二百二十二話 エルーカ番外・脇役たちの矜持③
ジルは目を瞬かせる。言葉がまったく飲み込めないらしい。
その両肩をガシッと掴み、エルーカは凄みを利かせて続けた。
「資金援助をするから専門学校に通えって言ってるの! それで魔法道具技師免許を取りなさい!」
「えええええ!?」
ジルの悲鳴は小さな家を揺るがすほどだった。
エルーカの父・ハーヴェイが学園長を務めるアテナ魔法学院には、魔法道具技師養成クラスが存在する。通信教育も整備されていて、必要単位はそこですべて取得でき、最終試験も受けられる。
ジルならばきっと一年以内に免許の取得が可能だろう。
学費なら心配いらない。エルーカは数々の特許を取得しているため、もしものときの貯金が唸るようにある。
「きみには最高の素質がある! だから魔法道具技師を目指そうよ、ジルくん!」
最後に、エルーカはジルへと右手を差し伸べる。
彼はぽかんとしたままその台詞を聞いていた。
しかしエルーカの手をじっと見つめているうちに、その顔には確かな影が差していった。やがて、ジルは膝の上で拳を握ってかぶりを振る。
「……いいえ」
そうして、彼は丁寧に頭を下げた。
「せっかくですが、お断りします。僕は誰かに期待をかけてもらえるほど、大した人間じゃありませんから」
「……ジルくん」
エルーカは取られなかった右手を見下ろし、ゆっくりと引っ込めた。
小さな部屋に沈黙が満ちる。空気が淀んだ泥のように感じられ、息苦しささえ覚えた。
だがしかし、エルーカは退くわけにいかなかった。その澱の中心に、ジルが囚われていたからだ。伏せたままの彼の顔をそっと覗き込み、静かに問う。
「ジルくん、さっき黄金郷で薬草を買ったよね」
満月草。宵待花。シャミタールの根。
それら三つを組み合わせてできるのは――。
「あれは抗不安薬の材料だよね。トラウマ治療とか、うつ病なんかに処方される薬」
「……よくお分かりで。買うと高いので、自作するようにしているんです」
ジルはわずかに顔を上げ、力なく笑う。
机の引き出しをそっと開ければ使い込まれた薬研が出てきた。よく悪夢にうなされるため、薬が手放せないのだという。
「それは……その足となにか関係があるの?」
「……」
ジルは首肯も否定もしなかった。
ただ自身の膝のあたりに視線を落としてじっとしている。
それにエルーカはハッとして慌てるのだ。
「あっ、ごめん。デリケートなこと聞いちゃった。言いづらいことなら全然――」
「いいえ。大丈夫です」
ジルは力なく笑う。
それは、何もかもを諦め尽くした空虚な笑みだった。
「面白くもなんともない、よくある普通の話ですから」
こうして昔話が始まった。
ジルが幼いころ、両親が亡くなった。
それからずっと姉のアンネが多くの仕事を掛け持ちして、彼のことを育ててくれた。だから彼は早くアンネを支えたい一心で冒険者になった。
それを聞いてエルーカは目を丸くする。
「ジルくん、元冒険者だったんだ。なんだか意外かも」
「これでも剣の腕はひとかどのものだったんですよ。魔法も少しは使えましたしね」
冒険者は派手な仕事だ。危険が付きまとう分、収入も多くなる。
ジルは堅実に場数を積み、頼れる仲間もできた。中堅レベルの依頼なら危なげなくこなすことができるようになり、収入も安定した
だからこそ慢心し――選択を誤った。
今から一年ほど前、ジルは冒険者ギルドにてとある依頼を目にする。
それはコカトリスの討伐依頼で、報酬が相場よりも少し高かった。今まで挑んだことのない大物だったが、ジルは悩んだ末に飛びついた。
自分たちの力を試してみたくなったのだ。
そしてダンジョンに出かけ、彼のパーティは壊滅した。
「僕らはコカトリスに手も足も出ませんでした。運良く他の冒険者に助けてもらったので命は助かりましたが……」
ジルはそこで言葉を切って、ズボンの裾をゆっくりとまくし上げる。
そうしてあらわになった素足は完全に石化していた。
「何人もの医者を当たりましたが、どこも同じ診断でした。この足は……もう動くことはないそうです」
「これは……」
エルーカはごくりと生唾を飲み込んだ。
