二十五話 傷痕②
処刑用というよりも、ただ苦痛と恐怖を与えるタイプの鞭だろう。
皮膚や骨を断つほどの威力はないが、音が大きく痛みが尾を引く。
その痕跡はいくつもいくつも、ドレスを着て隠れるギリギリの位置に、執拗に刻まれていた。赤と紫と黒とが入り混じるその様は、まるで毒蛇が彼女の体に巻きついて魂を蝕んでいるようだった。
おそらくシャーロットは、自分の体の見えない位置に、その痕があることに気付いていないのだろう。
だからアレンは……腹の底から湧き上がるマグマをやり過ごし、ニヤリと笑う。
「うん。似合ってはいるが……《大治癒》」
「あわわ?」
シャーロットを淡い光が包み込む。
先ほどは髪を変えたが、今度は全身だ。光はすぐに消えて、あとにはきょとんとしたシャーロットが残った。
アレンは彼女の背中をそっと撫でる。
忌々しい鞭の痕は、きれいさっぱりと消えていた。白い肌にはわずかな傷すら残っていない。残すはずがなかった。
不思議そうにするシャーロットに、アレンはいたずらっぽくニヤリと笑う。
「背中にニキビの痕があった。消しておいたぞ」
「ひえっ……お、お恥ずかしいです……」
「なに、健康的な証拠だ。ついでに全身ケアしておいた。指のささくれなんかも治ったはずだぞ」
「さっすがおにい! お手軽エステティシャン!」
エルーカが大げさなまでにアレンの背中をばしばしと叩く。
おかげで今の秘密は、兄妹の心に無事しまわれた。
(……花嫁修業では、間違えてばかりで『怒られてばかりだった』と言っていたか)
アレンはその言葉が意味することを、正しく察することができなかった。己の落ち度、それ以外に言いようはない。
保護した当初、手当てしたときのことを思い出す。どこか痛いところはないかと聞き、手足の擦り傷や栄養失調状態だけを診断して治療を施した。
あのときのシャーロットの言葉に嘘はなかった。それもそうだろう。あの形状の鞭ならば次の日には痛みも消える。ただ呪いのように痕が残ったままになるだけだ。
変に遠慮して、彼女の肌を見ることを躊躇った己の浅慮を心底悔やむ。しかし、どうしてこんなことが予想できようか。
(いくら妾腹とはいえ……こいつは王子と婚約まで漕ぎ着けた、公爵家にとって大事な駒のはずだろう!? わざわざ傷をつける理由など、なにがあるというんだ……!)
生まれを理由に疎み、冷遇するのはまだわかる。
だがあの鞭の痕からは、そうしたものを越えた憎しみのようなものを感じざるを得なかった。
シャーロットがそのような感情を向けられる理由など想像もつかない。それでも、これまでの彼女の境遇を予感させるのには十分な材料であり……アレンの背筋がざわりと粟立つ。
しかしそれは一切顔に出さなかった。気付いたのはアレンのそばで笑う、エルーカくらいのものだろう。
そもそもあの鞭の痕は、簡単な魔法で綺麗さっぱり消せる程度のものだ。
つまりシャーロットは……そんな治療すら受けさせてもらえなかったことになる。
「なるほどな……おい、エルーカ」
「なーに?」
エルーカは無邪気な笑みを向ける。
そんな妹に、アレンはさっぱりと告げるのだ。
「先ほどの話だが、やはり徹底的に駆除しようと思う。手伝ってもらえるか?」
「もちろんお任せあれよ」
エルーカは親指を立てて、にこやかに言ってのけた。
話が飲み込めないシャーロットだけが小首をかしげてみせる。
「駆除ってなんのことですか?」
「ああ、実家に放置していた本に虫が湧いたらしくてな。エルーカに天日干しを頼んでおいたんだ」
「む、虫さんですか……それは私もちょっと苦手です」
「奇遇だな。俺も反吐が出るほど嫌いなんだ」
へにゃりと眉を下げるシャーロットに、アレンはにやりと笑う。
怖いものなんて、虫とかお化けとか、その程度のものでいい。
それ以外はすべて……アレンが徹底的に排斥する。
笑顔の裏で、彼はそんな決意を固めてみせた。
その決意はまだシャーロットには伝えない。かわりにエルーカは察したらしい。綺麗になったシャーロットの背中を撫でて、にこにこと告げる。
「さーさー、無駄話はそこまでだよ! まだまだファッションショーは続くからね! 次はこれとこれと、これ!」
「待て……それはもうほとんど紐では?」
「これって服って呼べるんですか!?」
「へーきへーき、大事なところはギリ隠れるよ」
しれっと言ってのけ、服だか紐だかをシャーロットにぐいぐい押し付けようとするエルーカ。
脅威は案外、近くにいたらしい。
「保護者として、これ以上の露出は認めん! こいつに着せる服は俺が審査する!」
「ぶーぶー! 文句は誰でも言えるんだよ! 悔しかったらおにいも似合いそうな服を選びなよ!」
「いいだろう! 俺のほとばしるセンスに恐れおののくといい……!!」
「えっ、あの、ええ……」
かくして戸惑うシャーロットをよそに、クロフォード兄妹の仁義なき戦いは熾烈を極めていくのであった。