七十四話 地下室の住人①
その物騒な単語によって、シャーロットがぴしりと凍り付く。
だがアレンはそれにも気付くことなく、水浴びを堪能するルゥを眺めながらぽつりぽつりと話を続けた。
三十年前、この屋敷には変わり者のエルフが住んでいた。
街にも寄りつかず、人付き合いもせず、彼女は何かの研究に追われてひたすら机にかじりつき、紙とペンだけを友として暮らしていた。
だが、彼女はある日突然屋敷から姿を消してしまう。
己の生み出した魔道生物に食い殺されたとか。
異世界を渡る魔法を編み出して、この世界を旅立ったとか。
はたまた人間の男と許されざる恋に落ちて、心中を選んだとか。
「そんな噂があったおかげで、この屋敷は相場よりはるかに安くて……って、おい。どうした」
ようやくそこで、シャーロットが真っ青な顔をしていることに気付いた。
彼女はごくりと喉を鳴らしてから口を開く。
「こ、このまえ、本で読んだんです……」
「なにをだ?」
「なにってもちろん……幽霊屋敷ですよ!」
「はあ……?」
アレンは首をひねるしかない。
だがシャーロットは青い顔のままでまくしたてる。
「心残りを残して亡くなった方が幽霊になって、お屋敷に取り憑くんです……! それで訪れる人を祟るんです! す、すっごく怖いお話でした……!」
「……そういえば最近は大衆小説も読んでいたなあ」
勉強の本だけでなく、小説や一般教養の本にも手を伸ばしていた。
世界が広がるのはいいことだとアレンも奨励していたのだが……どんな本を読んでいるのかまでは知らなかった。
「きっとそのエルフさんも幽霊になって、このお屋敷に取り憑いていらっしゃるんですよ……! うううっ……こ、怖いです……!」
「そんな馬鹿な。ここに住んで三年ほどになるが、ゴーストの類いには一度も遭遇したことがないぞ」
がたがた震えるシャーロットに、アレンは苦笑するしかない。
夜中に物音がしても、だいたいが風か野生動物だ。おかしな超常現象にもお目にかかったためしがない。
「それに心配するな。万が一ゴーストが出たら、俺が退治してやる」
「えっ!? アレンさん、お化けも退治できちゃうんですか!?」
「もちろんだ。あんなもの単なる死者の残留思念だぞ、生きている人間に敵うものか」
ごくごく稀に、生者を祟り殺すほどのすさまじい怨念パワーを有するゴーストが確認されるものの、この屋敷にはそんな気配はまるで感じられない。
万が一ゴーストがいたとしても、彷徨うだけで害のないものだろう。
「もし見かけたら俺に言うといい。一瞬で雲散霧消させてやる」
「そ、それはそれで可哀想です……」
シャーロットはちょっと引き気味だった。
怖いはずの幽霊にも同情するところが、シャーロットらしい。
アレンはくすりと笑う。
「というか、別に死んだとも限らんしな。エルフのような長命種族はふらっと姿を消すことも多いんだ。おおかたここでの暮らしに飽きたんだろう」
「そうなんですか……そっちの方が平和でいいですね」
「だろう? だから――」
「わふっ?」
そこでルゥが奇妙な声を上げた。
見ればプールの中で何かをくわえている。眉間にはしわが寄っていて、どこか困ったような表情だ。
「どうしたんですか、ルゥちゃん」
「がうー」
「おっと……なんだこれ」
ルゥが投げ渡したものをキャッチして、アレンは首をひねる。
それは白いキノコだった。手のひら大で、傘の部分がボールのように丸くなっている。
よくよく見れば水面には他にも似たようなキノコが浮かんでいて、かなり異様な光景だ。
「地下で群生していたのを汲み上げたのか……? ああ、ルゥ。間違っても――」
食べるなよ、と言おうとした……そのときだ。
ばこっ!
「こらーーーっ!」
「っ……!?」
突如庭に響き渡る、女性の怒声。
アレンはとっさにシャーロットを庇って振り返り……目を丸くして固まってしまう。
なにしろ地面から、女性がひょっこり顔を出していたからだ。
埋まっているのかと思いきや、どうやらそこに地下へと続く隠し扉があったらしい。
浅黒い肌に、白銀の髪。
絶世の美女と呼んでも差し支えないほど見目麗しい顔立ちなのだが、分厚いメガネをかけていて、着ているのはだるだるに伸びたシャツ一枚。髪もぼさぼさだし、身だしなみに一切頓着しない性格らしい。
それがなぜか、アレンたちを親の仇でも見るように睨んでいるのだ。
彼女はこちらに向けて、びしっと人差し指を突き付ける。
「ボクの大事な食料を盗んだのはおたくらっすね!?」
「しょく、りょう…………?」
アレンはきのこを握ったまま、オウム返しをするしかなかった。