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車窓から流れる景色。
無機質な雪原を抜け地藻類が彩る広大な原野が広がる。
点在する青白い湖沼が未だ極圏であることを教えてくれていた。
「――ゆえに減衰よりも具現化崩壊を狙うほうが効率がよい」
「なるほど」
「だが崩壊ポイントは大抵の場合その構成体内部にある。具現化が成立する前にポイントを崩す必要がある」
俺は極圏高速鉄道で揺られていた。
目の前にはアレクサンドラ会長と凛花先輩。
もっとも凛花先輩は会長の講釈が退屈で既に寝てしまっていたが。
「そんなん、実践できるもんなのか」
「具体的には崩壊ポイントを魔力で斬り裂く、または貫く方法で実現される。例えば火炎球の中央にポイントがあるならば、極端な話、真っ二つにしてしまえばよい」
「・・・あいつらならできそうだけどなぁ」
「単純に、正確に素早ければ実現可能なはずだ。楊 凛花は素手でやっていた」
「げ! マジ!?」
徒手空拳で出来るのかよ。
相変わらず人間辞めてんなこの人。
平和そうな寝顔からは想像もできない。
具現化直前の魔法を砕くとか、聞けば聞くほど弱点なさそう。
俺は長い乗車時間を使って会長から補講を受けていた。
学園の具現化授業で習う事項のうち、特に魔物対策に有効な項目を追っている。
これから必要な実戦に関わりあることに絞った短期集中の内容だ。
日本を発ってから2日目、午前8時すぎ。
極圏環状を抜け、今は北アメリカ大陸北東部あたりだった。
「さて、一段落したところで間も無く乗り換えだ。準備をすると良い」
「もう着いたのか」
「集中すると早いものだろう」
この電車は北アメリカ大陸東海岸方面行き、終点はニューヨーク。
だけどもこの旅路の中継地点はもっと北側、カナダにある。
だから停車駅である、このオタワで乗り換えとなる。
「起きろ、楊 凛花。到着した」
「ふぁぁ・・・着いたか! ようやくだな!」
降り口には高天原学園の学生が列を作る。
アレクサンドラ会長は皆が降りた後の席をひととおり見てから並ぶ。
自然と俺たちも最後に並んだ。
ホームに降りると整列。
会長が点呼を取る。
点呼といってもPEの所在反応による自動点呼。
所在反応は許可した端末にのみ反応する機能。
学園入学時に各自の端末を学園の装置に登録してあるので、こういった使い方ができる。
数秒で点呼を完了し会長が号令をかけ、今度は高速バス3台に乗り換えた。
「総勢100人の移動だと大変だな」
「なに、問題児が大人しいだけ楽なものだ」
「なんだ? アタイは問題児じゃない!」
「いてっ!?」
ちらりと凛花先輩を見たら殴られた。
自覚あんのね。
そりゃいつも裏庭で昼寝してれば問題児だよ。
凛花先輩は今日も元気そうだった。
◇
緑豊かなオタワ市街地を発つと高速バスは低空飛行で進む。
乗り換えて次の目的地まで約900キロメートル。
時速200キロ超の高速バスでもエネルギー補給を含め5時間、かなりの長旅だ。
俺は4人掛けボックス席で会長と凛花先輩に加えもうひとり。4人で座っていた。
「デイジー=グリフィスです。デイジーとお呼びくださいな」
「京極 武だ。デイジーさん、よろしく」
「京極 武様、貴方様のお話はよく伺っております」
「お話ってどんな話?」
「『不屈のハーレム王』と聞き及んでおります」
「は?」
目の前には聖堂の真っ白な法衣に身を包んだ女。
焦茶色のミディアムボブ。優しげな濃い眉の下から覗くブラウンの瞳。
初対面でこんな発言をするとは思えないほどの慈愛に満ちた雰囲気だ。
年齢は20後半に見える。
欧米人が司祭の格好をしてると様になる。
コスプレと本物の差だな。
それはそうとして、彼女にいったい何を吹き込んでんだよ。
「あらぁ、お気に触りましたか? その若さでご立派な渾名ですのに」
「立派って・・・まぁ、うん。ハーレムはガセだから信じないでほしい」
「事実だろう。その歳で10人も囲えば噂も立つ」
「まぁ! 絶倫ですのね!」
「違ぇっての!!」
最初から誤解されまいとムキになってしまう。
どうでもいい話題なんだからスルーしときゃ良かった。
「ああ、羨ましいですね。貴方様のような逞しいモノから寵愛を受けられるなんて」
「・・・ともかく俺のことは口外しないでくれよ」
「うふふ、ご安心ください。ワタシこれでも口は堅いのです。堅いお慈悲をいただけるならさらに堅くなりますのよ」
「あんた、ほんとに聖職者?」
「何でしたら証をご確認されますか? 今晩にでも寝室でご存分に」
「いや、要らね」
「あら、残念。振られてしまいました」
勿体ぶるようなウィンクまでする。
これが童貞少年なら良いように弄ばれるんだろな。
久しぶりに四十路精神が役に立ったよ。
でもさ、このおねーさん聖職者としては倫理観壊れてない?
