九話 イケナイことを教え込む①
それから三時間後。
「帰ったぞぉ!」
「お、お帰りなさいませ……?」
手に大荷物を抱えて舞い戻ったアレンのことを、シャーロットは戸惑いつつも行儀よく出迎えてくれた。
謎の宣言をしてから、アレンは家を飛び出した。
それから街に向かって、あれこれ買い求めてきたのだ。
もう空はとっぷりと暮れていて、冴え冴えと輝く三日月が気持ちよさそうに浮かんでいた。
アレンはリビングのテーブルに荷物をまとめて置く。
大きな箱が四つに布袋が三つ。その大荷物を前にして、シャーロットはますます首をかしげてみせる。
「す、すごい買い物ですね……でも、現金はもうないんじゃ……」
「ああ。だから手持ちの魔法道具を売っ払ってきた。金貨五十枚になったぞ」
「ごっ……!?」
シャーロットが言葉を失う。
一人暮らしの庶民にしてみれば、三ヶ月くらいは余裕で暮らせる額だ。
魔法道具とは、特別な魔法が込められた品物のことだ。雨に降られても消えない篝火や、振るだけで炎の球を出せる杖など。
ピンからキリまで存在するが、金貨五十枚で売れるとなると、かなり上等の魔法がかかったものになる。
「なっ、なんでそんな大金を!?」
「言うほどの額か? 公爵家令嬢のくせに、金銭感覚は庶民じみているんだな」
「ち、小さい頃は、田舎でお母さんとふたりで暮らしていましたから……って、そうじゃなくって!」
シャーロットはぶんぶんとかぶりを振って、震える声で言葉をつむぐ。
「それだけの額で売れる魔法道具となると、よほど貴重なものだったと思うんです……どうして売ってしまったんですか?」
「なに、まとまった金が必要になったからだ。それに他にも魔法道具はあるし、作ろうと思えば作れるしな」
魔法薬と違って、魔法道具の査定はかなり面倒くさい。だからアレンは滅多なことでは金に変えることはなかった。
だが、今回は特別だ。
「よし、シャーロット。ここに座れ」
「えっ……は、はい」
シャーロットはおずおずと、アレンの引いてやった椅子に腰を下ろした。
アレンは満足げにうなずく。だが彼女は戸惑い気味だ。
「シャーロット。先ほど、俺はおまえに言ったな。この世のすべての悦楽を教え込む、と」
「ええ。おっしゃっていましたけど……『えつらく』って?」
「悦び、楽しみだ。だが俺が言ったのは……」
アレンはシャーロットの顎をそっとすくい、にやりと笑う。
「道義に反するタイプの、悦びだ」
「ど、道義……?」
「その通り。イケナイことというのはな、楽しいんだ。クセになるほどな」
シャーロットはますます目を白黒とさせる。アレンの言っている意味がまるでわからないという様子だった。
「おまえは今時珍しいくらいの、素直で真面目な人間だ。どうせ公爵家の人間に反抗したこともないのだろう?」
「そ、それは……私なんかを、置いてくださる方々ですし……反抗なんて、できませんよ」
シャーロットは伏し目がちにぼそぼそと語る。
それは家族というよりも、飼い主に対するような怯えを含んだ物言いだ。
事実、彼女は公爵家に対してもこれまで一切悪し様に言うことがなかった。手酷く裏切られたというのに。恩義のようなものが、恨みを上回っているのだろう。
そんなのは、アレンから言わせれば不健全だ。
「これから俺は、おまえにイケナイことを教えてやる。おまえはその快楽に溺れ、本能のままに動く獣になるだろう」
「な、なんだか怖いです、アレンさん……」
シャーロットはかすかに怯えの色を見せるが、気丈にもアレンをにらんでみせる。
「そ、それに、悪いことはしちゃいけないんですよ!」
「安心しろ。法には触れないし、他人の迷惑にもならない」
「ほ、ほんとですか……?」
「そうとも。みーんなこっそりやっていることだ」
貞淑な妻も、厳格な教師も、模範的な聖職者も。
みな、こっそりと裏でイケナイことをして、その快楽の虜となっている。
そう告げると、シャーロットはごくり、と細い喉を鳴らした。
「そ、そのイケナイことって……なんなんですか?」
「知りたいか……いいだろう!」
アレンはシャーロットから手を離し、かわりに箱のリボンをゆっくりと解いていく。
さながら女性の服を脱がせるように、淫靡に。
「さあ、その目に焼き付けろ。今回のイケナイことは……」
ついに箱が開かれる。
そこに収まっていたのは――。
「…………ケーキ?」
「そのとおり!!」
アレンは力強くうなずいた。