七十二話 夏のある日と禁断の箱②
アレンがしみじみしていると、シャーロットは小首をかしげてみせる。
「でも、アレンさんって……学校にいらしたときは、大魔王って呼ばれていたんですよね?」
「それがどうしたんだ?」
「だって、そんなに怖い先生とは思えなくって……」
シャーロットは困ったように眉を寄せて、授業風景を挙げてみせる。
「なんでも丁寧に説明してくださいますし、小テストの点数も褒めてくださいます。すっごく優しい先生じゃないですか。大魔王なんてなにかの間違いでは?」
「ははは、なにしろ今は生徒が優秀だからな。雷を落とす場面がないだけだ」
「も、もう。お上手なんですから」
シャーロットはぽっと頬を赤く染めてはにかんだ。
もちろん、彼女に対する指導方法はいつものものとは全く違う。
指導教官時代を知るメーガスや、最近稽古を付けてやっている毒蛇の牙のリーダー・グローあたりが見たらドン引きするくらいには甘々だ。
だが、シャーロットが優秀なのもまた本当のことだった。
一度間違えたことはしっかり復習して次までには完璧に答えられるようにしてくるし、自主的に魔物の本なんかも読んでいる。
実に意欲的な生徒で、アレンとしても教え甲斐があるというものだ。
「また今度、野生の魔物を見に行こうか。あと魔物使いの大会に出てみるのもいいだろうな」
「大会……ですか?」
「ああ。互いに手懐けた魔物を競い合うんだ。秋口に大きな大会があったかな」
「そ、そんなのが……」
シャーロットはルゥの頭を撫でて、ぼんやりと考え込む。
彼女は今現在、お尋ね者である。
街の手配書は減ったものの、まだその身にかけられた懸賞金は健在だ。
目立つ行動は避けるべきなのだろうが……アレンは大きな目標を持ってもらいたいたかった。
ともあれ、決めるのはシャーロットだ。アレンはそのお膳立てをして、時と場合によって全力でサポートするだけである。
「まあ、その話はおいおいでいいだろう。まずは『お手』ができたお祝いだな」
「へ? お祝い、ですか……?」
「わふー?」
不思議そうなシャーロットの手を引いて、アレンは庭の片隅に誘った。もちろんルゥも軽い足取りでついてくる。
はたしてそこには……正方形型の小さなプールができていた。
人の膝くらいの深さしかないが、澄んだ水がこんこんと沸き出して見るからに涼しげだ。
「こ、これって……?」
「これから暑くなるだろう」
ぽかんとするシャーロットに、アレンはいたずらっぽく笑う。
「風呂も悪くないが、ルゥ専用の水浴び場があった方がいいと思ってな。ちょっと作ってみたんだ」
ふたりに気付かれないよう、合間合間でこっそり整備しておいたのだ。
地下水脈から水を汲み上げるだけでなく、きちんと濾過まで行う仕組みだ。飲用水にできるくらい綺麗な水なので、安心して遊ぶことができる。
そう説明すると、シャーロットは目を輝かせた。
「す、すごいです! ありがとうございます! よかったですねえ、ルゥちゃん!」
「わふっ」
ルゥもどうやら気に入ったらしい。前足を水面に浸して、ちゃぷちゃぷと水の温度を確かめる。そうしてざぶんと中に入っていった。
「ほら、一緒に入って使い勝手を見てやってくれ」
「は、はい!」
シャーロットも靴を脱いでルゥに続く。ひとりと一匹は最初こわごわと水を楽しんでいたものの……すぐにルゥが慣れた。ごろんと全身で水を浴びて、ぶるぶる震えて水滴を飛ばす。
「あはは、ルゥちゃん。冷たいですよ」
「わふー」
キラキラとはしゃぐシャーロットたち。
アレンは木陰でそれを見守りながら、ぽつりとこぼす。
「平和だなあ……」
柄にもないことだとわかっていた。だがしかし、この現状を言い表すのにこれ以上の言葉が見つからない。
いつまでもこの、変わらぬ日々が続けばいい。
そんなことを考えて……ふと、思い出すものがあった。
『本当の新婚旅行の際には、ぜひとも当ホテルをお使いくださいね♪』
それは先日お世話になった、人魚のコンシェルジュが残した言葉で――。
「ぐふっ……!」
アレンは思い出し心停止という器用な真似をしてみせた。
定期的にこの言葉を思い出しては、こうして心臓にちょっとしたダメージを受けるのが常だった。