九十五話 あなたのために②
シャーロットは、わけがわからずぽかんとするしかない。
だがしかしゴウセツの言葉は凄みを帯びており、冗談などではないことがすぐにわかった。ゴウセツはかまうことなく語り続ける。
『儂はあの動物園で、静かに余生を過ごす身でございました』
かつては数々の強敵と死闘を繰り広げ、武者修行に明け暮れる日々を過ごしていた。
しかし年を取り、多くの縄張りを弟子に譲ったことをきっかけにして隠居を決意。
ユノハ魔道動物園と交渉し、ふれあいコーナーの頭目として他の魔物たちを監視しつつ、五十年以上もの間のどかな日々を送っていた。
『そこであなた様と出会ったあと、新聞を目にする機会があったのです』
「し、新聞って……まさか」
『はい。あなた様の、根も葉もない悪評の数々が書かれておりました。儂は人間の文字が読めますゆえ』
ゴウセツは淡々と語り、ゆっくりと顔を上げた。
シャーロットの目を覗き込んで――告げる。
『あなた様はそのような方ではない。陥れられたのだとすぐに理解しました』
「……はい」
それは、かつてアレンに言われたのと似たような言葉だった。
あの日のことを思い出してシャーロットは胸を押さえる。
何もかもを失くして、たったひとりきりで逃げてきた。その果てでもらった言葉が、どれほど嬉しかったことか。
だがしかし、そのあたたかな追憶は……すぐに消え去ることになる。
『ゆえに儂は静かな日々を捨て……封じたこの力を、再び振るうことを決めました』
「力、って……っ!」
シャーロットが顔を上げたその瞬間。
まばゆい光が視界を走り、轟音が背後で爆ぜた。
ドガアッ!
「きゃっ!? な、なに……!?」
慌てて背後を振り返った先。
蔦に覆われていたはずの岩壁に、巨大なバツ印が刻み付けられていた。
砂塵が舞う中で言葉を失うシャーロットに、ゴウセツは淡々と続ける。
『秘剣、枝払い……手慰みに編み出した、我が奥義のひとつでござます』
ゴウセツが咥えていたのは、単なる木の枝だ。薄い光を帯びており、ひりつく空気をまとっていた。
シャーロットはごくりと喉を鳴らす。
脳裏に浮かぶのは、アレンに教えてもらった魔法の授業だ。
彼が言うには、魔法はおおまかに分けて二種類あるという。
ひとつは魔力を用いて奇跡を起こす魔法。
もうひとつは、魔力を肉体や物に込める魔法だ。
後者は力加減が難しく、並の術者が手を出せば暴走することもあるという。だがその分、小さな魔力で絶大な力を生み出すことも可能……らしい。
『優れた使い手なら、たった一本のナイフでドラゴンを仕留めることも可能なんだ』
アレンはたしかそう言っていた。
その優れた使い手というのは……間違いなくゴウセツのような者を指すのだろう。
いつしかあたりはしんと静まり返り、居並ぶ魔物たちがじっとこちらを見つめていた。
その目はまっすぐに澄んでいる。
だからこそ、シャーロットは背筋を流れ落ちる嫌な汗を止められなかった。
ゴウセツは枝をくわえたまま、あたりを見回す。
『ここはトーア洞窟と呼ばれるダンジョンでございます。かつて、我が弟子に譲った縄張りのひとつでしてな』
誇るでも謙遜するでもない。
ただ事実を述べるようにして、ゴウセツは続けた。
『世界中に、このような古巣がいくつもございます。儂が声をかければ……この何百倍もの規模の魔物たちが、たちどころに揃いましょうぞ』
「ま、魔物さんを集めて……いったい何をなさるんですか!?」
『無論、ひとつしかございません』
ゴウセツはひどくあっさりと告げる。
『あなた様のかわりに、我らがかの国を……ニールズ王国を、焦土と変えてご覧に入れましょう』
「なっ……!?」
『あなた様を陥れた者に死を。見捨てた者に絶望を。手を差し伸べなかった者に、あなた様が味わった以上の屈辱を。すべての一切合切を灰燼と帰し、屍山血河を見事に拓いてみせましょうぞ』