三話 隠居魔法使い、悪役令嬢を拾う②
「おい……そこにいるのは誰だ」
地に伏せた人物に、アレンは慎重に声をかける。
しかし相手はピクリともしなかった。
忍び足でそちらに近寄ると――。
「……女?」
草むらの中にうつ伏せで倒れていたのは、まだ年若い少女だった。
見目麗しい面立ちで、上等なドレスをまとっている。典型的なお姫様といったところだろう。
だがしかしドレスはボロボロだし、顔色もひどく悪い。
青白い唇からは細い息がこぼれ出るので、かろうじて生きてはいるようだ。
「家出娘か……それとも攫われた先から逃げてきたのか?」
そっと抱き起こしてみると、かすかに長い睫毛が震えた。しかし目を覚ます気配はなかい。このまま放置しておけば……確実に死ぬだろう。
アレンは少しだけ迷い……諦めたようにため息をこぼす。
「……仕方ない。目を覚ますまで介抱してやるか」
アレンは彼女を抱えて、屋敷を目指す。
雑草を踏みしめた、その瞬間――!
「でやああああああっっっ!!」
突然、男の蛮声が林の静寂を切り裂いた。
それと同時に、アレンの背後で凶刃が閃く。
鈍く輝く刃は、狙いを違えることなく彼を一刀両断にし――その姿が、霞のごとく搔き消える。
「なっ、消え……!」
「またずいぶんなご挨拶だな?」
「っ!?」
賊の背後から、アレンは飄々と声をかける。
初歩的な幻影魔法だ。変わり身の術とも言う。
こちらを振り返ったその男の顔は、見覚えのないものだった。だがしかし、鎧に刻まれた紋章ならばよーく知っている。
「隣国、しかも王室直属の近衛兵か。そんな大層な肩書きの者が、一体なんの用だ」
「……」
兵士は何も答えない。
じっとアレンを睨みつけたまま、剣をゆっくりと構える。
さらに木陰から新たに三人の兵が現れた。どいつもこいつも重装備で、鋭い眼差しをアレンに向ける。
張り詰めた空気の中で、アレンは少女を抱えたまま肩をすくめてみせた。
「ゾロゾロとご大層なことだな。訪問販売なら間に合っているぞ」
「その女を渡せ」
アレンの軽口にも構うことなく、剣を構えた兵士が低い声で告げる。
「その女は、我が国を辱めた重罪人だ。庇い立てするならば容赦はしない」
「じゅーざいにんー?」
少女の寝顔を覗き込む。
その弱々しくも美しい面立ちは、そんな物々しい単語からは明らかにかけ離れていた。
「女の生死は問わないとも仰せつかっている。大人しく身柄を引き渡すのなら……貴殿に危害は加えない。約束しよう」
「ふーむ。なるほどなあ」
面倒ごとの気配がプンプンする。
だからアレンは……にやりと笑う。
「そういうことなら……お断りだ」
「なにっ!?」
こんな胡散臭い奴らと、衰弱した哀れな少女。
どちらの肩を持つかと聞かれれば、まず間違いなく後者を選ぶ。それが人の性というものだ。
もしも本当に彼女が悪人だったのなら、後で引き渡せば済む話。
そういうわけで、ここは交戦あるのみである。
「たった一人で我らを相手取るつもりか……!」
「それは俺のセリフだな」
ぐるりと自身を取り囲む兵士たちを見て、アレンは唇を歪ませて嗤う。
兵士たちの構えにはまるで隙がない。相当な鍛錬を積んでいることが一目で伺えた。
一方、アレンは少女を抱えて両手がふさがっている。外野から見ればさぞかし絶体絶命に映ったことだろう。
ゆえに……ちょうどいいハンデだ。
「たった四人の精鋭ごときで……俺に敵うと思うなよ!」
「ぐあっ!?」
右手背後から悲鳴が上がる。
アレンに襲いかかった兵士のひとりが、足払いを受けて転んだのだ。その背に肘打ちを食らわせ沈めれば、悲鳴が開戦の合図となった。
残る三人が一斉に動く。だがしかし――アレンの方が早い。
「《氷結縛》!」
「おごっ……!?」
閃光が地を走り、ふたりの兵士がつんのめって倒れる。その足は氷の結晶によって地面に縫いとめられていた。
氷を操る魔法である。殺傷能力は極めて低く、敵を捕縛するのに効果的。
残るは剣を構えた最初のひとりのみ。
「無詠唱魔法だと……っ!」
驚愕に目を丸くしつつも、兵士は冷静だった。真正面から繰り出すのは的確に急所を狙った刺突。
だがしかし、アレンは軽く踏み込み、刃先を紙一重でかわす。その勢いのまま顎を蹴り上げれば、兵士は大きくのけぞった。
「もういっちょ! 《氷結縛》!」
「っ……!」
かくして捕縛の完了だ。
地面に磔にされながら、兵士は目をみはってアレンを見上げる。
「その、白と黒の髪……! まさか、貴様はあの――」
「無駄話はご遠慮願う。《幻夢》」
「がっ……あ…………?」
パチンと指を鳴らせば、四人の目から光が消えた。
虚空を見つめる彼らに、アレンは静かに尋ねる。
「さて。ここで何が起きた? 言ってみろ」
「……森を隈なく探索して」
「……女の痕跡が途絶えたので」
「……獣に食われたのだと結論付けて」
「……一時、帰国することにしました」
「うむ、上出来だ!」
彼らを始末したところで、次の兵士たちがやってくるに決まっている。ならば上手く誤魔化した方が手っ取り早いというものだ。
魔法の氷を溶かしてやると、彼らはふらふらと起き上がる。
「そら、お帰りはあちらだ。二度と来るんじゃないぞ」
そのままアレンが顎で示した方角を目指し、兵士たちはぼんやりとしたまま去っていった。
じきに意識もはっきりして、アレンのことなど綺麗さっぱり記憶から消えることだろう。あとは国に戻って、先ほどの報告を上げてくれるはずだ。
ひとまず目先の問題は解決した。
「しかし重罪人、なあ……どうやら相当訳ありのようだな」
少女の寝顔を見下ろして、アレンは小さくため息をこぼしてみせた。