キリスト教じゃねぇから貞淑さは関係ないとはいえ。
「信頼できる人」として紹介されたけど既に信頼できねぇ。
「デイジー=グリフィス殿は飯塚 澪先輩の紹介だ。信頼できる」
「アタイは足を引っ張らなきゃ誰でも良いさ」
アレクサンドラ会長は聖女様を盲目的に信用してんの?
この間、互いに隠し事?して喧嘩腰だったろうに。
凛花先輩は無関心。相変わらずマイペース。
「うふふ、手数は多いほうですからご迷惑はおかけしないかと」
「それ、お手つきした奴の数じゃねぇだろな?」
「あらあら、どうでしょうねぇ〜」
ころころと良く笑うシスターだこと。
なんか掴みどころがねぇ人だ。
ほんとにこの人を信用すんの?
「シスター澪もお人が悪い。貴方様のことを聖堂に黙秘されているのですから」
「それをデイジーさんには言ったわけだ」
「うふふ、ワタシと彼女の仲ですからね~。中央聖堂での借りもありますし」
「へえ。シスターになる修行で一緒だったのか」
「はぁい。貴方様も修道士の業をお受けなさいますか? 間違いなくVIP待遇ですよ」
「遠慮しとく」
教祖様にはならねぇって。そんな暇もねぇし。
聖女様、どこまで俺のこと話したんだろ。
聖女様に彼女を紹介してもらったのは聖女様が同行できないから。
さすがに1つの聖堂教会を預かる司祭として留守にはできないそうだ。
だから優秀な信用できる回復役を、と紹介されたのがこの人。
・・・いろいろと不安が募る。
簡単に自己紹介をした後、俺たちの目的を彼女に説明する。
途中で2回の燃料補給を挟み、ファンディ湾を低空飛行で越えて。
そして到着したのは大西洋に突き出す半島。
カナダの東海岸、ノバスコシア州のハリファックスだ。
バスが港に到着すると15時過ぎ。
ここで18時まで自由時間となった。
「亲爱的武、ここが最後に自由に飲食できるところだ。飯屋に行こう」
「ああ、良いぜ」
「軍用食糧は不味いし量が少ないからな。食い溜めだ」
さすが経験者。こういう情報は有難い。
自動調理器のおかげで普段は食に困らない。
でも材料が限られる環境下ではさすがに自由に食べられない。
そうなる前に懐かしくなりそうな味を堪能しておこう。
「外食か、私も行こう」
「ワタシも混ぜてくださいな」
港近くの市街地には急に現れた高天原学園の生徒が溢れていた。
見れば電気機器など旅先で必要そうなものを求める姿が。
なるほどね、充電装置とかエチケット物品とか。
あ、空気枕とかも確かに良いかも。
便利な場所から離れることを考えると必要なものも多い。
皆、準備に余念がないようだった。
◇
俺たちは市街地の喫茶店に入った。
食事が頼めることを確認すると、凛花先輩はラーメンと水餃子とチャーハンを頼んでいた。
俺は和食で焼鮭定食。後で絶対に味噌汁が飲みたくなると思ったから。
会長は・・・なんだろう、ドリアみたいなもの。
「会長のそれは何て料理?」
「ムサカというギリシャの家庭料理だ。君の和食のように、生まれ故郷の料理は食べたくなるものだからな」
「だな。食堂のあんぱんも美味いけど、こう、食べ慣れたものは口恋しくなる」
「凛花先輩が食べてるラーメンやチャーハンって日本風なんじゃねえの?」
