三十五話 夜はもう、怖くない①
朝が来た。
鳥のかすかな声を聞き、シャーロットは跳ね起きる。
「っ……あれ」
寝台から身を起こし、あたりを見回す。
そこは狭い小部屋だった。木箱などが雑多に積み重なり、ひどく埃っぽい。窓は天井近くにたったひとつだけ。鉄格子のかかったその向こうには、青い空が広がっている。
シャーロットはぼんやりとその窓を見上げる。
かぶっていた薄い毛布は穴だらけ。シャーロットが身にまとうのも、ボロ一歩手前の寝間着である。
ここはエヴァンズ公爵家本邸の――離れの物置だ。
これがシャーロットに与えられた世界の全てだった。
いつもの朝。
なにも変わらない日常。
それなのに……。
「なにか……」
なにか、不思議な夢を見ていた気がする。
ここではないどこかに行って、誰かと一緒に何かをした。それ以外は何も覚えていない。
ただ、どこかあたたかな……不思議な感覚だけが胸の奥に残っていた。
シャーロットは自分の胸に手を当てて、夢を思い出そうとする。だが一向に記憶は蘇らず、胸にちくちくとした痛みが生じるだけだった。
やがて鐘の音が鳴って……。
「っ、いけない……!」
シャーロットはハッとして身支度をはじめる。
今日も一分一秒たりとも無駄にはできない。寝間着とほとんど変わらない粗末な服に着替えて、慌てて離れを飛び出した。
シャーロットの母は、エヴァンズ家のメイドの一人だった。
当時、当主には本妻がいた。しかし彼女は病気がちでほとんど床に伏せたままで、もちろん子供も望めなかった。
そんな中、当主がメイドのひとりに手を出した。古今東西よくある話。
話にすこし変化が加わるのは、そのメイドが懐妊に気付き、当主に何も言わずに行方をくらませたことだろう。
彼女はニールズ王国の王都から離れた田舎町で、シャーロットを産み落とす。そうして女手一つで育て上げた。
母と子、けっして裕福とは言えない暮らしではあったものの、静かで穏やかな日々だった。
それはシャーロットが七つになるまで続いた。
母が流行病で亡くなった次の日、公爵家の使いの者がシャーロットの元にやって来たのだ。
「お、おはようございます」
『……』
裏口から本邸に入るなり、シャーロットは深々と頭を下げる。
そこは厨房になっており、幾人もの調理人たちやメイドが忙しなく働いていた。
しかし誰もシャーロットに目もくれない。もちろん挨拶が返ってくることもなかった。
みな顔に黒いもやがかかっていて、表情がまったく読めない。
それでもシャーロットはうつむいたまま、素早く厨房の隅――小さなテーブルに着く。そこにはシャーロットの分の朝食がいつも通りに用意されていた。
今日のメニューはパンにローストビーフ、コンソメのスープ。一見すると豪華なものだが、当主たちの昨夜の残り物だ。
パンはすっかり硬くなっていて、付け合わせの野菜もしなびている。スープも生ぬるい。
「……いただきます」
それらの食事を、シャーロットは手早く食べはじめる。
くすくす、ふふふ……。
あちこちから蔑むような笑い声と視線が飛んでくる。味などわかるはずもない。
顔を上げてしまわないようにテーブルの木目を数えながら、シャーロットはただひたすら作業のように食事を続けた。