三十八話 夜はもう、怖くない④
目覚めると、そこは真新しい寝台の上だった。
「……あ」
シャーロットはゆっくりと身を起こす。
重い瞼をこすりながら、あたりをきょろきょろと見回した。
ベッドにクローゼット。文机に椅子、そしてまだあまり埋まっていない本棚。簡素ながらに居心地のいい空間だ。
ここはエヴァンズ家……ではない。
アレンの屋敷の、シャーロットの部屋だ。
窓の外に広がっているのは深い夜空。まだまだ朝の気配は遠い。獣の声も聞こえず、外はひっそりと静まり返っている。
シャーロットはぼんやりと独り言つ。
「……なにか、夢を見ていたような」
夢の内容はほとんど覚えていなかった。ただ怖くて堪らなかった思いだけが、しこりのように胸に残っている。
たぶん、エヴァンズ家にいた頃の夢を見たのだろう。
この屋敷に住むようになって初めて見た悪夢だった。最初のうちは泥のように眠り、夢さえ見なかったものだが、この生活にも慣れてきた証拠なのかもしれない。
だけど……それならもっと楽しい夢が見たかった。
「でも、ちょっと……いい夢だったかも」
怖いばかりの夢ではなかった。最後、なにかあたたかなものに触れた感覚だけは残っていた。ひょっとすると、懐かしい妹に会えたのかも知れない。
その詳細さえ覚えていないのは、すこし勿体ないような気もしたが……もう一度眠る気にはならなかった。
またあの夢を見るかもしれないから。
今度はただ、怖いだけの夢になるかもしれないから。
シャーロットはぶるりと身を震わせる。
そうして音を立てないようにして、そっと寝台を降りた。
水でも飲んで、朝までじっとしていよう。
そう決めてリビングに向かったのだが……ドアの隙間から光が漏れていて目を丸くしてしまう。ゆっくりとドアを開けば、いつものソファーにアレンが座っていた。
シャーロットに気付き、彼は軽く片手を上げる。
「おお、なんだ。目が覚めたのか?」
「は、はい」
シャーロットはおずおずと彼に近付く。
ローテーブルの上には分厚い本や紙の束などが乱雑に積み上げられていた。どうやら書き物をしていて遅くなったらしい。
「アレンさんは……お仕事ですか?」
「なに、ちょっと頼まれごとがあってな」
アレンは肩をすくめてみせる。
「ほら、先日出くわしたメーガスというのがいただろう」
「は、はい。あの岩人族さんですね」
アレンやエルーカたちと街へ行って、小さな騒ぎに巻き込まれたのは今から一週間ほど前のことになる。
そのとき出会ったのが、アレンの元教え子だという岩人族だった。
「あいつが心を入れ替えて、修行をやり直したいと言い出してな。専用の鍛錬メニューを考えてやっているんだ」
「そうだったんですか……」
シャーロットにとって、岩人族は大きくて怖い存在でしかなかった。
それなのに、アレンは彼をあっさり改心させてしまったばかりか、しっかりその後の面倒を見るという。
おもわずシャーロットは相好を崩す。
「やっぱりアレンさんはお優しいですね」
「いや、死ぬギリギリ一歩手前の鍛錬メニューを人に課すのが趣味なだけだ」
「はあ……」
「岩人族は丈夫だからな。腕がなるぞー」
アレンは嬉々として分厚い紙の束をぱらぱらめくる。マグマとか標高三千メートルとか耐久百時間とか、物騒な単語がちらっと見えた気がした。
最初は冗談かどうかよく分からなかった彼の発言だが、最近ではシャーロットもすこしは読み解けるようになっていた。
今のは九割くらい本気だろう。
残り一割は、彼も気付いていない優しさだ。
(変な人だけど……アレンさんはそれ以上に、お優しい人ですよ)
そんなことを言っても、アレンは照れてまともに取り合ってくれないだろう。だからシャーロットはくすりと笑って、彼に尋ねる。
「眠れないんです。一緒にいても……いいですか?」
「……もちろん」
アレンは小さくうなずいて、シャーロットのために場所を開けてくれようとする。しかしそこでふと気付いたように顔を上げた。
「ああ、そうだ。いい機会だし、今夜はあれをやっておこう」
「あれ?」
「それはもちろん……」
アレンは人差し指を立てて、いたずらっぽく笑う。
「夜しかできないイケナイことだ」