「ははは、日本の旨い味に慣れると四川省の辛いだけの料理は食べられないからね」
彼女の場合、どうやら日本の味付けが故郷の味に勝ってしまったようだ。
「故郷の味、ワタシもそう思います。こうして大きなお肉を食べないと夜まで持ちませんから」
デイジーさんはステーキを頼んでいた。
え、なんかでかくない? 1キログラムはありそう。
「それ、多すぎねぇ?」
「いつも多いと言われてしまうのです、ワタシはこのくらいがちょうどよいのですが」
悲しげなセリフなのに満面の笑顔。
デイジーさんは結構な勢いでステーキをカットして口へ運んでいる。
いちばん食べ終わるの早そうだぞ? どんだけ食べんだよ。
俺が鮭の骨を取っている間に肉の半分が消えていた。
いったいどこに入るんだよ、その細い身体の。
なのにプロポーション抜群。
俗に言えばボン、キュ、ボン。
・・・いや、食べるからそこに肉がいくのかな。
こう言っちゃなんだが娼婦でも通用しそうな身体つきだし。
って、こんなことを口にした日には俺が食われてそうで怖い。
「あらぁ、ワタシの身体に興味があります? やはり今夜、お確かめになりますか?」
「ごほ!? ご、ごめん。・・・食べんのが早ぇって思っただけだよ」
「うふふ、さすがハーレム王ですね。夜が楽しみです」
「どう解釈したらそういう文脈になんだよ!?」
いかん、チラ見してたら見透かされてるよ。
もうあの人を見ないようにしよう。
会長は澄まし顔、凛花先輩も無関心で食事。
やっぱ無視して食べよう。うん。
そうして俺だけが居心地が悪くなってきた食事を終えて。
すぐに終わった自由時間を惜しむ間もなく港近くの広場で点呼を取る。
そうして皆が乗り込む船へと行進した。
◇
港には巨大な船があった。
南極のときに乗った『しらせ』よりもさらに大きい。
灰色に塗装されたそれは威容を誇っていた。
夕闇に浮かぶ姿を見上げると思わず「おお」と声が漏れてしまうほど。
だってそれは40センチを超える大きな砲台を幾つも備えた軍艦だったから。
その軍艦の名前は『えちご』。
戦艦大和を彷彿とさせる日本海軍の軍艦だ。
日本軍は第二次世界大戦で巨艦大砲主義を推し進め、そして敗退した。
自らが海洋航空戦力が強いということを実証しながら、巨艦大砲主義より脱却できなかったから。
戦後、その結果を世界中が学び、第三次世界大戦でもそれは実践された。
航空戦力は特に無人機がよく使われた。
ロボット大戦と揶揄されたあの戦争。
自動無人機による神風特別攻撃隊のような誘導自爆戦法が多用された。
あれだけ世界中で殺し合って核が使用されなかったのが不思議なくらい。
各国とも甚大な被害を被り戦後になっても混乱が続いた。
そんな荒廃した世界を政治的にまとめるきっかけとなったのが大惨事だったのだ。
その大惨事以降は飛行物体が魔物に落とされてしまうようになる。
だから地表や海上から攻撃する手段が見直された。
結果『えちご』にみられるような巨艦大砲主義が復活したという。
その標的が人類同士ではなく魔物というあたりが『敵の敵は味方』理論を体現していると思った。
もっとも魔物には物理兵器がほとんど効かない。
砲撃も気休め程度。
衝撃で物理的に押し返すだけ。