うっすら予感してはいたが、実物を見るとさすがに言葉を失ってしまう。
本来の肌色はわずかも残らず、ただ硬質な灰色で塗り潰されている。その症状を、エルーカは専門書などで見たことがあった。
「コカトリスの毒にやられたんだね」
「はい」
ジルはあっさりとうなずいた。
今日はとことんコカトリスに縁がある。あまりよくない縁ではあるが。
コカトリスは猛毒を持っている。少量でも体を石化させる効果があり、手足の痺れや意識障害などの重篤な症状を引き起こす。だからこそコカトリスは討伐の難易度が高いのだ。
断りを入れてから、エルーカは彼の足にそっと触れてみる。伝わってくるのは石の冷たさだけ。血は一切通っていなかった。
(……無理だ。どうやっても治るはずがない)
医学の専門家でもないエルーカですら、たやすく診断が下せた。
父も母も、兄もまったく同じことを言うだろう。
ここまで石化が進んでしまえば、魔法薬も回復魔法も効果がない。時間を戻す魔法は存在しない。つまりお手上げだ。
「いっそ切断して、義足にするって手は……? 今の技術なら元通りに歩けるようになるはずだよ」
「まだ毒が残っているんです。へたに切ったら全身に回ってしまうから、様子を見るしかないらしくって」
ジルは軽く肩をすくめて苦笑する。
こうしてパーティは解散。彼は冒険者を引退せざるを得なくなった。
たしかになんの面白みもないよくある話だ。傷痍冒険者のセーフティネット問題はどこの国でも深刻で、救済の手が届かない者も非常に多い。
「僕がコカトリスに挑もうなんて言ったせいで、みんなに迷惑をかけました。死人が出なかったのだけが幸いですが……今もまだ、あの魔物を夢に見るんです」
夢で何度も、ジルはコカトリスと対峙する。
そしてその度に無残な敗北を喫し、大事な人たちが食い殺されるのをただ見ているだけしかできない。その中にはかつての仲間も、アンネの姿もあるという。
だから薬を手放せない。
だから、彼は前に進めない。
「僕はもう、何にも挑みたくない。失敗したくないんです」
かすれた声を絞り出し、ジルは押し黙ってしまう。
ただでさえ希薄な彼の気配がいっそう弱まって、家具の一部と化したようだった。
物寂しい家のなか、きっと多くの時間をそうして過ごしてきたのだろう。
(言葉にはしないけど……)
きっと何度も自死を考えたのだろう。
それでも残される姉のことを思って踏みとどまり、こうして自らの無力を噛みしめながら生きている。生きることしかできないでいる。
その痛みが伝わって、エルーカは拳を固く握りしめる。
そこでジルがハッとして顔を上げ、バツが悪そうにあたふたしはじめた。
「す、すみません。会ったばかりのエルーカさんに、こんな話をしてしまって」
「ううん。話してくれてありがとう」
エルーカはさっぱりと笑う。
それにジルはホッとしたように相好を崩し、おずおずと続けるのだが。
「あの……だから、さっきの話はなかったことに――」
「待って。結論を急いじゃダメだよ」
手のひらを翳して彼の台詞を止め、エルーカは額を押さえたままでうんうん考え込む。
(ようはあれだ。トラウマが足を引っ張っているんだよね)
問題は理解した。
解決策はもちろん――。
「コカトリス……コカトリスか……うーん、やれないこともないよね」
「エルーカさん?」
部屋を見回し、ブツブツと小声で算段を立てるエルーカに、ジルが不安そうに眉を寄せる。
そんな彼に、エルーカはにっこりと笑いかけた。
「ジルくん、ちょっと聞きたいんだけど明日は暇?」
「え、はい。なんの用事もありませんが……それが何か?」
「よし。いい返事だね」
方針は決まった。エルーカは立ち上がって窓を見上げる。空は青く澄み渡っており、気持ちよさそうに鳥が泳いでいる。これなら明日の天気も晴れだろう。
だから、軽い調子でまたデートに誘った。
「明日ちょっと付き合ってよ。一緒にコカトリスをぶっ倒しに行こ☆」
「はい!?」
ジルの大声で、紅蓮石の山ががらりと崩れた。
続きはまた来週水曜更新予定。
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