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百年桜町奇譚〜番外編〜  作者: 桜月黎
SubClass2『ヒキコさん』
5/5

(2/2)

 ***Function 1( いっしょに ) as 噺心縁



 最初の頃は幸せだった。

 

 

 みんなより背が高いことが少しだけコンプレックスだったけれど、クラスのみんなはとても良くしてくれていたし、だから仲の良い友達も一杯出来た。

 勉強も楽しかった。

 成績が上がればお父さんもお母さんも先生も褒めてくれたし、友達も「すごいすごい」と言ってくれた。

 すぐにクラスで二番目になった。

 クラスでいつも一番だった■■くんは「おれがいちばんだ!」と言って友達をこき使ったり、給食のプリンを独り占めしようとしたりしていたけれど、わたしはそんなことに興味は無かったからきにしなかった。

 

 

 そしてあるとき、わたしがクラスで一番になった。

 お友達はみんな「すごいね、やったね」と一緒に喜んでくれたけれど、■■くんはすごく怒った顔でわたしのところに来て「次は負けないからな!」と言った。

 でも、それからずっとわたしは■■くんとはあとちょっとの差で一番だった。

 テストのたんびに■■くんはわたしのところへやってきたけれど、いつもわたしの勝ちだった。

 毎日のように「次は負けないぞ」という■■くんに、競争するつもりがないわたしは「お互いがんばろうね」と言った。

 

 

 その日、わたしは掃除当番だった。

 同じ班には■■くんも居て、とてもめんどうくさそうにしていた。

 わたしを含めた班員達と一緒に「さぼったらだめなんだよ」と言っても聞いてくれなかった。

 そうやって掃除の準備をしていたところ、担任の先生がやってきて言った。

 「森さん、お手伝いをお願いできますか」

 わたしは「いますぐですか」とたずねた。わたしは掃除当番の班長だったから。

 「はい、お掃除は■■くんにお任せして、こっちをお願いします」

 わたしは先生に言われたとおり■■くんにホウキをわたした。

 先生のお手伝いは、職員室で一緒にプリントの整理をすることだった。

 

 

 次の日から、学校は地獄になった。

 

 

 最初はきづかなかったけど、数日もするとわたしがみんなから避けられていることは疑いようもなくなっていた。

 『森妃姫子は先生にヒイキされてるから成績がいいのだ』

 そんな噂が流れ始めたから、らしかった。

 もちろん、全く身に覚えがなかったけれど、誰も信じてくれなかった。

 友達だと思っていた子も、みんな離れていった。

 わたしは疑いを晴らそうと思った。

 私は今まで以上に勉強を頑張った。

 ヒイキなんてなくても成績がいいというところを見せれば、信じてもらえると思ったのだ。

 ちょうど、遊んでくれる友達がいなかったから、勉強する時間はたくさんあった。

 

 

 勉強をいっぱいしたおかげで、成績はますます上がった。

 お父さんもお母さんも一層ほめてくれたし、先生もとても感心してくれた。

 でも、クラスメイトの疑いはちっとも晴れなかった。

 それどころか、ますます疑いは深まったらしかった。

 悪口を言われたり、持ち物が壊れたりなくなったりし始めた。

 きっと、努力が足りなかったんだと、わたしは思った。

 

 

 そうしてわたしは、学年一番になった。

 朝礼会では校長先生に賞状をもらった。

 お父さんもお母さんも「自慢の娘だ」と言ってくれた。

 今度こそ、わたしはみんなの疑いを晴らせると思った。

 賞状をもらったその日、私は■■くんのところへ行った。学年が変わって、クラスが別になっていたから。

 わたしの疑いが■■くんが広めたものだということは最初のころから知っていた。

 だから、■■くんの疑いを晴らせばみんなの疑いも晴れると、わたしは思っていたのだ。

 

 