それでも牽制になるので態勢が整うまでの時間稼ぎができるのだ。
丸腰よりもよほどいい。
そのための装備だ。
「世界戦線大西洋第一艦隊所属、戦艦『えちご』艦長、山城 一勢大佐だ」
「山城 一勢艦長、お出迎え痛み入る。日本国高天原学園遠征部隊長 アレクサンドラ=メルクーリだ」
出迎えに並んだ海兵の先頭で挨拶した山城艦長。
敬礼を返して挨拶するアレクサンドラ会長。
こういう儀式めいたやり取りでは非常に様になる。
何故ここに世界戦線の軍艦が配備されているのか。
それは貴重な新人類の戦士たちを護衛する意義が大きい。
高天原学園に限らず、キャメロットやトゥランでも同じ待遇とされていた。
「諸君、搭乗するぞ」
アレクサンドラ会長に促され、学園の生徒たちは1列に並んで『えちご』へ乗り込む。
搭乗口のみライトアップされた灰色の戦艦は物寂しく見える。
アメリカ大陸の東の果てに知己などいない。
テーピングによる見送りなど夢物語。
学園生徒たちはそんな寂しい港を後にする。
列の最後となり、俺は凛花先輩とデイジーさん、そして会長と灰色の甲板へ階段を上がっていった。
3か月後にここに戻って来ると見納めをして。
戦地同様の場所へ向かう覚悟を胸に俺は港を離れた。
◇
『しらせ』のときは長旅だったけれど、今回はそこまで長くない。
といってもハリファックスから移動距離にして約1000キロメートル。
『えちご』の最大船速近くの35ノット(時速60キロくらい)で移動して約16時間。
潮の流れや風向きに加え、搭乗や接岸作業もあるので実質およそ1日だ。
搭乗したその日は夕食をとり、シャワーを済ませて就寝するだけ。
艦内で不自由ながらも就寝までは最後の自由時間が与えられる。
会長たちと狭い4人部屋に押し込められた俺たち。
消灯後、すぐに寝る気になれずしばらくしてから甲板へ上がった。
夜の甲板は真っ暗だった。
当然のように誰もいない。
学園を離れてから初めてひとりになれた時間だった。
船体は揺り籠のように波にゆらゆらと揺られている。
それなりの速度で進んでいるので正面からの風がびゅうびゅうときつい。
羽織っていたジャケットが飛びそうになるのを手で押さえるほどだ。
電気エンジンの音は静かなもので、プロペラを動かすモーターのごうごうという音くらいしか聞こえない。
ざあざあと波を掻き分ける音が海の上にいるということを教えてくれる。
俺は左手につけていたPEを見た。
圏外と表示され通信ができない単なる腕時計となっている。
『しらせ』と同じく通信不能な状況だ。
もうここは日本じゃない。
慌ただしくも日常を作り上げていた学園から隔離された空間なのだ。
「・・・・・・さくら・・・・・・」
ぽつりと、誰にも届かない声が風に溶ける。
俺の身勝手で辛い別れ方をした。
共鳴した直後に拒絶するなんて、文字通り上げて下げたのだ。
それに彼女を正面から拒んだのは二度目。
心を弄んでいるとしか思えない。
「・・・うう・・・ごめん・・・」
あの土手で拒絶したときに見せた彼女の歪んだ顔。
きっと扉の向こうで泣き崩れた彼女はその顔をしていた。
こんな・・・こんな悲しい想い出なんて要らなかったのに!
