64話「アリス5」
「ウタ……どうしてここに?」
「どうしてって?私は夜風を浴びたくて散歩してただけよ」
不適な笑みを浮かべたままの彼女はアリスの問いに素っ気なく答えた。
「……」
アリスはウタが苦手だった。
シロにいきなり纏わりついて嫁を自称しているのも気に入らないのだが、掴み所のない性格で何を考えているか全く分からないのだ。
シロが許していなければ彼女と暮らすのは断っていただろう。
「……無様ね」
「!?……それってどういうこと?」
「分からない?自分より下だと思ってたリリスにパートナーとしての居場所を追われ、こんな場所でダーリンに手を差し伸べられるのを待ってるんでしょ?無様を通り越して滑稽よね」
ウタはそう言いながらフフッと笑った。
その笑みには明らかに嘲笑の意味が込められている。
「何で!?何でアンタにそんなこと言われなきゃなんないのよ!!」
アリスの声が夜空に響く。
確かにパートナーの座はリリスに奪われたかもしれない。
だが、部外者のウタにそこまで言われる筋合いはないのだ。
「……私貴方のこと嫌いなのよね」
「私だってアンタのこと嫌いよ!!!」
「……ふふっ、じゃあいいわね……」
そう呟いたウタはアリスに向かって棒状の物を放り投げる。
アリスの足元にカランと音を立てて転がる物に目を向けるとそれは訓練でよく使われる木刀だった。
「来なさい。ハンデとして私は素手で戦ってあげる」
「はぁ?何でアンタと戦わないといけないのよ?そんな安い挑発に乗るつもりはないわ」
「この期に及んで逃げるんだ。私は貴方が嫌い……貴方は私が嫌い。だったら戦う理由は十分よね!!」
(はや!!!)
そう思ったのも束の間、瞬く間に距離を詰めたウタはアリスの腹部に掌底を見舞った。
「ぐふぅ!!……ガハッガハッ……」
一瞬にして身体はくの字に折れ曲がり、肺の空気を全て吐かされたアリスは腹を押さえながら地面に倒れ込む。
「ああ……一個間違いがあったわ。これは戦いではなく……ただの八つ当たりだから」
地面に転がるアリスを見下しながらウタは吐き捨てるように呟く。
その瞳には一切の感情がなく、どこまでも深い闇を映し出していた。
その瞳を痛みで薄れた視界で捉えると、ふつふつと怒りが湧いてくる。
「……なんなのよ」
アリスはすぐ近くに転がっている木刀を握りき締めると、それを杖のようにしてふらふらと立ち上がる。
「……なんなのよ。アンタは……」
「私は私の好きなように生きる。それだけよ」
「……そんな身勝手な奴。シロには相応しくないわ」
「選ぶのはダーリンよ。それに貴方のような情けない女こそダーリンに相応しくないわ」
「それだってシロが決めることでしょ!アンタが決めることじゃない!」
アリスはズキズキと疼く腹部への痛みを堪えながら木刀を構えた。
「来なさい」
ウタはやや腰を落とし構えを取りながらアリスの攻撃を誘う。
その構えを見るやいなや、アリスは全力で地面を蹴った。
(もらった!!)
アリスはウタの頭に向かって全力で木刀を振り下ろす。
「遅い」
ウタはアリスが振り下ろした木刀を紙一重で躱す。
「!?」
間髪入れずアリスはウタに向かって横薙ぎを振るが、彼女には届かない。
「何その雑な太刀筋。今時子供でももっとまともよ」
既にアリスの太刀筋を完全に見切った様子のウタは涼しい顔で長い髪を掻き上げる。
「……煩いわね。まだまだこれからよ!」
再びウタに向かって木刀を振り下ろすが、あえなく空を切る。
そして同時にカウンターで放たれたウタの拳が腹部にめり込み再び激痛が走る。
「ぐぅぅ」
「弱い……弱すぎるわ。貴方は恵まれ過ぎてるのよ」
「……恵まれてる?」
「分からない?血を分けた妹にダーリンのようなパートナー。それって貴方が自分の力で勝ち取ったもの?貴方が勝ち取ったものなんて一つもないじゃない」
ウタは上段回し蹴りを放つが、アリスは辛うじて躱す。
「それは……!」
「そう……貴方は与えられているだけ。たまたま、偶然、奇跡、そんな目に見えないものに身を委ねているだけの弱くてちっぽけな存在」
再び上段に回し蹴りを放とうとするウタの動きを察知し腰を落として躱そうとするアリスであったが、その軌跡は動きを変え、今度は腹部に蹴りが直撃した。
腹部に猛烈な衝撃と痛みが襲い、アリスは背中から地面に倒れた。
「まだ自分の立場を分かっているリリスの方がマシだわ。消えなさい。2度とダーリンの前に顔を見せないように」
手も足も出ない。
ウタは汗一つかいておらず、全く本気を出している様子がない。
今のアリスとウタでは天と地ほどの力の差があるのは明らかだった。
悔しい……
夜空に浮かぶ満月の輪郭が溢れ出た涙で歪む。
ここまで言われて、何一つやり返せない自分が情けない。
それはウタの言うとおり何も勝ち取っていないことが事実だと認めたことになる。
ここで立ち上がらなければ、リリスもシロも失うことになる。
いつも自分の後ろに隠れていたリリス。
手を引いてあげないと前に進めなかったリリス。
そのリリスがいつの間に自分より先に進んでいる。
…….それでいいのか?
