七話 令嬢と始める新たな日々①
こうしてアレンは行き倒れた令嬢を拾った。
それから三日後のこと――。
「えっと、終わりましたよ……?」
「素晴らしい!」
見違えるほど綺麗になったリビングに、アレンは快哉を叫ぶ。
地獄のようだったゴミ溜めは、今や人が暮らせる環境となっていた。
床も見えるし、埃ひとつ落ちていない。磨かれた窓からは柔らかな陽の光が差し込んで、時間帯を知らせてくれる。
「いやはや素晴らしい仕事ぶりだ。公爵家令嬢とは思えないな」
「……お家では、色々お手伝いをしていましたから」
そう言って、シャーロットは苦笑する。
三日の間に療養させたかいもあって顔色もいい。髪にも艶が出て、ドレスを着せればさぞかし様になったことだろう。
だが今は普通の村娘然とした凡庸な服を身にまとっていた。
パッとしない色合いのブラウスにロングスカート。
おまけに雑巾片手に腕まくりだ。それがやけに似合っていて、高貴な身の上ということを忘れさせてくれる。
(妾腹、と言っていたか。掃除の手際もいいし、家での扱いがうかがえるな)
公爵家の令嬢とは名ばかりで、家の中では召し使いのような立場だったのかもしれない。
だが、それを追及する気はなかった。
シャーロットもそれ以上言うつもりはないらしい。誤魔化すように苦笑を浮かべてみせる。
「で、でも、私は床を磨いただけですよ。荷物は全部、アレンさんが魔法で片付けてくれたんじゃないですか」
「まあな」
床のゴミ類は全て魔法で焼却処分した。灰も残さず燃やしたため、あとは埃とススを片付ければ終わりだった。
「床掃除も手伝ってくださいましたし……私、いる意味あるんですか?」
「もちろんだとも」
アレンは大真面目でうなずく。
「俺はこの通り、生活能力がまるでない。ひとりだと片付けようという気すら起きないからな。おまえが来なければ、死ぬまであのゴミ山で暮らしていた自信があるぞ」
「胸を張っておっしゃることじゃないと思うんです……」
シャーロットはやや引きつった笑みを浮かべる。
しかしぐっとこぶしを握って、意気込んでみせた。
「で、でも、とりあえず。次は何のお仕事をすればいいですか?」
「そうだなあ」
アレンはしばし思案する。
そうしてあっさり告げることには――。
「今日はもういい」
「えっ」
「あとは夕飯まで自由にしててくれ」
戸惑うシャーロットをよそに、アレンはお気に入りのソファーに寝転ぶ。
「書斎から本を持ってきてもいいし、庭をいじってくれてもいい。好きにしろ」
「……私が泥棒したらどうするんですか?」
「それも大丈夫。この家には今、ろくな現金がないからな」
昨日、シャーロットの服や日用品を街であれこれと買い求めてきた。
女性の服を買うのはやや抵抗があったが、今さら悪評のひとつやふたつが増えたところでどうでもよかった。店員に適当に見繕ってもらい、言われるままに購入した。
そういうわけで急な出費があり、この家に現金はほとんど残っていない。
そう説明するとシャーロットが恐縮したように小さくなる。
「す、すみません……私のせいで……」
「なに、初期投資だから気にするな」
適当に手を振って、懐から分厚い紙の束を取り出す。
先日公表された魔法理論についての研究論文だ。
そこに赤ペン修正を入れまくって執筆者に突っ返すのが、アレンの数少ない趣味だった。学会ではひどく恐れられて『赤ペンの悪魔』呼ばわりされているらしいので、なおのこと添削のペンにも力が入るというものだ。
「ともかく俺はしばし作業をする。声をかけないでくれ」
「は、はい。わかりました」
シャーロットがうなずいたのを確認して、アレンは論文に目を落とす。
(まあ、短い付き合いになるだろうし……これくらいの距離感でいいだろうさ)
適度に路銀を稼いだところで、彼女はアレンの前から姿を消すだろう。
困った人間は放っておけないが、自分は人付き合いが苦手だ。今はまだ恩義を感じているからシャーロットの態度は柔らかいが、じきにアレンのことが嫌になるはず。
(頃合いになったら、盗みやすい場所にまとまった金を置いておくか……)
そんなことを考える自分に苦笑しつつ、アレンは論文にのめり込んでいった。
やがて、気付いた時にはすっかり日が暮れていた。
窓から差し込む光は、いつの間にか燃えるような茜色に染まっている。
「おっと、もうこんな時間…………」
ソファーから起き上がり、アレンは凍りつく。
整理整頓されたリビングの床。そこにシャーロットが座り込んでいたからだ。
彼女は微動だにせず、うつむいて、床を見つめている。夕日に照らされたその姿は、ちょっと異様な光景だった。
「お、おい、シャーロット……何をやっているんだ?」
「あっ、アレンさん」
何事かと慌てて声をかけると、シャーロットはハッと顔を上げる。
先ほどと変わらない無邪気な笑顔だ。だがしかし、彼女はどこか困ったように頰をかく。
「えっと、自由にしていいとおっしゃったので……」
そうして堂々と言ってのけることには――。
「床の木目を数えてました!」
「床の、木目」
思わずおうむ返しをしてしまうアレンだった。