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***Sub 2( 後日談 )***
いきなりだが後日談である。
対策、探索など色々と難儀することが予想された『口裂け女』だったが、事はあまりにもあっさり収束してしまった。というより、私たちはその後全く関わらなかった。
私が臆病風に吹かれて確保作戦を渋った、というわけではない。
あの口裂け女は、なんと勝手に消滅してしまったのだという。
そのことを、私は隣のクラスにいる噂好きの同級生、噺心縁さんから聞くこととなった。
彼女はもちろん、イオが世界のデバッグ作業──『都市伝説』集めをしていることなんて知らないし、そもそも見えもしない。私が口裂け女に遭遇した、なんてことも当然知らなかった。……はずだ。
***Function 1(わたし、きれい?) as 噺心縁***
自分が誰なのか、彼女は思い出せなかった。
自分が何をしようとしていたのか、彼女にはわからなかった。
此処が何処なのかも、彼女は知らなかった。
在るのは、何か言い知れぬ哀哭の情と、強いコンプレックス、
そして、ナニカを探していた、という漠然とした目的意識のみである。
「わたし、きれい?」
気付くといつも、何処とも知れない街の、外灯の下に立っていた。
あるときは真っ白なコートを着ていた。
あるときは真っ赤なコートを着ていた。
顔には大きなマスクをつけていた。
何をすればいいか、わからない。でも探し物がある。
「わたし、きれい?」
探しているナニカを持った人が来てくれるのを、ただ待つ。
でも、誰がそのナニカを持っているのか、彼女にはわからなかった。
だから、聞く。近くを通る人に、聞くのだ。
でも、何を、どう聞けば、望む答えがもらえるのか、彼女にはわからなかった。
だから、口をついて出る問いかけはいつも同じ、望む答えが得られない、不毛な質問、或いは、確認。
「わたし、きれい?」
自分には、他の人と違う部分がある。
そのことが、彼女は酷く悲しかった。
明らかに、自分は他人と違う。
それが酷くコンプレックスだった。
だから、聞く事が、望む答えを得られる質問が思いつかないと、自然と口から、その言葉は漏れて出た。
「わたし、きれい?」
いつものように、彼女は質問する。
答えは、知っている、聞かなくても。
その日も、やっぱり答えは同じだった。
怯えた声で、見知らぬ誰かが、答える。
──わかりません
「わたし、きれい?」
いつも、答えは、聞かなくても判る。見れば判る。
『キレイ』という人も。
『ブス』という人も。
『まぁまぁ』という人も。
皆、怯えた顔で、答える。見れば判る。
「わたし、きれい?」
そのうち皆、色んな事を言うようになった。
──ポマード! ポマード! ポマード!
──犬が来た、犬が来た
──カシマ様114号線にさようなら
意味は判らないが、やっぱり同じ答えだった。見れば判る。
「わたし、きれい?」
質問したあとのことは、よく判らない。
いつも通りの答えを聞くたびに、彼女は酷く悲しいと感じていた。
悲しくて、悔しくて、泣きたい気持ちになった。
そこまでしか判らない。覚えてない。
だから、悲しみが去ったあと、気付くと彼女は、また何処かに立っていた。
「わたし、きれい?」
その日は、いつもと違っていた。
いつものように、外灯の下に立っている。
雨が降っていた。
遠くから、傘をさした少女が歩いてくるのに、彼女は気付いた。
あの少女は、望む答えをくれるんじゃないか、そういう希望的な気持ちを、なぜか抱いた。
だから、いつもは近くに来た人に質問していたけど、今日はあの子に聞いてみようと思った。
ところが、その少女は、此方に気付くと立ち止まってしまった。
なんで来てくれないんだろう? 彼女はそれでも、その子が来るのを待ち続けた。
しばらくしてようやく、少女が近づいてきた。
彼女は、もう随分と久しぶりの気持ちが、自分の中に沸くのを感じた。
やっと、望むものが手に入るかもしれない、あの子がナニカをくれるかもしれない。
そんな明るい気持ちだった。
そうしてやっと、声がかけられるところまで、その少女は来てくれた。
さあ、聞いてみよう。
私にナニカをくれるかもしれない。
その少女の顔を見る。
それだけで、判った。見れば判る。
それは見慣れた答えだった。
まだ問いかけてないのに、その少女は既に、よく知った答えを提示してきた。
なんでだろう? 彼女は思った。
アナタはナニカをくれる人ではなかったのか。
どうしてそんな顔をするのか。そんな目で、わたしをみるな。
彼女の希望は、裏返って、絶望になった。
酷く悲しい。酷く悔しい。
また、ソレか。また、その答えか。
彼女の悲しみは、あっという間に、怒りへ変わった。
許さない。
許さない。
許さない。
■■シテヤル。
××シテヤル。
オマエモ、ワタシノ、カナシミヲ、シレ!