「・・・くそっ・・・なんなんだよ・・・」
ずきずきと胸が痛む。
俺自身がこの世界に弄ばれている。
その理不尽さに怒りを抱く。
愛とは選ぶことだ。
そんな陳腐な言葉が言い訳のように頭を過ぎる。
俺は香を選んだんだ。
ラリクエ攻略のためにはこれで良い。
そのはずなのに、一片もそうだと思えるところがなくて。
俺はこんな言葉に救われる資格などない。
静まりかえった湖面が輝くような彼女の白銀の想いに。
下水の汚泥に塗れた俺は何を以て応えるというのか。
これで良いんだ。
これ以上、可能性を捨てるようなことをしてはいけない。
自分に何度も言い聞かせる。
歪んだ景色は真っ暗。
空を見上げても滲んだ光が絵の具のように黒に紛れるだけ。
頬を濡らすままにしておいても風ですぐに乾いていく。
まるで今の俺の心のようだった。
しばらく立ち尽くす。
昂ぶっていたものも数刻も経てば疼きは収まってしまう。
それがまた俺自身を許せなくしていく。
何となく甲板の端まで行き、手すりを掴んで空を見上げた。
満天の星空に星座を探すも星空が煩すぎてどれがどれかわからない。
俺が住んでいたリアル日本の都市部では光害なんて言われているけれど、そのくらいの明るさが星座観察にはちょうどよいと思った。
後ろからカンカンと鋼板階段を上がってくる音がした。
振り返ると強い風に長い金髪を靡かせるアレクサンドラ会長の姿があった。
その神々しさが周囲の暗闇を照らしてしまうかのよう。
彼女のまわりだけ神界になっていた。
「ここに居たか、京極 武」
「会長。寝てる時間だぞ?」
「それを君が言うか。私は不良学生を見回るのも仕事だ」
「デイジーさんと凛花先輩は寝てただろ」
「だがここにひとり該当者がいるのだ」
アレクサンドラ会長は俺の横に並んで手すりを掴む。
「なに、咎めるわけではない」と呟いて。
そうして空を見上げた。
きっと俺は目が赤かったと思う。
暗がりがすべてを隠してくれているという妙な安心感があった。
その自分の姑息さにため息ひとつついて。
「京極 武。君にまだ聞けていないことがある」
「これ以上、俺が知ってることはねぇぞ?」
「いや、感覚的な話なのだ。君のアイデンティティはどこにあるのだろうか」
「アイデンティティ?」
「そう、君が君たる所以だ。過去からこの時代に跳び、君は文字通りすべてを過去に置いてきた状況にある」
「ああ、そだな」
「そしてこの時代に来てから築いたものもあるだろう」
この時代に。
会長の問いに肯首して思い浮かべる。
香の顔が浮かんだ。
先輩、ソフィア嬢にレオン。
凛花先輩や聖女様、御子柴君たちも。
俺が獲得したのはそういった繋がり。
・・・さくら・・・。
「人は自身が生まれ育った時代や場所に己が根を定める。君は今、どう感じているのかを教えてほしい」
「今?」
それは。
過去と現在、どっちが大事かって意味か?
「答えることを無理強いはしないが、できれば教えてほしい」
「・・・小説で出てくるような、タイムスリップする主人公の心情を知りたいって?」
「端的に言えばそうなる。君を手助けするための指針にしたいのだ」
「俺を手助けするための・・・?」
「そうだ。極端な話、君が元の時代に帰ることができる状況になった場合に、この時代を優先するのか、君がいた時代を優先するのかという話だ」
「それは・・・」
そんなの答えは簡単だ。
元の時代に、家族のもとに帰る。
それが俺の望みであり最終目的だ。魔王討伐なんて通り道でしかない。
だけどそれを優先するなんて言った日には「どうせ京極は元の時代に戻るから」と協力してくれなくなるかもしれない。
折角できた味方を失うほど俺は馬鹿じゃない。
「・・・目の前で生命の危険がある奴らをほっとけるわけねぇだろ。戻るのはやることをやってからだ」
「ふ、言うは易いものだがな。もしその選択が訪れたとき、その選択は君にしかできず、君自身にしか許されない。私は君を利用するのだから、せいぜい君の選択を邪魔せぬようにしたいのだ」
相変わらずお茶を濁しても見逃してくれない人だ。
俺は会長の顔を見た。
会長は変わらず星空を見上げたままだった。
「この星空に定められた星座。あそこに見えるさそり座やいて座を知っているか? あれらは遥か昔、私の、ギリシャの祖先たちが古代バビロニアの妄想を神話と呼び受け継ぎ定めたものだ。そのギリシャの血を受け継いでいる私は、この妄想でさえも自身のアイデンティティの一部と感じることがある。根とはそれほどまでに強固なものだ」
「星座でそこまで想いを馳せるとは・・・案外、ロマンチストなんだな?」
「ああ、感動は心の糧というだろう。だからこそ私は想いを馳せる。それが私の生きる意味になる」
生きる糧。この人からそんな言葉を聞くとは。
聖女様もそうだけど、会長も存外、激情家なのかもしれない。
表情や言葉よりも行動が激しいことが多い。
「己が根は拠って立つ場所だ。その礎なしに己の中に価値観を構築し得ないし、価値観なくば糧を得ることもない。君の行動もそうした糧を得るための価値観あってのものだ、違うか?」
「・・・」
「私は君の本心を知りたいのだ。君が糧を得るものは何だ? 橘 香と過ごすことか? それとも元の時代に想い人がいるのか?」
「・・・・・・」
そこまで突っ込まれるとどうとも答えようがない。
つか、俺が答えあぐねている時点で悟ってんだろよ。
俺の口から言わせたいって?