 彼の姿を見つけてわたしはすぐに、もらった賞状を見せていった。

 ■■くんは前みたく「次はまけないからな」と言ってくれると思っていた。

 でも、それはまちがいだった。

 ■■くんはわたしと賞状を見るなり、すごい怒った顔になって、わたしから賞状を取り上げると、あっという間にビリビリにやぶいてしまった。

 わたしがびっくりしていると、■■くんはやぶいた賞状をわたしに投げつけて言った。

 「そんなにヒイキされたいのか! ならお望み通りにしてやるよ!」

 わたしは「ちがうよ」といったけれど■■くんはお構いなしにわたしを突き飛ばした。

 たまらずしりもちをついたわたしの足を■■くんは強くつかんで、言った。

 

 

 「ヒイキのヒキコ。思う存分ひっぱってやるよ!」

 

 

 わたしはそのまま、学校中をひっぱりまわされた。

 最初はスカートがめくれてはずかしいとおもったけれど、すぐにわからなくなった。

 廊下を曲がったり階段を下りたりするたびに顔や頭や背中や肩や腕や、いろんなところをぶつけた。

 痛くて痛くて、たまらなくて、わたしは途中から泣き叫ぶしかできなくなっていた。

 気づいた先生が助けてくれたときには、わたしはすっかり傷だらけになっていた。

 腕は両方とも変なかたちになって動かなかったし、顔もまるでオバケみたいになっていた。

 その日から、わたしは学校へ行かなくなった。

 

 

 ■■くんは先生たちからたくさん怒られたらしいけれど、それだけだった。

 わたしはもう■■くんがこわくてどうしても学校にいけなかった。

 家からもでたくなくて、わたしは毎日お部屋でぼーっとしているようになった。

 勉強しようと思ったけれど、手が痛かったからやらなかった。

 痛くなくなったら、また勉強しようと思っていたけれど、なかなか治らなかった。

 

 

 そうして何日も勉強せずに部屋に閉じこもっていたら、ある日お父さんがやってきて言った。

 「なにをしているんだ、学校へ行って勉強しなさい」

 わたしは「いたいのはいやです」と言った。

 お父さんは怒った声で「なさけないことを言うな。勉強しなさい」と言って持っていたコップをわたしに投げつけてきた。

 中に入っていたお水がこぼれた。お部屋の中がお酒のにおいで臭くなった。

 

 

 次の日の朝、またお父さんがお部屋にやってきた。

 「さぁ、学校へ行くんだ」わたしは「いやです」と言った。

 すると、ベッドからはみ出していたわたしのあしをお父さんがつかんでひっぱった。

 「さぁ、出てきなさい、学校の時間だぞ」

 わたしは必死に近くにあるものへ手を伸ばしてつかまった。

 でも手が痛くてうまくできず、わたしは引きずられるまま玄関まで連れて行かれた。

 たまらずわたしは大声で泣き叫んだ。

 

 

 わたしはますますお部屋にひきこもった。

 どうしてもお部屋から出てこようとしないわたしにお父さんは毎晩のように怒った。

 「勉強しない子にはご飯をやらないぞ!」

 そういって部屋にやってくるお父さんは、いつもお酒くさかった。

 

 

 そうしてほんとうに、わたしはご飯をもらえなくなった。

 

 

 おなかがすいて何か食べたいと思っても、もうお部屋を出るのも怖かったわたしはどうしようもなかった。

 ひもじくなったわたしは、雨の日に窓の外へビニール袋を出して水をためて飲んだ。

 でもそれだけではやっぱりひもじかった。

 ある日、夜に電気をつけて窓をあけていると虫が入ってくると気づいた。

 わたしはそうやって入ってくる虫を捕まえて、食べてみようと思いついた。

 苦かったりチクチクしていておいしくなかったけれど、それでも少し元気が出た気がした。

 

 

 しばらくそうしていたら、ある日それに気づいたお母さんが悲鳴を上げた。

 「きもちわるい」と言ってわたしをぶった。

 痛かったようなきがしたけど、なんだかよくわからなくなっていた。

 その日から、おかあさんは毎晩、わたしのへやにご飯とお水を投げ入れるようになった。

 けれどもう、食べなれた虫のほうがおいしいようなきがして、わたしはご飯には触らなかった。

 放っておいたらご飯は腐ったけれど、そこに虫が寄ってくるのでたすかった。

 水は、雨が降らない日はたすかった。

 

