。
デイジーさんは結界を維持しながらぼうっとPEで何かを眺めていた。
「デイジーさん、今日も頼む」
「はあい。では始めましょう」
寝る前の1時間。
この時間を使って俺はデイジーさんに白魔法を教わっていた。
探索で最も必要になる上級白魔法、反魔結界。
結界の組み上げまでの行程が多くて難しい。
何度も失敗して魔力が尽きて寝る、という日を繰り返していた。
「第3行程が長すぎますね~。第5行程もちょっと間違えていますよ~」
「またか・・・くそっ」
「それと~。結界でいちばん必要なのは愛なのです」
「愛?」
「はい~。優しく包み込む想いです~」
そう、魔法で難しいのは自身の気分をコントロールすることだ。
祝福をはじめとする魔法はすべて具現化に感情を乗せる。
だから感情がぶれると魔力構築に失敗しやすい。
「愛、ね・・・」
「大切な方を思い浮かべると良いのですよ~」
「大切な人・・・」
俺の大切な人。
雪子。香。・・・さくら。
いや、さくらは・・・。
「貴方がほんとうに包んで守りたいと願うことが肝要です~」
「・・・明日、また試してみるよ。ありがとう」
「うふふ、お礼はワタシに愛をいただければ~」
「おやすみ」
「ああ、ひどいですぅ。つれませんわ~」
悲しげな表情のわりに楽しんでいる声のデイジーさんを尻目に横になる。
ごつごつとした石廊に敷いたマットに寝転ぶ。
空気枕に頭を載せて薄い毛布をかけて。
こんな調子で俺は夜な夜な、反魔結界の訓練をしていた。
21時から3時までが俺の睡眠時間。
魔力を使っていることもあり、すぐに欠伸が出て意識が沈んでいった。
◇
ブルルと腕につけたPEが3度、振動する。
午前3時だ。まだぼうっとする頭に喝を入れる。
すぐ横でデイジーさんが寝ており凛花先輩が見張りをしていた。
「お、亲爱的武。目が覚めたか」
「ふぁ、おはよ凛花先輩」
がりがりと頭を掻きながら身体を起こす。
寝起きは身体が熱くなるので外気を寒く感じる。
1枚上着を羽織り寒くないようにしておく。
「もうちょっとしたら朝食の準備するよ」
「ああ、デイジーを起こさないようにしてやれ。昨日は夕食からずっと結界を張ってたからな」
「わかってるよ」
凛花先輩と並んで座る。
しんとした迷宮に魔物の気配はない。
ここは比較的安全な場所だったのだろう。
「亲爱的武」
「うん?」
「昨日はありがとう」
「ああ、どういたしまして。水、苦手だったんだな」
「か、格好悪いだろ。ほら、アタイ、普段強がってるくせに」
「ん・・・別に良いんじゃね? 意外だったけど」
「え?」
「凛花先輩、いつも自分でなんとかしちまうからさ。俺でも助けられるとこがあるんだなって思うとちょっと嬉しかった」
「・・・そうか。亲爱的武は大事なときにいつも助けてくれる」
「はは、偶然だ。それに格好悪いって言ったら俺のほうが悪いとこいっぱいだろ」
「確かに」
「そこは否定してくれよ!」
「はははは」
ちょっと深刻そうに話すものだから軽く返してみる。
思ったよりも気にしてなさそうで良かった。
「・・・亲爱的武で良かった」
「うん?」
「すぐに助けてくれただろう。迷わずに動けるやつはそう多くない」
「無我夢中だぞ、ああいうときって」
「謙遜するな、格好良いんだから」
「・・・そんなもんか」
「やっぱり亲爱的武だな」
「ちょっ・・・!?」
飄々と話をしていたつもりが。
凛花先輩は俺を優しく抱きしめてきた。
一瞬、助けたときのように絞められるのかと警戒してしまった。
・・・というか、こう好意を表明して抱きつかれると恥ずかしいんだけど。
「アタイは甘えるのが下手だから。少しだけこうさせてくれ」
「・・・アレクサンドラ会長に甘えりゃ良いのに」
「それができたら苦労しない」
「どして? 会長も凛花先輩のこと好きだぞ?」
「いや、ほら。アレクはアタイの、こういう姿は見たくないんじゃないかと思って」
「うん?」
「甘えてる姿をみたら、ほら、引かれるかもしれないだろ」
・・・。
凛花先輩はコミュ障なんじゃないかと思うことがある。
1番同士になろうとしているアレクサンドラ会長でさえうまく意思疎通できてない。
向いてる方向は同じなのにイチャイチャシーンを見たことがない。
むしろ今の言葉でイチャイチャしたことがないと自白してる。
お互いに一歩、踏み出せていない。
シャイなのか、相性の問題なのか。
戻ったら全力で後押ししてやろうと思った。
「あのな。好きな奴のことって知りたくなるだろ?」
「ああ、亲爱的武のこともアレクのことも知りたいね」
「相手も同じだよ。意外なところも含めて知りたいし、受け入れてもらいたいもんだから」
「・・・そういうものか?」
「そういうもんなの! 好きになるってのは!」
キョトンとする凛花先輩に力を込めて伝える。
なんだか小さい子に言い聞かせてるみたいだ。
すんげえ不器用なんだな、この人。
俺をターゲットにするって息巻いてたのに、この体たらく。
もしかして亲爱的武呼びって格好つけ?
勢いで言ったマーキング的なやつだった?
「とにかくさ、この探索が終わったら会長にもっと素直に言ってみろよ」
「・・・うん。そうする」
「そうそう、素直がいちばん可愛いもんだから」
「か、可愛い!?」
「ああ、今も可愛いと思うぞ?」
「そ、そうか、そうなのか・・・可愛い・・・可愛い・・・」
顔を赤らめて反芻する凛花先輩。
彼女の超内気な側面を知って思う。
この世界、1番になるために皆が積極的なのかと思っていた。
でもこうしてシャイな人たちもいる。
やっぱり偏見は良くないんだな、と。
彼女とくっついても共鳴を心配する気にはならなかった。
少し煩い鼓動も静かな石廊には響くこともなく。
静かに探索4日目の朝が始まっていた。




