9 義兄におまかせ
馬車がついたのは、仕立屋に見えない普通の建物の前だった。
「殿下、お店が見当たりませんが」
「看板は出してないそうだ。店売りはしてないからな」
王家御用達だと宣伝の必要もなくなるらしい。
義兄がひとり馬車から降りてドアノッカーで叩いた。すぐにドアが開いて、お針子さんらしき女性が顔を出す。貴族が来ることは日常茶飯事なのだろう、その目は公爵家の馬車にも動じず、素通りした。
「ご予約はございますか」
「ありませんが、尊き方よりの急ぎの依頼です。まずはお話を」
「申し訳ありませんが、ご予約がない方はどのような貴族の方でもご遠慮願っておりますので」
まあ、そうだろうな。今来店してる者が貴族ならぬ王族とは普通思わないだろう。普段は王宮に呼び出して採寸なりデザインの打ち合わせなりするのだろうし。しかし街中の道端で王家の名を出すのがためらわれるのか、それとも王子殿下と言っても信じてもらえないと思ったのか、義兄はしばし押し問答していた。そこに、パッと殿下が立ち上がって馬車を降りる。
「ベルナルド、ぐずぐずするな」
「殿下」
義兄が殿下に向かって、流れるような動作で膝を折る。いやそれ絶対わざとですよね。今の今まで一緒の馬車に膝突合せて乗ってきたじゃないですか。
「でんか……?こ、これは失礼いたしました!どうぞお入りください!」
はい、小芝居は効果抜群でした。お針子さんは慌ててドアを大きく開けて、私たちを招き入れた。
中に入ると、立派な応接室に通された。三人掛けくらいの大きなソファに、殿下と私が並んで座り、一人掛けの背もたれの無い椅子に、義兄が座る。護衛の騎士は背後に立ったまま控えた。すぐにお茶とチョコレートが出てきて、運んできたお針子さんが、少々お待ちください、と言って下がる。とはいえ、殿下が口を付けないので、私もそれに倣った。まあ、王族がおいそれと市井で何かを口にするはずがない。しかし、だとするとこの場合、毒見とかすべきなのだろうか。お義兄さまがするのかな。
チョコレートを見て悩んでいると、くくっ、と殿下が笑い声をもらした。
「アンジェリカ嬢、私は飲まないし食べないが、貴女は好きにするといい」
「えーと、よろしければお毒見いたしましょうか」
「アンジェリカ」
義兄が咎めるような声を上げた。なんかまずかったらしい。出過ぎた真似というやつだろうか。殿下は片手を少し上げて義兄を制した。
「いや、こういった場でもてなしを受けるという前例をつくると、いろいろ面倒なのだ。だから食べないだけで、毒見は必要ない」
なるほど。はっきりとはおっしゃらないけど、多分、王家御用達の利権の問題だろう。あくまで実力で選んだことを示すために、袖の下を疑われるようなことは控える、ってとこかな。チョコレートくらいと思うけど、一度前例を作れば激化する可能性はある。
「それに、毒見役は訓練された者の特殊技能だ。他者が代われるものではない」
「訓練……毒の耐性の訓練の事ですか」
「そうだな。それと」
まだあるんだ。
「万が一があっては、私がベルに殺される」
物騒な台詞のわりに、顔が笑ってますね、殿下。
「いくらなんでも殺しませんよ、多分」
多分て言いましたね、お義兄さま。
「まあそういったわけで、私を気にせずアンジェリカ嬢はもてなされてくれ」
「わかりました。では、失礼していただきます」
私は紅茶のカップをとった。正直、毒がどうのと話をしたせいで飲む気はちょっと失せていたが、だからこそ飲まないと殿下も気にされるかもしれないし。それに誰も飲まないのは先方へも失礼である。高級そうなカップに口を付けてそれを飲み込むと、喉をすべる熱が心地よかった。うん。ただの紅茶ですね。よし、チョコレートもいただこう。うん、甘くておいしい。
殿下は「やはりいい度胸をしているな」とつぶやいて微笑った。
「まあまあ!殿下、このようなところにお越しいただいて!」
ややあって、入ってきた女性は、まずは殿下に声をかけた。親しげな様子に、付き合いが長いことが知れる。名乗りはマリアンヌとおっしゃったので、母が記憶してる王家御用達は変わっていなかったらしい。一瞬いくつなんだろうと思ったけど、考えるのは止めた。私が挨拶をすると、マリアンヌ女史は「まあ、公爵家の」と言う。一度も頼んだことのない貴族家まで把握してるのはさすがである。
「少々急ぎの仕立てを頼みたい」
「なんなりとお申し付けくださいませ」
「来週末までにドレスを一着仕立てられるか」
「もちろんでございます。殿下の思し召しとあらば」
ほんの少しも躊躇わずにマリアンヌ女史は答えた。王家の威光がすごい。
「うむ。実はアンジェリカ嬢に急に必要となってな」
実は、っていうか、私がここにいる時点でそれしかないですけどね。
「さようでございますか。とすると、ご入用はアフタヌーンドレスでしょうか」
「いや。イヴニングの方を」
マリアンヌ女史がちらりと私を見る。うん、言いたいことはわかる。イヴニングを着るにはあちこち足りないですよね!
そこに、それまで黙っていた義兄が前のめりで参戦してきた。
「控えめにお願いします!」
「えっと、こちらは?」
多分、それまで殿下の従者だと思っていたのだろう。マリアンヌ女史は義兄が何故口を出すのかわからないようだった。いや私もわからないんですけど。
「アンジェリカ嬢の婚約者だ」
あ、そっち言っちゃいます?