 

 しばらくそうしていたら、久々にお父さんがわたしのへやにやってきて「なんだこれは」と叫んだ。

 ずっと中を見ずにご飯と水だけ投げ入れていたお母さんも、その声につられて顔をのぞかせた。

 そうしてわけのわからないことばをめちゃくちゃに叫んで逃げて行った。

 お父さんもおびえたような顔をしていたけれど、お母さんみたいに逃げ出さなかった。

 変わりに部屋に入ってきて、言った。

 

 

 「ばけものめ! でていけ!」

 

 

 お父さんは、わたしの足をつかむとものすごい勢いでひっぱった。

 抵抗する元気がなかったわたしはされるがまま、壁や階段に体中をぶつけた。

 そうして玄関に辿り着いたお父さんは、わたしをそとへ放り出して言った。

 「どっかへいってしまえ! ばけものめ!」

 家に入ろうとしたお父さんの足を、わたしはつかんで止めた。

 外はこわいから、外に出されるのはこまるのだ。

 お父さんはわたしのてを放そうと、わたしの手や顔をいっぱい蹴った。

 

 

 しばらくひっぱりあいをしていたら、いつの間にかお父さんがころんでいて、わたしが立っていた。

 ころんだまま必死に家に入ろうとするお父さんを、わたしは必死に捕まえていた。

 すると今度はうしろから、玄関の外から悲鳴が聞こえた。お母さんの声だった。

 振り向くと、変な顔をしたお母さんが雨の中立ち尽くしていた。

 お父さんをつかむ手と反対の手をお母さんへ伸ばすと、なぜかまた雨の中へ走り出してしまった。

 

 

 とっさにわたしは、お母さんを追いかけて走り出した。

 ずっと走ってなかったからうまくはしれなかったけれど、お母さんは運動がにがてだったらしく、すぐ追いついた。

 わたしがお母さんの手をつかむと、驚いたお母さんはころんでしまった。

 けがをしていないか心配になってわたしはお母さんをのぞきこんだ。

 お母さんはわたしと、わたしが手に持っているモノを見ると、またわけのわからない声を出した。

 立ち上がれないまま這ってどこかへ行こうとするお母さんの足を、わたしはつかむ。

 外はこわいから一緒に帰ろう?

 

 

 そのとき、遠くから誰か聞き覚えのある声が聞こえた。

 なんだかそれは■■くんの声だったような気がした。

 そう思ったとたん、わたしはとても怖くなった。

 わたしは、声がした方と反対側の道へむかって走った。

 手に持っていたモノがとても重たかったけれど、わたしは必死で走ってにげた。

 

 

 いっぱいはしって、たくさん遠回りをして、ようやくお家に着いた。

 玄関はあいていたのでそのまま中にはいった。

 手に持っていたモノは重たかったので部屋のすみにおいて、わたしはベッドの上で丸くなった。

 どうしよう、こんな近くに■■くんが来るなんて。

 これでは怖くてお外へいけない。

 

 

 わたしは頑張って考えた。そして思いついたのだった。

 お外へ出るときは、誰かに一緒にきてもらえばいいのだ。と。

 最初はお父さんかお母さんについてきてもらおう。

 慣れてきたらほかの人と一緒に出歩いてもいいかもしれない。

 でも、念のため雨の日だけにしておこう。

 ■■くんはお外で遊ぶのが好きだったから、きっと雨の日はあんまり会わずに済むかもしれない。

 

 

 ***End Function



 ──え、終わり?

