三十九話 夜はもう、怖くない⑤
「おーい、もう出てきていいぞ」
「は、はい」
呼び声に応えて、シャーロットは屋敷の裏口を開ける。
そこに広がっているのは広い庭だ。アレンが薬草を育てる畑や井戸などがある。そして今、その一角に……灯りが満ちていた。
「わあ……!」
リビングのソファーが持ち出され、その周囲にはランタンがいくつも並べられている。すぐそばには焚き火が起こしてあって、鍋で何かを煮ていた。
まるでキャンプだ。
アレンが鍋の液体をマグカップによそって、手渡してくれる。
「そら。熱いから気をつけろ」
「これって……ココアですか?」
ランタンの優しい光に照らされて、薄茶色の液体が湯気を立てている。おまけに大きなマシュマロが三つも浮かんでいた。
アレンはにやりと不敵に笑う。
「そのとおり。そいつを飲みながら天体観測と洒落込もう」
「す、素敵です!」
シャーロットはぱあっと顔を輝かせた。
まるで夢みたいな光景だ。アレンに促されるままにソファーにかければ、満点の夜空が見渡せた。このあたりは街からも遠いため、星の明かりを阻むものはなにもない。
煌めく夜空に見惚れていると、アレンが隣に座る。
彼はごそごそと香炉のようなものを用意しはじめた。
「アロマですか?」
「単なる虫除けだ。あと、こいつも被っておけ」
「はぶっ」
不意に虚空から毛布が落ちてくる。シャーロットは言われた通りにその毛布にくるまった。
夜とはいえ、夜風にはまだ春の陽気が残っている。毛布をかぶればそれだけでぬくぬくとあたたかい。
香炉から立ち上る煙は爽やかな香りをまとっていて、気分が晴れていくようだった。
頭上には満天の星々。
地上にはあたたかな空間。
どこを見ても、幸せが満ちている。
「どうだ、気に入ってもらえたかな」
「は、はい! なんだかワクワクします!」
「そうか、それはよかった」
アレンはココアをすすり……ふと、自嘲気味な笑みをうかべてみせる。
「まあ、天体観測と言っても……俺は星なんぞよく分からんがな」
「えええっ! アレンさん、なんでもご存知なのに!?」
「星の配置がマナに与える影響ならよーく知っている。だが、星座となるとちんぷんかんぷんだ」
ストイックな彼らしいといえば彼らしい。
だからシャーロットは夜空を彩る星々を指差してみせる。
「えっと、あの黄色く光っているのが、蜘蛛座の目の部分です。その右下にはオルトロス座がありますね」
「俺には単なる点の集合体にしか見えんが……」
目をすがめて夜空を凝視するアレン。
平常時でも人相が悪い方だが、そうしていると大魔王という名に恥じない貫禄が生まれた。シャーロットはくすくすと笑う。
「おうちでは色んな勉強をしてきましたから。星座もそれで覚えたんです」
「……そうか」
そこでアレンの顔がかすかに曇った。
どこか不機嫌そうなその表情に、シャーロットは首をかしげるが……それからアレンが星座をいろいろ聞いてきたので、疑問はあやふやになった。
シャーロットが星を説明し、それにまつわる神話を語る。
それにアレンが相槌を打ちつつも、魔法と天体の関係をシャーロットにもわかるようにざっくりと説明してくれた。
なんということのない会話の数々が、夜の帳に積み重なる。
やがて時間が経って――シャーロットはあくびをしてしまう。
「……眠くなってきたか?」
アレンがカップを置き、優しく笑う。
「そろそろ寝るか。部屋まで送ろう」
「……いいえ」
それに、シャーロットは首をゆっくりと横に振った。
「今日は……眠りたくないんです」
怖い夢を見たこと。
また眠るとあの夢を見そうで怖いこと。
シャーロットはぽつぽつと告白する。それをアレンはじっと聞いてくれていた。
(……呆れられたら、どうしよう)
夢が怖いなんて、まるで子供だ。それにふと気付いてしまい、シャーロットは深くうつむく。
だが、しかし――。
「大丈夫」
「えっ」
不意に、アレンがシャーロットの手をそっと握った。
かすかな緊張が手のひらから伝わる。ぽかんと目を丸くするシャーロットの顔をのぞきこみ、アレンはまっすぐに告げる。
「言ったろう。俺はおまえの手を離さない。どんなものからも守り抜く、と」
そうして彼はニヤリと笑う。
「悪夢に囚われようと、俺が必ず助けに行く。だから何も心配するな」
「アレンさん……」
熱烈極まりない言葉の数々にくらくらする。
だがしかし……シャーロットは小首をかしげるのだ。
「……そんなこと、言ってもらったことありましたっけ?」
「ああ。しっかり言ったぞ。忘れているだけだろう」
「それは……ちょっと勿体ないですね」
シャーロットはふわりと笑う。
彼が嘘をつくはずはない。だからきっと今の言葉もどこかでもらっていて……ちゃんと守ってくれるつもりなのだろう。
シャーロットの体をあたたかな感覚が包み込む。
眠気が一気に襲ってきた。目をこするシャーロットにアレンは問う。
「もしも自分の夢が怖いなら、俺の夢に来るか?」
「アレンさんの夢に……?」
「ああ。人の夢に入り込む魔法があるんだ。使ってやる」
「そ、そんな魔法があるんですか。魔法ってすごいんですね」
「うーん……あるというか、急ごしらえで作ったというか」
アレンはごにょごにょと言葉を濁し「それはともかく」と話を変える。
「どんな夢が見たい? リクエストを聞かせてくれ」
「それじゃ……」
どんな夢でも、アレンと一緒なら楽しそうだ。
だが、シャーロットは……あえて希望を告げる。
「夢でも一緒に、お星様を見たいです」
「ああ、お安い御用だ」
ふたりは笑い、ともにソファーから立ち上がった。
少し前まで、世界のほとんどが怖かった。
でも今は……夜さえもう、怖くない。