「わたし、きれい?」
気付くと彼女は、また外灯の下に立っていた。
いつもどおりだけど、いつもと違うと、彼女は思った。
酷く悲しい。酷く悔しい。
いつも感じる気持ちを、いつもどおりの答えを聞く前から持っていた。
でも、それだけだった。
いつもどおり、何をしたらいいか、わからない。
なら、やっぱり聞くしかない。
だから、ただ、待つ。
彼女は、それ以外の方法を知らないから。
遠くから、足音が聴こえる。
規則正しい靴の音と、奇妙な硬い、軽い音。
靴音にあわせて、音楽を奏でるような、コツコツという、軽い音。
外灯と外灯の間に降りる、夜の闇。
ちょっとだけ光の届かない、影のカーテン。
そこから、白い杖で地面と音楽を奏でながら歩く、少年が現れた。
今日は、この人に聞こう。と彼女は思った。
少年は、彼女のことを、まるで気付いていないかのように、すまし顔で歩いてくる。
このままでは、通りすぎてしまうかもしれない。と彼女は思った。
だから、呼び止めた。
そうしないと、聞けないから。
「ねぇ」
「……はい?」
少年は、白い杖の音楽を止め、足を止めて、彼女の方を向いた。
「何か、御用ですか?」
丁寧に、少年は言った。
濃いサングラスをかけた少年は、彼女の質問を待つ。
彼女は、やはりいつもどおりの質問をする。
最初から答えがわかっている、質問をする。
いつも同じ、望む答えが得られない、不毛な質問、或いは、確認。
「わたし、きれい?」
「えっ?」
驚いたような顔をする少年。
やっぱり、また同じだろう、と彼女は思った。
だから、彼女は驚いた。
「えぇと、お姉さん? ぼく、目が見えないからわからないんだ。でも、声がとても綺麗で哀しくて……優しそうだから、きっときれいなんじゃないかな」
少年は、盲目だった。
白い杖は、少年の目だった。
奏でる音楽は、少年の路だった。
その少年にとって、声は顔だった。
だから、その答えは、本当の答えだった。
少年の、本当の、本心から来る、答えだった。
彼女はそのとき、ようやく思い出した。
探していたもの。
待っていたもの。
ソレが何なのか。
彼女はそっと、涙を流した。
流れた涙は、耳元まで広がった大きな口に流れ込む。
しょっぱい味が、次々と口へ流れ込む。
それでも、涙は止まらなかった。
「お姉さん? どうしたんですか? 泣いてるんですか?」
本心を、偽りの無い本当の言葉をくれた少年が、気遣わしげに声をかけてくる。
その仕草や気遣いもまた、嘘偽り無い、本心からの行動だった。
彼女は思い出していた。
今までのことを。
今までやってきたことを。
理不尽な質問を、何度も何度も何度も、他人に強いてきた。
勝手なコンプレックスを、他人に押し付けてきた。
皆、彼女を怯えた目で見てきたけれど、それを強いたのも彼女自身だった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
彼女は、泣いて、謝った。
今まで、彼女が、答えを強いてきた人たちに。
許してもらえるはずが無いことも、もちろんわかっていた。
それでも、これ以外の方法が、彼女には、わからなかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
今まで、聞いてきた数だけ、彼女は「ごめんなさい」を繰り返す。
その間、少年はずっと、そばに立っていた。
立ち去ることなく、彼女の気が済むまで。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
何百回、何千回、何万回。
彼女は謝り続けた。
そして、何度目かに、いつか出会った不思議な少女の顔を思い浮かべた。
その少女には、多分今まで出会った誰よりも強く、理不尽を強いてしまった。
ただ、勝手に期待して、何も聞かないうちに、勝手に憤って、いきなり襲い掛かってしまった。
もしかしたらあの少女にも、ちゃんと接していれば、答えをくれたかもしれないのに。
ずっと探し求めていた、本心からの言葉を。
なのに、何も聞かずに、ただ怒りをぶつけてしまった。
だから、強く、強く、彼女は言った。
「ごめんなさい」
最後に彼女は、初めて本心をくれた、本心から『きれい』だと言ってくれた少年を見る。
「ありがとう」
そう言って、彼女はこの世界から、居なくなった。
欲しいものは、もう見つかったから。
