九十三話 花畑の罠③
だが、おかげで少し冷静さが戻った。
アレンはゆっくりと立ち上がって天井に空いた大穴を睨む。
「どうだ、ルゥ。シャーロットはこの上にいるのか」
『……いない』
ルゥはゆるゆるとかぶりを振る。とはいえそれは想定内だ。
思い出されるのはこの地下に落ちる直前に見た、大きな影。
アレンは額を押さえて唸る。
「ならばあいつは……攫われたんだな?」
『…………そうだ』
ルゥは苦しげにかぶりを振ってみせた。
ふたりの間に重い沈黙が落ちる。
アレンは指先が痺れるほどに拳を握りしめ……大きく息を吐いて、力を抜いた。
猛省はいつでもできる。今すべきことは、シャーロットを救うことだ。思考を切り替えて顎を撫でる。
「ひとまずここを出よう。手伝ってくれるな?」
『もちろん。ママのためだ』
「よし。しかし犯人はいったい何者だ? ニールズ王国のやつらか、はたまた賞金稼ぎか……」
それにしては、アレンが一切気配を察知できなかった。
かなりの手練れであることは間違いないだろう。
おまけに魔法が使えないことも気にかかった。ある一定区間内で魔法の使用を制限する術はいくらでも存在する。だが、それなりの下準備を必要とするのだ。偶発的に起こることなど滅多にない。
(ちっ……まったく手の込んだ真似をしてくれる)
おそらく敵はしばらく前から機をうかがっていたのだろう。
あのノーブルドラゴンも間違いなく囮だ。
アレンがぶつぶつ考え込んでいると、ルゥが小首をかしげてみせる。
『いがいと冷静なんだな。もっととりみだすかと思っていたぞ』
「まあ、シャーロットが無事なのはわかるからな」
『は……?』
「いやなに。最近あいつもよく出歩くようになったからな。防犯がてら、いつもの髪飾りに特別な魔法をかけておいたんだ」
いわば目印のようなものである。
アレンからどれほどの距離にいるか、命の危険に瀕していないかがざっくりとわかる。
それによるとシャーロットはそこまで離れてはおらず、怪我もしていない。今はまだ無事……ということだ。
そう説明すると、ルゥは感嘆の声を上げるかと思いきや……なぜか、ドブネズミでも見るような目をアレンに向ける。
『おまえ、しばらくママにちかづくな』
「なぜだ!?」
『うるさい。きもちわるい』
そのまま後ろ足で砂までかけてくる始末。
思春期の娘ができた気分だった。まだ告白も成功していないのに。
ルゥはやれやれとかぶりを振ってから、ため息をこぼす。
『だけどそれなら安心だ。てきのねらいも、わかった気がする』
「……どういう意味だ?」
『ルゥは、はんにんを知っている』
「っ、なに……!?」
暗がりにアレンの声がこだまする。
ルゥは沈痛な面持ちで喉を鳴らして続けた。
『前にルゥがたすけてもらった、どうぶつえんがあるだろう』
「は……? あ、ああ。それがどうしたんだ」
『ママをさらったのは、あそこの――』
「……待て」
ルゥの言葉を遮って、アレンは唇の前に人差し指を立てる。
それでルゥもぴたりと口をつぐんだ。
ふたりがじっと押し黙る中……魔石の灯りが届かない暗がりから、いくつもの足音と、何かを引きずるような音が聞こえてくる。
「何か、来る……」
『このにおいは……』
やがてその姿が露わとなった。
「グルァァアア……」
それは、薄緑色の鱗を有するドラゴンだ。
体長およそ十数メートルをくだらない、成体のノーブルドラゴン。
それが何十匹と集まって、アレンとルゥを取り囲んでいた。
「なるほど。これなら生半可な魔法は発動しないよな」
『かんしんしている場合か……?』
ぽんと手を打つアレンのことを、ルゥは冷ややかな目で見つめるのだった。