弱い自分を受け入れてくれたシロ。
シロはいつか必ず答えを見つけるだろう。
ここで立たなければその時、隣に居るのは私じゃない。
……それでいいのか?
リリスにシロ。
自分の最も大切な2人を失うことになる。
……それでいいのか?
「……よくない!!!」
アリスは力の限り叫んだ。
リリスとシロと共に歩んで行きたい。
それがアリスの心の叫びだった。
「へぇ……まだやる気なんだ?」
「ええ、私は絶対に諦めない。何度だって立ち上がって見せるわ!!私は……私は……あの2人が好きだから!!!」
意志のこもった瞳でアリスはウタを真っ直ぐ見つめる。
「……でも、ダーリンに相応しいのは私。貴方じゃないわ」
アリスはフッと笑みを見せるウタから目線を逸らさずゆっくりと木刀を構える。
何度挑んだとしてもウタには勝てないだろう、だが心は絶対に折れない。
そんな強い意志が瞳に宿っていた。
アリスが意を決して踏み込もうとした瞬間ーー
「おしまい」
穏やかな口調で呟いたウタは構えを解いた。
「え?」
「おしまいって言ったの。柄じゃないのよね。拳で語り合うなんてことは……さ」
「えっ?それってどういう……」
当然のことでアリスは状況が理解できない。
「くだらないことでウダウダ悩む貴方にちょっと喝を入れてあげただけってこと。あーあ、ダーリンにも見せてあげたかったわ。私のいい女っぷりを」
「……何言ってんのよ。いい女は突然殴りかかったりしないわ」
「だから手加減してあげたじゃない。顔だけは狙わないようにってね」
「……ウタ」
「ああ、何も言わなくていいわ。これは私の八つ当たりだから……それより貴方には今想いを伝えないといけない相手がいるんじゃないの?さっさと行きなさい」
「……分かった。じゃあ何も言わないわ」
アリスはウタに背を向けると家の方に向かって駆け出す。
走り去るアリスの背中をウタは見つめていた。
「ありがとう……か。可愛いとこあるじゃない」
それは、アリスが去り際に声を出さず呟いた言葉。
彼女の気持ちはウタにしっかり届いていた。
◆◆◆◆◆◆
早く……早くリリスとシロに会いたい。
会って自分の気持ちをぶつけたい。
息を切らして走るアリスの心はいつの間にか雲一つない今日の星空のように澄み渡っていた。
「お姉ちゃん!!!」
程なくして家が見えてくると、家の前でアリスの帰りを待っていたリリスが駆け寄ってくる。
心配していたのだろう。
リリスの目蓋は赤く晴れていた。
「お姉ちゃん……心配したんだから……もう帰ってこなかったらどうしようって……うっうぅ……」
勢いよくアリスの胸に飛び込んだリリスは声を震わせていた。
「ごめん……私はどこにも行かないから」
私は馬鹿だった。
どんなにリリスが成長したとしても可愛い妹なのは変わらないのだ。
少なくとも今胸の中で泣いている彼女は子供の頃と全く変わらない。
しかし、伝えなければならないことがある。
アリスは胸で涙を流すリリスの肩を掴み、真っ直ぐに瞳を見つめた。
「リリス。お姉ちゃん弱気になってたんだ。どんどん強くなるシロに……それを支えられるリリスに付いていけるのかって……」
「お姉ちゃん……」
「でも違った。それを決めるのはシロでもリリスでもなく、私自身なんだって……私はシロとリリスと一緒に居たい!!!だから……だから私はリリスには負けない!!!」
驚いた表情で見つめていたリリスは涙を拭いながら微笑む。
「うん……私もお姉ちゃんには負けない」
「ふふっそれでこそ、私の自慢の妹ね!」
満面の笑みを浮かべたアリスはリリスを抱き寄せる。
「お姉ちゃん!?」
「私達がライバルになるのは明日から……今はまだリリスは私の可愛い妹よ」
「うん」
街頭のゆらゆらとした明かりが重なり合った双子の影を長く、長く伸ばしていた。
◆◆◆◆◆◆
「アリスーー!!!」
シロはあれから北側の商業地区でアリスを探していた。
家を出た直後に会ったウタがアリスを商業地区で見かけたと言っていたのだ。
愚直に探し続けるシロであったが、ウタに見当違いの方向を伝えられ、アリスが家に戻って来ていることを知る由もない。
その後、家に戻ったシロがアリスに会うのは数時間後のことだった。