End Function
「でね、この少年が実はぁ──」
そこまで聞いたところで、私はそっと席を立った。
聞くべきところはもう、聞き終えたから。
昼休み、学生食堂の端っこである。
最近では此処で、巳祷さんと昼食をとるのが習慣になりつつある。
噺さんとは今日、たまたま此処でばったり会っただけだ。
巳祷さんが同じ中学出身の友人だったようで、自然と同席する事になり、そして聞きもしないのに新着の噂話だと言って語り出したのである。
すでに昼食は済んでいた。
巳祷さんが、なにやら白地に金糸の刺繍が施された、妙に高そうなハンカチを思い切りぬらして目をうるうるさせている。
感受性が高い子なのだ。
噺さんも、更なる後日談に熱が入ってきたらしく、私が立ったことに気づいてない。
邪魔をしても悪いので、私は黙って席を離れる事にした。
「……全く、あなたはどうしてそう、折角できた友人から離れるようなことするかしらね」
相変わらず余計なお世話を焼くイオ。
受け応えると面倒なので、私は無視して話題を変える。
もちろん『口裂け女』が消えたという話のことだ。
「どうも何も聞いたとおりでしょ、口裂け女さんは無事成仏なさいましたとさ、めでたしめでたし」
ちっともめでたく無さそうな顔で両手を広げるイオ。
自然に『バグ』が消滅したってこと?
「んなわけないでしょ」
はい?
「ヌル・イクセプションに中身を与えていたものが蒸発しちゃったってだけよ。私が正さなきゃいけないのは中身じゃなくて器の方。中身が消えたら器も消えるって訳じゃないわ」
ヌルとは穴のようなモノだと以前イオは言っていた。要するに例えるなら、彼女が行うべき作業は穴埋めという事なのだろう。底に水が溜まっていて初めて人に見える状態になるが、水が蒸発したからと言って問題の解決には至らない。
ならばしかし、この事態はあまり良い事ではないはずだ。かなり大きな穴を見失ってしまったようなものなのだから。そんな暢気に構えていていいのだろうか。
「良いも何も、消えちゃったんだから、しようがないでしょう? どうせ『中身』になりそうなモノなんて他にもごまんとあるんだから、一つくらい、どうってことないわ」
そういうイオは、本当に気にしているような気配は無かった。
割りきりが良いのか、適当なのか。彼女に限って後者は無いか。
それかもしくは、妖精と私たち人間では時間の感覚が全く違うのかもしれない。彼女の自称するプロフィールが正しければ、少なくとも五〇〇年はこの地に居るという。いつまでに、という期限が無いのなら、確かに一回逃した程度はさほど意味を持たないのだろう。個々の性格にもよるだろうが、人間で言えばせいぜい電車一本乗り過ごしたとか、その程度の感覚なのかもしれない。
もうその必要も義理も無いがなんとなく、さっきの噺さんの語った事を思い返してみる。
どう聞いても私のことと思われる人物がちらりと登場していたり、その他も近くで見聞きしたとしか思えないようなシーンの描写が多かったり、という点はあえてつっこまない。
だから、口裂け女本人の心情などは、噺さんの想像による創作だろうし、彼女を成仏(?)させた盲目の少年とやらも実在するのかどうかは微妙なところだ。
もっと言うなら、そもそも『口裂け女』が消滅したという事自体が、そもそもただの創作の可能性もある……筈なのだが、何故かイオは噺さんの話を当然の事実のように受け入れていた。私個人としてもそうあってくれたほうが都合が良いので何も言わないのだが。
まぁ、嘘か本当かはともかくただ退治されたとか、そういう殺伐とした話になるよりは、そういう結果であったほうがずっと気持ちが良い。
そもそも、元々が噂話から生まれた存在である。
なら、綺麗なエンディングを語ってくれる人がいれば、それは『本当』の事になるのかもしれない。誰だってハッピーエンドのほうが良いだろう。
「でも」
イオが言う。
「今回の埋め合わせはしっかりしてもらわないとね。がんばって頂戴」
また、無茶を言う。
別に今回の件は私が悪かった部分なんてないはずだった。襲われたことはともかく、結果的には。
そもそも私はイオが仕事効率よくするためのインターフェース兼イクセプションを集めやすくするためのまき餌だったはずだ。何をがんばれと言うのやら。しかも、私には何の才能も無いと断言したのはイオ自身ではなかったっけ?
