八十二話 ラブコメの幕開け③
感情の激流に翻弄されながら、アレンはぼんやりとシャーロットを見つめる。
「ひゅーひゅー! ドキドキするって具体的にはどんな感じです?」
「あ、あの……どう言っていいのか分からないんですけど……」
ドロテアに先を促され、シャーロットは律儀に言葉を探す。
「これまで私、怖いドキドキしか知らなかったんですけど……あったかくて、うれしいドキドキ……ですかね」
「ひゃっほーう! めっちゃいいっすね、それ! いただきです! これなら新作も速攻校了間違いなしっすよ!」
「そ、そうですか? よくわかりませんが……お役に立てたのならよかったです」
そう言って、シャーロットはふんわりと微笑んだ。
その笑みが……アレンの心に突き刺さる。
決して恵まれているとは言えない半生なのに、彼女は他人のために心から微笑むことができる。その強さに強く惹かれた。
認めてしまったが最後、思いは止まることがなかった。
笑顔が好きだ。
小さな手が好きだ。
声が好きだ。
ともに過ごす時間が、何気なく交わす言葉が、ふとしたときの沈黙が……なにもかもが愛おしい。
シャーロットはアレンと手を繋ぎ、ドキドキするという。
アレンも全く同じだ。今にも心臓が破裂しそうなほどに高鳴っている。
ならばシャーロットも……アレンとまったく同じ気持ちを抱いているのでは?
(これはもう……やるしかない!)
自重や様子見といった言葉は、彼の辞書に存在しなかった。
即断即決。やると決めたら徹底的にやる。
それがアレン・クロフォードという男だった。
「シャーロット!」
「ひゃうっ!?」
突然アレンが大声をあげたものだから、シャーロットは肩を跳ねさせる。
しかしすぐにアレンが真剣な顔をしていることに気付いたようで、小さく首をかしげてみせた。
「えっと……なんですか?」
「大事な話があるんだ。聞いてくれ」
アレンは言葉を探す。
だが結局、気の利いた台詞は見つからなくて……直球勝負に出ることにした。
「シャーロット! 俺は、おまえのことが――」
ドガッシャアアアアアア!!
しかし一世一代の告白は、突然の轟音と砂埃で遮られた。
「げほっげほっ……! なっ、なんだ……!?」
「ひっ、ひええ……!」
シャーロットを胸に抱いて庇いつつ、音の方向に目を向ける。
見れば家の壁に大きな穴が開いていた。日の光が差し込むその先に立っていたのは……見知らぬ人物だ。
黒いスーツを着込み、黒髪を撫で付けた仏頂面の青年。
それが、ぽかんとするアレンたちに折り目正しく頭を下げる。
「気配を察知して参りました。突然の訪問、失礼いたします」
「は……?」
アレンもシャーロットも、目を瞬かせるしかない。
だがしかしドロテアの反応は違っていた。
「でっ、で……出たあああああああああ!?」
そんな悲鳴を上げて脱兎のごとく逃げ出すのだが――。
「させません」
「はうっ!?」
素早く回り込んだ青年に手刀をくらい、ドロテアはどさっと倒れてしまう。そのまま彼はどこからともなく取り出したロープで彼女を手早く縛り上げた。ひどく慣れた手つきであった。
あきらかな事案なのだが、アレンは助け舟を出すでもなく見守ってしまう。
芋虫のように転がるドロテアを見下ろして、青年は淡々と言葉を紡ぐ。
「どうもお久しぶりです、ドロテア先生。三十年と四ヶ月十日ぶりですね」
「あ、ああ……はい……お久しぶりっすね、ヨルさん……」
「いやはや、まさか原稿をせっついた次の日に失踪なさるとは。あれは担当編集として一生の不覚でしたよ」
やれやれ、と大仰に肩をすくめてみせるものの、その表情筋は微動だにしなかった。