「うん」

 尻切れトンボ過ぎる。むしろ疑問がより一層増えたくらいだった。

「これ以上の噂話は聞いたことないなァ……」

 まだ噂話だと言い張るのか噺さん。……いや別にいいけれども。

「怪異化の経緯は何となくわかったけど、やっぱり今の形になった目的がよくわからないわね」

「ってーか、とちゅうから支離滅裂で意味わからん」

「ヒキコモリになったあたりからもう精神的に狂っちゃってるんでしょう」

「あたまトンじゃってんじゃ、動機だの目的だのそういうロジカルな事言っても意味ないじゃん」

 確かに今聞いた話のとおりであるならば、何かの目的に囚われた末路というよりはなんだかなし崩し的に人の路を踏み外しちゃったように思える。正直どの辺までが人間で、どこから妖怪なのかかなり曖昧だった。

 知り合いでもなんでもないから事情に深入りしようという気もないが、ここまで聞いて解無しという結論もなんだか不完全燃焼である。まぁ、私が物事燃え尽きるまでやり遂げたりすること自体宇宙法則レベルであり得ないことだから、おあつらえ向きといえばその通りだ。……うん? イオはもしかして全部知ったうえであえてそう言ったのか?

 目を向けてみるが、雨上りの陽光を拡散させる葉上の雫みたいな輝きを放つ姿は寸分たがわず正常運転で、たまに見せる底意地の悪さは今ばかりは表出していない。識視さんと架折さんの会話を面白そうにも面白くなさそうにも見えるニュートラルな表情で眺めている。


「……引っ張って欲しかったんじゃ、ないかな?」


 ──え?

 と声を漏らしたのは私だけじゃなかった。

 何言ってんの?とでも言いたげな目を向けているのは架折さんで、珍しく意外そうな表情を作っているのは識視さんだ。噺さんとイオはなぜかそろって春の木漏れ日みたいな微笑を湛えている。悪く言うと訳知り顔をしている。

 そんな、皆の視線を一身に浴びているのは、いつも私と同レベルで単なる聞き役に落ち着いているはずの巳祷さんだった。

「あ? 何言ってんの?」

 言いたげな目だけでなく実際に言ってしまった、こらえ性のない人である。

「助けて欲しかったんだよ、誰かに。どん底な境遇から引っ張りあげて欲しかった、手を引いて歩いてくれる人が欲しかった、そういうことじゃないのかな」

「それ『引っ張る』って言葉をなんか無理やりイイコトへ結び付けようとしてるだけじゃねぇの? うまい事言おうとして失敗してんぞ」

「えぇ~!? そ、そんなんじゃないのに……」

 と巳祷さんは早速架折さんに揶揄されておろおろしているが、対照的に識視さんはすっきりとした納得顔になっていた。かく言う私も表情に出ているかは判らないが心境は多分似たところだろう。

 なぜなら巳祷さんの言う解釈は、事実かどうかはそもそも都市伝説なのでなんともいえないが、少なくとも先ほどまで上がっていた矛盾点の答えとしてはなかなかにしっくり来るものだったからだ。

 【ヒキコさん】が人を、特に子供を無理やり捕まえ引きずり殺す理由──それは一緒に外を歩いてくれる人を求めた結果ではないかということだ。

 結果が凄惨なものになってしまうのは、精神を病んでしまった彼女の認識力が狂ってしまったゆえなのだろう。彼女にとっては人を殺そうとか、ましてや痛めつけようなどと言う思考は全く無く、ただ手に手を取って仲良く外を散歩しようとしているだけなのだ。

 こう考えればいじめっ子と同じ名前や、似た境遇の子供を襲わないことにも納得がいく。己の天敵や同じ苦しみを知る人間に助けを求めるわけにも、まさかいくまい。

 結局のところ、どう曲解したところで【ヒキコさん】にとって救いのある結論には至れそうにないのは残念だけれど、理由のない災悪ではない思えたことは自己完結的ではあるが僥倖だ。苦手なのだ、そういう『理由が判らない』モノが、私は。

「その話だって所詮尾ひれ背ひれなのよ?」

 巳祷さんが架折さんたちに弄られている横で(いつの間にか心縁さんも加わってまた別の話を聞かせつつ巳祷さんの素直な表情変化を楽しんでいるらしい)、私や識視さんが一定の解釈を得られたことに満足しているとイオが空気を読まずに水を差してくる。

