三十二話 お人好しの大魔王②
岩人族が土下座を始めたおかげで、あたりは一気に騒然とする。
中でも取り巻きたちの狼狽は凄まじいものだった。土下座して小山のようになったメーガスに、思い思いに叫ぶ。
「ちょっ……! どうしちまったんですか、親分!」
「そうですよ! こんな弱そうなやつ、親分なら一発っすよ!」
「テメエらは黙ってろ! これ以上このお方を刺激するんじゃねえ!!」
「うぎゃああああああ!?」
メーガスは取り巻きたちを引っ掴んでは無理やり土下座……もとい、地面に押し倒していく。あっという間に一団は静かになった。
「えっ、えっ……?」
おかげでシャーロットは目を丸くしたまま固まってしまう。
「どうなっているんですか……?」
「あれー、おにいから聞いてないの?」
「エルーカさん!」
いつの間にやら、エルーカが戻ってきていた。車椅子の青年とは別れたらしい。
そのかわりに分厚いメモ用紙の束を抱えていた。彼の車椅子について、材質や使われている魔法をメモってきたのだろう。
それはともかく、エルーカは軽い調子で語り始める。
「あたしとおにいのパパは、この国で一番大きな魔法学校……アテナ魔法学院の理事長なの」
アテナ魔法学院は何百年もの伝統を誇る名門校だ。
この学校を出るだけでも将来が約束されると言われており、世界各地から生徒が押し寄せ、種族の垣根を超えて魔法や剣の腕を磨いている。
「そ、そうなんですか。だからおふたりとも魔法がお得意なんですね」
「まーね。そんで、おにいは……」
エルーカはそこで言葉を切り、アレンへ意味深な目線を向けてニヤリと笑う。
「その魔法学院を史上最年少のわずか十二歳で卒業して、そのままそこの教師になった天才少年だったんだよね」
「……えええええ!?」
「あれ? 言わなかったか」
すっとんきょうな声を上げるシャーロットに、アレンは首をひねる。特に隠していたつもりはなかったからだ。
「だ、だって、私くらいの歳の頃には、学校に籍を置いていたって……」
「ああ、魔法の実技教官としてな」
「聞いてませんよ!?」
シャーロットは勢いよく叫ぶ。
そういえば学校に所属していたとは言ったが、教える側だったなんて一言も言っていない気がする。
とはいえ、それも過去のことだ。アレンは薄く苦笑を浮かべてみせる。
「教官職は三年前の十八の時にやめたんだ。わりと気に入っていた職だったんだが、続けられなくなってしまってな」
「ご苦労があったんですね……」
「ああ。生意気な生徒たちをボコボコにして性根を正しまくってやったら、元から俺を嫌っていた教授会でつるし上げられたんだ」
「さらにそこで教授たちをボコボコにしたんじゃん。そりゃパパも庇いきれないってば」
「……色々あったんですね」
「なぜセリフを変えて言い直す?」
ちょっと目をそらすシャーロットだった。
まあ、それはともかくとして。
「しかし相変わらずのようだなあ。メーガスよ」
「は、はあ……」
アレンは朗らかな笑みを浮かべながら、土下座したままのメーガスの頭をぺちぺちと叩く。
岩人族は当然顔も岩石であるため、表情の変化が読みにくい。しかし今のメーガスはわかりやすく怯えていた。ぶるぶる小刻みに震えるせいで、体が擦れて砂がぽろぽろとこぼれ落ちる。
それに気付かぬふりをして、アレンはにこやかに続ける。
「おまえを初めて指導してやったときのことを思い出す。『こんなガキなんざ俺の一撃であの世行きだ』とかなんとかほざいていたよなあ」
あのときのアレンはまだ十四かそこらの子供で、メーガスが侮るのも無理はなかった。
他の反抗的な生徒とひっくるめて教育的指導をくれてやったので、以降は大変大人しくなったものだが。
その当時を思い出したのか、メーガスの震えが一層にひどくなった。額を地面で削る勢いで土下座しながら叫ぶ。
「お、お許しください大魔王どの! あんたに迷惑をかけるつもりはなかったんだ! そもそもこの街にいるなんてことも知らなかったし……!」
「あの……『大魔王』ってなんなんですか……?」
「うん? 教官時代のおにいのあだ名」
シャーロットがこそこそと尋ね、エルーカがさっぱりと答える。
だから、アレンはミアハから呼ばれるあだ名が不本意だった。
魔王なんて呼び名はふざけているにもほどがある。
だってそれでは……ランクが下がっているではないか!
しかし大魔王という呼び名で呼ばれるのは久方ぶりだ。その心地いい音の響きに酔いしれながら、アレンはくつくつと笑う。
「面を上げてくれ、メーガス。俺は別に迷惑など被っていないのだからな」
「じゃ、じゃあ――」
「そう。俺は、な」
メーガスが希望に輝く顔を上げたその瞬間、彼の額に大きなヒビが走った。
周囲の温度が一気に下がる。緊迫の糸が張り巡らされる中、アレンはゆっくりと口の端を持ち上げていく。
「貴様の手下どもが害そうとしたのは、俺の……」
そこでアレンはすこし口ごもる。
(シャーロットは俺の……なんだ?)
今さらそのことに疑問を覚えた。
単なる居候? 二人目の妹? もしくは――。
頭に浮かびかけた単語を無理矢理に追い出して、アレンはきっぱり言ってのける。
「俺の、大切な女だ」
それが今の彼に言える精一杯の言葉だった。
そしてちょうどその折、暮れゆく夕日の最後の光がアレンの顔を照らし出す。まばゆいばかりの紅蓮の光が彼の笑みを彩って……大魔王と呼ぶに相応しい壮絶な演出となった。