はい、婚約者です。一応。でもどっちかと言えば義兄なんですが、そっちは言わなくていいんでしょうか。
マリアンヌ女史は一瞬驚いた表情をして、今度は控えめに視線を動かして私を見た。わかります、まさか婚約者だとは思わなかったのですよね。いろいろと差が大きいですもんね。身長とか年齢とか。こんな小娘がすいません。だから義兄って言えばよかったのに。
「まあまあ!素敵な婚約者様ですわね。お嬢様はお幸せですこと」
「ありがとうございます」
さすが商売人。強い。視線を泳がせたことなど感じさせないフォローです。
気を取り直したように、マリアンヌ女史が義兄の方に身体を向けて座りなおした。どうやら商談の相手は殿下ではなく義兄だと判断したようだ。確かに支払いを持つのは義兄だからその判断は正しい。
「デビュタント前なので控えめに。肩を出来るだけ出さないようにできますか」
「そうですわね…たしかにイヴニングというのは肩や肌を出すものですが、お嬢様くらいのお年なら、出さずともおかしくありませんわ」
「そうですよね!」
何歳だと思われてるのか。16歳ですよ。
マリアンヌ女史がテーブルの引き出しを引くと、そこに無造作に束ねた紙と羽ペンとインクが入っていた。取り出して、デザイン画らしきものを描き始める。すごい。王家御用達ともなると、デザイン画すら紙を使うらしい。輸入に頼っている植物性の紙は、だいぶ普及してきたとはいえ、使い捨てにするにはまだまだもったいない代物だった。普通は石板か木板である。
「たとえばシフォン生地などでこう、ふわりとした袖などあしらうのはいかがかと」
「シフォン生地とは?」
「シルクの一種で、薄く透ける生地ですわ。端切れをお見せしますわね」
席を立って、壁の戸棚を開けて布をいくつか持ってくる。
「このように、極力細い糸のみを使って織った布ですわ。透けますでしょう。まだ希少な物なので少々値が張りますが」
「かまいません」
まってお義兄さま。王家御用達が言う「値が張る」って怖いのですが。
今のうちに止めるべきだろうかと考えていると、殿下が事も無げに言った。
「ベル、支払いは王家にまわしていいぞ。父上の許可もとってある」
「とんでもございません、殿下。これは私が」
「いや、無理を言ってるのはこちらだし」
「殿下。他のご令嬢にはそういったことはなされないのでしょう。特別扱いは控えるべきです」
頑なな義兄の言葉に、殿下はぐっと言葉を詰まらせた。まあたしかに、出席するのが私だけならともかく、他の令嬢をさしおいて私だけドレス代を王家に払ってもらうわけにはいかない。正論である。正論なのだが、その頑なっぷりから断る口実のように聞こえるのはどうしてだろう。払いたいのか。なんでだ。
「まあいい、好きにしろ。お前の婚約者だ」
「そうなんです。ありがとうございます」
なんか会話おかしくないかな?支払いを持つ方が礼を言う不思議。
「それでお色はどうしましょうか」
マリアンヌ女史が、にっこりと会話を戻した。さすがです。
「色は……えーと、その、ですね」
義兄が急に言いよどむ。ちらりと私を見た。なんですか。
「メインは緑などいかがでしょう。お嬢様のピンクブロンドに良く似合うかと思いますわ」
「いいですね!緑でお願いします!」
マリアンヌ女史が提案した緑に、義兄が勢いよく賛成した。
お義兄さまがそんなに緑を好きだとは知らなかった。殿下が「わかりやすすぎるだろ」と小声で言ったので、殿下はご存じだったようだけど。
なんか私の出番がなさそうなので、あとは義兄に預けていいだろうか。
「あの、採寸とか有るのなら並行してやっていただいてよろしいですか」
「こちらはかまいませんが、お嬢様はよろしいのですか?」
「アンジェリカ嬢。希望があれば言った方がいいぞ」
「私は特に。ベルナルド様にお任せします」
あれ。
お義兄さまが固まった。
いやほら、婚約者って言ってたから。ここでお義兄さまって言うとややこしいと思って。
お義兄さまが固まって動かないことに気づいて、マリアンヌ女史が怪訝な顔をする。その場の全員の視線が兄に集まって息が詰まるような時間が流れた。お義兄さまはまだ動かない。どうしよう。今からでもお義兄さま呼びに直した方が良いだろうか。どうしよう。
ガツ!と音がして、殿下が義兄の足を蹴っ飛ばした。高貴な方の荒療治がすごい。
義兄はビクリと身を震わせてから、額に手を当ててうなだれた。お義兄さま、痛いのは額でなくて足ですよ、大丈夫ですか。
「えーっと、すいません?」
とりあえず謝ってみました。
「いや、いい。違う。……すまん。ちょっと破壊力が」
破壊力。何を破壊したんだ私。
「気にするな、アンジェリカ嬢。ベルは喜んでるだけだ」
とてもそうは見えませんが。
殿下はマリアンヌ女史に「いいから連れて行ってくれ」と声を掛ける。私のことですね。
「お嬢様、別室へご案内しますわ。係りの者を付けますので、採寸させてくださいましね」
「はい、お願いします」
まあいいか。採寸、採寸。
ソファから立ち上がると、マリアンヌ女史はざっと私の全身を眺める。退席する前に背格好を確認したようだった。顔がほころんでいるせいか、その視線に不快感は感じなかった。
「まあまあ、本当にお可愛らしいこと。森の妖精もかくや、というドレスを作って見せますわ!」
何やら発奮したらしい。張り切るマリアンヌ女史が呼んだお針子さんに案内されて、私は採寸室へを向かった。
とりあえず、ドレスの色は緑に決定のようです。