 全く無粋なと目を向けると、てっきり茶化すような顔でもしているかと思ったイオの秀麗な眉目は酷く平坦だった。一瞬怪訝にも思ったが、彼女が基本ハッキリしない物事を好まない性質であることを鑑みれば、そこまで以外でもないかもしれない、とすぐに思い至る。

 だからと言って、イオの好む明確な答えなど出てきたりしないのだから、そんな表情をされるのは不当なイチャモンに漸近するのだけれど。

「良いじゃない、尾ひれ背ひれで」

 あっけらかんと識視さんは返す。

「だってそういうものでしょう? 都市伝説って。元ネタにしろ後付設定にしろ、それが語られてるなら異説含めてそれが真実なんだから。語られる場所、時間、人によって同じ話でも答えは違ってくるんじゃないかな」

 こちらもこちらで身も蓋もない言いではあるが、常に心がフルオープンな識視さんらしいといえばらしい。

 あらゆる事実も仮説もデマさえも信じて受取り、正しく己の知識とする彼女はもしかしなくてもイオの活動に際して私よりも数段適任者なのではなかろうか。

「それはそうだけれどねぇ……」

 都市伝説というものの曖昧さを苦々としつつも肯んじざるを得ないイオは、識視さんの言葉に眉と口を山なりの角度に歪める。意図した口車でイオにそんな表情をさせることが出来るのは、私の知る限り彼女くらいのものである。言っていることは特段の知己に富んでいるというわけでもないのだけれど、そこに伴う自信のようなものがすごいのだ。

 軽やかなのに、揺るがない。

 それを検索エンジンの権化みたいなのを相手取ってやっているんだから、その知力と胆力の強さたるや推して知るべし。公的に、という注釈付きとはいえ彼女を失った世界の損失は大きいに違いない。

 と関心しきりでいたら、あまりに唐突に、にゅるりという擬音を想起させる動きでもって何かが私の身体に背後から絡み付いてきた。

 別にぼかす必要も無いので明かすけれど、もちろん識視さんである。

 ……おかしいな、つい今さっきまで対面の席に居たはずなんだけれど。

「もう、いいじゃないですか。黎ちゃんも不安がってますよ」

 その言葉、過ぎた用心で子にあれこれ言いすぎる父親を諭す母親のごとき包容力。私が今までついぞ経験したことのない温もりであるけれど、まぁきっとこれはそういう比喩に合うだろう。

 ただ、このタイミングで受ける類のモノではないと思うのだけれど。

 というかちょっと苦しくなってきた。識視さん、力加減間違ってるよ。

「まぁいいわ、それよりも今日中にでもちゃんと百年桜のところまで持って行ってよ? 【ヒキコさん】を保持した代役(メンバー)を。」

 メンバー?

 聞き慣れない単語だけれど、文脈からしてあの編みぐるみのことか。

 別に長く持っておくつもりもないし帰りがけに行くためにもちゃんと持ってきてはいるけれど、釘を刺してまでせかす理由でもあるのだろうか。これを処理したら全部大団円だというならわからないでもないけれど。

「……取り出して見てごらんなさい」

 指示の意図がよくわからなかったが、持ってきていたカバンから、件の【ヒキコさん】を封じた人形を取り出して見る。何やら単に私が編んだだけであるはずなのに超常的な便利機能が付加されているらしいそれは、何の変哲もない毛糸で作られたのっぺらぼうな人型の──あれ?