「それともまだ私を信用しきれていないか? あの喫茶店で話したとおり、私は君にすべてを掛けると決めている。なんならその証を示しても良い」
「デイジーさんみたいなことを・・・女性が軽々しくすべてを、なんて言うもんじゃねぇぞ」
「軽々しくなどない。このとおりな」
「ぅお!? ちょ、何してんの!?」
アレクサンドラ会長はいきなり制服のシャツをはだけ上半身下着姿となる。
暗闇に絹のような白い肌が煌々と輝いて浮かび上がっているかのように見えた。
「待てって!! 覚悟はわかったから!」
いやいやいやいや!!
いくらなんでも極端すぎだよ!
つい双丘に目を奪われ、慌てて逸らし両手を挙げて降参の意を示す。
「ほらやめろって。そんなんで自分を安売りすんなよ」
夜風に冷えるだろ、と自分の上着を脱いで被せる。
・・・自分のを着直してもらえば済んだ話だったYO!
いろんな意味で自分が寒いぜ。
「・・・ふふ、日本では据え膳食わぬは、という言葉があるだろうに。こういうところが皆を惹きつけるのだろうな。誤解せぬよう言っておくが決して安売りではない。価値に見合った投資だ」
会長は笑みを浮かべる。
こんなん、同じ状況ならみんな止めるだろによ。
服を着直してもらったところで俺は口を開いた。
「俺の根は2030年の日本だ」
「ふむ」
「すべてはそこに戻るために。それ以上のものはねぇ」
「そうか、無理に言わせてしまったな」
「・・・他言しないでくれよ?」
「無論だ。そしてその意志を至上とすることを誓おう」
「ああ、頼むよ」
「聞いてばかりでは不公平だろう、私の根も話しておく。私は楊 凛花と、この先もこの星空を見上げるため征くのだ。そのための手段は選ばない。どうか君の及ぶ限り助けてほしい」
そこまで口にすると会長はまた星空を見上げた。
もう言葉はない。
彼女は満足気に笑みを浮かべるばかり。
それを見た俺もまた自然と笑みが浮かんだ。
だが、ずきりという胸の痛みとともにすぐにその笑みは鳴りを潜めた。
青白い天の川が隔てる星海。
分かたれたふたつの海は、神話ように両岸に誰がいるのか。
片岸に俺がいるとするならば。
もう片岸には――。
◇
翌朝。
揺れる船の狭苦しいベッドのせいで夜明け前に目が覚めた。
そっと部屋から抜け出し、また甲板に出た俺の目に朝日が映えた。
太陽が姿を現したのは水平線からではなかった。
陸地の中央にある大きな山からその姿を覗かせていた。
その陸地はこの長旅の目的地。
SFの代名詞であるその場所。
アトランティス大陸がその雄大な姿を現したのだった。
ときに2210年11月7日。
これまでに散々に吟味した攻略法を無視した俺の行動が始まろうとしていた。




