六十六話 傷ついたフェンリル②
おかげで一気に場が騒然とした。
園長も真っ青な顔で、報告をあげた飼育員に詰め寄っていく。
「そんなバカな! この子を保護したときに臭いは消したし、気配断絶魔法も使ったはずだぞ!? どうしてここがバレたんだ!?」
「相手の魔力が、かなり上だったとしか……」
「たしかに百年以上もこの地に住まう個体だが……想定以上だったというわけか」
苦々しい顔でうつむく園長並びにスタッフたち。
フェンリルが有名なのは、なにもその希少性の高さだけでなく、純粋な強さによるものが大きい。
齢百以上の個体ともなれば、街一つ滅ぼすことすら造作もないだろう。それがこの動物園に迫っているという。あきらかにまずい事態だ。
アレンも背中に嫌な汗が流れるのを感じながら唸るしかない。
「向こうからしてみれば、動物園は子供を攫った犯人だものなあ……大人しく返す、のはまずいか」
「まだ治療が済んでおりませんし、外に出すのは危険です。おまけに傷付いた子供を見て、親がどう思うか……」
「火に油を注ぐだけ、か……」
アレンは大きくため息をこぼす。
そうなると……やるべきことはひとつだけだ。軽く肩を回して告げる。
「仕方ない。俺が母親を食い止める」
「そんな……いくらクロフォード家のご子息でも無茶ですよ!?」
「なに、荒事は得意なんだ。任せておいてくれ。とはいえ万が一に備えて、客の避難を頼む」
「くっ……すみません、わかりました……」
「よし、それじゃあシャーロットも客たちと一緒に――」
「アレンさん!」
逃げろ、と続けかけた台詞が半ばで遮られる。
シャーロットはまっすぐにアレンを見つめていた。その目に宿るのは、これまで見たこともないほど強い意志の光だ。
「さっきおっしゃいましたよね。私には魔物使いの才能があるかもしれないって」
「はあ、たしかに言った……が」
そこでアレンは眉をひそめてしまう。
たったそれだけで、シャーロットが何を言いたいかを理解したからだ。ゆるゆるとかぶりを振る。
「……それはやめておけ。危険すぎる」
「でも、何もせずにいるなんて……我慢できません」
シャーロットは断固として譲らなかった。
深く頭を下げて、震えた声で懇願する。
「お願いします。危ないと思ったらすぐに逃げますから。あの子と、話をさせてください!」
「シャーロット……」
「お嬢さんは、いったい……?」
園長は小首をかしげるのだが、アレンたちを連れてきた飼育員は明るい声を上げる。
「お客様ならできるかもしれません! ふれあいコーナーで、なんの魔法も使わずに魔物たちを手なずけていましたから!」
「だが、あそこの魔物はおとなしい部類だろ……」
「いくらなんでもフェンリルは……」
ほとんどの者は懐疑的だ。
だがしかし、アレンはわずかに口角を持ち上げて笑う。
(ふっ……本当に、変わってきたな)
以前までなら、アレンが駄目だと言ったらすぐに折れていただろう。それなのに、シャーロットは頭を上げる気配がない。
出会った当初は人形のようだった少女が、誰かのために戦おうとしている。
その変化が、アレンの闘志をさらに燃やした。
にやりと笑って、シャーロットの肩を叩く。
「ならば任せた。あの子供を説得して、治療を受けさせてやってくれ」
「は、はい!」
シャーロットは顔を上げ、ぐっと拳を握ってみせた。
「園長どの、どうかこいつにフェンリルの子供と対話させてやってくれないか。魔物使いの素質が高いみたいなんだ」
「……クロフォード家のご推薦とあらば。どちらにせよ私どもにできる手は、もうありませんからな……」
「よし、話はまとまったな」
これまでにも、シャーロットとふたりで何かをすることはあった。
だがこれはふたりの初となる……共同戦線だ。
「さて、行くぞ。狼との話し合いだ!」
「はい!」