「あら、黎ちゃん、間違ってもってきちゃった?」

 肩越しに覗き込んできた識視さんが私の手の中を見て言う。そう発言した彼女の意図はよくわかる。なぜなら私が取り出した『それ』は、【ヒキコさん】を封じる時に使ったものとはだいぶデザインが異なっていたからだ。

 イオが私に作らせた──どうやら代役(メンバー)というらしい毛糸人形は簡素な造りで、真っ白な丸いのっぺらぼうの頭に起伏のない胴体と指や関節なんかはもちろんのように表現されていない本当にただの記号的な二頭身のヒト型をしているだけの代物だったのだ。

 ところが今私の掌に仰臥するのは、頭身こそそのままだが頭にか黒い毛糸で髪の毛が表現され、胴体にもデフォルメしたワンピースのようなものが着せられている。さらにその手には赤くて丸い楕円形のボールらしきものが縫い付けられていた。完全に別物である。

「いいえ、それであってるわ」

 私自身も何か手違いを起こしたんだろうと自覚しかけたところに、イオはそんなことを言った。

 いやいや、どの角度から見ようともさすがにこれは私が造った手抜き人形とは似ても似つかない。こんな趣味の悪い人形を造った覚えも所持していた記憶もないが……いや、なんだろうこのデザイン何処かで見たことがあるような気がする。

「あ、なぁにそれ? 黎さんが造ったの? 可愛いね、なんのおにんぎょう?」

「あ? なにそれきもい」

「そう? 自分も結構かわいいと思いますけど」

 弄られて彷徨わせていた目線が私の手元に止まったらしく、識視さんが口を挟んできた。きっと話題を逸らしたかったのだろうけれど、これは、可愛い……んだろうか。どちらかというと私は続けて感想を述べた架折さんと同意見である。心縁さんの感性はあまりあてにできない。

「もしかして、これ【ヒキコさん】の人形?」

「コレクト!」

 識視さんの解答に、まぶたでなく星が瞬くようなウィンクを添えてイオが肯定する。

 なるほど、言われてみればそう見えなくもない……が、問題は何を模しているかではなくなんでこんなものを私が持っているかということで。

 ん、これが昨日の人形に相違なく、そのデザインが【ヒキコさん】風になっているということはもしかして、

「放っておくのそうなるのよ」

 やはり、つまりこの人形は封じた対象の形を模したものに変化するということなのか、つくづく便利アイテムだな、どういう原理でこうなったんだろう。

「ちょっと違うわ。昨日説明したでしょ、それは『一時的に』留めておけるだけの代物なのよ。時間が経つごとに封じたものの形へディテールを変化させていくわけ。で、さらにそのまま放っておくと、封じる前の姿に戻ってまた暴れだす」

 ………………。

「まぁ、その分だとあと十時間程度なら持ちそうだから安心なさい。……でもそうね、あまり暗いカバンの中に放置していると危ないかもしれないわね」

 ……なんて? いや、なんで?

「名前からわかるとおり【ヒキコさん】は『ヒキコモリ』という存在への偏見が投影された存在でもあるのよ。つまり、暗くて密閉された空間に放置すると、元の自分の形を思い出しやすくなるかもしれないってこと」

 私はその日、午後の授業を『ヒキコさん人形』を机上に携えて受けることとなった。

 

 

 程度の差こそあれ、似た経験のある身としては同情が無いでもない。

 が、私は【ヒキコさん】を助けることは──引っ張られてあげるなんてことはできないし、申し訳ないが正直ごめんだ。

 ガラじゃない、というのもあるけれどそもそも私には他人に手を差し伸べられるほどの力や器の持ち合わせがない。

 だからそう、せめて一つの教訓として活かそう。

 私は誰よりも凡才で、ゆえにイオが引っ張り込む超常的な事件に際しては圧倒的に無力だから。

 だから私は、ためらいなく助けを求めるとしようじゃないか。

 彼女が無言のうちに求め、そして当然の帰結で手に入れられなかったモノを、幸運にも私は持っている。

 伸ばした手を取って引っ張ってくれる人と、

 その行為を許してくれる人たちを。

 それらを私は、どうやら求める前から持っていたようだけれど、それを持っていることを気づかせてくれたのは【ヒキコさん】だ。

 そうだな、巳祷さんではないが何かキレイな事でも言おうとするならこんなところか。

 

 ──私は【ヒキコさん】の手引きのおかげで、大切なことを学んだ。


 とか。

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