75話「業火の中で6」
全ての力を使い果たしたカリンは朦朧とする意識の中で空を見上げていた。
先程まで青空だったのだが、いつのまにか厚い雲が覆ってきている。
雨が降ってきそうだ……洗濯物……出しっぱなしだ……
カリンはただぼんやりとそう考えていた。
しかし、彼女を守るように覆いかぶさるヴァルツの熱が、力なく倒れ込むローレンから流れる血が、そして重なり合う3人を守るようにルガートとの間に位置するリディスの横顔が彼女を現実へと引き戻す。
もう負けたのだ。
たった4人でテラーとここまで渡り合った。
誰しもが良くやったと称賛を送るだろう。
もう満足だ。
しかし、彼女にはどうしても引っかかる言葉があった。
つまらない。
ルガートが何気なく呟いた言葉。
なぜそんなことを思うのか。
気がついた時にはその言葉を口にしていた。
「……なんでつまらないの?」
「あぁ!?」
予想だにしない言葉を投げかけられたルガートはカリンに視線を落とす。
しかしもうルガートの瞳はもう強者に向けたそれではなく、まるで道端の虫ケラを見るように冷え切っているのが分かる。
これがテラーの本質なのだ。
「だからさ……なんでつまらないなんて言ったの?教えてよ。最期にさ……」
無意識に最期という言葉を使った。
彼女はもう気付いていた。
この先数分も待たずに皆殺されるのだと。
「はっ?面白れぇこと聞くじゃねえか。仕方ねぇ……最期だし教えてやるか」
ルガートは二イッと口角を上げる。
「お前ら人間は何で弱い者を助けるんだ?そこの兄ちゃんももう少しは楽しめたはずなのによぉ……庇うなんてくだらない真似したからつまらねぇって言ったんだ」
「くだらない……?」
「ああ、くだらねぇな……友情だの!愛だの!絆だの!だからお前ら人間は弱いんだよ!!」
「違う!!絆があるから私達は強くなれるのよ!!」
リディスは強い口調でルガートに言い返す。
「….…そうかも知れねぇな。だが、現実はどうだ!?お前達は地面に転がって、俺がお前達を見下してる……それが現実だろ?」
「クッ……」
「負けた奴に正義なんてねぇんだよ。じゃあなお前ら。割と楽しめたぜ」
ルガートはゆっくりと拳を振り上げる。
その時、カリンはある出来事を思い出していた。
それはローレン達と共に戦うようになった初期の頃ーー
「ねぇ!ローレン!!なんであんな簡単に引いたのさ?」
それはミズラフでの戦いの最中、パーティのバランスが崩れたという理由でローレンが引き上げる指示を出したのだ。
多少バランスは崩れていたがまだ戦えた。
カリンは簡単に引く選択肢を選んだローレンに不満があったのだ。
「んー、確かにあのまま戦えたかも知れないな。だけど隣のベイル達の方が安定してただろ?だから任せても問題ないって思ったんだ」
ローレンはカリンの剣幕に押されながらも穏やかな口調で答える。
「でも、そんなこと続けてたら私達臆病者って言われちゃうじゃん!?そんなこと言われるの私は嫌だよ!!」
「そっかそっか……でも臆病者でもいいじゃん。俺は仲間が死ぬのは絶対に嫌だな。もし仲間が死なない為だったら俺はいくらでも臆病者になるけどね」
そう言いながらふふっとローレンは笑っていた。
そう……ローレンは臆病者なのだ。
なのにテラーのような恐怖そのものを体現する存在と逃げずに戦い、挙句仲間を守ったのだ。
そんな仲間想いの人間を弱いと言うのか?
自らを犠牲にした行動をくだらないと断じるのか?
違う……
断じて違う!!
カリンの中で何かが湧き上がる。
気が付いた時には再びヴァルツを人器に変えていた。
「おっ!?まだやる気か?」
それに気が付いたルガートは振り上げた拳を叩きつけるのを止め、狂気混じりの笑みを浮かべる。
(カリン!!!よせ!!)
ヴァルツの声が脳裏に響く。
しかしもう彼女には届かない。
本来であればカリンはもう動くことなど出来ない。
カリンの身体を突き動かしていたもの。
それは友を侮辱された怒りだった。
「……カリン」
カリンはゆっくり立ち上がると真っ直ぐにルガートを見つめる。
「私は!!私は!!お前を否定する!!」
「イイねぇ……これだから人間を殺すのはやめられねぇんだ」
「ドッペルゲンガー!!!」
カリンは咆哮を上げると自らの影を全身に纏わせ、目も止まらない速さでルガートの顔面を殴り付けた。
「ぐぁ!!」
遠距離型のカリンがルガートを殴ったのだ。
その想定外の攻撃に虚を突かれたルガートは仰向けに倒れる。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
そして素早く馬乗りになるとルガートの顔面に向かって何度も拳を振り下ろす。
何度も……
何度も何度も何度も何度も……
拳を振り下ろす度にその衝撃で地面が大きく窪んでいく。
ドッペルゲンガーは影を操る技である。
その影を自らに纏わせることで自らを操ることが可能になる。
その場合彼女は同調の比ではないほどの身体能力を得ることが出来るのだ。
しかし、この技は諸刃の剣でもある。
影を使って無理矢理身体を動かすため、自身の身体への負担が大きいという欠点があるからだ。
その証拠に既に彼女の全身は悲鳴を上げ、叩きつける腕の骨は砕け、両手から血が吹き出している。
それは自らを犠牲にした最期の抵抗。
友との絆。
友の行動が無駄ではなかったことを証明するために彼女は命を燃やしていた。
しかし、人類の敵であるテラーの命と1人の人器使いの命は平等ではない。
「……くだらねぇな」
そう小さく呟いたルガートはカリンの右手を掴み握り潰した。
「!?あぁぁぁぁぁ!!!」
カリンは砕かれた右手の激痛など気にする素振りも見せずに今度は左手を振り下ろす。
「……だから、くだらねぇって言ってんだ!!!」
ルガートは左手を掴むと思いっきり彼女を振り回し地面に叩きつけた。
爆破音にも似た轟音が周囲に広がる。
その衝撃波でローレンを抱きかかえていたリディスはゴロゴロと吹き飛ばされてしまう。
「……カリン」
リディスはもう動かなくなった彼女を見つめながら一筋の涙を流した。
彼女の想い。
彼女の命を燃やした最期の抵抗は結局ルガートには届くことはなかった。
「なぁ、姉ちゃん。さっき絆があるから強くなるって言ったよな?」
ルガートはもう動かなくなったカリンに目もくれずリディスに歩み寄る。
「ええ……言ったわ」
「だが、どう足掻いてもお前達は俺には勝てねぇ。これから先……俺が何度でもお前達の絆を砕いてやるぜ」
ルガートは恍惚とした笑みを浮かべている。
リディスは涙を流しながらルガートを真っ直ぐに見つめていた。
愛する男も信頼する仲間も倒れた。
リディス達はルガートに負けたのだ。
しかし、リディスの瞳は死んではいない。
「強いねぇ……まだそんな目が出来んのか?」
「確かに私達は負けたわ……でも私は絶対に絶望しない!!!」
リディスは一つだけ決めていた。
絶対に絶望しない……と。
絶望してしまえば、絆はテラーに届かないと認めてしまうような気がしたから。
それが彼女に出来る唯一の抵抗だった。
「……あっそ。じゃあいいや」
そう吐き捨てるとルガートはリディスに向かって拳振り下ろした。