あまり危ないことに凡人を巻き込まないでほしい。
「大丈夫っ! 黎ちゃんにはあたしがついてるわ!」
ガバリ、と後ろから覆いかぶさるように抱きつかれて、大きくよろける。
正直言うと、不意打ち過ぎてかなり驚いた。心臓に悪い。
もはやそろそろ慣れの境地に達してもいい奇襲なのだが、残念ながらこの不意打ちはどうがんばっても回避しようが無い。
何せ彼女はその体質上、四六時中意識でもしていないと思考からすっかり居なくなってしまうから。なまじ、武道の心得もあるっぽい識視さんは、気配を消すなんてアクション漫画のキャラクターみたいな芸当も当然のように出来るのでタチが悪い。
いつから居たんですか、とココ最近すっかり挨拶となっている問いを投げる。何か聞かれたそうな顔をしていた……様な気がしたので。
「今日のお弁当、にんじんの入った卵焼き! あれ美味しかったよ!」
それはあれですか、一週間に及ぶ個人的人参フェア開催中だった名残で、既に完全に飽きが来ていたのに、早々に処分すべき在庫があったのを鑑みて、とりあえずかき回していた溶き卵に放り込んで厚焼きっぽくし、今日の弁当の端っこに詰めておいたおかずのことですか。
急場の残飯処理っぽいノリでやっただけなんだけど、ご好評のようで何よりです。味見したときは、人参にうまく火が通ってなくて微妙だった気がするけど。
はてそういえば、弁当箱の片隅に入れた記憶があるのに、昼食時自分で食べた記憶が無い。
この人やっぱり、いろんな意味でそんじょそこらの都市伝説よりよっぽど怖い存在かもしれない。
なにやら変な汗が出てきた気がして、少しわざとらしくもがく。
離れてください、歩きにくい上に暑いです。
制服が夏服に衣替えしてもうすぐひと月が経つ。初夏といってもいい気候なのだ。他意はない。
「つれないなぁ、スキンシップって愛情を伝える最もダイレクトな表現なのに、どうにも黎ちゃんには伝導率が低いようね」
……全く。
この街へ来てからというもの、何の因果か奇縁か、変な人ばかり遭遇する。追随するように面倒な事件まで運んでくるからたまらない。
身の芯から怠け者な私にはあまりにもハードすぎて息切れを起こしそうだ。
特にこの二人は、どうも言動がイチイチ正直過ぎて対処に困る。
嘘を吐かない、というわけではないくせに、決して偽らないという器用な事を平気でする。
それが私にとっては微妙に暑苦しく、微妙にこそばゆい。
正直言えば、やはり悪い気はしない……けど、真似は出来ない。私はそこまで素直でも、垢抜けても居ないのだ。
あの口裂け女も、この人たちに出会っていれば、もっと早く自分の探していたものを得られたんじゃないだろうか。
この二人は、人の内面を見通す事にやたらと長けているのだ。それに滅多な事で物怖じしない。口裂け女が抱えていたコンプレックスなど、馬耳東風として、素直にその内面をみて指摘しただろう。
自分達はやたらと整った容姿をしているくせにどちらも無意味に邪気がないから、多少の気障な発言も皮肉に聞こえないだろうし。
本当に、真似出来ない人達である。
なんでこんなのが、よりにもよって私なんかにくっついているのか、よくわからない。
聞けば多分応えてくれることだろう、本心からの言葉、或いは行動で。
もちろん、私はそんな事を自分から聞いたりしない。そんな自意識は持ち合わせていないし、なんとなく答えを聞くのが怖い、いろんな意味で。
ふと、イオと目が合った。
つらつらと上記のような事を考えていたので、なんとなく見つめるような形になってしまう。
「ん? なぁに?」
面白そうな顔でこっちを見るな、なんでもないから本当に。
「ふむ?」
聡い彼女は、一体何を悟ったのか、さっと目を逸らした私の顔をじろじろ観察してから、空中でくるりと旋回して目の前に躍り出る。
舞台役者みたいに両手を広げて、何かを披露するかのような仕草。彼女のお決まりのポーズだ。
そしてふいに、こんな事を聞いてきた。お得意の悪戯っぽい笑顔で、
「わたし、きれい?」
……なんて自意識過剰な妖精だろう。
私以外には、ごく限られた人にしか姿が見えないくせに。
正直に言うのは、なんだか癪だった。だから私は少し考えてこう言った。
──わかりません、と。